一言で言うなら調子に乗った。つい夢中になって、はしゃぎ過ぎてしまったと言える。
「頭が……痛いです……」
いつもより遅く起きたリシテアは不調を訴えた。半ば予想していたフェリクスは驚きもせず、侍女達によって療養体制に入っていく彼女を眺めていた。
ファーガスでの最初の冬──。
昨日まで形を見せていた石畳の道は、一晩であっという間に白く埋まり、窓には雪の結晶が映り込んだ。冬の訪れと冷気は一度にやってきた。
「わあぁ! 雪が積もってますね!」
温暖なレスター出身のリシテアは目を輝かせて、本場の雪を堪能しようと試みるのは、ごく自然なこと。内務の合間を縫っては外を眺めたり、出かけたりしていた。
そして、ここしばらくは大雪が降りに降り積もり、外出禁止の籠城する羽目になってしまっていた。
「ここまで雪が積もると、何処にも出掛けられませんね……」
「遭難したら助からん。お前は特に」
「怖いこと言わないでください!」
そんな会話をしたのは昨日のこと。馬を走らせるのも困難な中では遠出は厳禁! 緊急の要件がなければ、城に籠っているのが最良の時。雪を舐めてはいけない。
そんな日が初めてのリシテアは早々に内務を終わらせると、予定が変更になって居城しているフェリクスを誘いに行った。……城のすぐ側での雪遊びを。
「まずは、雪だるま作りですか!」
「あんまり大きくするなよ」
しっかり防寒して雪玉を転がして、雪像紛いの雪だるまを作る羽目になったのを皮切りに雪遊びを楽しんでいった。
──辺り一面の銀世界、太陽の光と雪原が織りなす絶景。凍えそうなほどの冷気、冷たい雪の感触、足を進ませるとギュッと音を鳴らして付く足跡。
絵本で見た雪だるま、雪うさぎ、ついでにして雪原の犬ぞり。かまくらは作れなかったものの、どれもこれもリシテアには嬉しい楽しい思い出の一ページ。初めての愉悦は彼女を存分に生き生きさせて、充実な一時となった!
そして……お約束の結果になった。
「ううぅ……頭が……痛いです」
「熱が出たからな」
「……体も痛い……です」
「あれだけ動き回って、転んでればな」
ベットの上で仰向けで嘆くリシテアは、熱と節々の痛みに呻いていた。そんな彼女の様子を見つつ、フェリクスは側の小さな机で苦手な書類作業をしていた。
「ううぅ……自分の体が忌々しいです……」
「疲労による発熱だそうだな。お前、なかなか帰ろうとしなかっただろ」
「だ、だって、憧れてた雪の世界なんですよ! ついつい、はしゃいでしまいますよ」
「そうか?」
雪遊びに夢中になっていたリシテアを不思議そうに眺めていたフェリクスは、憧れの銀世界と言われてもピンとこない。雪国育ちはそんなもんである。
初めてのファーガスの冬と冬籠り中での雪体験……といっても城のそばで、子どもがするような遊びなのだが、レスター育ちのリシテアは夢中になって楽しんだ。それはもう、子どものように夢中になって飲食も忘れて! 休憩してもすぐ遊びに興じていたほど。
……その結果、元々体力がなく、丈夫ではない体は疲労で悲鳴を上げてしまうことになった。
「休んでおけ」
「はい。……ところで、犬ぞりレースがあると聞きました」
「それはもっと北の方でやる」
「自由参加と聞きました!」
「お前、何回落ちていた……。出るなら相応の訓練が必要だ」
しょんぼりとわかる態度で、リシテアは残念そうにする。どうやら、従者の計らいで乗ってみた犬ぞりが気に入ったようだ。バランスが取れず、何度も落ちては犬に囲まれていたが、持ち前の天才スキルで上達は早かったので、何度か練習すればイケそうには思えるが……。
「距離が長いらしいからな。体力勝負になる」
「うっ……そうですか……」
「遊び程度ならまたできるだろ。見に行くくらいにしておけ」
「そうですね、走っている犬達も可愛いですよね!」
体調不良のわりには意気揚々と語っていくリシテアは元気そうだった。当人は寝込むのは慣れているようだ。フェリクスとしては早めに休んでほしいのだが、感情豊かに話に興じている彼女を妨げる気は起きなかった。
「そういえば、雪合戦しないのですか? ……わたしとはしてくれませんでしたね」
「お前じゃ相手にならない」
「むっ! 甘く見ないでください!」
「見ていない。ただ……加減ができるかわからん」
ゾクリとリシテアの身体に悪寒が走る。彼が嘘を吐いていないからこその本気の配慮だろう、と察せれるが、雪遊びにしては戦場の気配がする……。
「ゆ、雪合戦……ですよね?」
「ああ」
「怪我をするほどのものなのですか?」
「怪我? いや、雪玉に当たったら死ぬだろ」
「死ぬ?!」
「怪我なら安い方だな。怪力の雪玉なんて避けるか盾で塞がないと無理だ。あいつと対峙する時は命懸けだ……命中率が低かったから良かったが、紋章の力が発動した時は死を覚悟した」
想像の雪合戦とは随分違うようだ……雪合戦で生死を彷徨うのは遠慮したい。
リシテアは知らないだろうが、雪玉は工夫すれば十分な凶器になる。怪力の持ち主の手によるギュギュッと圧縮した雪玉での雪合戦は、まさに戦闘演習と言っても過言ではないだろう。
「わ、わたしの知ってる雪合戦ではないようですね……」
「そうか? お前なら石や氷は入れないし、連投しないようにするが」
「さらっと怖いこと言わないでください!」
雪玉に石や氷を入れて投げるのはやめましょう! 絶対駄目です!
