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    関東礼

    @live_in_ps

    ジュナカル、ジュオカル、ジュナジュオカル三人婚
    成人済

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    関東礼

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    全年齢向けのジュオカルとジュナカルの短編をまとめました
    ふだんエッチなのばかり書いていてすみません

    全年齢向けジュナカル、ジュオカルまとめ「夜を劇的にする貴方という方法」
    生徒会長アルジュナオルタさん×生徒会長カルナさん

     ドラッグストアの出入り口の横、セブンティーンアイスの自販機の前に、カルナが立っていた。アルジュナオルタが近寄っていく。彼はアルジュナの「いい人」だ。本当はカルナ一筋。けれど正攻法で口説き落とすのは恥ずかしかった。眼鏡につけたアクセサリーがちゃらちゃらとこめかみで揺れる。真夜中。お誂え向きの三日月で、乾きつつあるアスファルトが香る。新月でも、満月でも、十六夜でも、アルジュナにとってカルナとの時間は運命によって丁寧に特注されていた。後ろ手に指を組み、首を傾げる。
    「こんばんは。いけないんですよ。夏休みだからといってこんな遅くに出歩いたりして。私オオカミが食べちゃいますよ」
    「アルジュナ」
     白い軽自動車が二人の前に尻を寄せてくる。熱っぽいライトが彼を照らし、白い頬が赤らんだ。カルナは自販機でアイスを二つ買い、手渡してくる。チョコミントとクッキー&クリーム。パッケージを捲って齧りついた。頬へ下りてくる髪を耳にかける。チェーンが少し邪魔だ。
     アルジュナはいつでも、最高の主演俳優だ。他に好きな人がいるフリをして、片思いが終わるまで、私は誰とも抱き合っちゃいけないんですかとか目を伏せて、カルナを腕の中に収めた。もちろん二人ともそれが真っ赤な嘘だと気付いている。生徒手帳にカルナの写真を入れるどころでなく、Suicaにプリクラを貼っていて、それを透明なパスケースに収納し通学鞄にぶら下げているのだから。だからアルジュナは、本当は助演俳優だ。彼の気持ちに気付いたカルナがそれでも「いい人」のままでいたいと距離を詰めずに遊んでいる。どきどきする。好きな人に振り回されていると、競争しているみたいで心が焦れる。
    「オオカミだからオレの脇腹をがぶがぶ噛むんだな」
     アイスを舐め終えた彼が服の裾で腹を扇ぐ。きのうつけたばかりの歯形が藍色の夜に染まった。目に毒で、アルジュナの喉を羞恥が駆け上る。恋の行方が左右されるところだった。執着と、彼を思い切り泣かせてみたい欲情に。もう少しで辿り着いてしまう寸前で堪えた。
    「えっ……えっ。エッチ」
     ゴミを捨て腰に腕を回し抱き寄せた。
    「ゴムは買ってある」
     カルナが囁いた。
     もし透明人間になる薬があったら、アルジュナは躊躇いなく飲んで、カルナの身体に入ってみたい。外側からでは見えない彼のばら色の粘膜も、臓器も、体液を掬い上げるみたいに舌で舐めあげ、全部口づけ、ちゅっと吸ってみたい。でも生でセックスして中に出すなんてダメ。二人とも別々の高校の生徒会長で、それにカルナは神聖な悪魔で、アルジュナにとっては惹かれて当然の闇。きっとやみつきになる。きっと罪悪感に塗れる。震えるほど興奮して、抜かないまま腰を打ち付けてしまうかも。ぜえぜえと獣めいて息を荒げ、唾を飲み込む音が聞かれてしまう。
     唇を噛みしめた。蝉が鳴いている。いっそカルナにひどく誘惑されて、拒絶もされているこの時間が止まってしまいますように。いまがタイム・ワンとして映画のフィルムのように切り取られたら、きっと誰から見ても二人は恋人同士なのに。
     タイム・∞のアルジュナとカルナは恋人同士? そうかもしれない。眼鏡をかけ直した。
    「貴方だけが、私をかき乱す」
     アルジュナの手がカルナの腰を摩る。
    「怖ろしくなるほど美しいと、人に見惚れることがあると、カルナに出会う前の私は想像もできなかった。指で梳かれるとやわらかくなる、貴方の髪の素直さが愛しい。目を覗き込むとキスしたくなって、瞼が閉じられれば恋しくて胸が苦しい。カルナが好きです。オオカミから恋人に変身しても良いですか?」
    「眼鏡を外しても構わないか?」
     フレームの左右の端に、彼の指先が触れる。レンズが離れた。ぼやける視界で、カルナの口が動く。
    「へんしん」
     青い目がアルジュナの目の前にあった。温かい息が唇を燃やしている。口づけた。アルジュナの胸元に、ぱたんと眼鏡が落ちる。ガラス面にカルナの白い肌と、月光が映った。
    「ベッドの中でまたオオカミに戻ってしまっても、お前なら望むところだ」
     わきまえなくて良い、お気に入りの場所へ、アルジュナは愛をしに行く。深夜から次の夜まで。明日の晩の月が少し太ったのを、カルナと二人で見上げるために。


