鶴観の後 風と大地の匂い、そして星空の匂いを纏う彼から懐かしい匂いがした。
彼の今回の冒険の行き先は霧に包まれた過去の島、鶴観であったらしい。彼の地の自然はそこであった出来事を囁くように教えてくれるが、それが彼らの旅路にどんな意味を含ませたのか、万葉には推し量ることしかできない。尽きぬ嵐を抜けた先で、彼らは多くの別れを経験した。
別れは、別れを予期したその時から始まる。唐突な別れには到底望めない心の準備とも言えるその悲哀の過程は、失われゆくものと残されるものの双方とって得難い救いとして機能する。童子が戯れに砂で塔を作るような無益も、緋櫻毬が大地に落ちる様に目を凝らして必死に見守るような不毛も、喪失さえ糧として生きながらえる人間にとって、必要な儀式の一環であろう。
一方で、別離によって失われるものを意識した時、そのものの得難さやかけがえのなさに気づくことは稲妻の美学に通ずるものがある。永遠に続く幸せをそれと認識することができないように、喪失を知ることでその一瞬の尊く美しい様――輝きとでも言おうか――に気づくことができる。
稲妻に住む人は、暮らしを文字に起こすことを好む。城下町ではしばしば、掲示板に書き込む人、そして書き込まれたそれを見て囃し立てる人が居り、その横には個人による創作物としての書を書く人、売る人、買い求める人が居る。言葉によってその時々の情動を刻みつけそれを共有することは娯楽として生活に根付いており、彼らの経験は常に大衆性を持つ。日常の中のひと時であっても、そこで感じた輝きは永遠の中の一瞬を構成するに値すること、つまり一瞬は永遠でもあることを、彼らはよく、知っていると言えよう。これらは、ものの価値を正確に把握していることを表すと同時に、喪失の運命を受け入れる強さを備えているということをも表す。
鶴観から帰ってきた旅人は、一枚の羽根を何処へ行くにも持ち歩くようになった。稲妻に限らず、依頼や知己との交流のため移動したモンドや璃月でも、その羽根は彼の腰にひっそりと揺れている。最初、仲間がそれについて尋ねた時も、「約束だから」と言うだけであまり長くは語らなかった。
今回に限らず、旅人はときたま意図して何かを隠す。物事を隠す心理には様々あるが、彼のもたらす風には害意や敵意といった人を惑わせる匂いはしない。もったいぶって口を閉ざしている風でもない。彼自身、まだ語る言葉を持たないのかもしれないそれを、旅の仲間は静かに見守る。まだ見ぬ真実とそれにまつわる厄も幸も受け入れ行動を共にする様は、彼等が出会い確かに築いてきた信頼による媒介が伺える。唯一、至極複雑な匂いのする神秘的な生物は逸れてゆく話に文句を言うが、それでも本筋に戻すことはなく、そんな彼らの関係は周囲の者に穏やかな風を運んでくる。
「旅人」
呼びかけに応じこちらを向く輝きが二度、瞬きによって隠れる様を追いかけながら。
「そなたにとって、旅はどんなものでござろう?」
果たして彼は一度ゆっくりと瞬き、腰につけたそれを見つめた。そして隣の浮遊する友人と顔を見合わせ首肯うなずいて、拙者に向かって微笑んだ。
「俺は今、こうして旅ができて嬉しいと思っているよ。一人じゃなく、みんなと」
拙者はそれに笑みで応える。旅人は羽に手を当て、さらりとひと撫でした。それは真実彼の翼の一片であった。
別れは出会い無しには訪れない。別離の悲しみは出会いへの恐れと等しいものではなく、過程にある儚くもほの光る一瞬とその積み重ねこそが出会いと別れの本質であろう。月影が雲に隠れるように唐突で、白露のような刹那に似た人生。しかして、美しく感じた想いも次の一瞬への飽くなき期待も、現世のまこと。
かつての友の「神の目」の抜け殻が万葉に様々な出会いをもたらしたように、旅人の持つその羽も彼らに導きを与えるものだ。そして旅人は「約束」という願いを抱えながら、旅の終点を目指す。
万葉と旅人の運命は璃月での出会い、そして稲妻での戦いを経て交錯した。今しばらく行動をともにすることになるだろう。旅の目的こそ万葉と違えど、心を通わせ絆を結び、同じ時を過ぎすことはできる。これは、刹那を共にしたかつての友が万葉に教えてくれたことであり、万葉自身の願いでもある。
彼らの旅は困難を極めるだろう。かつて稲妻へ向かう旅人らに、万葉は旅に対する意味を見いだせることを願った。多くの出会い、別れを経て願いを重ねてゆく彼らが一つの仮説を得る未来もそう遠くはない。
その時彼らは何を思うだろう?願わくは、己の旅路を振り返り終点に向けて踏み出す時、交錯した縁が、重ねた夢が、彼らの旅路にかかる雲を晴らす導きの風にならんことを。