朝焼けが世界を変えた(まもいる) 目覚めてすぐに鼓膜を揺らしたのは潮騒。聞きなれない音に護の意識は一瞬にして浮上した。大きく開けられていた窓から吹き込む朝の風で揺れるカーテン、その隙間に零れるまだ温度の低い太陽光。
慣れないベッドというのはそれがどんなに寝心地が良かったとしても眠れないものである。時計を見ればまだ朝の四時過ぎ。同じ部屋で寝ている他のメンバーはまだ夢の中のようだった。
ここは沖縄、シャークハウス。D4会議を終えて、メンバー全員がここにお世話になっていた。昨日の宴会は遅くまで続いたらしい。勿論未成年である夜鳴のメンバーと信乃は早々に宴会場を追い出されて部屋に帰らされたものの、それで大人しく眠れるはずもなくカードゲームやらボードゲームやら、様々なゲームで眠気で全員の頭が揺れるまで楽しんだ。
ゆっくりと音をたてないようにしてベッドを抜け出す。部屋を出ようと掴んだドアノブが思ったよりも大きい音を立てた。慌てて振り返ってもノラが小さく寝がえりをうっただけで誰も目覚める様子はない。
昨日宴会が行われた大きなリビングにたどり着くと未だに酒瓶やつまみの乗っていた皿が残ったまま。水でも飲もうと向かった水場には先客がいた。
「おはよう、護くん」
ふわり、という擬音が似合うように微笑まれて心臓が跳ねる。
「あ、お、おはようございます、依留さん」
早いんだね、という依留の言葉になんだか目が冴えちゃってと返事を返す。水が飲みたいと告げる前に依留はコップに一杯、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを差し出してくれた。
「依留さんこそ早いんですね」
「うん、俺も目が冴えちゃって」
飲み干したコップの水を飲み干し、シンクで洗い流そうとしたところを依留にコップを奪われる。そのまま洗われて食器乾燥機の中へ。まるでお客さんのようで、いや正しく護はこのシャークハウスにおけるお客さんなのだけれども見事に世話を焼かれてしまいどうにも落ち着かない。
「どうする?もう一度寝なおす?寝られないなら少し付き合って欲しいんだけど」
くふふ、と蠱惑的に依留は護に笑いかけた。
***
玄関の扉を開けた瞬間に大きくなった波の音。高知の海とは違うエメラルドグリーンの海は潮の香りがしない。朝の海の散歩に行こうと依留に誘われて歩く海岸線。低いところにある太陽はまだ夏の灼熱の暑さは連れてこない。夜の紫と太陽のオレンジが交じり合った世界は静かで、ありきたりな言葉で言うのならば『まるで世界に二人きりみたい』だった。
「朝の海って好きなんだよね、だから沖縄以外の人たちにも見せたくて」
酷く楽し気に語る依留の横顔をじっと眺めた。きめ細やかな白い肌、少し癖のある艶やかな紫がかる黒髪、それから海の色を反射して揺らぐ美しいアメジストの瞳。
天が人を作り上げたとしたのならば、この人は殊更に丁寧に作り上げたのだろう。そうとしか思えないほどに整った美しい容姿。
「綺麗だな」
護が思わず口に出した言葉に依留が満足そうに頷く。
「うん、綺麗だよね。朝の海」
「そうじゃなくて依留さんが」
え、と固まった依留の顔を見て護は我に返る。もしかして思いっきり恥ずかしいことを言ってしまったのではないだろうかと思ったところで口に出した言葉はもう撤回できない。
「えっと、ありがとう……一応、色々、気を付けてるし……」
ふいと背けられた横顔は耳まで赤い。つられて真っ赤になった護は急いで取り繕うための言葉を探す。
「えっと、やっぱモデルさんだな?って。でもモデルさんって綺麗なだけじゃダメなんですよね。ほら、ウォーキング?とか、そういう……」
「あー……えっと、ウォーキング、そうだね。ウォーキングは大事。俺たちのお仕事は服を一番綺麗に見せることだから。一番綺麗に見せる歩き方をしないと服に失礼だからね」
「なんかそういうのって凄いっすよね。例えば、今着てる服ならどう歩くんですか?」
「くふ、こんな部屋着みたいな服に難しい注文をするね」
ゆったりとしたジャージにも似たズボン。黒のタンクトップの上に羽織られた少しオーバーサイズの夏物のカーディガン。
「そうだね、この服ならダボっとした感じを強調するように風を大きく受けられるように歩くかな」
身体に纏う空気まで変えて、その場に立ち止まった護を置いて依留は海沿いを歩く。足取りはしっかりしているというのにどこか風のように体重を感じさせない歩き方。
人を見た目で判断してはいけません。人は見た目がすべてではありません。それは誰もがいうことで、何度も教えられてきたことだ。
好きなタイプは優しい子、見た目よりも性格重視。それは護が昔から答えきた言葉だ。
それでもそんな理屈を超えて好きにならざるを得ない美しさがあると知ってしまった。波の音に合わせるように締め付けられる甘い心臓の痛みは確かに恋だった。
前を颯爽と歩いていた依留がくるりと振り向いて護の足元を指さす。
「護君!足元!カニ!」
見下ろした足元を駆け抜けていく一匹のカニ。それに驚いて踏み出した右足は砂に取られてバランスを崩す。そのまま波打ち際の水にべしゃんと尻もちをついて転んだ護を見て、依留がお腹を抱えながら笑い転げた。その姿に護は目を細める。眩しいのは決して昇り始めた太陽のせいではないのだ。破裂するくらいにきゅうきゅうと締め付ける心臓のせいで息さえもできない。
好きになった人は、お人形のような整った容姿からは想像もできないくらいによく大声で笑う人でした。