    「春に年を重ね」
    近親相姦ジュオカルが同棲している話

    「お前のレーシック手術分の金がもう少しで貯まるから」
     馴染みの定食屋で箸を割った。ぱきっと響いた音はアルジュナオルタの感情に罅を入れ、親子丼の上へ欠片を振らせた。水を飲むカルナから視線を外し、一口含む。ぼろぼろのカーテンを閉じた二人の部屋から徒歩五分だ。畳敷き、ろくな防音のない住処で、兄を抱きすくめた直後だった。二年使用した眼鏡は替え時だ。ポイントとしてつけたチャームを、もうカルナしか褒めない。それでも充分幸せだった。もう叶っている恋心が、消しゴムに名前を書くおまじないで完璧に奮起してしまうくらい。
     子どもの頃、アルジュナは弱視だった。不同視弱視。六歳になるまでの間顔に不釣り合いなほどの大きな眼鏡をかけて過ごした。カルナは彼より十一歳年上。高校を卒業してからは両親以上にアルジュナの暮らしに金を出し、それでもずいぶん慎ましく弟の教育に口は挟まなかった。二十歳を過ぎたカルナが家を出るのを、アルジュナが無理を言って一緒のアパートへ押しかけた。微かに甘かった兄とのやりとりは、一つの部屋に住み始めて宝石飴に似た素晴らしい甘味になった。揃いのパジャマを着てレンタルしたコミックを貸しあい、意味なく赤飯を炊いておもしろがった。料理の仕方がわからず冷蔵庫の中のものを片っ端からホットプレートで焼いたアルジュナを、彼は愛しがってくれた。常夜灯だけ点け並べた布団の上、眠るカルナをキスで起こし馬乗りになったのは三年前だ。自然視力が落ちた。つまりいまは蜜月。なにも問題はない。
    「眼鏡の私は兄さんの好みじゃない?」
     思いがけず声が震えた。久しぶりの子ども扱いだ。彼はずっと素直に、あどけない話をアルジュナに話しかけていたから。「春は好きだ」とか。機嫌が悪くなくても、「だからなんだ?」とつれない返事をする兄に胸が震えた。甘えられている自信があった。それだけで涙がでる。両親には近親相姦を包み隠さず話していた。アルジュナの通う高校の生徒だって、彼の恋人はカルナだと、いずれ事実上だけにしろ結婚すると知っていた。露骨だったもので。でも構わないでしょう? アルジュナの人生だから。罪がわからない子どもじゃないんだから。
     血の繋がった兄を選ぶ倒錯に陶酔なんてしない。好きな相手の姿は視線に収まりきらない。飯をよそう手つきを注視して恥じらった。好きすぎて気まずかった。カルナを追うとき、アルジュナの心はカルナの心へ完全に重なり、自分がいなくなってしまったように思う。そしてとても自由だと落ち着く。
     好みだよ、とカルナが答えた。食事を終える。代金を支払った。好きな相手に時間も金も費やしたいアルジュナは、貯金を崩してでも兄へ花を贈った。金を惜しむ兄を尊重して、種を採取し増やした。アルバイトをした。二人の部屋には上手く育ちつつあるアボカドの種と、パイナップルのへたがある。それらをかわいがろうとすぐに帰宅した。カルナがカーテンを開ける。
    「少し視力が落ちたくらい、私の幸福にはなんのさわりもない」
    「わかっているよ。オレにもお前のかわいい子を見せてくれ」
     涼しい風を立てて、兄が植木鉢を覗き込んだ。横顔を眺め、ほんの少しさみしくなる。カルナはほんとうにアルジュナの幸福をよくわかっていた。子ども扱いされたと、声が震えるほどびくついたのは、ただの独りよがりだとすぐに理解する。カルナの方がずっと大人で、同じ愛情を抱き合っていても、同じ罪を共有しても、弟のアルジュナはすぐに置いてきぼりにされてしまうのだ。彼は弟と番うことを後ろめたく思っていない。それが怖ろしい。けれどその恐怖も恋の快感になるから、なお怖ろしい。
    「弟を恋人にして、なんとも思わないのか?」と問いたい。問えばなんてことのない表情で、そんなことないに決まっているだろう、と返ってくるだろう。父にも母にも申し訳ない。罪の意識で逃げたくなるときすらあると、ふつうの顔で言うだろう。実際にそう思っているし、アルジュナを安心させるために、カルナは気を遣ってくれる。二人の会話に空気は張り詰め、仲直りをするみたいに腕を伸ばし合うだろう。とびきり甘いキスをする。自分がいなくなってしまった自由を、二人きりの孤独と不安で埋めて、ふたたび蜜月を練り上げていく。パイナップルの葉の形に、アルジュナの心がささくれ立つ。もっと恋心が高まっていく。きっともっともっともっと。
    「ほんとうに、わかっているのか、カルナ」
    「うん……。信じてくれないのか? アルジュナ」
    「えっ」
     きゅうに甘えられてしまい、たじろぐ。途端に兄がなまめかしく映る。
    「信じる……」
     信じる……ともう一度口にしたアルジュナの眼鏡を押し上げて、
    「良い子だな」
    とカルナが口づけた。弟が恋心を溢れさせる前から、彼は正直に焦がれている。

