I’m so loved 疲れているのだろうか。
バッキンガムは念入りに目頭を揉みほぐしてから、外していた眼鏡をかけなおし、玉座に座るリチャードを見た。
黒い絹糸を黄金の冠が包み、涼やかな顔をいっそう美しく引き立てている。
のはいいのだが。
先ほどから、バッキンガムには、王冠とは別のものが見えていた。
立ち並ぶ臣下の言葉に耳を傾けるリチャードの頭上に、赤いハートがポン、と浮かんでは消える。
消えたかと思えばまたひとつポン、と浮かび、今度は消滅してしまう前に二つ目のハートが浮かびあがる。
かと思えば、ポポポン、と二つ三つ連続であらわれる。
……なんだ、あれは。
どうやら本人は気付いておらず、バッキンガムにしか見えていないようで、他の者に動揺はない。
一定のペースで、絶えずハートが浮かびあがる。
この状況をどう受け止めればいいのかわからず、つい余所見をしていると、玉座に腰を下ろしてからは一瞥するだけだった色違いの瞳が、不意にしっかりとバッキンガムを捉えた。
互いの視線が絡み合った次の瞬間、謎のハートがポポポポポッ! と軽快な音を鳴らしてあらわれた。
リチャードの頭上のみならず背後まで、薔薇を背負っているかのように鮮やかな赤で染まる。
「ッ!」
「バッキンガム、どうした?」
「いえ……なんでも」
「顔が赤いようだが?」
「お気になさらず。少々熱いだけです」
「? そうか? ……すまない、ハワード。続けてくれ」
発言を遮ってしまった臣下にリチャードの目が向くと、一面の薔薇に似たハートは少しずつ色を失い消えていった。ひとつ、またひとつと形が薄れていくなかで、再び一瞬だけ視線が交わると、消えかけのハートの中に新しい赤い色が生まれる。
バッキンガムは天啓のようにこの怪奇現象(?)の仕組みを理解した。
これはリチャードが俺を愛している証だ。
間違いない。
俺に向けられている想いだから、俺にしか見えていないんだ。そうだろう、リチャード!
確信を得たバッキンガムは初見で抱いた警戒心を忘れ去り、自信と誇りに満ちた顔で愛する半身を見つめた。
肘掛けに頬杖をついたリチャードは王の顔で忠誠心の篤い男の話に耳を傾けている。その頭上には尚もハートが浮かんでは消える。
王弟と公爵、摂政と公爵であった頃のように、密談と称して頻繁に籠ることも難しくなった。
数日しか経過していないはずだが、最後にあの麗しい身体を腕に抱いたのが遠い昔のように感じられる。
リチャードの頭上に浮かぶ想いの一つを攫って胸に抱き、そばに置くことができたらどんなにいいか。
儚く消えてしまうなら、せめてその前に。形づいた想いに口づけて、深い愛を伝えたい。
……などと、くだらない空想に溜息を落としていると、また新たにあらわれたハートが、先ほどまでとは違う動きを見せた。
「……?」
リチャードの頭上に浮かんでいるだけだったそれが、風に吹かれたかのようにふわふわと揺れる。
揺れながらリチャードの頭上を離れ、消えてしまった。
同じようにいくつもの想いがリチャードから離れようとする。
なにがしたいのか。なにをしようとしているのか。
不思議に思いながら見守っていると、あちこちへ蛇行しつつもバッキンガムの元へと辿り着いたハートが、黒い衣服の胸にぶつかって消えた。
続いていくつものハートがバッキンガム目掛けて飛んでくる。
そこが的であるかのように、左胸ばかり狙ってぶつかる。
時々唇にも触れた。
リチャードに口づけたときのような、少し冷たいけれど、身体の芯を熱くさせるようなぬくもりを感じた。
的にされる痛みはない。
だが衝撃はとてつもなく強い。
バッキンガムは眼鏡を外し、目元を手で覆った。
何故、動きが変化したのか。
推測しようもないことだが、バッキンガムの頭に過った空想がほんの少しでも伝わったのだとしたら。
リチャードも、同じように心をそばに置きたいと思ってくれていたのだとしたら。これ以上の喜悦はない。
愛されている……!
激しい歓喜に満ち溢れ、握った拳を天高くつき上げたい衝動に駆られる。
幸い、奇行に走るほどの理性の失い方はしておらず、手の中でレンズを軋ませるだけで済んだ。
我に返ったバッキンガムは、小さく咳払いをすると、何食わぬ顔で少し歪んだ眼鏡を鼻に戻した。
「では諸卿、そのように」
リチャードは短く言葉をかけると玉座から立ち上がった。頭を垂れて王の道を開ける者たちを横目に、重厚な外套を揺らす。
あとに続こうとすると、色の薄い瞳がバッキンガムを見上げた。
視線と一緒に飛んできたハートは、左胸にぴたりとくっついた。
黒髪の包む黄金の冠。
その上に見えていた想いの形は、王の間を出ると姿をあらわさなくなった。
最後のハートは、いじらしく、いつまでも消えずにバッキンガムの胸に留まっていた。