境界はグレー何だか分からないけどすごく眠いときと同じように、何だか分からないけど全然眠れなくなることがある。たぶん、理由はちょっとしたことなんだろうけど、同じようなことをして過ごしてもまちまちだから、特定ができない。
だから、眠れないときはいつも理由探しをする。探して、見つからなくて寝ようと目を閉じて、全然眠れる気配がしなくてまた目を開ける。そうしている内に眠れたり眠れなかったりするけれど今夜は眠れない日だったみたいで、私は何度目かの失敗を認めた後起き上がってベッドから降りた。そうして手近な羽織ものを掴んで肩に引っかけて部屋を出る。そっと、できるだけ音を立てないように気を付けたつもりだったけど、やっぱり無音でというわけにはいかなくて、静かな廊下にドアノブを動かす音が大きく聞こえたような気がしたけど、それを聞かなかったことにして私はさっさと歩き始めた。
もしかしたら夜烏なひとが談話室にいないかとか、キッチンであたたかい飲み物でも作るのもいいかもしれないとか、そんなことを思いながらふと窓辺に目をやると、外にぼんやりと明るい点が見えた。星……じゃない。空じゃなくて地上だし、星にしては近すぎる。
別に魔法舎は心霊スポットではないから人魂なんてことはないだろうけど、正体が気になって私は魔法舎の外へ出た。
すると、まだ点々と明かりがついている部屋が見える中庭を誰かが歩いているのを見つけた。
……誰か。でも、目が暗さに慣れてくると、難易度高めのシルエットクイズみたいに何となく予想ができるくらいには見えてくるし、こんな時間に敷地内を歩いている誰かという時点で魔法使いのうちの誰かなのは決まっている。
眠れない夜に出会うひとは、同じように眠れないひとか、まだ眠る気がないひとだろう。彼はどちらだろうか。手にしているランプの淡いながらも不自由しない程度の光がやわらかく物憂げな顔を照らすのを、見つめながら思う。
「人魂じゃなくてよかった」
「ひとだま……?」
「えーっと……人の魂です。私の世界での、お化けみたいな」
「きみは、そんなものをひとりでふらふら見に来たのか?」
「そういうことになりますね……」
「もっと危機感をもった方がいいと思うけど」
「はい……そうですね……」
ごもっともな意見に、私は項垂れた。夜間、表にひとりでなにも持たずに出るなんて結構どうかしてた。私が人魂と思っていたそのひと―ファウストはランタンを手に少し険しい表情を浮かべていたけど、ふと短く息をつくのと同時に表情を緩めた。
「……そんなを顔しなくてもいいだろう。少なくとも、魔法舎の周りならそう悪いものはいないから大丈夫だよ」
「ファウストは、何をしに外へ?」
「……ちょっと」
「ちょっと」
尋ねると、ちょっとだけ顔を背けた。完全にそっぽを向いたわけじゃないけど。でもファウストに限ってやましいことがあるとは思えなくて、私はそのきれいな輪郭をした顔を追う。
「何でもいいだろう」
「そうですけど、心配じゃないですか」
「別に、きみに心配されるような筋合いは―、……ないけど、ついてきたいならきてもいい」
「どこか行くつもりだったんですね」
「敷地内だよ」
ファウストについていくと、どうやら魔法舎の建物の裏手を目指しているようだった。なるほど敷地内だし、私が心配するようなことはまず起こらなさそうだ。
何があって何をしにいくつもりなんだろうと思っていると、足元をなにかが撫でていった。お化け……じゃない。この感触には覚えがある。
「僕らが最後みたいだな」
ファウストがゆっくりとランタンを前にかざす。すると、ぴかぴかぴかぴか、こちらを見て光る目、目、目。猫の目。いまさっき私の足を撫でていった子も、少し先で私たちを待っているように振り向いた。
「呼ばれてたんですね、ファウスト」
猫集会に。私がそう言うと、彼は肯定とも否定ともつかないような様子でもう二三歩進んだところで立ち止まった。そうしてその場に座り込んだので、私も彼に倣う。
この世界にくる前ごくたまに、本当にたまに猫が自分についてこいみたいな風に前を歩くのについていったら猫集会の会場だったということがあったなあと、草の上に座り込んでそこかしこにいる猫たちを見ながら思う。でも私たちは猫じゃないから参加はしていても芝生席みたいな状態だ。それに何を言っているか分からないし、おとなしくしているしかないんだけど、それでも猫に芝生席を許されているというのは嬉しいものだった。
そんな不思議な時間をファウストとふたりで過ごして、裏庭から自室がある棟に戻る道すがら、私は何の気なしに「いい夜でした」とファウストに声をかけた。ランタンがほの明るく照らす彼の顔はなんとも言えずきれいで、このままぼんやりと見とれてしまいそうだったけれど、こちらを向いた彼の顔に笑みはない。
「……夜はいい。どんなに何かへ憎悪を募らせても、誰かの悪意に苛まれても、夜は美しいから……。それだけは確かなんだ」
彼はそう言いながら、視線を行く先の方へ向けた。ひとりごとのような、曖昧な声色だけど私に向かって語っているのだとはっきり分かる。
「私は……こんな夜に見つけたひとがファウストでよかったと思ってます」
ひとひらほどの寂しさをまとわせて、それでも優しく私のもとに届いたこの声に答えないといけない。そんな気がしてならなくてどうにか引き出した言葉に言葉はなかったけれど、ファウストは小さくひとつ頷いてくれた。
こんな綺麗な夜に不思議な時間を共有して、ほんの少し胸の内を見せてくれた―いまは、それだけで安堵できた。