油断は禁物「あれ?七海くん!?えっうそ、七海くんじゃない!?わっ!久しぶり!」
「……お久しぶりです」
久しぶりのオフの日、夏服でも探そうかと通りをウロウロしたもののピンとくる服が一着も見つからず。フラリと立ち寄ったレストランはなんと現金オンリーで、免許証を置いてATMまで走るハメになった。なんか今日ダメな日のかなぁとトボトボ歩いているとなんと呪術師を辞めて以来の七海くんを見つけた。
好きで好きで堪らなかった七海くん。背が高いからやけに細長く見えた七海くんが今はガッチリした大人の男性になっている。深海を思わせるダークブルーのスーツに身を包み真っ赤なネクタイを巻いた七海くんは昔とかなり雰囲気が違う。よく気付けたな私。これは愛ゆえの偉業だ。
「時間ある?お茶しない?」
「……お酒アリなら構いませんよ」
「アリ!」
どこか良い店……と考える私の腰を抱いて『オススメの店があります』と囁いた七海くん。なになに!?なにこの雰囲気!?なんでそんなにオトナというかえっちな男になっちゃったの!?昔は指一本触れてこなかったじゃん!
あうあうと声にならない声を出しながらも頷いた私を見て甘く微笑んだ七海くんは腰を抱く腕はそのままにどこかへ歩き始めた。七海くんだったから思わず声を掛けちゃったけど、出会ってたった数分で昔との差に怯みまくっている。飲みに行ったりして大丈夫なのかな。
七海くんに連れてこられたのは十席あるかないかの小さなバーだった。え?本当にどうした?私たちの他にはカップルが一組いるだけ。ネオン街を思わせる青いライトで七海くんの綺麗な金髪が照らされている。七海くんが私の分もカクテルを頼んでくれて、シャカシャカと混ぜ合わされる液体を視界の端に捉えながら驚きの変貌を遂げた後輩くんを見つめる。
「七海くんかなり雰囲気変わったね……?」
「男子三日会わざれば……と言います。三年会わなければ別人にもなるでしょう」
「レベルが違うような気が……呪術師辞めて社会人になったって聞いてたんだけど今はホストとかやってる感じ?」
マスターがフフッと吹き出した。それを咎めるようにキッと睨みつける七海くんはもしかしたら結構仲が良いのかも……いや、こんな小さなバーにフラッと来れる時点で仲が良いのは当然か。コトンと置かれたカクテルはグラスの縁に塩の付いたスノースタイル。白いカクテルは綺麗で、僅かにオレンジの香り。なんていうカクテルなんだろう……。
チンとグラスをくっつけて、一口。わ、美味しい。思わず口に出た言葉に七海くんが微笑んだ。
「ホストではありませんよ。ごく普通の仕事です」
「濁すねぇ」
「私にできることを精一杯頑張ってきました」
「そっか、それは何より」
「貴女は相変わらず呪術師ですか」
「うん、昨日も■■県まで出張して……」
言葉に詰まった。七海くんは呪術師の世界が嫌になってこうして一般人になったんだ。思わず昨日の任務について喋りそうになったけど、あまり良い気はしないかもしれない。三年経ったくらいじゃ嫌な記憶はまだまだ褪せていないかもしれないし……。
「どうしましたか」
「や、えっと……あ!最近ね、休みが取りやすくなったんだよ」
「ほう」
「腐っ……上層部も割と人間扱いしてくれるようになったというか……呪霊が減ってきてるのかなぁ?五条は相変わらず忙しそうだけどね」
「まだいたんですかあの人」
「ふふ、嫌そうな顔」
結局呪術界の話になっちゃったけどこれくらいなら大丈夫なのかな?七海くんの顔色を見ながらぽつりぽつりと話をすすめる。少し強いお酒だからチロチロと舐めるような量だけ飲む。いつも飲んでいる安いハイボールとは話が違う。七海くんとこんなお洒落なお酒を飲める日が来るなんて思わなかった。七海くんがいなくなってからもどうにか生きていて良かった。
「私ねぇ、七海くんがいなくなって生き甲斐がなくなってたんだよ」
「……その割には元気そうですが」
「七海くん無しで生きていけるようになってきたのはほんの最近」
「そうですか」
「なのにまた会っちゃうとか運命って残酷だよねぇ、そろそろ結婚しよ」