    「知りたい」
    生徒会長同士のジュオカル カルナさんがアルジュナオルタさんの赤ちゃんを妊娠している話

     壇上に立つカルナを見上げた。舞台幕は二重で、くすんだ赤紫色の緞帳の内側に、卵色のカーテンが重なる。袖には白と緑を基調にしたスタンドフラワーが置かれ、床より立ちのぼる加湿器のスチームに微かに濡れている。アルジュナオルタの卒業式は三月の第一週に終わった。カルナはいま卒業生答辞を読んでいる。黒地に赤色の襟のついたジャケットはフロントのボタンが外され、妊娠して十九週の腹の膨らみがシャツの形に沿って朗々と明らかだ。ベルトはきっと緩んでおり、ほんのり皮下脂肪のついた太腿はやわらかい。昨晩触れたばかりだ。私服の、癖毛をそのまま外にはねさせたアルジュナをつくづく眺めて、
    「かわいいな」
    と彼は手を伸ばした。アルジュナが伊達眼鏡で、毎朝こてで髪を整えていると、カルナだけが知っていた。勉強熱心で真面目な恋人が意外と嘘つきなことも。
     学生同士でも結婚したかった。子どもがほしかった。同棲して小さなアパートを借り、手を繋ぎ通学路を歩いた。食事を摂らず朝市に寄ってぼろいベンチでラーメンを啜り、鯛焼きを囓った。イヤフォンを嵌めて交差点に立つカルナの背を指でつつき振り向かれる瞬間が好きだった。
    「お前は生真面目でお堅い生徒会長の筈では?」
     計画的な子作りだ。
    「まだ学生のお前が私の赤ちゃんを育む姿が見たいのです。そして協力し、労りたい……。私はいつのカルナも全身全霊で学びたい。知りたい。お前のすべてを知りたいと思うことを当たり前に思います。お前が許さないならともかく、世間の目がどうこうという理由で、それが許されないのは嫌だ」
    「アルジュナはもっと勇敢だと思っていた」
     お前の言う愛はもっと潔癖で、純なものだと思っていた。気まずそうに口を噤み、アルジュナは一瞬目をそらし、次いでカルナを見つめた。意志を含んだ瞳は真っ青な、鏡のような目の底にぶつかり、わずかずつ怯んでいった。そうしてまた厳しく瞠られる。そうせずにはいられないからだ。公正なカルナに挑み続けようとする好奇心そのものが、アルジュナの欲で、幸福で、清廉さだ。
    「孕むから、オレよりも子どもを大事にしてくれ」
     彼の愛情の、不純な部分が一筋光った。カルナの手に馴染むアルジュナの魂は、黒々と光る悪性で継がれている。ただ恋をする相手には見せないだろう熱情に驚いた。ひしっと掴むように見惚れる。カルナの頬がじょじょに紅潮し、可憐な緊張が表情へ宿った。アルジュナの胸が愛しさに潰される。汗ばんだ。
    「二人とも同じくらい大事にします」
     それから十九週。式を終え教室に残る彼に花束を持っていく。
     ミモザの花が溢れかかる。ピンク色のばらは五分咲きで、花芯にゆくにつれてきゅんと色が濃い。三年生の教室は花盛りの桜にいちばん近い。正午を過ぎて春の日差しは涼しく広がり、透明な熱とともに伸びやかに澄む。机の傍に立つカルナの姿は、アルジュナのしあわせだった。すぐに声をかけ近寄る自分と、そのままにしてずっと見つめ続ける自分と二人いてほしかった。
    「カルナ……」
     振り向かれて、声が漏れていたと知った。アルジュナと呼ぶ唇の動きで心を見失う。
    「卒業おめでとうございます」
     かける言葉を決めていて良かった。
    「卒業したのに、その姿できてくれたのか」
     癖のない髪と眼鏡、青、白、黒の制服をカルナが辿る。
    「四月まではまだ高校生です」
     若くて……浅はかで。世間ずれしているので、流行にのって恋人の卒業式に花束を持って参列します。
    「腹を撫でてくれないか」
     白い手がすうっと、制服越しの腹部をなぞった。シャツはぱつっと張り詰め、胸に皺が寄って膨らむ。向かい合い、椅子に腰掛けた。花束を置く。ボタンの外れたジャケットが開かれる。アルジュナが椅子を引き前のめりになると、きれいな顔が肩へのった。彼は彼の手をブレザーに隠し、満開の桜を見る。生徒達の声が響く。歓声は高らかで、甘い色をした稲妻に似た形となってほとんど映像だ。まるみを帯びた神聖な丘が、アルジュナの手だけのために庇われている。胎動があった。カルナはまだ外を見ている。彼がしどけなく身体を預けてくる奇跡を痛みに感じる。無視できない。剥き出しの心臓を摩る心地で掌をあてたままでいる。体温が高まりすぎて、空気は冷たく引き絞られる。
    「みっともなくないか? オレは」
    「なにを言っている?」
    「大きな腹を滑稽に思うから、興をそそられるんじゃないか? 妊娠したオレの姿を見せびらかしたいから、学生のうちから孕ませたんじゃないか? お前の思うより、腹に赤ん坊がいるのはしんどいよ。卒業生答辞をしながら、羞恥でどうにかなりそうだった」
     カルナの首が熱い。ジャケットの裾を握る手が震えていた。
    「お前はいつだって美しい」
     そう言おうとして、アルジュナが口を噤む。それは何度も言ってきた言葉だ。カルナもアルジュナの気持ちを信じてくれている。彼自身はつまらないと思う彼が、アルジュナにとっては誰よりも素晴らしいと、無理矢理心を説き伏せて信じてくれている。ゆえに、これはただの独り言。カルナがなにかを納得するために口にしているかけがえのない弱音。カルナの感情の結晶。磨かれて溢れるまで待った。桜が揺れる。
    「壇上からアルジュナの顔が見えて、ほっとした」
     赤ん坊がまた動いた。アルジュナはこの一時を忘れない。離さない。それこそ、我が子の手のように。
    「お前の顔が見られるのなら、オレはいくらめちゃくちゃにされても良い。死んでも良い」
     カルナの手を握り、二人腹を撫でる。呼びかけた。振り返る顔は愛に燃えている。軽く頬に頬をすり寄せた。同時に目を瞑る。同じくらい臆病で嬉しい。
    「お前が私でめちゃくちゃになっても、私はそのたび、お前を勇気づけるから……」
     視界の隅でちらちら揺れる桜は彼を舐る炎。激しいカルナには炎がよく似合う。
    「お前も私を乱して。カルナだけのアルジュナに壊してほしい」
     混じり合う吐息がほのかに白い。香しく甘かった。互いの肩に首を預け、高鳴る鼓動に耐える。
    「魔法の庭」 
    デバフで父親還りしたアルジュナさんのジュナカル

     月明かりはアルジュナの匂い。膝から下がまだ癒えず動かないから、賢そうに丸い頭はカルナの腰の位置にあった。屈託なく笑うと鷹揚な感じのある彼だ。大きな口がよく伸びる様子は破れ蓮を思い起こさせるが、舌の瑞々しさは盛夏の天国。声音と笑い顔の釣り合いがひどくて、やさしい響きが含みをもつ。
    「貴方は良い子でかわいいので、私の息子になりなさい」
     毒弓に撃たれた。正気に戻るまでの間、カルナが少年にしか見えなくなる。躊躇いなくすとんと腰を屈めた姿が、膝を抱えるあどけない様子に映った。この子は手当をする気らしい。弟は生前の、子の父の心に戻っていた。偉大な英雄である自負を漲らせ、左右の手を息子達に片方ずつ与える。分かち合いなさい。そのときの彼のままだった。けれども宿痾を忘れてもカルナは特別で、美点が陽炎めいて浮き立って見える。怪我人に膝を折るなんてやさしい。素直で、いじらしい。表情の動かないところが不器用にすぎ、可憐にすぎる。アルジュナの話す「良い子」は呪いだ。相手をほんものの良い子にする。闇に弱いカルナの目で、弟はたおやかな呪術師になった。月は火薬の匂い。カルナの胸が焦げる。
    「一瞬で貴方のためになんでもする覚悟ができました。こんな気持ちになるのは珍しい。宝物のような子ですね。私が養子にとりましょう」
     貴方の運命も、愛も、これから訪れるかもしれない苦難も、すべて宝物にしていけるよう、私に見送らせてください。
     真っ黒な目が夜の中で光った。カルナは言葉がでてこない。父に初めて抱擁されるときもこんなには困らなかった。こんな苛まれるような焦がれは染み出てこなかった。
     手当をしながら指や足が動かすと、アルジュナはカルナを松明のようにありがたがった。白くてあたたかくて美しい。
    「こちらへきなさい。頭を撫でても平気ですか。いまは無理でも、そのうち慣れてくれたら助かります」
     私は息子を抱き締めて愛をあらわす男なのですよ。
    「そうか、アルジュナ。そうだったか。お前のことを知れてうれしいよ」
    「髪に指を通すだけしましょう。それでも貴方の熱は知れます、カルナ」
     整った爪がこめかみに触れた。すぐに指になった。指紋のない手は良い子を撫でるにまろやかで良い。
    「かわいい良い子。そのうち私を殺しても、カルナなら許します。それが望みの気さえする」
     許さないアルジュナに戻ってほしかった。父親の彼も惜しかった。仮にカルナが彼の子を孕んだら、アルジュナはどんな呪いになる。
     夜空が広い。星の粒々も、月明かりも皮膚に浸透し、カルナはアルジュナに満たされ、揺さぶられ、犯されていた。


