どうかその恋が実りますように「エース、助けてくれ」
切羽詰まった声の主は頭に花冠を被り、その周りには色鮮やかな蝶がひらひらと舞っている。童話に出てくるお姫様のようなその光景にエースは一瞬釘付けになってしまった。が、すぐに強い力で腕を引っ張られて、ハッと我に返る。お姫様がこんなバカみたいに握力が強い訳もなく、言わずもがなこいつは男で、お姫様とは程遠いおつむがちょーっと弱い唯のクラスメイトだ。
……そう、デュースは単なるルームメイト兼クラスメイトに過ぎないのがエースに突きつけられた現実だった。
「どしたの、それ」
「……この子の仕業だ」
デュースの隣にはいつのまにか人の形をした小さな人ならざるもの、妖精の姿があった。背中から生えた、透き通るような薄い羽でふわふわとデュースの顔の周りを飛んでいる。強い花の匂いがした。なるほど、こいつは花の妖精か。
この学園に入学して以来トラブルや騒動は日常茶飯事の為、この程度のことであれば然程驚きはない。
デュースが言うには植物園の前で出会い頭にこの妖精とぶつかってしまい、怪我がないことを確認したうえで謝罪をしたが、何故かその後も付き纏われているらしい。魔法でシロツメクサで編まれた花冠を頭上に乗せられたのもその延長のことで、デュースは妖精が怒っているからだと思っているようだった。
(怒ってる態度じゃなくねぇ……?)
エースにはとてもそうは思えなかった。
デュースの近くを漂っている妖精の顔はニコニコしていて、上機嫌なように見える。言葉こそ分からないけどそれはもう鼻歌でも口ずさみそうなくらい。
まさかと思って妖精を凝視すれば心なしか頬をバラ色に染めて、恋する乙女のように恍惚とした表情でデュースのことを見つめている、ように見えた。
掌サイズのフェアリーの顔がそんなハッキリ目視出来る訳がないというツッコミが飛んできそうだから、事前に言っておく。エースのデュースに関するアンテナはかなりの高性能だ。エースはデュースに関することなら他の誰より敏感に察知出来る自信があった。
いつから、だとかそんなことはもう忘れてしまった。性別と友達の枠なんて簡単に飛び越えてしまう程、強くデュースに惹かれて焦がれている。なのに口を突くのは揶揄いの言葉と意地悪ばかりで、気付くといつもエースはデュースのことを怒らせてばかりいた。
デュースが好き。クラスメイトでも友達でもなく、恋人としてオレと一緒にいてほしいと告げられたらどんなに楽だろう。マブというポジションがこれほど居心地が良く壊すのが怖いものだとは思わなかった。
むっと顔を顰めたエースをおちょくるように、ポンッとポップコーンが弾けたような音が辺りに響いた。驚いて二人で顔を見合わせた直後、魔法で召喚されたと思しきブルーのリボンがクルクルと宙に浮かんでいる。端にゴールドのラインをあしらった上品なそれが生命が宿ったかのように踊っていて、すぐに妖精の仕業だと理解した。
「な、なんだ?」
やがて光に包まれながらデュースの頭の花輪に収まったそれは、シロツメクサの花に器用に結ばれて彩りを添えた。白にブルーがよく映えていて、さながらお姫様の髪飾りのようだ。なるほど、お洒落センスのある妖精らしい。
「エース!頭に何かくっついた!」
「花冠にリボンが付いただけだって」
自分の姿を確認出来ない為狼狽えているデュースの髪に触れて、エースは結ばれたばかりのリボンをスルスル解いてやる。ホラ、と見せてやればデュースはほっと息を吐いた。
……その顔は可愛いけど面白くない。エースのなかに不機嫌な材料が蓄積されていく。
(なんでこいつがデュースのことを着飾っている訳?大体何デュースに惚れてる訳?ついさっきデュースのことを知ったばかりの奴にされるがままなのはムカつく……)
半分くらいは八つ当たりだけれど。妖精は速攻でリボンを回収されて悲しいのか怒っているのか、その場で固まっている。
「……あのさ、この妖精お前に惚れてるんじゃない?」
「え!?」
「この花冠もリボンも求愛っていうか、愛の告白っていうか、そういう類いのものだと思うんだけど」
「……怒ってるんじゃないのか?」
「怒ってたら普通こんな贈り物しないでしょ」
「……そうなのか」
あまりに無防備なデュースにも微妙に腹が立った。どう見たってお前に好きって言ってるじゃん。分かれよ、それくらい。
「エース、すまない。こんなことに巻き込んで」
エースの苛立った様子を察してデュースが頭を下げた。
