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    ogata

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    ogata

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    待ち相1で無配した話。
    ふるやくんがかざみの家に入り浸る、つきあってないところから始まる風降。

    ##風降

    Good night, boys「ここでお会いするのは珍しいですね」
    「ん? ああ、風見か」
     自動販売機の前にあるベンチに腰掛けていた。庁舎内で降谷を見かけたのは久しぶりだ。彼が手にした缶はまだ封が開いていない。
     風見がゼロの下について、十月ほどになる。彼との初対面は決して良いものではなかったが、業務上で接触や衝突を繰り返しながらも、時折雑談を交わす程度の仲にはなった。
    「コーヒーですか。自分も飲もう」
    「じゃあ、これをやるよ。買ったばかりだ」
     そう言って降谷は、黒に金で縁取られた小さな缶を風見に手渡した。
    「これ、ご自分で飲むつもりで買われたのでは」
    「眠気覚ましにな。でも、調子が優れない気がして、飲むのを躊躇っていたところだ。よかったら飲んでくれ」
     グレーのジャケットの上から腹を摩りながら、近づいた風見をちらりと見上げる。
    「では、降谷さんの分を改めて自分が買います。味噌汁なんかはどうでしょう」
     そういえば飲んだことなかったなと言う彼に応えて、自動販売機に入っている缶のしじみ汁を購入し、降谷の持つブラックコーヒーと交換した。確かにまだ温かい。
     ベンチが並列に置かれた廊下で降谷の斜め前に腰掛けてプルタブを引くと、ひんやりとした深夜の庁舎に薄い水蒸気がたちのぼった。 
     コーヒー缶を飲みながら、普段とは少し違う上司の様子を伺った。落ちくぼんだ眼窩に少しかさついた唇は、寝不足から来る軽い風邪を思わせる。
     体調管理ができていないことに、少しばつが悪いのだろう。彼は薄い溜息を吐いて、缶の味噌汁を口にした。
    「おいしいものだな」
    「お疲れなので、そう感じるのでしょう」
     今日は部屋に戻れるんですか、と声を掛けると、降谷は軽く首を横に振った。
    「ただでさえ多忙なのに、ゆっくり眠れないですね」
    「自分では、どこでも眠れるのが取り柄だと思っていたんだがなあ。どうも、最近眠りが浅いようで」
     彼はそう呟き、缶を呷って乾いた唇をぺろりと舐めた。
    「君は、眠れない時はどうしてる?」
     そう聞かれたことに、風見は少なからず驚いた。
     降谷が自分の弱味を開示して、意見を求めるのは珍しいことだ。大抵のことに関して、彼は他者の助けを必要としない。偶然にも彼の下で手足として働くことになった風見ですら、未だ彼の助けになっているとは言いがたい。
     よく切れる刃物のように光り、望まれた仕事を見ている人間が怯えるほど鮮やかにこなす。完全無欠に見えなくもない優秀な彼の頭脳には、眠れない時の対処に関する蘊蓄など、分別整理されて収納されているはずだろう。
    「自分はまあ、大抵三十秒で眠れますが」
    「だろうと思った」
    「参考にならず、申し訳ありませんね」
     ここ最近は風見も多忙による寝不足が続いていたため、冗談でもなんでもなく、布団に入ると僅か数秒で意識を失ってしまう。
     とはいえ、現在でも風見が省庁で徹夜することは多くない。職場と自宅の距離が近いのは、そのためといっても過言ではない。慣れ親しんだ自室のベッドで眠る、その時間が少しでも長いほうが自覚的な疲れは取れる。
     降谷の場合はむしろ、省庁に滞在することのほうが少ないという特殊任務が、鍛え上げた体すらも疲労させていると見えた。
    「そうは言ってもまあ、寝付きや夢見の悪い日もあります。寝る前に、波長の合う音楽を聴くと眠りやすい気はします。人肌は、正直あまりおすすめではありませんね」
    「君からそういう話題を振ってくるのは珍しいな」
    「何か問題でも」
     そう言って眼鏡の位置を上げ直すと、降谷は「いや、つまらないことを言った」と謝罪の弁を述べた。
    「真顔で謝らないでくださいよ。一緒に寝る人がいたこともあったというだけで、遊んでいるわけではありませんよ」
    「なんだ、残念だな。まあ確かに、体を休めるなら一人のほうが楽だよなあ」
    「別々で寝る方が合理的なんですが、そうもいかないですよね」
     飲み終えた缶を横に置き、うーんなどと言いながら腕と足を組んで考える振りをしているが、実のところ降谷は何も考えていないだろうし、それは風見も同様だ。頭を使わなくてもできる会話で互いの意図を把握し、距離を測っている。
    「ただでさえ、恋人相手なら寂しい思いをさせることが多くなるだろう。刑事なんかは危険だし、忙しいときは盆正月も関係なく帰れないしなあ」
    「まあそれが別れる原因になりがちなんですが、って、どうして自分が別れた原因をご存知なんですか」
    「僕が知らないと思うのか」
    「どこまで、と訊くのはやめておきますよ」
     は、と降谷が破顔したので風見は少し安堵した。張り詰めていた糸が解け、先程までと比べて心なしか顔色も良く見える。
    「はは、味噌汁を飲んで笑ったら、何だか元気がわいた。風見、ありがとう。そろそろ行くか」
     立ち上がり、降谷は風見が手にしていた缶も受け取って、二人分を自販機そばのゴミ箱に捨てた。
    「良かったです。あの、降谷さん、もしよろしければ、時々うちをホテル代わりに使いませんか」
    「えっ、君の部屋をか? どうして」
    「うち、ここから近いんです。客用布団もありますし、省庁に用のある時だけでもと」
     ポケットを探って合鍵を見せると「ええ?」と降谷はもう一度困惑して見せた。
    「以前から言おうかと思っていたんですが、今日は特にお疲れだったのでつい。自分も部屋をあけていることも多いですし、部屋のものは好きに使っていただいて構いませんので」
    「でも、君のプライベートスペースだろう。君が寛げない」
    「降谷さんのお疲れがとれるなら、その方が良いですから」
     受け取っていただけますか、とダメ押しすると、逡巡の後、降谷は目を逸らして「ありがとう」と合鍵を内ポケットに仕舞い、踵を返した。
     自室の鍵を渡したのは、彼の体調を慮ってのことだ。
     察庁の人間が、彼のように現場で動き回ること自体がイレギュラーなので、そもそも降谷は特殊な立ち位置にあった。
     警察学校時代の彼の仲間との伝説的な武勇伝の噂は、察庁だけでなく警視庁や近隣の所内でもまことしやかに流れていたが、話の中にある『降谷零』とは概ね完璧超人の類いであり、かつての風見にとっても一般人の範疇になかった。
     また、一警察官としての目から見ても『降谷零』は感情の汲み取りにくい人間だった。部下の世間話に耳を貸したり、テレビを見ながら部屋で晩酌をするようにも見えない。風見の知らない人間関係でならあるいは、違う顔が見られるのかもしれない。
     自販機前での邂逅で、普段の彼が垣間見られたような気がして、もっと見てみたい気がしたのは事実だった。
     

