師弟考察②ヒュンケル&アバン 「誇りです」の解釈92話「天地魔闘の構え」でのアバンの「誇りです」を振り返る。かなり主観が入りまくっているので、ご注意ください。
令和アニメでは、ヒュンケル視点だったので、アバンがなぜこの言葉を選んだのかは、はっきりと描写されなかった気がする。
そこで、語られなかったアバン視点を考えてみた。
以前も書いたが、アバンにとってヒュンケルは、一番弟子というだけではなく、特殊な立ち位置の弟子だ。
それは、世界を救った勇者アバンが、その救った世界と引き換えに、不幸にしてしまった少年がヒュンケルだということ。
この世界の矛盾を一身に引き受けてしまったわずか6歳の少年を、16歳だった勇者アバンは一番弟子として引き取り、育てることを決意した。
それは、勇者アバンにとっては、バルトスの遺言のためだけではなく、アバン自身の贖罪の意図もあったのかもしれないと思う。
アバンは、少年ヒュンケルを育てて一人前にし、そしてバルトスの願ったとおり、人間の温もりを教えたいと願った。
しかし、その彼の願いは果たされることはなかった。
わずか2年で、アバンは、ヒュンケルを自ら返り討ちにするという最悪のかたちで失い、その後、物語の開始まで、再会することはなかった。
アバンは、どれほど後悔しただろうか。
もっと育てたかった。
もっと教えたいことがあった。
伝えてないこともあった。
だが、ヒュンケルは彼の元にいない。
ヒュンケルを失ったことは、アバンにとっては、自らの功績の否定に等しかったのかもしれない。
魔王を倒し、世界を救った勇者と呼ばれようとも、ひとりの少年さえも救うことはできなかったのだという強い後悔が、アバンにはあったのではないだろうか。
そうして、ようやく再会したのが、あのバーンパレスでだった。
紆余曲折はあったものの、ヒュンケルは、アバンの使徒の長兄として、光の戦士として、新たな勇者ダイたちの元にいた。
アバンが教えたかったこと、育てたかったこと、伝えたかったこと、でもできなかったこと。
それを自分で感じ取り、学び、自ら人間社会に返ってきたヒュンケルを、バルトスの望むように人間の温もりを感じられるようになっていた彼を見て、アバンはどう思っただろうか。
アバンが伝えられなかったことを自分の手で学び取り、成長していたヒュンケルの姿を目の当たりにしたアバンから見たら、この言葉しかなかったのではないか。
「誇りです。」
自然に零れたこのひとことは、アバンの本心を象徴する言葉だったのだろうと思う。
他に適切な言葉はなかった。
そこにあるのは、ヒュンケルに対する掛値のない賞賛と、その成長への喜びだと思う。
だからこそ、その言葉を聞いて、ようやくヒュンケルは、アバンの手を取ることができたのではないか。
そう思った。