ミラーリング #6(カルデア編) 死にたくない、と彼女は言った。
腹を裂かれ、血に沈み、全身から命を流しながらも、彼女は言った。死にたくない。
その身を疎まれ、弄ばれ、それでも必死に生きた末にこのざまとは、なんて、なんて、あわれな女!
今際の際にみじめたらしく泣く姿が許せず、私は言った。
体が朽ちても、その名が語り継がれるように。
その身が伝説に昇華され、永遠に生き続けるように。
──おまえを、英雄にしてあげる。
✳︎✳︎✳︎
ランサーは目を覚ました。
真っ先に目に入ったのは、オレンジ色に明滅する濡れた岩の天井だった。
吐いた息が白く立ち昇っては消える。
寒い。
ぼんやりする頭で自分の白い息を見つめていると、唐突に記憶が蘇った。
がばりと勢いよく身を起こす。途端に体中に走った痛みに顔をしかめた。
うめき声を漏らし、身を抱えたところで、ランサーは自分が何かに包まれているのに気づいた。
闇のような黒地に、禍々しい赤い飾りのついたマント。ランサーは眉を寄せた。
マントを体から引き剥がすと、あたりを見回す。誰もいない。
「ここは……」
地面も天井も、ゴツゴツした岩が黒光りしていた。どうやらここは洞窟らしい、とランサーは見当をつけた。
雪も吹き込んでいないことから、それなりに深さのある洞窟のようだ。
そばでは、明るい火が音も立てずに燃えていた。自分が目覚めたとき、岩がオレンジ色に光って見えたのは、この火の色を反射していたのだ。
ランサーは火を覗き込んだ。薪などの燃料も無いのに燃えている。魔術でおこした火らしい。
そんなことができる者は、この状況下では、ランサーの他に一騎しかいない。
火に両手をかざすと、ぬくもりが冷え切った肌を優しくなでた。ランサーはほっと息を漏らす。
いくらサーヴァントの身とは言っても、凍えるような気温の中で、火の温かさはありがたかった。
ザシュ、と音がして、ランサーははっと振り返った。何かがパラパラと落ちる音が続く。無意識に体が緊張に固まる。
ザシュ、ザシュ、と雪を踏みしめるような音が近づいてきた。ランサーは呼吸を抑え、ゆっくりと身構える。
岩肌にぼんやりとした影がゆらゆらと映り、やがて、岩影から男の姿が現れた。
「オルタ……」
「起きたのか」
オルタは無表情でつぶやいた。ランサーは、緊張させていた筋肉を少しだけ緩める。
オルタがこちらへ歩いてきた。のそり、のそりと歩く姿はヒグマのようだ。大きな体が近づいてきて、ランサーは少しだけ身を強張らせた。
オルタはランサーのそばを通り過ぎ、燃える火の反対側に腰を下ろした。そのまま腕を組み、目を閉じる。
静かだった。揺らめく火で、二騎の影が岩壁にちらちらと踊る。
ランサーは迷うように視線をうろうろとさせていたが、思いきって話しかけた。
「オルタ」
フードの下から昏い赤がこちらを見上げる。
「おまえが、その、オレを……」
「…………」
「その……助けた、のか?」
「……雪に埋もれたから這い出た。おまえも引っ張り出した」
「そ、そうかよ」
オルタは黙ってしまう。ランサーはなぜか焦り、慌てて言葉を探した。
「えっと、ここは?」
「洞窟」
「いや、それはわかるけどよ……」
「たまたま見つけた」
「へえ……」
反転したとはいえ、相手もクー・フーリンであるはずなのに、ここまで会話が成り立たないものなのか。ランサーは頭を抱えたくなった。
居心地の悪さにうつむきかけて、自分が握っているものに気づく。ランサーは急いでそれを差し出した。
「あの、これ」
オルタのマントだ。だが、オルタはちらりとそれを見ただけで、すぐに目を閉じた。
「いい」
「いいって……」
「着てろ」
「いや、でも」
「着てろ」
有無を言わさぬ声音に、ランサーは諦めた。これ以上何かを言っても、こいつと会話が続くとは思えない。
おとなしく、もそもそとマントを体に巻きつける。正直なところ、魔力がおぼつかない体は凍えて寒かったため、マントはありがたかった。
「ええと、その……」
まだ何かあるのかと言わんばかりの顔をされる。ランサーは胃のあたりが重くなるのを感じながら、もごもごとつぶやいた。
「ありがとう」
「…………」
オルタは何も言わず、再び目を閉じた。
ランサーは、そっとオルタの様子をうかがった。目を閉じてうずくまる姿は、獣が休むそれだった。
棘の生えた尾は、身を守るように体に巻きついている。ランサーは、この男のクラスはバーサーカーで、魔力の燃費が悪いということを思い出した。
少しでも活動を抑え、魔力を節約しているのかもしれない。だとすれば、このまま眠らせておいたほうがいいだろう。
