星空への梯子七月。タソガレドキ領内の笹は大量に刈り取られる。タソガレドキ恒例の七夕祭りのためである。
忍者隊は城下の祭りに参加する暇などもちろん無いわけだが、立派な竹は敷地内に飾り付けられていて、願い事の短冊を重そうにまとっている。紙なんか貴重品だから、この日のために買っておいた綺麗な紙を使う人もいれば、失敗書類の白い所や薄色の布の切れ端を使っている人もいる。みんな思い思いの願い事を書いている。妙に古びたものもある。誰かお古の褌、使ってないよな。
「尊奈門、お前はもう書いたのか」
「高坂さん。書きましたけどまだ付けてません。高坂さんは?」
「いの一番に、今日のために都合した紙に書いて吊るした。願いは勿論、組頭…」
「想像つくからもういいです」
「お前ちょっと失礼だぞ」
「いひゃいいひゃい」
高坂さんにほっぺたを伸ばされて思わず大きな声が出てしまう。気が付くと私たちを組頭と山本さんが見ていた。
「若い子たちが犬のようにじゃれあってるのっていいよねえ山本」
「何してるんだみっともない…と言いたい所ですが、こんな時くらいはね」
「必要な時に狼になれればそれでいいさ。…尊奈門。お前まだ手に短冊持って。早くつけないと願いが叶わないよ?」
「あっ、はいっ。…えへへ、欲張って出来るだけ高い所につけようと思って、踏み台探してたんです…」
「欲ねえ…今年こそ土井半助に勝ちたいとか、そんなもんでしょ。お願いよりまず動体視力上げなさい」
「…はい」
弱い所を意地悪く突かれて項垂れていたら、組頭がため息をつきながら私の頭をがしがしと荒っぽく撫でた。
「貸してみろ。私が背伸びすれば、お前が踏み台を使うより高い所に付けられる」
「組頭ぁ」
「組頭!またそのように尊奈門を甘やかしながら、本人がやるべき事を取り上げて」
「いーじゃないめんどくさい。お願い事、読んじゃうけどねムフッ。…なになに『私の大切な」
「くみがしらッ!」
「『…私の大切な人たちが、一人も欠けることなく、元気に生きられますように。また来年も一緒にいられますように』…確かにこれは欲張りだねぇ」
組頭が苦く笑う。強い風がさらさらとわずかに残った葉の音を鳴らす。
だって。仕方ないじゃないですか組頭。我が儘なんです私は。
今にも途切れそうな、あなたの呼吸を聞いて越えた夜。広範囲の火傷で汗がかけなくなり、高熱と吐き気と痙攣で苦しむあなたがやっと眠れた朝。そんなあなたを十歳から毎日見ていたら、トラウマもんです。命の重みにだって人一倍ナーバスになりますよ。
先輩や仲間を亡くしてその度に深く傷つきすぎて、自分には忍者の適性がないなとしみじみ思った。山本さんにそう言ったら、山本さんは私にゆっくり語り掛けてくれた。
『お前のような奴が組織には必要だ。組頭から良い所だけ学んで強くなれ』
「尊奈門」
組頭の大きな手が、短冊を結び付けて一瞬、私の肩に触れる。今日もちょっと熱い。
「…お前たちは死なないよ。私が守るから」
「え…」
「上に立つものは目下の者を守らなくてはいけない。私は山本を助けて亡くなった父上を尊敬している。私は父のように生きたい。そして私は山本たちの助命嘆願と尊奈門の看護で生き延びた命だ。恩義は返す。お前たちを守り通してから死ぬ。だから大丈夫だ」
あまりの事に、思わず何も言えなくなってしまった。いや違うでしょうそれ。でもどうして父を庇って組頭が死にかけたのか、その精神性を垣間見た気がした。
…組頭の大事な信念だ。反論しちゃいけない。でも嫌だ。甘ちゃんって言われてもいい。…私の父上は助かってから毎日、泣いておりましたよ…。
静まり返った空気の中、今度はシャラッと葉が鳴った。強い風が吹いたのかと思った。でも違った、山本さんが風の速さで動いて、組頭の左頬を平手で張り飛ばしていたのだった。
「…大馬鹿者が!貴方の死骸の上に生き延びて、私たちが自分を誇れるとお思いか!」
山本さんは怒りで震えていて、組頭は右目を丸くして山本さんを見ている。
「え、ちょっ、なにいきなり。ひどくないか?私、父上にもぶたれた事ないのに」
「あなたのお父上はあなたと同じ性格の方でしたからね!…だから二十歳かそこらの若造を庇って死んだりしたんですよ」
「あれはお前のせいじゃないよ。父上は成すべき事を成して立派に死んだ」
「そう…立派でしたね。十二歳のあなたを独り遺して死んで。私は山本家に貴方を引き取り育てながらも、雑渡様の面影に苦しんだのに」
どんどん深くにこやかになっていく、山本さんの笑顔が心底恐ろしい。気圧されて組頭が後ずさる。その襟首を剛腕で掴み上げて、山本さんは猫でも乗せるかのように膝に乗せてしまった。山本さんが組頭の尻をぽんぽんと軽く叩く。組頭は全身を突っ張ってフシャーとでも言いたげに抵抗する。本当に猫みたいだ。こんにゃもんだ。
「あなたはお父上の死に傷ついているだけです。…そんなことも分からないのか、昆」
「ふん。全く分からないね。こういう時だけ昆って呼ぶのは卑怯だよ」
「なら昔みたいに言い聞かせるまでだ」
「ぎゃん」
組頭の叫び声と、パァンという小気味いい音が七夕の夜に響く。
「それもう一発」
「ふぎゃん」
私は今、信じられないものを見ている。恐ろしいことに山本さんが組頭の尻を叩いている。これ「言い聞かせて」ない。おもいっきり体罰してます山本さん。
…うん、山本さんのスパルタへの反発でお父上を求めた面もあるのかもな…。山本さんはにこやかで一見知的だけど脳筋だからな…。
いつの間にか人が集まって、やんややんやと公開尻たたきを見ている。さすがに恥ずかしくなった組頭がどうにか逃げようとして、高坂さんに秒速で両手足を縛られる。
「申し訳ありません組頭。私の願い事と小頭の願い事は同じなのです。何を犠牲にしても組頭に生きていて欲しい…だから今日は黙ってぶたれて下さい」
「勝手な事いうな~ッ、私の命をどうしようと私の、ひぎゃっ」
「勝手なのはどちらですか」
「尊奈門んんんんん~助けてェェェェ」
組頭が私に向かって手を伸ばす。ひらりと短冊が私のほうに飛んで来た。
『今年も来年も、皆と美味い酒が飲めます様に』
……組頭も出来ることならば、自分を含めた平穏の日々を望んでいるのだ。ただ、どんなに望んでも誰かが死ぬのなら自分が、と思っているだけで。思っていたら口にしないと、朴念仁の烏帽子親子には伝わりませんよ。私は笑いを噛み殺しながら、組頭を助けにいくことにした。
見上げれば金、銀、真珠をばら撒いたような星空が広がる。手を伸ばせば届きそうな、夜の向こうへの梯子。
まだ連れていかないで下さい、今はまだ。
見たこともない組頭のお父上に、胸の中だけでそっと囁いた。
END