「『お断りします』」
「あー……これこれ……疲れに効く……」
「馬鹿みたいに求婚してきていましたよね貴女」
「人の愛情表現を馬鹿みたいとは失礼な」
「なんだかんだ癒やしではありましたよ」
「えっ!?あんなに迷惑そうにしてたのに!?」
「思春期なんてそんなもんです」
七海くんは薄ら微笑んでいる。クラリと倒れそうな色気を携えたオトナになったけれどあの頃の面影は残っている。ああやっぱり好きだ。三年間なんとか忘れようと努力して死にもの狂いで任務に取り組んだり男を作ったりしたけれど結局こうして会って数時間で完全に熱がぶり返した。
「……戻ってくる気はない?」
「断れば殺しますか」
「えっ!?そんなヤンデレじゃないよ私」
「……。私は戻りません。合わせる顔がありませんよ」
「そんなの気にしなくていいのに。……まあ、でも、そうか……そうだよね。うん、変なこと言ってごめんね」
「いえ」
残り僅かになっていたカクテルをコクリと飲み干す。その様子を見た七海くんがまたマスターに一杯お願いした。カクテルの名前はまたしても聞き逃した。もう一杯分隣にいられる。
音もなく置かれたカクテルは大きな氷の入ったロックグラスに、カットライムが刺さっていた。なんていうカクテルなんだろう、やっぱりわからない。さっき夕食を済ませていてよかった。空腹にこんな度数のキツイお酒では確実に悪酔いしていたはずだ。
「単刀直入に聞くけど、呪術師やってる私は嫌ですか」
「……。貴女自身と職業は別です。呪術師は嫌いですが貴女のことは好きですよ」
「そっか、よかった!ねぇ連絡先交換しない?」
「……。良いでしょう」
マスターにメモ用紙を貰った七海くんがサラサラと携帯の電話番号を書いて寄越した。あ、ラインとかじゃないんだ。いいけど。そういうところも好きだけど。七海くんがハッキリと『呪術師は嫌い』と口にした事実がじわじわと胸を蝕む。もう昔のようには戻れないんだ。七海くんと任務に出る夢を見ては朝起きて泣く生活はこの先もずっと続いてしまうんだ。『他の人には渡さないように』と釘を刺された。少しキョトンとした後、確かに五条に連絡先がバレたら面倒そうだしなと自己解決。
昔よりも舌が回らない私と、昔よりも沢山お返事してくれる七海くん。終わるのが勿体なくて途中で一度お手洗いに行って、ぽやぽやと浮かれかけている脳を覚醒させるように両頬を叩いた。再会出来たこの時間、一分一秒を大切に過ごしたい。後で何度でも思い出せるように、ぽやぽやしてる場合じゃない。
夢のような時間はカクテル二杯分で終わりだ。三杯目を頼もうとする七海くんの腕をそっと掴んで制止した。
「……明日も任務ですか」
「そ、しかも朝早め」
「呪霊の等級は」
「二級。余裕だよ」
「油断は禁物」
「はあい」
バーならではの脚の長いカウンターチェアからコトンと降りて、少しふらついた。咄嗟にカウンターを掴んで盛大にすっ転ぶのを防いだのに、七海くんは私がカウンターを掴むのと同じタイミングで肩を抱いて私を支えてくれた。ああ好き……。
「ごめ……んっ!?」
謝ろうと振り返るとそのまま唇を重ねられた。ウッカリぶつかっただけかと思ったけれど、私を真っ直ぐ射抜く真剣な瞳がそれを否定する。
「帰すつもりはありません」
「ぁ……」
「今夜はずっと側にいてもらいますよ」
「……ん、はい……」
▽△▽△
「……え?今なんて?」
「だから、七海は呪詛師だよ」
「へ……」
七海くんと深く愛し合って幸せな時間を過ごした翌朝、硝子にゴキゲンの理由を聞かれてペラペラと事の顛末を話したら信じがたい言葉が返ってきた。
「昔いた証券会社の人間を何人か殺ってる」
「えぇ……まさかそんな……」
「オマエは七海のこと好きだったから中々言えなかったけど……こうなるなら先に言っておくべきだったな」
「嘘……そんな……だって……」
「昔と変わったところは無かったのか?」
「変化がありすぎて……まさか呪詛師だなんて……あ、『呪術師は嫌い』って言っ……て、た……」
そんな、七海くん、嘘でしょ?