ランサーは燃え続ける火に目線を移した。この火も、あいつがルーン魔術で燃やしているはずだ。このまま燃やし続けたら、あいつの魔力にも影響するだろう。
ランサーは手を伸ばし、ルーン文字を刻んだ。残っている自分の魔力を練って注ぎ込む。
火は一瞬ぱっと散りかけたが、すぐにまたちろちろと燃え始めた。
これでいい。こちらの魔力に切り替えたから、オルタの魔力消費は止まったはずだ。
ランサーはほうっと息を吐き、マントにくるまり直した。
岩壁に反響する風の音が聞こえる。
燃える火を見つめていると、まるでこの世界に自分ひとりになったように感じた。
マスターたちはどうしただろうか。自分たちが現界できているから、恐らく無事なのだろう。カルデアとの通信が生きていれば、そのうち合流できるはずだ。
そういえば、外の様子はどうなっているのだろう。ランサーは顔を上げた。
静かに立ち上がり、さきほどオルタが現れたほうへ歩いていく。
歩くたびに、スプリガンにやられた左足が痛む。ランサーは歯を食いしばって痛みに耐えた。今は、完璧に怪我を修復できるほどの魔力の余裕はない。
洞窟の入口に近づくにつれ、風の音が大きくなっていく。ランサーが羽織るマントがバタバタとはためいた。
ようやく入口が現れたが、目に飛び込んできた外の様子に、ランサーはため息をついた。
ひどい吹雪だった。殴りつける雪風は視界を白くけぶらせ、一歩先の様子も定かではない。
日が沈んだのか、空も暗い。これでは、たとえマスターが自分たちを探そうとしても動けないだろう。
ランサーは肩を落とした。吹雪がおさまるまで、ここでしのぐしかない。ランサーは諦め、洞窟の中へ戻ろうと踵を返した。
「どこへ行く」
「うわっ!」
ランサーの肩がビクッと跳ねた。
「おま、おまえ、びっくりさせるんじゃねーよ!」
ドッドッと激しく打つ鼓動を抑えながら、ランサーは怒鳴った。いつの間にか背後にいたオルタは赤い瞳を爛々と光らせ、ランサーを睨みつけている。
「どこへ行く」
「行かねーよ! むしろ戻ろうとしてたところだよ!」
「本当か?」
「そうだよ! 外の様子が気になって……っていうか、なんなんだよおまえ! 気配絶って近づいてんじゃねーよ!」
ぎゃんぎゃんとわめくランサーをオルタは無言で見下ろしていたが、やがてランサーが嘘をついているわけではないらしいと判断すると、のそのそと中へ戻っていく。
「ほんとなんなんだよ……」
若干涙目になりながら、ランサーは脱力した。
できればオルタと二人きりの空間に戻りたくなかったが、仕方がない。ぐっと口を引き結び、足をひきずりながらオルタの後を追った。
一足先に火のそばに戻ったオルタは、何事もなかったかのように体を丸めていた。ランサーはなるべくオルタと距離をとるようにしながら、そうっと腰を下ろす。
ちらりと視線を投げれば、オルタは先ほどと同じように目を閉じている。ランサーはため息をつき、組んだ腕に顔を伏せた。
ふとオルタは目を覚ました。洞窟の中は、眠る前よりずっと暗くなっていた。
あたりの気配をうかがって、はっとする。小さくなった火の向かい側に女は座っていたが、どうにも様子がおかしい。近づくと、体が小刻みに震えているのがわかった。
「おい……」
声をかけて手を伸ばした瞬間、激しくその手を払いのけられる。
瞬間的に鋭い殺気が立ちのぼり、激しく燃える赤がこちらを射抜く。
オルタは目を見開いた。
ふーっふーっと息が上がり、ぎらぎらと目を光らせている様子は、まるで手負いの獣だ。額には冷や汗が滲み、顔色もひどく青ざめていることにオルタは気づいた。
「おい、大丈夫か」
オルタは再び声をかける。ランサーは荒い息を繰り返しながら、目を大きく開いてオルタを見上げた。
「おい、何か言え」
黙ったままのランサーに、オルタは三度声をかける。その赤い瞳をじっと覗き込む。
ランサーの激しい呼吸が徐々におさまっていき、目の焦点が戻ってきた。
「オルタ……?」
「ああ」
ランサーは自分を取り戻したようだった。あたりをきょろきょろと見回し、再びオルタの顔を見上げた。
「あ、オレ……」
言葉が途切れる。オルタが見つめていると、その視線にいたたまれなくなったのか、うつむいてしまう。
「魔力不足か」
「…………」
ランサーは黙っている。だが、明らかに呼吸や気配から、魔力が不足しているのがわかった。
オルタは膝をつき、無造作にランサーのあごをつかむと、そのまま口づけた。どろりとした唾液を舌に絡ませ、魔力を流し込む。
パン! と大きな音が響いた。
頰を打たれたと自覚したのは、痛みがじわりと広がったときだった。
ランサーを見れば、信じられないという顔。その瞳に浮かぶのは、驚愕、激昂、そして──なんだ、あれは。悲しみ?
