善意の事件「最悪だ。本当に最悪だ」
高校の保健室で休んでいた水鳥が、荷物を運んできた木場の顔を見た途端そんな事を口にした。
「な、なんだよ。オレが何かしたか」
「そうに決まってるだろ馬鹿」
困惑する木場にも水鳥は容赦なく厳しい口調になる。それに続くかのように、木場に着いてきていた金原が呆れ顔になりながらこう言った。
「ほらー、だからやめといた方がいいって言ったじゃんかー」
というのも、少し時間は遡り。
高校一の練習量を誇る覇堂高校野球部。真夏の炎天下でもそれは変わらず、もちろん熱中症に十分注意しながら練習をしていたのだが。
「……忍? 大丈夫か?」
投球練習の相手をしてくれていた水鳥の動きが急に鈍くなったので、木場はすぐに側へと駆け寄った。
問題無い、と本人は口にしていたが、顔は赤く、呼吸は浅くなっていて、目も少し虚ろ気味になっている。キャッチャーの装備を身につけているからか、余計に熱が篭ってしまっているのかもしれない。
「マネージャー! スポドリ持ってきてくれ!」
水鳥の言葉を無視し木場は素早く指示を出すと、彼を日陰まで誘導した。大人しく言う事を聞く水鳥の様子に、
「何が問題無いだ。嘘つきやがって」
と、彼にしか聞こえないように木場は呟いた。
日陰まで移動すると、防具を外し、マネージャーが用意したスポーツドリンクを水鳥に飲ませる。気づけば、周りには監督を初め何事かと練習を中断したチームメイトが集まっていた。
その場に座り込んだ水鳥は自力での水分補給は出来たものの、立てた膝に顔を押し付けてからは動かなくなってしまう。監督が何度か名前を呼んだり状態を伺うが、返事は無い。
「……保健室へ。誰か付き添いを」
監督の指示に金原が挙手をする。
「じゃあオレが。水鳥くん立て」
るかい、と続く筈の言葉は、木場が水鳥を横抱きにした事で消えてしまった。
男子の身体を抱えあげた木場の力にも驚いたが、あの水鳥がこんな状況になっても何も言わず顔を伏せているので、思っていたよりも容態が良くない事にチームメイトに動揺が広がってしまう。
「金原、これじゃあドア開けられないから手伝ってくれ」
「え? あ、嵐士、それで保健室連れてくの?」
「こいつ動けないだろうし、いちいち担架とか用意すんのめんどくせぇだろ?」
「いやぁ……やめといた方が良いと思うよオレっち……」
頭の良い金原は悟ってしまった。
木場は強豪野球部のキャプテンという肩書きで校内でも目立つ存在だし、顔立ちも女子からすればイケメンの部類に入るのだと思う。そんな彼が、女房役を横抱き──いわゆる『お姫様抱っこ』で保健室まで運ぶのだ。どうしても目立つに決まってる。
時間帯も遅くはないので部活動に励む生徒の他に、談笑等で残っている者も居るだろう。その分だけ目撃者も多くなる。となると、後にちょっとした騒ぎに発展する可能性は十分にあるのだ。
この展開は、水鳥にとっては非常にまずい。
「いくら嵐士でも一人で運ぶのキツイんじゃない、腕も疲れちゃうし。オレっちがダッシュで担架持ってくるからさ! そんなに時間はかからないよ!」
どうにかして阻止しようと提案する金原。対し、木場は首を傾げるだけだった。
「こいつ重くないから大丈夫だぜ? ほら、とっとと行くぞ」
そう言うと、学校の方へ早歩きで向かっていく。確かに足取りからして運ぶのに支障はなさそうだ。
(……水鳥くん、ごめん)
金原は心の中で謝ると、木場の後を慌てて追いかけるのであった。
保健室で休んで回復した水鳥に養護教諭がうっかり、ここにやってきた時の様子を話した為、瞬時に事態を把握した水鳥が顔を真っ赤にした所で、話しは冒頭に戻る。
「金原までなんだよ! オレは悪い事してねぇぞ!」
まさか金原と水鳥の二人から責められるとは思っていなかった木場が慌てて二人の顔を交互に見る。
「嵐士は全然気にしてなかったけどさ、みんなの、特に女子達の反応すごかったよ。羨ましそうに見てる子とか、二人を見て顔を赤くしてる子とか……。そんな中、先頭突っ切るオレっちもなかなかしんどかったよ?」
「全く、もっと周りの視線の事も考えろ馬鹿。明日学校休みたくなった……」
「だぁーもう!! なんで責められなきゃなんねぇんだよっ!!」
その後、養護教諭から一喝されるまで三人はぎゃあぎゃあと騒いでいたのだった。
翌日。体調は問題なかったので水鳥は憂鬱になりながらも、通常通り朝練に参加してから教室に入った。途端に自分に好奇の視線が向けられるのを感じた。
「水鳥おはよう! 昨日『亭主』にお姫様抱っこされたんだって?」
クラスメイトからの言葉に、やはり今日は学校を休めば良かったと後悔した水鳥であった。