ひとつのオレンジ 一部 顔をあげると、間近にモクマの目とかちあう。上目でなく、おなじ目の高さ。確実にチェズレイの姿を捉えている。笑ってもいない。激情を秘めているとも思えない、見たことのないモクマの表情。
気もそぞろだったとは言え、急なこの距離にチェズレイは胸をつかまれ動けない。モクマの表情の意味を解析しようとしても頭が働かない。一番近いのは「どしたの」と聞いてくるときのモクマ。
表情の裏がわからないなど詐欺師の名に恥じる。
モクマは手さえつかず、チェズレイを見すえたまま下方から顔だけ近づいた。チェズレイはその先がわかる。ただわかるだけで、理解は追いついていなかった。
ただ追い立てられるよう動くがまま、チェズレイは自分からも首を前に倒す。
ほんの少しの角度でそのまま唇同士がたどりつく。
ただのやわらかい湿度のあるものがふれてきているだけ。時間にしては一瞬のはずが、感覚がとぎすまされて長い時間に感じる。
やわらかさが一瞬だけ離れ、また口の端へ薄く押しつけられる。
モクマの呼気から柑橘の香りと熱がつたわってきた。鼻ではなく口から息をしている。チェズレイがつられて口をあけると、ひらいた上唇をモクマの唇でとらえられ、やわやわと食まれる。
モクマはふれるときは目を閉じ、唇を動かすときだけ目を細くあけていた。チェズレイの唇あたりを見つめている。その様子をチェズレイはずっと見つめていた。モクマのくぼんだ眼孔に、リビングのライトが影をつくる。お互いの鼻の下で唇は見えない。ただ感覚だけでふれあっている。
こんなキスをするのか、とやっと追いついてくる。
モクマとキスをしている。
その実感とともに、熱が沸き立つ。これまで何度も感じていた身体の奥底の熱。いつも沸きたつ前にモクマに片付けられてくすぶっていた熱。一気にチェズレイの体中をめぐった。