    「彼という都市で錆びる」
    全員しょたのジュナジュオカル

     躊躇いなく地面に寝転んだカルナの顔を、街の青い光が舐めあげる。雑踏は少し離れたところにあった。オレンジ色に輝くタワーの根元を離れ、湿った坂道は彼の頭で終わっている。左に折れ進むと中央通りの熱色の光。右側は賑わいつつある繁華街だ。ゴムのように滑らかな腕が曲がり、親指は血を拭う。
    「カルナ」
     オルタが呼び、ティッシュを渡した。甘い唸りを発しながら手際よく紙を捻り、カルナが鼻に差し込む。喉がごくんと動いた。
    「止まった」
     鈍色のトレーナーが撓んでいる。カルナのよそ行きを初めて見る。ハンカチで指を拭い歩き出した。路地裏で猫が鳴く。
     カルナを恋しく思うようになった切っ掛けは、間違いなくこのときだ。のちのち何度も夢に見た。目覚める都度に口の中が純金の味に渇くようだった。母の指輪で金は舐めていた。夢の中で、彼は記憶よりも青く街の色を身に宿し、針のように鋭かった。通りや川、人々の靴の臭さはむっとこもるようなのに、ふしぎと匂わず、カルナ一人が生き生きしている。共にいた双子の兄のしゃべり方が違う。カルナが倒れてから起き上がるまでの時間が一瞬へと縮まり、血の赤さとぴかぴか青い彼が清潔な印象になる。私もカルナと呼びかけた筈だった。
     父と母がレイトショーに出かけ、使用人を暇にして遅くまで帰ってこなかった夜だ。私達の遊び相手のカルナに、兄が屋台へ食事に行こうと誘う。オルタは彼に一目惚れだったのだと思う。私より素直で素朴で、何にも興味深そうに接する兄は、カルナに対してのみ素っ気ないところがあった。すましている。そうしながらカルナを羨ましげにくっついている。兄の態度にあてられたようになりながら、私も一緒に、三人で家を抜け出した。消毒液臭い喧噪を踏み、星をくすませるほど明るい道を駆けた。屋台はカルナが休日の夜更け、父と食べに行くと言っていた台湾料理屋の並ぶ辺りのことで、窯焼きの肉まんやエリンギのフライ、海鮮粥を格安で売っている。歩道に面した座席に腰掛けると、ビルの隙間から、ヘリポートの蛍光緑のランプが見えた。一帯は闇に黒く沈んでいるようでありつつ、アスファルトさえ青色と白色のネオンに輝き浮かぶ。海老とウズラの卵の丸い卵焼きを頬張り、カルナが空箱にティッシュを捨てる。
    「よく鼻血がでるんだ」
     彼の顔は美しい街灯のようだ。鈴虫の声を聴いたような気がするが、きっと私の勘違いで、まだ高い彼の声の広がりを鈴の音みたいに覚えている。
    「羨ましい。私はまだ鼻血をだしたことがないんです」
    「血の味っておいしいんですか」
    「おいしいぞ」
     カルナが目を瞠って答えた。
     いまにして思うと、私達に見栄を張っていたのだろう。道でばったり倒れたのもオルタと私に見せつけるためかもしれない。
     形のある金銭を見たのはこれが初めてだ。小さな財布からカルナがじゃらじゃらと小銭を出すのを、兄が珍しそうに眺めていた。銅の色そのままの十円玉がきれいで手を伸ばす。こら、とオルタが私を叱りつけた。
    「お金はいろんな人の手が触れているから汚いんですよ。貴方は触ってはいけません」
     その十円玉を持たせてください。カルナの白い指がオルタの手に包まれる。
    「兄さん、ずるいですよ」
    「弟を汚いものから守るのが兄の役目なのです」
    「お母さんのお腹からでたのは私が先でしょう」
     兄はカルナに触れたあとの手を口元へ持っていき、赤い舌をだしてちろりと舐めた。
    「血とお金の味。こんな風なんですね。確かにおいしいです」
     カルナは私達双子にたくさんのことを教えてくれた。彼の鼻血と十円玉の味に触れた兄が妬ましい。けれどこのときの私はオルタへの嫉妬より、カルナを忌々しく思う気持ちの方が強かった。彼は兄に好かれていると知っていた筈だ。そう気付いたのはこれより数年後のことだったけれど、夢みる私は未来の私で、カルナへの熱情に身をやつしているから、大人の大きさに育った嫉妬がそのまま思い出の彼へと向いたりする。ほんとうは黙りこくってカルナを見つめ、せめてもと帰り道では兄の触れた方と反対の手を繋ぎ歩いた。なにもなくベッドへ潜った。
     月の高さも星の色もたまらない夜を行く。救急車のサイレンが摩天楼を揺るがし、三人の影はつやめき浮揚した。指と指を組むとカルナの身体が温かい。車に通ってほしかった。テールランプからの光の戯れが、彼の胸を染め上げ私と繋いだ指の形をはっきりと映すから。カルナの瞳をはぐれた光が、私の黒目を眩しく照らすのを何度も感じられるから。私は純真な少年だった。カルナの傍にいる間は適当なことがなにも言えない。
    「カルナは私の知らないことをたくさん教えてくれる」
     立ち止まればカルナが足を止めてくれると知っている。
    「私も、私もカルナの鼻血の味がわかるまで帰らない」
     ここから先が夢だ。足を止めたカルナがそうかと頷き、繋いだ手を胸の前へ持ってきて膝を折る。兄があっと声を上げて私の隣にきた。跪いたカルナは顔を赤らめている。形の良い鼻から真っ赤な血がたらたら流れる。私と兄は猫のように舌を伸ばし、彼の血を舐める。純金と酒の風味に、薔薇のジャムに似た甘さがある。
     カルナが私達に教えてくれたのは、私達はずぼらで、世間知らずで、だからこそ価値があるということだった。彼は私達に自分の世話の仕方を見せた。カルナのやり方には自らの肉を削ぎ骨を研ぐような潔さがあった。百合の花にも似た骨が明らかになる。彼という骨格は華奢な都市で、私とオルタはそこに建つビルの窓辺から外を眺めることを許されていた。カルナが見栄を張るのは私達にだけだ─。退廃的な彼の都で、私は彼の鼻血に見蕩れて良い。かき集める。夢の中に散り散りになった都市の構想を。形骸的な残響を。感傷を。抗争を。私が目覚めるまでの間。
     カルナというひとつの都市を実寸で地図に書くとき、広げられたカルナとカルナの間には、双子一組が入るに丁度良い影が横たわっている。彼の形は私達の中で整備されつつ、魅力的な謎を秘めておのが路地裏へと誘う。口内に感じる甘さが頂にいたり、私達はカルナの顔を犬のように舐めている。指を繋いで帰った記憶が色褪せていく。病的な興奮が抗菌の作用をもち、目覚める私を感情的にした。
    「お寝坊か、アルジュナ」
    「起きられません、カルナ。今朝の貴方の唇の味を教えてもらわなければ全身凍えてしまう」
    「お望みの味でなくともきちんと目覚めろ。仕事に行け」
     彼の唇が鼻に降ってきた。齧り付き、頬を甘噛みし、私の口に舌を差し込む。
     血の味がする。
     くらりときた視界がただされるのを待って見上げると、カルナの顔が日差しに染まり、街灯のように美しい。


