不穏な雰囲気から始まるプオ(結末②)「オクタビオ」
ああ、やっぱりそんな気はしてたぜ。薄らとだけど、こうなるんじゃないかとは思ってたんだ。
だから俺は自分でも想像以上に聞き分けよく、正面から向き合ったテジュンの顔を見つめることが出来た。
でも、出来ることなら。
この先続く言葉は、俺の予想を裏切って欲しい。
そう心から願ってテジュンの目を見つめる。
微かに、目頭が熱くなる。
「行けるぜ、俺なら」
「…」
「何度も話し合ったよな?覚悟があればどんなことだって出来る、そうだろ?俺はもう覚悟を決めたぜ」
「…」
「だからなぁ、テジュン…っ、一緒に、おれもっ」
最後まで言いきるはずだった言葉は、みっともなく溢れ出した嗚咽に押し流されちまった。
だって俺を見つめるテジュンの目があまりにも優しくて、穏やかなのに俺よりも、ずっとずっと強い覚悟の色が込められているのが見えちまったから。
「お前に、コッチは似合わないよ」
「なんだそれっ、あんただって、濡れ衣きせられた、だけだろっ!あんたに、なんで分かんだっ」
「……俺は、もともとコッチの人間だったから」
なんだよそれ。そんな話聞いたことない。
訳が分かんなくてテジュンの胸をバシバシ叩くが、彼は困ったように笑って俺の頭を撫でるだけ。
「どーいう意味か、おしえろよ」
「いいよ。少し長くなるかも知れないが、全部話す」
俺が落ち着くのを待って、テジュンはゆっくりと彼の過去の話をしてくれた。彼の膝に乗って、しがみつきながら。彼のものがたりにじっと耳を傾ける。
物心がつくより前に、テジュンの親は失踪した。
生きているのか死んでいるのか、分からないが身寄りのなくなったテジュンはガイアの救貧院に送られた。だがそこで彼はオリヴァー・ツイストのような生活…つまり、犯罪をしなければまともに生きられない生活をしなければならなくなった。
「でもあるとき俺は救貧院を抜け出した。そしてシティの比較的明るい路上を放浪をしていたときに、今の俺の義母と出会ったんだ。そのおかげで今の俺がいる」
「…」
「だから分かるんだよ。お前はコッチに来ちゃいけない」
「…やだ、しらねえ、いまさら、なんでっ」
俺は嫌々と被りを振った。
確かに人を殺したり、物を盗んだりなんて自分に出来る気がしない。そんなことしなくても、もっと簡単に欲しい物を手に入れる手段が俺にはある。
でも、テジュンと一緒に行動していて思い知らされた。
俺みたいな奴は、ほんの一握りなんだって。
「でも、俺だって、その気になれば」
「オクタビオは、オクタビオらしく生きて欲しい。今まで通り、自分のやりたい事をやって自分の好きなように生きるんだ」
「で、でも…っ」
「俺の事は考えなくていい。俺とお前は住む世界が違った。それだけなんだ」
テジュンは何度も、言葉を変えて伝えてくる。
「今のサイコーのオクタビオのままでいて欲しい」
俺を愛しているから。
だから俺が、今の俺のままでいられるように、テジュンはこのあと裏の世界で色々やらなくちゃいけない。
テジュン自身の冤罪と、俺が負った罪。その両方を背負って生きていくと。
「なんで、そこまですんだよ…!」
「どの道もう俺は表立って歩ける人間じゃなくなった。…そう仕向けた相手を見逃してやるつもりもない。俺の復讐って大荷物に、おまえの罪って小物が増えただけ、それだけだよ」
なんだよこれ。なんだよこの気持ち。
むかし、家族が戦争に向かうのを見送っていた奴らってこんな気持ちだったのか。
行ってらっしゃいって言いたいのに、行かないでって言いたい。背中を押したいのに、しがみついて離したくない。
「てじゅ、てじゅっ…!」
「オクタビオ、約束する。落ち着いたら、必ず連絡する。そして差し支えなければ、必ず会いに行く。絶対だ」
「約束、やぶったら、ただじゃ、おかねぇっ」
「分かってるよ。約束だ。絶対に守る」
何度、何度愛してると呟いたか分からない。
手や指が痺れるまで彼にしがみついて、息が切れるまでキスをし合って、身体が干からびるまで涙を零した。嗚咽が喘息に変わっても、俺はテジュンを呼び続けた。
行かないで。一緒に行かせて。置いて行かないで。
愛してる。俺も愛してる。居なくならないで。独りにしないで。
叶わないと分かっていても言葉にせずにはいられなかった。精も根も尽き果てるまで、俺は彼への愛をぶつけ続けた。
そして、気がついたときには彼はもう居なかった。
質素なシティホテルの純白のリネンには、微かにテジュンの匂いと皺が彼のわずかな痕跡だった。
「せめて挨拶してから居なくなれよ…」
最後くらい顔を見て別れを言いたかった。
いや、やっぱりこれで良かったのかもしれない。
きっと俺は悪あがきをしてテジュンを引き留めていただろう。たぶん。
そんなことしてテジュンを困らせたくはない。
それに、俺には彼との約束がある。
「俺は、俺らしく生きていく。あんたはあんたを貶めた奴への復讐を果たす。今すぐは無理だけど、いつか絶対また会う…」
朝日の穏やかな風がカーテンを揺らす。
オクトレインのエンジンに追い風が熱を与える。
涙の跡を拳で拭いとると、視界が明るく拓けた。
「…こうしちゃ居られねえな。配信を一週間もサボったなんてオクトレイン死亡の噂がたっちまう!早くアミーゴたちに死ぬほどスリリングなスタントを配信して生存報告しねえとな!!」
オクトレイン発車の宣言のあと、1分も経たずしてホテルの部屋から人は消え失せた。
すると、カーテンの束のなかから一体のドローンがゆっくり現れ、しばらく部屋の中を見渡したあと、ひとつ頷いて窓の外へと飛び立っていった。