とろ火でことこと煮るような「しばらく首の隠れる服しか着れないね」
ざっくりとしたニットの襟ぐりから剥き出しになった肌には、うすべに色や赤の花弁がいくつか散っている。アズールの着ているニットと色違いのデザインを着ているイデアの首もとから肩口も、似たようなありさまだった。
「後悔してます?」
「僕はまだ在宅だからいいけど、君が困るでしょ」
イデア・シュラウドの大誤算。若い頃、青年実業家としても、その美貌でも有名だったアズールに悪い虫がつかないよう、彼が残した徴は翌日中に噂になり、各紙とニュースチャンネルを賑わす大騒ぎとなった。良かれとおもってしたことが、あだになってしまったのだ。
アズールが中性的な容姿だったため、噂のお相手は異性はもちろん同性、それも同族の人魚からあらゆる種族にまで及んだ。最終的にイデアが名乗り出ることでお相手探しは終わったのだが、今度はふたりの性生活がゴシップ誌を中心に広がり、彼らを困惑させる事となったのだ。
ふたりの脳内にあのときの苦い記憶が蘇り、緩んでいた頬が引き締まった。
「たしかに目立ちますけど、嬉しかったですよ。こんなにたくさん贈りあえるなんて」
「わっ」
鎖骨にのった鮮やかな点をひとつつつくと、イデアが目を見開く。
「いつぶりでしょうか、こんなに後先考えなかったのなんて」
しみじみと呟いたアズールの睫毛は伏せられていて、空色の瞳がしずかに揺れている。
「アズール」
「だから、そんな顔をしないで」
心配そうに名前を呼ぶ声に、アズールが顔をあげた。
「ね」
イデアの手よりは小さいけれど、しっかりとした両手が薄い頬へ添えられる。
「うん」
「ふふふ、それにお家デートのバリエーションだったら、僕らはそこらのカップルよりいろんなレパートリーがありますし」
「そ、そうだね」
アズールの提案に、イデアは微笑んだ。
「仕事のときは、まあタートルネックにジャケットとかでも2日くらいなら許されるでしょう。会議や商談も入っていませんし」
「あー」
「……なんです?その反応」
「なんか、罪深いなって」
「どうして」
「そういうキャラじゃなかったじゃん」
出会った頃を振り返り、眉根を寄せたイデアは、ふたりがけのソファに並んで腰掛けていた姿勢から力を抜く。
「おっと」
支えようとすればできるけれどイデアへの負担を考えて、アズールはパートナーの上体を膝へ誘導した。
「ん。……君は誰より大人っぽかったから、僕の手の届かないとこで、誰かと冷たい結婚をして、ベッドよりもデスクで眠るんだと思ってた」
「それはお生憎様。ご覧の通り、温かい家庭で、大切なパートナーが温めてくれたベッドで寝てますよ」
「はなしはさいごまできく」
「はいはい」
アズールの手が、イデアの薄い腹をさすった。くすぐったいのか、痩躯が小刻みにゆれて、背が丸くなる。
「ふひ、ひひっキャラ崩壊させちゃった」
「まったくですよ。ひどい人」
「あーあ、これはもう一生責任もつしかないですな」
「ほんとにね」
「あずーる、あのね」
「はい、なんですか」
「……君を好きになってから、悪夢の種類が増えたんだ」
アズールの膝が跳ね、イデアの顔が横から上向きにごろりと転がる。
「オルトのことばっかりだったのがね、君に嫌われるのがこわいって」
「それは、いまも?」
「なさけないでしょ」
「いいえ」
「わらってもいいよ」
「いいえ」
「じゃあ、ずっとそばにいて」
「はい」
ゆうべの事にようやく筋がとおって納得したと同時に、アズールは安堵する。
だって、彼もまた、イデアと同じ悪夢をよく見ていたのだから。
「ごめんね。またゆうべみたいになるかも」
「むしろ大歓迎ですよ」
「……ありがと」
「それに、僕も」
「アズール?」
「いいえ、なんでもありません」
自分の膝をブランケットのごとく覆う蒼炎のとろ火をすくい、アズールはうすら昏い笑みを浮かべた。