ゆっくりと上昇する感情 コンパスが設立され、アークエンジェルにも、それぞれの部署に新たに人員が配属された。そんな新しいクルー達に、マリューは艦長として気を配る日々が続く。
そんな今日も、マードックに檄を飛ばされている新人技術士官達や整備兵達に声を掛けて、格納庫を後にしようとしていた。
その時、ふと見上げたキャットウォークで、オーブ軍からの出向でアークエンジェルに配属になった、三名の女性パイロット達にムウが取り囲まれている様子が目に入った。
いや。よく見れば、その女性達の外側には、同じく配属になったばかりの男性パイロット達もいる。配属されたパイロット達が、モビルスーツ隊の隊長でもあるムウに、色々と質問をしているのだろうという事は、マリュー自身、よく分かっていた。だが……何とも言えない気持ちが、心の奥底で渦巻いている事実に、マリューは小さくため息を吐きながらエレベーターのボタンを押した。
「バッカみたい……」
やって来たエレベーターに乗り込んだマリューは、そうポツリと呟きながら、居住区階のボタンを押す。
ゆっくりと閉じられる扉を見つめながら、この歳になって、まさかこんな感情を抱くなんて……と思いながら、手にしていたタブレットをギュッと抱きしめた。部屋に戻ったらコーヒーでも飲んで、この感情を飲み込んでしまおう……そう思っていると、動き出したばかりのエレベーターがゆっくりと停止する。
居住区階に到着するには、まだ早いと思い顔を上げると、開いた扉から見慣れた広い背中がチラリと見えた。
扉の向こうには、先程格納庫から見上げた時と同じ光景が広がっていた。配属されたばかりのパイロット達に囲まれる自分のパートナーの姿が。
「あっ……お疲れ様です、艦長!」
その中で、一番ムウの近くにいた女性パイロットが、いち早くマリューの存在に気付き綺麗な敬礼をすると、周囲のパイロット達も一斉に敬礼をする。その新人たちにマリューも敬礼を返すと、一瞬ピリッとした空気が流れた。そんな空気と、背中から感じるよく見知った雰囲気に気付いたムウが、振り返りながら「おっ、マ……ラミアス艦長。お疲れ様」と笑みを浮かべた。
「お疲れ様です、フラガ大佐」
咄嗟にいつものような笑みを浮かべたマリューに、ムウは片眉をピクリと動かすと、再びパイロット達の方に向き直る。
「じゃあ、十四時から部隊ごとの訓練を開始するからな。全員、遅れるなよ」
ムウが、自分を取り囲んでいるパイロット達にそう声を掛けると、一斉に「ハイッ!」という声が響く。マリューはその様子を、扉を開けるボタンを押したまま優しい眼差しで見つめていた。
「すまん。待たせたな」
「いいえ」
新人パイロット達に見送られるようにしてエレベーターに乗り込んできたムウは、そう言いながら、さも当たり前のようにマリューの腰に手を回す。
「ちょっ、ム……フラガ大佐っ」
扉が閉まる直前に、ムウに抱き寄せられる形になったマリューは、思わず抗議の声を上げようとした。が、その声は、エレベーターの扉が閉まる音が聞こえた直後、ムウの唇によって唐突に塞がれる。
「んっ……」
エレベーターが浮上するふわりとした感覚に、ムウから与えられる柔らかな優しさが重なり、マリューは重力下にいながら無重力空間に放り出されたような浮遊感に包まれ、思わず右手でムウの制服を握りしめた。
宇宙空間を航行中のように足元がおぼつかなない感覚を、マリューが溺れるように受け入れれば、先程まで胸の中に蠢いていた感情が、溶けて消えていくように思えた。
上昇していたエレベーターがゆっくりと止まると同時に、マリューはようやく浮遊感から解放される。ムウが離れた唇がモノ欲しげに開いたまま、マリューは目の前のムウを見上げた。
「あ、あのっ……フ、フラガ大佐っ! こ……こんな、ところで……」