    「大きな間違い」
    飼い主のアルジュナさん×鳥の一種のカルナさん
    ジュオカルをほのめかす表現含

     それは菊戴の一種らしい。首筋に金色の環が通っている。縁側で日光浴させると、その環が髪の輝きと相まって、上下にくるくると巡るように見え、水槽に展示された海月が、そのまま天女にでも成った印象だった。だがカルナは鳥類であり、雄だった。四十だった祖父は上司の妻と不倫をしており、彼女と温泉街へ旅行した際に鳥屋で見つけた。鳥屋といってもほとんど闇で、カルナは秘蔵っ子だった。店の親父が見せびらかすつもりで水遊びさせていたのだ。初夏で、カルナと親父の陰は水の入った盥の中で藤色をして交わっていた。
    「良い鳥ですね」
    と祖父が言うと、鳥屋はこともなげに
    「そうでしょう」
     旅館に帰り人妻の膝に抱かれても、祖父はカルナのことが忘れられなかった。新幹線に乗る前に、どうしてもどうしてもとまた店を覗きに行き、頼んだが売ってもらえず心に残った。その鳥屋の妹が、兄が死んだ後始末をしていて、たまたま祖父の電話番号を見つけた。カルナはとても長く生きる。寿命は鸚鵡よりも長いらしい。つまり八十年から百二十年。到底養えないので、引き取り手を探していたそうだ。果たしてカルナは祖父の鳥になった。キルトでできた籠カバーを外すと、世にもきれいな、小さな男が
    「久しぶりだな」
     途方に暮れている素振りはなかった。ただ大人しく指示を持っている顔だった。だから移動の間、祖父は何度も話しかけた。貴方はこれから私の家で暮らすんですよ。私の髪が白くなるまで。
     祖父は真っ白い癖毛を腰よりも長く伸ばし、カルナと揃いだとうれしがっていた。彼とカルナの髪の色はまったく同じではなかったが、白やプラチナと言ってしまえば変わりなかった。
    「貴方と同じ色の髪になりたかったから長生きしている」
     じっさい祖父はカルナを前にすると若返る。四十歳よりもずっと若く、二十歳の青年のようにきびきびした。十歳のアルジュナが祖父の家でカルナをほしがってから二十年経ち、一人暮らしの祖父が老人ホームに入居が決まってやっと譲り受けた。好色な老人の目にカルナを晒したくないというのが理由だった。アルジュナは初めて見たときからカルナにある種の欲情を感じていたが、祖父が嫌がると気付いてそういう感情を殺した。隠すじゃない。本当に殺した方が良かった。祖父はカルナとの暮らしを幼い日の思い出みたいに大切にしていたのだ。彼は彼の傍ではいつも緊張していた。その感情の底の方は、裾野が広く、カルナを愛しいと思う気持ちがいつも小さく響いていた。
    「この人の容姿を褒めないでください。そんな、顔や身体の細工を取り上げてきれいだなんだとはしゃぐのは淫らで失礼です」
     落ち着いて、お父さん。
    「カルナは息子の産まれなかったお父さんにとっての理想なんだわ」
     ありえなかった。祖父はアルジュナに、娘の少女期から結婚するまでの知る限りの様子を自慢げに話していたのだ。子どもにひとつの不足もなかった。弱い生き物とも不出来な生き物とも思っていなかった。アルジュナの母だって、お父さんは私が何をしても上等と言うと話していた。カルナは祖父の息子でも、祖父の天使でも妖精でもなかった。賢明な御使いではなく、天そのものだった。現に、彼は何度もカルナを顔の上に置いて香りを嗅いでいたのだ。

     初夏の午前中は、カルナの水浴びに最適だ。庭先に盥を出し、常温の水と湯を少しずつ注いでいく。熱すぎないよう、冷たすぎないよう、適温を探り、冷たいおしぼりと紙石鹸、やわらかなタオルを用意する。紙石鹸は子供用の、刺激の少ないものを通販で買いだめていた。人間用のソープやトリートメントはどろどろしておりかえってカルナが汚れる気がする。彼は自分でなんでもできるので、ガーゼを切ったものをスポンジ代わりにして石鹸を溶かし身体を洗う。
    「湯は好かん」
    と彼は言っていた。
    「鳥なのでな。肌は羽根のようなもので、お前たちのそれよりも水を弾くんだ。湯と石鹸であんまり擦ると体調が悪くなる。表皮の脂の質や量が変わってしまうんだ。いつも常温より少しあたたかいくらいの水が良い。そうだな、人肌ほどの温度だ」
     ほんとうは口に入れてもらえると助かる。人間の唾液の殺菌作用は素晴らしい。水浴びが終わったら、脚と腕だけでもちょっと吸ってくれないか。それだけでありがたい。
     疚しい思いがある際の影は、藤色に朱がかかったように見える。銀色の水の面に、カルナの陰は蜻蛉の翅のごとき輝きだった。寒い風に吹かれると、見えないものに焦がれ震いつくみたいに肌が赤くなった。仕事の電話がかかってくる。アルジュナは出版社に勤めていた。脚の間の盥で、カルナが飛沫をあげて泳いでいる。通話ボタンを押し、ハンズフリーで会話した。捲り上げた臑の内側に、気持ち良く水滴が飛びつく。カルナはずいぶん無邪気に振る舞っているが、それは人間から見て動物の年がわからないようなもので、一応鳥同士の間では年寄りに見えるらしい。アルジュナが話している間に、彼は寒がってタオルの上に横たわり、それでも小さな心臓がどくどくと鳴って、慌てて口の中に飛び込んできた。カルナの脚が舌の上を滑り、歯に引っかかる。反射的に嚥下した。彼の脂の染みている水が食道を通っていく。
     このまま飲み込んでしまおうか。
     けれどそれも惜しくてやわやわとしゃぶっていた。だんだん怖くなってきた。罪の意識が湧く。きれいと褒めてはいけないほどきれいな生き物を舐めている。
    「恋人とキスしながらしゃべるのはやめろ」
     電話相手が言った。カルナを吐き出す。手と視線で彼に謝ると、じっと見つめ返された。電話が終わる。
    「驚いた。いきなり飛び込んでくるから」
    「すまない。でもわかるだろう。オレは寒さに弱いんだ。さみしさと繋がっているだろう。昔からなんだ。お前の祖父と出会う前からだ」