「完全にクロだな」
「あれ?七海くん!?えっうそ、七海くんじゃない!?わっ!久しぶり!」
「……お久しぶりです」
夏油さんに振られた依頼を終えて、この依頼料で飲んで帰るか迷っていたところに聞き覚えのある声が掛かった。振り返って目を丸くする。学生時代に何度も愛を叫んできた先輩がそこにいた。自分は呪詛師。本来であれば交わってはいけない存在だ。
「時間ある?お茶しない?」
私が呪詛師だと知っていて誘っているのだろうか。私が彼女を好きだったと知る高専側の人間からの差し金だろうか。甘美な誘いに乗ってはいけないと思いつつ、殺されるキッカケが彼女であるならそれでも構わないと思ってしまった。
「お酒アリなら構いませんよ」
「アリ!」
元気よく答えた彼女の腰を抱いて『オススメの店があります』と囁くと、言葉になっていない言葉を発しながらもコクンと頷いた。この場で取って食ってやろうか。
呪術師の情報を引き抜くために高専関係の女を口説くことはよくあった。そんな時に使うバーに彼女を連れてくることになるとは思わなかった。マスターも夏油さんの一味。教団が経営していると聞いたことがある。
「七海くんかなり雰囲気変わったね……?」
「男子三日会わざれば……と言います。三年会わなければ別人にもなるでしょう」
「レベルが違うような気が……呪術師辞めて社会人になったって聞いてたんだけど今はホストとかやってる感じ?」
吹き出したマスターを咎めるように睨みつける。普段は情報共有も兼ねて話を聞かせているけれど、今日の会話は二人だけのものにしたい気持ちが湧いていた。彼女はグラスの縁を僅かに舐めながら少しずつマルガリータを飲んでいる。マルガリータ、カクテル言葉は『無言の愛』。おそらくカクテル言葉など知らない彼女は小さいけど弾けるような声で美味しいと呟いた。
「ホストではありません。……ごく普通の仕事です」
「濁すねぇ」
「私にできることを精一杯頑張ってきました」
「そっか、それは何より」
「貴女は相変わらず呪術師ですか」
「うん、昨日も■■県まで出張して……」
言葉が途絶えた。過去の任務であれど、呪詛師に任務の内容を教えるなどあってはならないことだ。やはり私が呪詛師だと気付いて近付いてきたのか?
「どうしましたか」
「や、えっと……あ!最近ね、休みが取りやすくなったんだよ」
「ほう」
「腐っ……上層部も割と人間扱いしてくれるようになったというか……呪霊が減ってきてるのかなぁ?五条は相変わらず忙しそうだけどね」
「まだいたんですかあの人」
「ふふ、嫌そうな顔」
じっと私の顔色を伺いながら話すのは私から何かを引き出そうとしているのか、誘っているのか。カクテルグラスに唇をつけて、ほんの数滴飲んで赤い舌がペロリと唇を舐める。彼女の真意はさておき絶対に抱くと今決定した。
「私ねぇ、七海くんがいなくなって生き甲斐がなくなってたんだよ」
だから私を捕らえる任務を引き受けたのか?それとも口説いているのか?発言の意図はどちらだ?