開いた扉から居住区の廊下が見え、マリューは揺蕩う意識を必死に掻き集めて、ムウに抗議をしようとした。しかし、マリューを抱き寄せたムウは、そのまま身体を反転させてマリューをエレベーターの角に追い詰めるようにして囲い込むと、扉解放のスイッチを押す。
「だってマリューさん……あの新人パイロット達に嫉妬してたでしょ?」
「えっ」
扉が解放され、動きを止めたエレベーターの中でのムウからの指摘に、マリューは驚きの声を上げる。
自分は、いつも通りに笑えていたはずだと思っていたが、その心の中に生まれた小さな棘をムウに見透かされていた事に、続く言葉を失う。
「あ、あの……それは……」
俯きながらモゴモゴと言い淀むマリューに、ムウは「違わないだろ?」と笑みを浮かべると、掬い上げるように再び唇を重ねる。
「ん……んんっ……」
鼻から抜けるマリューの甘い吐息が、エレベーターの壁にほのかに響き始め、ムウはようやくマリューを解放する。
「ちょ、ちょっと! 誰かに見られたら、どうするんですか?」
はぁはぁと甘い吐息を零すマリューの唇を、するりと指で撫でたムウは、眉尻を下げて情けない笑みを浮かべた。
「ん〜? いや、俺は見られてもイイって思ってるけど?」
いけしゃあしゃあと宣うムウに、マリューは「はぁ?」と顔を紅潮させる。
「だってさぁ〜、実は俺も……ちょっと嫉妬してたんだよねぇ〜」
「えっ? ど、どういう事……?」
思わぬムウの告白に、怒りと快感でふわふわしていたマリューの意識が、一気に現実に引き戻される。そんなマリューの上気した頬に手を添えながら、ムウは「だってマリューも、新人整備兵達に囲まれてたでしょ? アレ、ちょっとムッとした」と口をへの字に曲げて問い詰める。
「あ、それは……新人さん達と挨拶を交わしてただけで……」
ムウの言い分に、困ったようにマリューが反論すると、間髪入れずに「だから、マリューが欲しくなった。マリューは俺のパートナーだって、確認したくなったの」と、笑みを浮かべた。
真正面からそう告げられて、マリューは嫉妬していたのは自分だけじゃなかった事に心の中で安堵する。
「私だって……ムウが若い女の子達に囲まれてるのを見たら……気分良くありません」
少しだけ目を逸らしてそう告げると、ムウは「俺だって、同じだぜ。だから、もう一度……」と、クククッと喉の奥で笑うと、三度マリューの唇を塞いだ。
「士官用の食堂はこっちだからな……あっ!」
新人ブリッジクルーを連れて歩いていたノイマンは、廊下を曲がった先のエレベーターの中に、青い制服の上官の姿を見つけ、思わず立ち止まった。いきなり自分達の上官が立ち止まった事に驚いたキリシマとユリーは、不思議そうに「どうされましたか? ノイマン大尉?」と訊ねる。
「あ……いや、ちょっと、な」
はぁ〜と、苦笑混じりのため息を吐いたノイマンに、新人二人は首を傾げる。が、そんなノイマンの肩越しに見えたものに、ユリーは小さく「きゃあ」と恥ずかしいようで嬉しいような悲鳴を上げた。遅れてキリシマも、エレベーターの中の事の顛末に気付き、気まずい笑みをノイマンに向ける。
「あ〜、まぁ……時々、こういう事に遭遇するだろうが……あまり騒ぎ立てるなよ」
苦笑を浮かべたままのノイマンに、ユリーが興味津々といった表情で「艦長とフラガ大佐には手出し無用って事ですね?」と、訊ねる。
そんなユリーからの質問に、ノイマンは「ま、そういう事だ」と言うと「とりあえず反対側のエレベーターで移動しよう」と、その場を離れた。
これ以上、自分の上官達のラブラブな姿を見せつけられるのも癪に障るなと思いながら。
その翌日から、ムウやマリューに必要以上に接触しないという暗黙の了解が、配属された新人たちの間に徹底周知されたのは言うまでもないだろう。