再録3星の声
死ぬのは、それほど怖くありません。余命の宣告を受けたのは、運よく生き永らえた直後で、その時は地に足を付けているのが精一杯でした。死が全然怖くないわけではありませんが、定められた時を知って、受け入れる時間はあった。猶予は長くないけど、短くもない。すぐに果てるわけでないのなら……と、最初は安堵していました。
自分の残りの寿命は、苦労をした両親を安心させるために使うと決めました。目標が定まれば、後は一直線に向かえばいいですから単純です。振り返らずに向かえばいい。振り返る時間はわたしにはない。
時間は有限です──。限られた時間だからこそ、効率を重視しました。がむしゃらでも非効率だったら元も子もないです。
二つの紋章があるせいか魔道の素質はあったので、それらを重点的に勉強して、士官学校に入学して、誰にも負けないくらい頑張ってきました。……だけど、いつも焦ってました。早く大人になって安心させたい気持ちとは反対に、時の流れはゆっくりに感じてた。先生やみんなからは頑張り過ぎてるように見えるようで、よく心配してくれますが、どこか他人事に感じています。定まった命を労わる理由も見つかりません。
実は、安心していた。多くの人が犠牲になって、生き残ったわたしに刻限があることに。
ディミトリを見て……そう思っていたことに気付きました。亡者の声でしたか……似たようなものは、わたしも聞いたことがあります。幼い時はよく魘されましたが「いつかそっちに行く」と答えて、聞かない振りをするようになったら減りました。決められた死が待ち構えていたからできたことです。……ディミトリには、都合の良い言い訳がなかった。彼には余命の猶予がなくて、わたしにはある。沸いてくる憎悪と怨嗟の声を聞くにも期限があります。
性根が真面目なんでしょうか……殻に閉じ籠っても取り零さないように声を聴いて。はあ……考えるだけで気が滅入ります。わたしとディミトリが同じだなんて思っていないですけど、みんなよりは近いとひそかに思っています。
──エーデルガルトも似たような境遇だったんでしょうか。五年前にしたお茶会を度々思い出します。……もう少し、話しても良かったかもって。お茶くらいもっとしても良かったかもって。あの時から決めていたんでしょうか。それとも、もっと前に……もうわかりませんが。
不利な現状ですが、先生がいるから大丈夫だと信じています。心配している周りとは裏腹にわたしは彼が立ち上がり、力を得て、皆が慕うファーガス王となっていくと予見しています。ディミトリには輝く未来がありますから!
……やっぱり、わたしとは違う。ちょっとだけ似ているだけでした。
わたしには、明日がない。
§§§
いつだかの日。ガルグ=マクの夜空に大きな星の川が流れていた。
自室の窓からぼんやり眺めていたリシテアは、なんとなく外で見たくなって、部屋を出て食堂前の展望から眺めていた。釣り池にも星の川が映り、空の星々と合わさって幻想的な光景が出来上がっていた。魅入られたのか……白くなった息を吐いて、肌寒い夜でも飽きもせず眺めていた。
「星の海みたい」
博学な彼女は、本で得た知識を頼りに星座を探しそうとした。幾つか見つけた時に誰もいないはずの背後から声をかけられた。
「何をしている」
「ひぃっ!! ……き、急に驚かさないでください!」
突然の声に驚いて振り返ると、見知った人物だったのでホッと胸を撫で下ろす。リシテアの苦手なオバケではなかったが、心臓は飛び出しそうになっていた。
速くなった鼓動を鎮ませようと胸に手を当てて、声をかけてきたフェリクスに向き合う。
「後ろから急に声をかけないでください! びっくりしたじゃないですか!」
「普通に声をかけただけだが……。こんな夜更けに何をしている」
「フェリクスこそ、何をしていたんですか?」
外で星を見たかった、と正直に言うのは憚れたので質問に質問で返した。彼から苦言を言われたことは一度や二度ではないリシテアだったので、はぐらかしたかった。
「俺は偵察の帰りだ。部屋に戻ろうとした際に、ぼんやり眺めてるお前を見つけた」
「ああ、お疲れ様です。……そうですね。ぼんやり星を眺めていました」
「星など何処で見ても同じだろ」
「星の綺麗な夜でしたから。息抜きがてらです」
「わざわざ寒い夜に外で見ることもないだろ! また倒れられても困る」
思いの外、キツい口調で忠告するフェリクスにリシテアは驚いた。
声を荒げるほどでしょうか? と考えて、すぐに思い当たる出来事を見つけた。
「あんた、まだわたしが過労で倒れた時のことを言ってるんですか? 大袈裟ですよ」
「まだ五日も経っていないがな」
「だ、大丈夫です! ちゃんと時間を決めて休んでいます!」
「倒れる前も同じことを言っていた。俺は覚えている」
「そ、そんなこともありましたね……。今は睡眠時間を増やしましたので!」
「どうだか……お前も口ばかりだ。とっとと休め。遠征に支障が出たらどうする」