「何しやがる……」
まるで地を這うような声だ。オルタは自分の唇を軽く舐める。
「魔力供給だろ」
「てめえ……」
「てめえの魔力が足りてねえのは明らかだろうが」
「ッ……、いらねえ」
「いらねえわけねえだろ。そのままだと霊基が保てなくなるぞ」
「うるせえ! いらねえったらいらねえ!」
ランサーが怒鳴った。まるで子どもの癇癪のようなそれに、オルタは内心苛立つのを感じた。
細い首を乱暴に掴む。ぐうっと喉が締め付けられるような声が漏れたが、気にしない。
そのままランサーの体を地面に押さえつけた。ランサーは必死に抵抗したが、魔力枯れの体はやすやすと押さえ込まれてしまう。
オルタはすばやくランサーの両手首を片手で掴み上げ、これ以上抵抗されないようにギリギリと握り締めた。ランサーの顔が苦痛に歪む。
「オルタ、やめろ! やめろ!」
ランサーが叫んだ。だが、こちらとしてもこのまま霊基消滅などさせられない。バタバタと暴れる足も抑えるため、オルタはランサーに馬乗りになった。
「いやだ! ふざけんな!」
組み敷いた体は自分を拒否し続ける。悪口雑言のかぎりを尽くした罵倒に、うっとおしく暴れる体。
オルタの尾がゆらりと揺れた。瞬間、その切っ先がランサーの顔の真横に勢いよく突き立てられた。
「ヒッ」とランサーが息を飲む。パラパラとえぐられた小石が、ランサーの顔に落ちる。
「……うるせえ」
ことさら低い声でオルタがうなる。ランサーは抵抗をぱたりとやめた。その四肢から急速に力が抜けていく。
そこで初めて、オルタは自分が掴んでいるランサーの手首が、キャスターやプロトたちよりもずっと細いことに気づいた。
初対面で打ち合ったとき、その力強さに驚きもしたが、あれも結局ルーン魔術で強化をかけていただけだ。
生身のこいつは、やはり女なのだ。
オルタが顔を近づけると、ランサーの目からすうっと涙が一筋流れ落ちた。
オルタはそのまま、ランサーと己の唇を重ね合わせる。ランサーは目を閉じなかった。オルタは舌でランサーの口をこじ開け、魔力を押し込んだ。
舌を噛まれるかと思ったが、ランサーは人形のように身動きひとつしない。おかげで供給がやりやすい。
オルタは融通できるぎりぎりの量の魔力を流し込むと、ランサーから手を離し、体を起こした。
「……え?」
オルタが口をぬぐいながら立ち上がると、ランサーが間の抜けたような声を上げた。
「オルタ?」
「なんだ」
おそるおそる身を起こしたランサーが、戸惑った表情で話しかける。
「これで終わり、か?」
「ほかに何がある」
「え……あ、いや……」
ランサーは落ち着かなげに目線をさまよわせる。だが、その表情にははっきりと安堵があった。
オルタはランサーの顔を眺める。顔色はさっきより幾分かよくなったようだ。
「抱かれると思ったか」
「!」
ランサーがさっと顔を赤く染めた。図星のようだ。
オルタは地面に投げ出された自分のマントを拾い上げ、ランサーに引っ掛けた。
「ビビってめそめそ泣くような女にそんなやり方はしねえ」
ランサーは慌てて涙に濡れた自分の目をぬぐう。羞恥と侮辱への怒りで、顔が燃え上がりそうだった。
だが、貴重な魔力を与えられ、自分が助かったことに変わりはない。ランサーは震える両手を握り、唇を噛み締めた。
「……魔力をくれたことには、礼を言う」
オルタはランサーに背を向け、火のそばに戻ろうとした。その背中に向かって、言葉を投げる。
「いい機会だから、聞くけど」
足を止め、オルタは振り向いた。
「てめえは、オレのこと嫌ってるのに、なんでオレを助けるんだ」
オルタはじっとランサーを見つめた。ランサーも負けじとオルタを見つめ返す。
「マスターがてめえを失うことを嫌がった。それだけだ」
「それだけ……?」
「それだけだ」
「じゃあ、おまえは」
「ああ?」
「おまえはオレのこと、なんでそんなに嫌いなんだよ」
視線が交錯する。こちらを見つめるオルタの目に感情はなかった。
ランサーはなぜか目頭が熱くなるのを感じて内心焦ったが、それをぐっとこらえ、オルタを睨みつけた。