     一週間後の深夜二時半、マンションの扉の鍵が開く音に目を覚ました。
     その日、彼は軽くシャワーを浴びると、寝室には近寄らず、リビングで仮眠を取り、着替えてまた出かけたようだった。室内に入っていくつかの消耗品を使用したこと、恩義に報いたいことと、少し荷物を置かせて欲しいとのメールが入っていたので、置かれていた紙袋には触らなかった。
     その翌日も彼は深夜に、風見の部屋の扉を開いた。
     来るかもしれないと見計らって、朝にメモが置かれていたテーブルの上に「冷蔵庫に卵焼きと唐揚げ、炊飯器にメシあります。引き出しにインスタントの味噌汁が入っているので、宜しければどうぞ」と書いておいた。
     風見が目を覚ますと既に降谷は姿を消していたが、炊飯器の米飯が減り、食事の礼とともに冷蔵庫の常備菜が増やされていた。
     すると、それから彼は、ひと時の睡眠と、時々は食事を得るための時間を求めて、風見の私室へやってくるようになった。
     風見は、降谷からは警視庁内の公安部における業務を指示されるのみで、彼の業務の全てを把握しているわけではない。だが日々の動き方を見ていると、いくつかのセーフハウスを用意し、ホテル住まいなどもしながら、適時作業をしたり、仮眠をとったりしているようだった。どの滞在も長いものではなく、ホテル暮らしのように、所在を転々としているらしい。
     それでも風見の部屋の眠り心地は悪くなかったようで、降谷はしばらくして、風見の部屋のソファで眠ることにしたようだった。大抵はソファにそのまま転がって、降谷のために用意した水色の毛布にくるまっていた。
     家賃を出すと言われたが、互いに自分のことは自分でするスタンスだ。しかも、これまで部屋に泊めた同僚と違い、降谷は部屋を汚さない。さすがに安心したのか、最近は目覚めるとそこかしこに降谷の跡が残るようになったが、初日には、風見の他に人がいたことすらわからないほど痕跡が消されていた。
     さらに、どうやら料理が得意らしい上司は、食べてくれる人間がいる喜びを得て、やる気が出たらしい。実家から荷物が送られてきた時よりも、冷蔵庫の中身が充実してきた。日々の食事に彩りが生まれたことで、風見にも大いなる得があったので、金銭的な援助は辞退した。
     そういう生活をいくらか続けているうち、降谷は顔を合わせるたび、自販機前での邂逅時より顔色が良くなっていた。眠れているのかどうかは本人に聞かないとわからないが、どうやらよい循環ができたようだった。




