cafune濡れた髪をすっかり乾かしたイルーゾォは、上半身をはだけてベッドにうつ伏せになる。窓の外は真っ暗闇で、遙か遠くに街の灯りが見えるばかりだ。晩秋の風がさらさらと木々を撫でる音だけが聞こえてくる。しばらくすると静かな足音と共にフーゴが入ってきた。フーゴがほほ笑んだのが、気配で分かる。彼は無言でイルーゾォの傍に座って、白いボトルに入ったボディミルクを自分の手に垂らすと、イルーゾォの背に塗り、マッサージするように伸ばした。
イルーゾォは目を閉じる。ひんやりとしたボディミルクとフーゴの手が心地よい。フーゴの手つきは慣れたものだったが、いつも優しく、丁寧だった。右半身の痕を毎晩保湿するのは医者のすすめで、背中側も自力で出来ないことはないが、フーゴに塗布してもらっているのである。イルーゾォは一日の終わりのこの時間が好きだった。
ふと、香りがいつもと違うことに気がついて目を開ける。
「新しくしたのか……?」
「ええ。前のが切れかかってたので、少し前に買ってきたんですが……いつものはあいにく売り切れてて。代わりを探していたら、薦められたんですよ」
「ふーん……」
イルーゾォはベッドサイドに置かれたボトルを見た。上品な白いボトルには、『マドンナリリー』と書かれている。――聖母の花。純粋・無垢の象徴。ギャングの人殺しには似つかわしくない花だ。
フーゴのことである。当てこすりなわけはないが、そう受け取られかねないものを選んだ理由が少し気になった。
「もしかして、あまり好きじゃないですか?」
イルーゾォの沈黙に不安を覚えたのか、フーゴが心配そうに口を開いた。
「そうじゃあねえけど。なーんか気になるんだよなあ。お前、店員に薦められるままに買うってタイプでもないだろうし。決定打はなんだ?」
イルーゾォは首を伸ばしてフーゴを振り返ると、彼は頬辺をほんのり赤く染めてはにかんだ。
「深い意味はないんですが……あなたからこの香りがしたらいいと思って。それだけなんです」
「へえ……ふぅ~ん」
かわいい、と思うと同時にイルーゾォの意地の悪い部分が頭をもたげた。彼は体を起こすと、フーゴに向き直る。
「んじゃあ、前も塗ってくれよ」
「え」
「お前の好きな香りなんだろ? 好きなだけ塗っていい。許可してやる。つーか、おれが寝てる間は塗ってただろ」
「そ、その時あなたは寝てたでしょ!?」
「塗ってくれないの?」
イルーゾォが妙に悲哀のこもった表情をすると、フーゴはムキになって叫んだ。
「ぬ……塗りますよ! 塗ったらいいんでしょ! 塗らせて貰いますったら!」
イルーゾォは満足げに笑った。
フーゴは先ほどとは変わってぎこちない手つきで塗り始める。それがこそばゆくて、イルーゾォは笑いをこらえるので大変だった。
背中に塗るときには意識していなかったことも、胸や腕、手に塗るときには変に意識してしまうらしい。ゆっくり上下する白い胸、直に伝わる鼓動、静かな呼吸音、胸のぬくもり、肩の厚さ、薫る黒髪、腕の筋肉、そして高貴なマドンナリリーの香り――。イルーゾォに間近で見守られながら、手で塗り広げていくのである。まだキス以上のことはしていないのに。これではまるで、まるで――。いつしかフーゴの顔はゆでだこのように真っ赤になっていた。
「……塗り終わりましたよ」
普段の快活で歯切れのいい声はどこへやら、うつむきながらぼそっと言うフーゴに、イルーゾォは「ありがとな」と耳に口づけた。
「……もおお~! 意地悪!」
何かが決壊した思春期の少年は、真っ赤になった顔を覆ってベッドの上にくずおれた。