オルタは、ゆっくりとランサーに向き直る。
「俺はてめえを嫌ってるわけじゃねえ」
「え……?」
オルタが眉根を寄せた。
「てめえを『信用してねえ』んだ」
ランサーは絶句した。
「おまえ、何を……」
オルタは底冷えする瞳でランサーを見据える。
「てめえ、いったい何者だ?」
我に返ったランサーは、憤然と立ち上がった。バサリとマントが地面に落ちる。
「この野郎!」
ランサーはオルタに飛びかかった。オルタは抵抗せず、自分の胸ぐらを掴むランサーを見下ろす。ランサーは、オルタよりずっと背が低かった。
「この石頭、何回言ったらわかるんだ! オレはクー・フーリン。アルスター最強の戦士、クー・フーリンだ!」
「本当か?」
「てめえッ……!」
ギリ、と音が鳴りそうなほどランサーは歯を食いしばる。なぜ、この男はここまで自分を認めないのか。まったく理解できない。
「師匠だって叔父貴だって、メイヴだってオレを知ってる! セイバーやアーチャーだって……」
「あいつらが知ってるのは『男の』ランサーだ」
「!」
ランサーの体がびくりと震えた。「でも」とこぶしに力を込める。
「オレはゲイボルグが使える。これは英雄クー・フーリンの武器だ。おまえの槍だってそうだろうが──」
「てめえの槍は俺とは違う」
「は?」
ランサーが目を見開く。
「てめえのは『死にたがってる者』の槍だ」
「な、おまえ、何言って──」
オルタは目を細めた。
「俺はキャスやプロトとは違う、クー・フーリンの陰だ。だが、だから分かる。てめえのは自分が死に場所を探すための槍だ。振るうたびに自分の死を求める槍だ。クー・フーリンの陽側面が、そんな存在であるわけがない」
オルタは、自分を掴んでいるランサーの手をたやすく振り払った。そのままランサーのあごを掴み、ぐいと顔を引き寄せる。
「子どもはどうした?」
ランサーの表情がこわばった。オルタは淡々と続ける。
「スカサハやフェルグスの様子を見るに、性別が違うのはおまえだけだ。だが、てめえは自分が”クー・フーリン”だと言いやがる。考えられることはひとつだろ」
ランサーの体がガタガタと震えだす。オルタは容赦なく言った。
「フェルディアか?」
「──!」
振り上げられた手を、オルタは抑えた。そう何度も甘んじ「…………」て食らってはやらない。
「ふざけんな……」
いまや、ランサーの目は激情と殺意に煮えたぎっていた。視線で相手を殺せるならそうしていただろう。
「よくもフェルディアを侮辱しやがったな」
オルタが掴んでいる手がぶるぶると震えている。ランサーは、怒りで真っ赤に染まった顔でオルタを睨み上げていた。
感情があふれ出たのか、その両目にはうっすらと水の膜が張っている。オルタは思う。女はすぐ泣く。だから面倒なのだ。
「違うのか」
「違うに決まってんだろうが! ぶっ殺すぞ!」
ランサーが吠えた。唯一自由になる足でオルタに蹴りを入れる。だが、それすらも大したダメージにはならない。ランサーは悔しさに歯噛みした。
「もう一度聞くが」
オルタは繰り返した。情けも容赦もなく、ランサーを追い詰める。
「てめえは何者だ」
とうとう、耐えていたランサーの涙腺が壊れた。ぼろぼろと涙がこぼれ落ちていく。
ちくしょう、ちくしょう、と内心で何度も叫んだ。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!
ランサーはうつむいた。髪がさらりと流れ、表情が見えなくなる。
唐突に、はは、とランサーが笑い声を上げた。オルタは不審げな顔をする。
「そんなにオレが誰だか知りたいかよ」
急に抵抗がなくなり、オルタはランサーから手を離した。攻撃が飛んでくるかと思ったが、ランサーは足元を見つめて笑い続けるだけで、何もしてこない。
「いいぜ、じゃあ、ひとつ昔話をしてやるよ」
勢いよくランサーが顔を上げた。大粒の涙をこぼしながら、口を歪ませて笑っている。
「英雄になることを望まれて、自分でも英雄であると信じて、最後は英雄になり損ねて死んだ、ある馬鹿な女の話をなぁ!」