もっともな叱責を飛ばされて、リシテアの心臓がキュッと萎む。彼なりに体調を気遣ってくれているとは理解していた。不調で倒れたのは、つい先日のこと……フェリクスの言う通り、また体調を崩しては周りに影響が出てしまうし、心配させてしまうだろう。
「わかりました。部屋に戻ります」
「戻るついでだ。見張ってやる」
「……送ってくれるなら、ちゃんと言ってくれた方が嬉しいんですが」
送るも何も、リシテアの部屋は一階の温室の傍。心配は皆無なのだが、素っ気なくても放っておけない気質のフェリクスの心遣いをありがたく受け入れた。
ずっと此処にいても仕方ありませんし……と、心の中で呟いてからリシテアは呼吸を整えた。
星降る夜の下、共に歩き出す──。
「お前は……何を見ていたんだ」
階段を降りて釣り堀を通り過ぎた際、フェリクスは問いかけた。
「何って? 星ですが」
「嘘をつけ、星なんか見ていなかっただろ。──猪と同じ目をしていた。まるで、此処にいない奴の声を聞いているようだった」
見透かされたことを告げられて、リシテアは息を呑んだ。
──星を見ていた。けれど、見ていなかった。あの時のリシテアは近くなった死の声に耳を傾けていた。戦争が終わったら、平和になったら、両親が安心したら……全てが終わった先、自身が死に果てる未来を見つめていた。
「何を言っているんですか⁈ わたしとディミトリは違いますよ!」
「違っていても似ていた。俺の目を誤魔化せると思うな。ずっと奴を見てきた俺が、見間違えるはずがない」
「あんたには関係ないです! わたしは違いますから! わたしには、もう未来が……!?」
言い出しそうになった口を手で塞ぐ。──フェリクスは知らない。彼女の余命が残り短いことを知らずにいる。知られたくない、知ってほしくない! ……リシテアの中で激しい拒絶が蠢いた。
告げれば、自身の過去を問われるかもしれない。得体の知れない者に血の実験をされて、無理矢理施された二つの紋章を知られ、儚い未来しか残されてない真実を暴かれてしまう。何より、フェリクスとの関係が変わってしまうことを怖れた。知らないままでいてほしい。いつものように接してほしい。甘さ控えめのお菓子を一緒に食べて、他愛のないお喋りで花を咲かせたい。
当たり前になってしまった日常が壊れてしまうことに怯えた。
「……悪い」
「えっ? ……あっ、泣いてましたね」
リシテアの白い頬が濡れていた。予期せぬ涙を見て、フェリクスはキツく言い過ぎたと見当違いの反省をする。
「気付いてなかったのか?」
「はい……」
「言いたくないならいい。悪かった。まあ……俺はアイツらとは長い付き合いだ。猪とも頭が花畑の奴と騎士に憧れる大食いとも長い」
頬に付いた涙を拭き取りながら、リシテアはフェリクスの語気の弱い弁明に耳を傾ける。ハッキリした物言いのフェリクスが、言葉を選んでる姿は珍しくて知らず笑みが象られていった。
他愛ないこの時が大切だったと、ようやく気付いた。
「幼なじみ自慢ですか?」
「自慢になるか。……俺の周りにはおかしな連中が多い。皆、平穏な生き方をしていない。そういったのには慣れている」
「……あんたは、おかしくないんですか?」
「茶化すな。見縊られるのは腹が立つ。ぬるま湯に浸ってる奴と同じ扱いは御免だ」
「ああっ! もしかして慰めてますか?」
つい聞きたくなった疑問を発すると、フェリクスは苛立ちを滲ませて悪態をついた。その態度と反応で当たりだとわかる。
途端にリシテアの心は満たされていった。先程までの不安や恐怖は溶けて消えていく。
「ありがとうございます、フェリクス!」
「肯定した覚えはない」
「わたしが勝手に思ったからいいんです! おかげで気が楽になりましたから」
貴方の言う通り、見縊っていたかもしれない。フェリクスは余命を知ったくらいで、態度を変える人ではない。過去に何があっても、変に同情をする人でもない。
だから、いつか……勇気が出た時に未来の話をしてみたい。
「ちょっと待っていてください。準備期間がほしいので」
「いいだろう。長くは待たん」
「はあ……短気は嫌われますよ。寛容で器の広い方がモテるんですよ?」
「女にモテても鬱陶しい。そういったのは、年中花畑にいる奴に言え」
「相変わらず、酷い言いようですね。わたしにも声をかけてきたくらいですから否定しませんけど」
「…………」
目付きが鋭くなったフェリクスに気付かず、リシテアは空へと顔を上げる。さっきまで眺めていた夜空は、同じはずなのに違って見えていた。
「──綺麗ですね」
二人で眺めると夜空は煌めいて映った。フェリクスといれば、リシテアへの死の声は遠ざかり、先への希望が湧いてしまう。……それが幸か不幸か。先のことはわからないが、鬱々した気持ちは晴れていった。
「今度は一緒に見ますか?」
「星に興味はない。だが、考えといてやる」
「星空の中でのお茶会も楽しそうです。ぜひ試してみましょう!」
「太るぞ」
「へぇ……空に散りたいなんて変わった趣味ですね。手伝いますよ?」
禁句を言ってしまった相手へ魔法を浴びせたくなったリシテアは、微笑みながら睨みつけた。
星空の下での他愛もない、いつかの口約束。流れる星は願いを叶えてくれるだろうか──。