突っ込んだ際に、くしゅんと咳とくしゃみが出てリシテアは咽せる。ぶるると体を震えさせながらベッドに潜る。
「大人しくしてろ」
「はい……あんた、書類仕事できるんですか?」
「慣れだ。今は籠城中だから急ぐものもない」
「そうですね」
初めてのファーガスの冬、大雪による冬籠り、雪国での病床……どれもリシテアには初めての体験。風邪を引いてしまう不甲斐無さを感じつつも、勉強ばかりしていた人生の中で遊びに夢中になったのは感慨深かった。
それが、まさか異国の地で……事実は小説より奇なり、とはよく言ったものとしみじみ思う。
「雪って……けっこう静かなんですね」
「音を遮断させるからな」
「雨音と違うんですね」
「降っても音がしないからな」
雪は静寂を齎す。静かにゆっくりと積もり、全てを白で覆い尽くす。
熱で苦しいはずなのに、今日のリシテアもどこか愉しげに見えた。窓の外の風で揺れ落ちる雪模様を見つめて、頬を緩ませる姿はフェリクスには理解できずにいた。
「何が楽しい?」
「楽しそうでしたか? そうですね……わたしは雪も冬籠りも初めてですから真新しく感じます。買ったばかりの本を読むようで!」
「意外と飽きずにいるな」
「まだ飽きるほど触れていませんよ。それに、此処の冬用の防寒具はとても暖かいですし、意外と寒くないですよ」
「そりゃあ───…死ぬからな」
突然、死生観の話になった!?
淡々と言いのけるフェリクスにリシテアは驚くが、彼にとってはごく普通の感覚なのだろう……。
冬の寒さを凌げる施設や道具を揃えておくのは何の不思議もない。ファーガスだからこそ防寒性は高く、熱を逃さない設計になっているのは、生命の危険を伴っているということなのだろう。
「あっ! じ、じゃあ……寒いですし、一緒に寝ませんか?」
「しない。他にやることがある」
「っ!? 冬籠りの中なら少ないじゃないですか!」
「お前、風邪引いてるだろ。それに除雪作業もしたいからな」
素気無く断られて、ガクッと肩を下ろすリシテア。まあ、フェリクスはこんな人だ……昼間から寝るようなタイプではないし、病床のリシテアの休養を優先する。……乙女的イベントフラグとしては失格だが。
「あんた、好きですよね。除雪だか雪かきだか」
「鍛錬になるからな。放っておくと外にも出れん」
「そういえば、瓦礫拾いも得意でしたね。もうっ! 少しは気を回してください!」
「さっさと治した方が良いだろ」
乙女心は知られず、口を尖らせながらベッドに深く潜るしか術はない……。
フェリクスの言う通り、休んで治した方が良い。何をするにしても体調不良の時は不適切だ。
「……なら、わたしが寝るまでそばにいてくれます?」
「寝ないようにしなければな」
「し、しませんよ! ……昼はしませんよ」
何やら怪しいこと言っているが、元より落ち着くまでそばに居るつもりだったので異論はない。
「お前の気が済むまでいるつもりだ。休め」
「そ、そうですか! あんたにしては気が利きますね! ……でも、それなら一緒でも」
「何か言ったか?」
「い、いい、いいえ! き、今日のところはこのくらいにしておきます!」
何を言っているんだ……と思うが、すっかりリシテアの意図不明には慣れてしまったので気にしなかった。大人しくベッドで横になる様子を見ながら苦手な書類作業に精を出していった。
「……すみません、調子を崩して」
「最初の冬だ、いつかこういう日が来るのはわかってた。……雪遊びの後とは思ってなかったが」
「い、いいじゃないですか!? わたし、雪遊びしたことないんですから!」
「そうだな。──楽しんでるお前は悪くなかった」
緩んだ目で微笑まれる。フェリクスのわかりにくい中でのわかりやすい笑みを向けられて、リシテアの熱が急上昇する。頭や頬に熱が篭って、林檎のように赤く染まってしまう。
「熱が上がったか?」
「あ、あんたのせいです!」
「はあ?」
「も、もういいです! 休みます!」
なかなか寝ようとせず、お喋りをしたがってたリシテアは悶えながらシーツを被る。
そのまま暖かく包まれているうちに眠気が訪れたようで、穏やかな寝息を零していった。
「ようやく大人しくなったな」
雪が降り積もる中での静寂は、リシテアの吐息がよく聴こえた。小鳥の囀りのように話してるのも良いが、ただ静かに一緒にいる時もフェリクスは好ましく思っていた。
……白き雪の居城に彼女がいるのは、まだ違和感がある。されど、心地よい空間は出来上がっていた。
時々、咳き込むリシテアが気になって、結局フェリクスは寝室から出ずにいた。