「その割には元気そうですが」
「七海くん無しで生きていけるようになってきたのはほんの最近」
「そうですか」
「なのにまた会っちゃうとか運命って残酷だよねぇ、そろそろ結婚しよ」
「『お断りします』」
「あー……これこれ……疲れに効く……」
「馬鹿みたいに求婚してきていましたよね貴女」
「人の愛情表現を馬鹿みたいとは失礼な」
「なんだかんだ癒やしではありましたよ」
「えっ!?あんなに迷惑そうにしてたのに!?」
「思春期なんてそんなもんです」
驚き方から察するに私が好きだったのを知らなかったらしい。色仕掛けで情報を抜こうとしているわけではなさそうだ。嘘のつけない彼女の繰り出す色仕掛けは見てみたかったので少し残念。
まだ細い身体をしていた頃、彼女が何度も何度も繰り返す愛の言葉に何度救われていたかわからない。大切な人を失くしてもなお己の足で立っているのは間違いなく彼女のおかげだ。
「戻ってくる気はない?」
ドクンと心臓が脈打った。呪詛師を辞めて呪術師になれと言うのか?やはり誰かの差し金か?それとも私が呪詛師だと知った彼女の善意か?『断れば殺しますか』と危惧したことをそのまま口に出せば慌てて否定された。なんでそんなことを言うのかわからない、といった表情に彼女は本当に私が呪詛師だと知らないことを悟る。
「私は戻りません。合わせる顔がありませんよ」
「そんなの気にしなくていいのに。……まあ、でも、そうか……そうだよね。うん、変なこと言ってごめんね」
「いえ」
少し弱いジンライムを頼むと当然カクテル言葉を知っているマスターがニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべた。カクテル言葉は『色褪せぬ恋』。ニヤつく男を無視して彼女の言葉に耳を傾ける。
「単刀直入に聞くけど、呪術師やってる私は嫌ですか」
「貴女自身と職業は別です。呪術師は嫌いですが貴女のことは好きですよ」
「そっか、よかった!ねぇ連絡先交換しない?」
呪術師は嫌いだと言ったことが引っかかるのか、少し眉が下がったのを見逃せなかった。呪術師と呪詛師が連絡先を交換だなんてどちらの業界においても有り得ない話。そうわかっている自分が断らなくてはならないのに少しでも笑顔を浮かべてほしくなってしまった。
携帯の電話番号を渡して『他の人には渡さないように』と釘を刺す。少しキョトンとした後、何やら納得したらしくウンウンと頷いた。私が呪詛師だと知ったら、彼女はこの番号を誰かに渡すのだろうか。秘めたままでいてくれるのだろうか。
三杯目を頼もうとすると腕をそっと掴んで制止された。ボディタッチに期待するものの表情に熱はない。ただ制止されただけ。
「明日も任務ですか」
「そ、しかも朝早め」
「呪霊の等級は」
「二級。余裕だよ」
「油断は禁物」
「はあい」
帰ろうと立ち上がって、少しよろけた彼女の肩を抱いた。初めて抱いた肩の細さにドクンと身体が熱くなり、堪えきれず唇を奪った。
「帰すつもりはありません」
「ぁ……」
「今夜はずっと側にいてもらいますよ」
「……ん、はい……」
情報目当ての女が相手ならもっとスマートなことが言えたのに。スムーズにベッドに誘えるのに。彼女を相手にすると上手くいかないのは結局私が未だに彼女を愛しているからだろう。マスターに目で合図して手配してもらっていたタクシーに乗り込み情報目当ての女と行くのとは比べ物にならないようなホテルにチェックインした。
まざまざと蘇ってきたあの頃の昂りを全て彼女にぶつけて、何度も何度も愛の言葉を囁き合って満足するまで欲を吐き出し尽くした頃には外が僅かに明るくなっていた。呪詛師だと知ってしまったら最後、彼女が会いに来ることはないだろう。連絡が来るとも思えない。一時間後にセットされたタイマーを頼りに眠る彼女にそっと口付けた。
───もし呪術師に戻るようなことがあれば、この幸せを手に出来るのだろうか。
ふと浮かんだ考えを頭を振って追い出した。そんなことをあの上層部が許すはずがない。呪術規定に則ってまず間違いなく処分されるだろう。……五条さんの力があれば、或いは。……否、愚かなタラレバは止そう。一人の女を愛してしまったから呪術師に寝返りたいだなんて、私が情報収集のために何をしてきたか知っている奴らが聞いたら腹を抱えて笑うだろう。ああクソ、それでも戻れるならばと思ってしまっている。彼女の携帯から彼女の電話番号と五条さんの電話番号を抜き取って元の場所に戻した。どうしてロックしていないんだ。
私がこの番号に連絡する日は来るのだろうか。もう一度口付けて、同じように眠りについた。