     電話ボックスで、鳥屋が小銭を握りしめている。アルジュナの祖父にかけようとしているのだ。家の電話からはかけられない。どうにか、カルナを買ってもらえないか。その頃のカルナは、まだ様々なことに無関心で、ようするに少年だった。大人になる前の、身体が整っていく前の、抱き締めたくなるほど無造作な甘い匂い。彼はすばしっこく、ひどく可憐だった。さいしょ、鳥籠には二羽いたのだ。兄妹か、婚約者か、カルナ自身も覚えていない。父親だったのかもしれないし、祖母だったのかもしれない。けれどカルナはカルナそっくりのもう一羽と一緒に籠に入っており、相手の方がいつの間にかいなくなっていた。一人で籠に囚われ、しばらくは暴れていたけれど、本当に幼くて、こまめに手入れされいたので、あっさりさみしくなくなってしまった。きっと、相手もそうだったのだろう。しかし鳥屋の方が気にして、カルナにすまながり、籠に指を入れるようになった。鳥同士は互いに世話を焼いていたから、その本能やさみしさを慰めるため、指を人形代わりに差し出したのだ。彼は彼の指を撫で、抱き締め口づけをした。種族らしいかわいがり方はすでに記憶の彼方だ。彼のやり方は、彼が鳥屋の家のテレビで見て学んだものだ。大きくなっても、カルナのやり方は変わらなかった。代わりに相手が指では物足りなくなった。人間が愛を伝える方法で、なにかをかわいがる快楽に目覚めた。相手は同じくらいの背丈が良い。それが鳥屋のペニスでもなんでも頓着しなかった。鳥だから。鳥屋もそれで構わなかったが、アルジュナの祖父にカルナを請われ後ろめたくなった。カルナが無邪気な分、アルジュナの祖父が真剣な分、重荷になった。そして死んだ。
    「カルナを譲る人にだけ読ませてください」
    と書いてあるノートを祖父が開くと、
    「ちんぽに服を着せて遊ぶヘキがあるので直してやってください」
     彼は直さなかった。
     きれいなカルナにある、異常な嗜好だったので、そのままにしておきたかった。
     それを直さないでいることが、祖父のカルナへの執着で、愛だった。
     他の誰も、きっとやめさせるだろうことを、尊重する。
     きっとほんとうの愛じゃないと知っていた。それでも、それを残すことで、優越感をもてた。無邪気なカルナは神聖で、申し訳なくて、顔を見るたび祈りたい。
     
     アルジュナは、老人ホームの祖父の部屋に、薄汚れた、人形用の白いワンピースや、麦わら帽子があることに気付いていた。
     これはなんですか?
     秘密ですよ。一生秘密にします。
     アルジュナの口に入り満足したカルナが、テレビのCMを見て言った。
    「ぽぽちゃん、まだ宣伝しているんだな」
     知育用の人形だ。
    「人間の子どもはああいうの、結構すぐ飽きるらしいな。オレは全然飽きない。なにかの世話を焼くのは夢中になれて楽しいし、飽きられた人形がかわいそうだ。人形、別に、誰にも愛されなくてもいて良いと思うが、愛されるために生まれたのだからずっと大事にしたい。おかしいな。生き物は、誰も愛さなくても、誰からも愛されなくても上等なのに」
     お前の祖父の身体には、彼自身が、きっと誰にも愛されないと思っていただろうパーツがあって。
     なぜ彼がそう思っていたかというと、オレがそれをかわいがっていたからなんだ。すまないと思っている。あれは間違っていた。気付いていたが、彼がそれを指摘することを嫌がる素振りを見せたから、わからないふりをした。もうあんな間違いを犯したくない。お前にもしない。愛情を伝えたいときはちゃんとする。
    「ちゃんとするって、具体的にはどうするんですか?」
     私のことを、カルナはどう思っているんですか?
     アルジュナが尋ねると、カルナは彼の顔の上にのって、「好きだよ」と言った。
     アルジュナはカルナを、この夏と一緒に飲み込んでしまいたかった。

