はじまりランカークス村からしばらく歩いた森の奥に1軒の鍛冶工房がある。
知る人ぞ知るその工房では良質な武具が造られていることを知っている人間はあまりいない。どちらかと言えばランカークス村の武器屋にはいい武器があるという事で知られている。
本日も鉄を打つ音が工房から森に響いている。
工房には2人の職人がおり、一人は魔族の男で一人は人間の青年だ。
2人は師弟関係で、今は弟子である人間の青年が工房を切り盛りしていた。師である魔族の男は腕を壊して鍛冶が叶わない為だった。
熱心に教えを請いながら修行に打ち込む青年は元勇者。
「それにしても不思議です」
「何がだ?」
「今ここで先生に師事していることも、鍛冶師を生業にしていることも」
だってボク勇者だったんですよと、槌を振るいながら大した事でもないように笑う青年を、師である魔族の男は少し離れた場所に置いた椅子にかけたまま眩しそうに眺める。
「そうだな、あのお子様甘ちゃん勇者が今では立派な鍛冶屋になった」
「酷い言われようだなあ」
「褒めてるぞ」
師のめったにない誉め言葉に照れ笑いだけを返し会話は終わり、青年は再び真剣に鉄を向き合う作業に戻る。
鉄を打つ音だけが響く無言の時間が戻ってくる。
夕刻まで続いたその作業も打った鉄に焼きを入れる準備が出来たところで作業はひと段落となった。道具をおいた青年が今日はもう店じまいにしますね、と口にして汗止めかわりのバンダナを外して汗をぬぐい、手早く道具の手入れを始める。
その姿を確認してから師である男はふらりと作業場を出ると、またふらりと戻ってきた。
手には2つのゴブレット。
ちょうど作業の終わった弟子は師の隣に自分も椅子を出し、テーブルのかわりにその辺に転がしておいた木箱に冷えた麦酒のゴブレットを受け取っておいた。
「あの頃は知らなかったけど、仕事後の麦酒は悪くないです」
「やっと分かったか坊や」
「否定できませんね、あの頃のボクは子供で何もかも初めてだったんですから勘弁してくださいよ」
そう言って眉根を八の字にした弟子の青年のゴブレットに、師は自分のゴブレットをゴツリと当てて笑った。
「何事も最初はそんなもんだ、オレだってガキの頃はそうだった」
「…まあそうでしょうけど。ていうか先生にも子供の頃あったんですか?」
「お前、人を何だと思ってる」
「いや純粋に魔族だと…魔族の生態なんて気にしたことなかったし……」
そこまで言葉にした青年がふと口を噤んで黙り、何かを考えるようにじっと師の顔を見た。
見られた魔族の男の方も不思議に思って首を傾げる。
だがそれ以上は特に何を問いかけるでもなく弟子の青年の言葉を待っていると、青年が破顔する。
「なんだ睨めっこはもういいのか?」
「先生のハンサムなお顔じゃ笑えませんよ、いやその…」
魔族の生態なんてものを気にする時代になったんだなと思ってたんですよと、飲みかけの麦酒に口をつけながら青年は笑う。
「魔族は襲う者、奪う者。だから奪われる前に殺せ、が当たり前の世界に生きてきたから知らなくて当然だよなって。殺し方なら沢山勉強しましたけど。もし今、先生が風邪を引いたらボクどうしたらいいんだろうなって思ったら可笑しくなってしまって」
「ああ…魔族はそんなもんは引いた事がないから安心しな」
「ほら、そんな事も今初めて知った」
大魔王が倒れたあの日、人と共に滅んでもいいと言ったこの魔族の男のおかげで束の間かもしれないが、人間に友好的な魔族や異種族と人間との共存共栄が少しずつ進んでいる。
そう、パプニカの王女が言っていたことを改めて青年は実感した。
些細な事かもしれないが、確かに相手を知ろうとする世界に変わりつつある。
「勇者を廃業して鍛冶屋になるなんて、子供頃は考えもしなかった」
「オレだって弟子を、しかも人間の弟子をとると思わんかったさ」
風変わりな師弟は顔を見合わせてゴブレット再び掲げた。
「これからもよろしくお願いします先生」
「星皇剣が出来るまでしっかり頼むぞ、坊や」
これからも続く日々に乾杯だと笑い合った。
終わりではじまりのあの日から、初めてつくしのこの生活は魔族の師匠と人間の弟子にとって大層すてきなものだった。