巻き込まれたから怒っている訳じゃない。妖精に一目惚れされたことに腹を立てている訳でもない。言葉も通じない妖精がデュースに愛を囁いているのに、いつも傍にいる自分は好きの二文字すら伝えられなくて、そんな自分自身がエースは惨めだった。
「えっと……これは返す。気持ちだけ受け取らせてくれ」
ありがとう、とデュースが妖精に差し出したのはエースの掌のなかにあったリボンだった。言葉が分からない為か妖精はおずおずとそれを魔力で浮かせて受け取る。
「……僕にも好きな人がいるんだ。でも片想いできっと見込みがなくて……。だからお前、じゃなくて、君の勇気は凄いと思う」
臆することなく真っ直ぐに妖精を見つめてデュースが言葉を紡いでいく。いつのまにかリボンは消えていて妖精もデュースの声に耳を澄ませているようだった。
その様子を見守っていたエースは愕然とした。
(デュースに好きな人……)
そんな話は一度も聞いたことがなかった。要領が悪くて不器用だが、何事にも一生懸命で素直なデュースを好ましく思う相手なんていくらでもいるだろう。デュースに想われればきっと相手だって……。
「僕も君を見習って勇気を出したいんだが、なかなか難しいな……」
「……デュース」
「あぁ、これも返さないとな」
エースは藍色の頭から花冠を外して今度はそれを妖精に手渡す。煌びやかな光に包まれてすぐに消えてしまったものが少しだけ名残惜しく思えて、デュースはこめかみの辺りをそっと撫でた。
妖精は二人を交互に見比べた後、何かを察したように双方に向かって魔法を振りかけた。その顔がエースには何処か得意げに見えたが、眩い魔力の粒に辺りを囲まれて視界を奪われてしまう。
「な、なんだ!?」
「眩しい……!」
魔法に悪意は感じられないが強い光に目が眩む。光をやり過ごして瞼を持ち上げるとそこに妖精の姿はない。あるのはエースとデュースの普段通りの姿だけだった。
「何ともないな……」
「そうね」
自分の全身をペタペタと触りながらデュースが確認をする。同意こそ返したが、エースの内面には密かに変化が起きていた。
(デュースがキラキラして見える……)
長い睫毛も揺らめくピーコックグリーンも小振りな唇も、普段と同じはずのものが何十倍も輝いて目に飛び込んで来る。妖精の仕業であるのは言わずもがなだが、デュースの方には変化は起こっていないらしい。何でオレだけ……と項垂れていると、デュースの柔らかく芯の通った声がエースの名前を紡いだ。
「好きだ」
そして迷いなく告げられる。
「……は?」
「へ!?あ、違…!違う!今のは魔法のせいだ…!!」
「あ、あ〜……デュースにもちゃんと魔法掛かってたのね」
危ない。危うく本気にして鵜呑みするところだった。デュースの方には目に入った人物に愛の告白をしてしまう魔法でも掛けたんだろうか。
「………」
「なに不貞腐れてんだよ」
顔を桃色に染めながらむぅと頬を膨らませているデュースは魔法の効力も手伝ってか死ぬほど可愛い。そのせいで帰ろうと掴んだエースの腕が熱いことにきっとデュースは気付いていないだろう。
先程まで燦々と降り注いでいた日光はいつのまにか傾いて、その色をオレンジに変えていた。遠ざかっていく二人の後ろ姿を木々の隙間から見守っていた妖精は、前途多難とばかりに人知れず深い溜め息を溢した。
生まれて初めて彼女が恋をした相手は種族の異なるニンゲンだった。恋に落ちたのは一瞬、初恋が破れたのはそれから数分後。あの人の隣に現れたテラコッタ色の髪をしたニンゲンの男の子。彼を見つめる瞳が甘い熱を宿しているのを悟って、自分の恋が決して実らないことを確信してしまった。
悲しかったけれど、それ以上に彼が素敵な恋をしているのだと知れたことが嬉しかった。突然魔法を使ってきっと彼のことを沢山驚かせてしまっただろう。せめてものお詫びに彼の恋の手伝いがしたい。その思いから彼と、その想い人、二人にささやかな魔法を施すことにした。
彼には想いを伝えられるように、勇気の魔法を。
テラコッタの男の子には彼の魅力が伝わるように、魅惑の魔法を。
……魔法はしっかり発動していた様子だったが、この二人の関係はそう簡単に進展するものではないようだ。
妖精は溜息の後で白い頬を綻ばせて、ネイビーの背中にエールを贈る。
どうかあなたの恋が実りますように。
その日が訪れることを期待して、恋に破れた小さな羽はオレンジ色の空に羽ばたいていった。