    「(S)OS宇宙人」
    屋上歯磨き友達のジュナカル

     アルジュナのノックを受け止めた扉がまるで落とし穴に嵌まるみたいに薄く開かれ、パジャマ姿のカルナが姿を見せた。左手には巾着袋、ドアノブを掴んだ形をほどこうとする手のひらにすみれ色の陰影がかかっている。一時間の休憩のうち、五分も移動に費やして歯を磨きにきた。体裁すらない口実だ。お前以外の前で口をゆすぐのが嫌で。毎日顔が見たかった。毎日恋しかった。階段を一歩一歩踏む都度、胸底の湖に透き通った光が差す。築三十年にもなるおんぼろの、いまにも倒壊しそうなアパートに、彼のカルナは父親と二人で暮らしていた。屋上の鍵を開ける。パキラ、ガジュマル、ドラセナ、アイビー。土のついた植木鉢を緑が溢れ、純朴そうな滴をいっぱいに纏っている。別世界のような庭。ボタンと襟のついた水色の寝間着に透け、カルナのボディラインが街の上に照らし出される。まっすぐな姿勢が凄まじく凜々しい。5月から一度も高校に通っていないだなんて信じられない。黒いホースを流れる水で歯ブラシを湿らし、二人並んで歯を磨いた。上空を鳶が飛んでいる。彼と彼は同じ周波数で生きていて、同じ時間に歯を磨くと、忘れていた記憶を思い出しそうになる。その瞬間の怯えと昂揚がまざまざと目で感じ取れるよう、傍にいる時間を増やしたかった。親友になりたい。いずれは互いに年を重ねて別れ、どこかのスーパーで一瞬すれ違うだけの関係になるとしても。
     カルナとは中学のときからの腐れ縁だ。ずっと後ろ髪を引かれるみたいな三年間だった。柄の部分の膨らんだブラシを奥歯へ滑らせる。緊張で喉の奥が疼くような感覚がある。陸上部のマネージャーをしていた彼は、見た目の涼やかさとは裏腹に、いつもごちゃ混ぜに汗臭かった。髪の先に汗の粒をつけ、抱えた洗濯物の多さに眉間を寄せながら歩く。ハーフパンツが尻から裾まで濡れていた。長い時間座ったままだからだ。
    「オレもほんとうは走りたいと思っている。二年になったら走れる」
     彼だけの汗の香りのカルナは、凍った太陽の匂いがすると、アルジュナは知っていた。
     見事に走りすぎるのだ。カルナにとって、ゴールは光で、走光性の生き物である彼は、光以外をなにも気に留めないみたいに走る。風も土も邪魔をしない。手や足が滑らかに動く。一心不乱に駆けていく。そうして光に抱き留められ、とても美しくわらう。入部した瞬間からエースが確約されていた彼は、三年生の面目を潰さないよう一年間マネージャーとして働くよう懇願された。けれど結局、三年間マネージャーのままだった。仕事の手が空くとアルジュナを手伝いに生徒会室の窓ガラスを叩く。カルナはアルジュナの元へ避難しにきていた。彼は彼を特別に思っていることを隠さなかったから、楽に息を吸ってもいい。ふだん素知らぬ顔をしていることの方が多いアルジュナとの親しい時間は、カルナにとって希少な感慨を呼び起こした。目を逸らしたくなるほどの歓喜。そしてアルジュナにとっても、リラックスしたカルナが傍にいることは嬉しかった。
     快楽に身を委ねた交流だった。気持ちの高まりに。宇宙で二人きりになったみたいな寂しい果てしなさに。「カルナは私が好き」とアルジュナは頭の中で何度も呟いた。一分おきに。それでも足りないと十秒おきに。「カルナは私が好き」とカルナと二人きりのアルジュナはつねに思っていた。彼は美しい。アルジュナの世界を揺るがすほど誰よりも。
     コップに水を注ぎうがいをする。汚水は蛇口脇のバケツに吐き出す。浅く水が張ってある。カルナの口を溢れた泡が、たらたらと渦をなし青空にかかる雲となった。毎日交代で捨てにいく。休憩が終わるまで残り十五分だった。アルジュナはもう午後をサボり、桃色のカルナの舌を捕まえる気だった。道具を片付けた。彼が明日から高校を休むと言ったとき、アルジュナはだからといってバイトしたりするなと返した。いまはまた走れないとしても、今度こそ走れるようになるから。親や誰かに悪いと思って働くのをよしとするな。
     私以外に拠り所を作るな。本心はそう話していた。お前はちょっと気を遣いすぎるから、家ではパジャマでいるくらいがちょうど良い。パジャマ姿の彼を見たかっただけだ。抱き締めたときに薄い生地の方が体温は伝わりやすい。
    「アルジュナ?」
     腕を掴み引き寄せる。手首が細い。思っていたよりも体温は高く、彼の舌は、カルナという泥濘んだこたつの中に座った。目は開けたままだったが、軽く瞼は閉じかけていたので、瞳に映る青空はまつげの漆黒の艶を帯び、白く星が飛んでいた。舌同士で通信する。カルナがアルジュナの口の中でのたうち、モールス信号を打つ。戸惑いの合図が次第に穏やかになり、恐る恐る触れてきた。彼がくったりと動かなくなる前に舌で縛り上げ、唇を食む。
    「アルジュナ……」
     まなざしで頷く。アルジュナの手の中で、カルナの指の関節が曲げられる。肩が後ろに引かれた。口の先にキスをする。
    「すまんが離してくれ」
    「はい」
    「うん。ちゃんと返事をしてくれてありがとう」
     彼は彼の胸の中にいたままだった。
     無気力になっているのかと思うと傷つく。元気なカルナが良い。笑い顔の鷹揚で繊細な彼が、興奮したとき大胆不敵に目を見開く様子が好きだった。見ているだけで力が漲る。アルジュナに勝負心と敵愾心を抱かせる。なのにじっとしている彼にもむしゃぶりつきたい。カルナを前にしたアルジュナの気持ちは最悪なところにある。だから懐かしい。母親の腹からでてきたばかりの赤ん坊ってきっとこんな感じだ。これが核心だ。すべての始まりで終わり。
    「お前のことを変なやつだとずっと思ってきた。オレに構うんだからな。下心のようなものを絶えず感じてきたし、わかった上でそれにのってきたよ。なんだかんだで傍にいてくれるお前が好きだった。ウマは合わないが、波長は合う。アルジュナが特別だ。それに気が狂いそうになる」
     カルナが彼を離れ、屋上の端までゆっくりと歩く。後ろ向きに。フェンスの鍵がどこにあるかわかっている手つきですり抜ける。あっという間に投身寸前だ。落ちるだろう。躊躇いなく。カルナがアルジュナの思いを牽引し、アルジュナはカルナの衝動と完璧に一致している。引き寄せられるようにフェンスをくぐった。地上にはベッドマットが何枚も重なっている。
    「死なないだろう。なんでこんなことをするんだ。脚だけ折りたいのか」
    「お前はオレに脚を折ってほしいのか。そうすればお前に甘えると思うのか? オレの脚は折れんよ。なぜならお前がオレを抱きかかえて飛ぶからだ。折れるのはお前の脚だ」
    「カルナ」
    「そうするだろう、アルジュナ。抱け」
     カルナの腕が伸ばされる。
    「飛べ」
     必死に抱き締めた身体はひどく熱かった。耳殻が滑るみたいにひゅっと冷たくなり、下半身がすかすかに重く熱をもった。脚がふらふらする。目の前でカルナの髪が靡いている。それを押さえているのが自分の手だとわからなかった。褐色の粘土のようなものが彼を掴んでいると思った。カルナの身体はアルジュナの胸にぶつかり、しかししなやかな力でくっついてきた。カルナは熱っぽく、アルジュナは冷えている。落ちた先のマットは埃臭かった。擦り傷一つできていない。くらくらする視線を上空に向け、隣に向ける。カルナの顔が見えない。なにもかもが元通りになる瞬間を待った。いきなり動けば感情も混乱も破けそうだった。カルナに委ねられている。アルジュナの人生を変えるような大きな決断が。走馬灯みたいに未来が見えた。彼が笑っている。
    「お前は信用できる男だ。共に落ちてくれてありがとう」
     仮にオレが地球にたった一人の宇宙人だとしても、ここでもっと変なお前が一緒に落ちてくれたから、それで良いと思うよ。
     空が高い。カルナはまだアルジュナの考えるセリフを口にしない。口にしないまま一日が過ぎ、翌日には高校に登校してきた。陸上部のエースとしてインターハイへ行く。彼と彼は唯一無二の相手として卒業後同居を始め、七十七歳の祝いの日も一つのベッドに入る。それでもアルジュナはカルナの告白を待っていた。もっと核心をつく、震いつきたくなる、率直な「好き」を待っていた。「好きだった」ではなくいますぐ好きと一言ほしい。
    「好きだ、カルナ」
     呟いた。ほとんど独白だった。
    「いまの私の気持ちは、お前以外には伝わらない。受信もできない。お前だけだ。私にはお前だけ」
     アルジュナの混沌とした未来にさあっと霧が溢れ、少しずつ塗り替えられていく。気をつけなければ。カルナの方向だけを示す道が消えてしまわないよう、細心の注意を払わなければ。慎重に、丁寧に、これからなにが起こるのか見据えなければいけない。
     急に息の通った身体が痛い。腕を伸ばすと、伸ばし返され、カルナもまた震えているとわかった。抱き合う。心臓の音を重ねる。二人はまったく同じ風に、二人を求めて変わり始めた。
    「私を好きだと言ってくれ」
     好きだ、好きだよ。カルナが言葉を心に馴染ませるみたいに繰り返す。ありがとう。ありがとう。土埃が風に吹かれ舞い上がる。鼓動は長く高鳴ったままだった。鳶が旋回し、鋭い声で鳴く。

    塔をおりる (アンガ王カルナさんと塔の上で暮らすラプンツェルじゅなお)

