習作「徒桜」 城の離宮、その庭にある大きな桜の木。
ちょうど季節であるのか、満開に咲く花の花弁がひらりと舞い落ちる。
――また季節が巡ってしまった。
離宮の濡れ縁に腰を下ろし、花が散る様を眺めていた「彼女」が、ほうと一つ息をつく。
産まれたばかりの赤子を抱く彼女は、他の国から皇の兵によって連れ去られた貴族だった。そして自分の意に反して側室にされ子を産まされた、少なくとも彼女はそう思っていた。
穏やかな陽が差し込む床の上。さわさわと風が吹き、彼女の三つ編みに結われた長い黒髪が揺れる。腕の中にある、すやすやと眠る赤子のあたたかなぬくもりは彼女の悲哀とは別物だ。
この美しい春の景色は、彼女の身に何があろうとも無慈悲に巡ってくる。
庭の桜から思い起こされる常春の故郷の姿。
都の大路、遠くに連なる山脈、あの頃感じていた風の匂い。
記憶に薄い、城の自室から見えていた景色。それらが言葉となって、彼女の心からあふれる。
「――かえりたい」
もう帰れないと、分かっているのに。
例えここから逃げ出したところで、赤子を連れていてはすぐに連れ戻されてしまうことくらい理解している。
それに、連れ去られたとはいえ皇は産んだ子に愛情を注いでくれている。だから、つい絆されそうになってしまうのだ。
遠くで鳥の鳴く声がした。
静かな空気の中に響く足音。体躯の良い男が入って来て彼女の背後でひざまづく。彼もまた皇によって連れ去られた兵の一人で、彼女に近しい者であった。
「久しいですね、どうしたのですか」
振り向いた彼女に、絞り出すような声がこぼれる。
「国が滅亡しました。俺らの、国が」
「――――」
彼女の、赤子を抱いた腕が震えるのを見ながら彼は押し黙る。
ただ静かに、落ちる花びらだけが時を刻む。
「それで、……聖上は? 皆は……」
「皇は反乱軍の長に倒されたと」
「…………」
「それで、新しい国になったとか。名前は……確か、トゥスクル」
彼女と彼の間にふわりと花弁が落ちる。
切り取られ、終わりなく続く陽光の檻の中、彼らは帰る国を永遠に失った。