    4
     眉のすぐ上のところに白い手首の影が見える。静脈の走りは地図に似る。手のひらの内側はほんのりと桃色を帯びている。額に走る筆の感触の湿り。カルナは軽く口を開け、目にかかる髪を払うにも繊細な注意をする。書き上がった。彼が姿勢を起こし、アルジュナオルタから遠ざかる。床一面には筆で花が描かれている。メヘンディで彼の肌に描く模様を練習していた。彼が立ち上がり、オルタを見下ろす。広い窓から青空が見える。離れは城の庭の端にあり、東屋のように日当たりが良かった。見上げるカルナは霧みたいにやわらかな影を纏い、鎧の金に白い光を奔らせていた。手鏡を渡される。オルタの額に、かんむりの形でペーストが塗ってある。まだ乾いていない。乾き始めたら彼にやさしくキスをしてもらい、頬の熱の湿りでより印を深く残そうと思った。立ち上がる。カルナが笑っている。オルタの描いた花畑は石床の上で文字に似ていた。彼に恋をせがむ手紙。

    3
     青鹿毛の馬は塔の脇で大人しくしていた。脚は太く、腹回りが褐色が朝日の中で朱色に近い。木に投げかけた髪を引き、枝に房がかかるのを、オルタが躊躇いなくナイフで切る。先に髪を貸したカルナの手には、オルタの長い髪が残っている。彼はそれをくるくると纏め、荷物の中に隠した。ついてくるのかなんて聞かなかった。ついていきたいとオルタも言わない。
    「オレは戦争でお前に勝つつもりだった」
     馬の上で見る彼の背は肩甲骨の尖りがはっきりしている。尻と脚の動きで彼が動物を促す。邪魔しないよう揺れる。オルタは体重を溶かして彼の三本目と四本目の脚になろうとした。黒色の背は太陽を吸い、腿の裏でねっとりと熱い。昼と夜との間に気温差は十五度ある。正午の爽やかな風と、夜間の涼しい風が平等に動物の体温に均される。オルタはふだん上に服を着ない。夜明けに彼と初めて会っても堂々と胸を晒していた。そのままの格好が森の中でとても寒い。川辺に立ち寄り馬を休ませ、震えながらこまごま立ち働く。野営の知識はあった。東から日は昇るから、座るカルナに東の方を譲る。鼻を啜った。
    「お前は月を背負っているな」
    「上った朝日に輝く貴方を一番に見たい」
    「そうか」
     その日に始まったばかりの恋はずいぶん純な鋭さだった。
     オルタは割れて零れた心を拾うつもりで、渡された毛布を肩に着る。
    「そうかではなかった。そうか……。そうか、お前にもうそのようなことを言われて、少し恥ずかしいな」
     こちらへおいで。明るい顔をした彼がオルタを引き寄せ、胸に抱く。戸惑い挟んだ手はカルナの心音に揺れ、温かい肌に沈み込んだ。目尻が熱い。さらさらとした手触りも氷のような汗の香りも、少しも知らなかったのに、覚えた途端からオルタの喉に深く刺さった。「明後日の昼にはオレの国につくよ」
     なだらかな頬に微かに緑が映っている。カルナはきれいな灯火だった。

    2
     果たし合いの始まりのように距離をとり、オルタはカルナを引き上げ寝台に座らせた。その膝の上に寝そべる。牢獄めいた塔の中に、ぽっと春が兆したようだった。戸惑う様子のカルナの目を見つめる。目が覚めた心地だった。久しぶりに会った気がする。温かい噴水の飛沫を浴びた気がする。戦争をして、次に殺す王の顔を見に来た筈なのに、彼は母より懐かしい感触をしている。夢をみた。一瞬で。カルナに髪を撫でられる夢。びっくりするみたいに力を張り詰めていた彼の腹が、オルタの雛のような様子に和らぎ、たおやかに皺を寄せる。降ってくる指は奇跡だった。香しい雷の感じ。髪をかき分け触れられた首から、彼の気持ちの美しいところがそのままオルタの心を明るます。膝のやわらかさが新鮮で、頬を押しつける。夜明けの、菫色の闇の中で、カルナはひときわ滑らかな漆黒だった。
    「この国は猫を王にしているのか?」
     声の中心の響きは鷹揚で、少し意地悪だ。寝返りを打つと、白い髪がオルタの頬を包む。
    「長いサリーを纏っているから姫君なのか?」
     オルタはしゃべるカルナの口の匂いを嗅ぎたくてふんふんと鼻を動かした。
    「なんでも良い。貴方が望むならなんにでもなる」
     やはり甘い香りがする。オルタの鼻のすぐ上に彼の顔があり、瞳の底をじっと見つめることができた。やや荒れている。そこに目を注ぎ続けていると、次第に彼が落ち着き、眉がまっすぐになった。カルナがオルタを受け入れる仕草をする、その微妙なすべての震えが歓喜に心を塗った。一時間二時間と少しずつ試しながら、オルタは彼に水を飲ませてもらい、果物を食べさせてもらった。もう可笑しさを隠さなくなった彼が背中を掻いてくれたとき、オルタの心は泣きじゃくって彼を求めていた。オルタの心はカルナのものだ。
    「私と結婚してください」
     猫のような姫君のような顔で言った。言ってしまえば寂しい言葉で、それを埋めようとカルナの唇を奪う。

    1
     塔には一つだけ広い窓がある。窓枠のところに、月明かりがひときわ濃く落ちている。そう思った。月明かりは次にふんわりとした髪の姿をとった。そして青い目の色。初めて間近に見るカルナの顔。彼が握っていたオルタの髪を離す。黒い指と白い髪と、オルタは指の方が絵になると感じた。衣擦れと鳥の囀りばかりだったオルタの世界で、カルナの低い声は火の刺激があった。耳に入れれば重ねて尊くなる王子の声だった。近づくにも足がふらつく。彼の動作はすいすいとオルタの視界を切り分け片付ける感じがあった。塔の上から見下ろしていたときと、彼の顔をまっすぐに見たときと、兆していた期待は一皮剥けもはや欲望の色をしている。彼に知ってほしい。オルタの知らないオルタのことを。どうも思っていたより素朴な器だったようなのだ。すっぽりとカルナの存在が収まってしまった。
     彼の細い首に金の環が通っている。
    「次に殺す王の顔を見に来た」
    言ってから、オルタの返事がないことに恥じる風に眉を寄せた。親しみが湧いた。手を握ろうと腕を伸ばし、敵意がないと示すため背を屈めた。繋いだ手と手がオルタの目のすぐ前にある。オルタの指が、カルナの美しい手をするする摩る。見るまで気付かなかった。黒い皮膚を青い爪が滑る。
    「オレの手が珍しいか?」
    「はい」
     一言返すにも喉につっかえる。もう一度、「はい」と答えたかった。例えばより居丈高な質問でも。
    「オレを愛しているか?」
    「はい」


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