     その日は春の嵐で、夜になっても止む気配がなかった。
     気密性の高いマンション設計のため、外部の音は漏れ聞こえにくい。それでも雨戸代わりのシャッターを叩く風には、おやすみ三秒ならぬ三十秒の風見の眠りを妨げるのにも十分の威力があった。
     我慢して目を閉じて風の音を聞いていると、小さな金属音とともに玄関扉が開き、激しい雨音とともに、いつもの訪問者がやってきたことを知った。
     首だけを回してベッドサイドの時計を確認する。深夜二時半。
     これまでの訪問には狸寝入りを決め込んでいたが、先ほどの雨音の音量から、おそらく傘をさしていても濡れたであろうことが伺えた。
     タオルの場所もドライヤーの場所も熟知している降谷を、わざわざ迎え入れて労う必要はない。けれど、ずぶ濡れであろう上司に寝ているふりをしているのもまた据わりが悪い。
     風見はベッドから起き上がり、彼を迎えるために立ち上がった。タンスから洗濯したバスタオルを取り出して寝室を出ると、曇りガラスから玄関でこちらに背を向けて座っている男の姿が見えた。
    「降谷さん、お疲れ様です。タオルを……」
     玄関の照明を灯すと、降谷が音をたてて立ち上がり、振り返った。
     これまで部屋の中で話し掛けたことはなかったから、驚いたのも無理はない。手にしていたバスタオルを差し出したが、彼は頭から玄関マットに雨水を滴らせたまま、こちらの動きを伺っている。
    「大丈夫ですか? これはまた、水も滴る、ですね。失礼しますよ」
     勝手に濡れた帽子を拝借すると、柔らかそうな金色の髪が水を含んで、褐色の肌にしっとりと張り付いていた。呆けたように黙っている降谷の頭の上にバスタオルをを乗せ、バサバサと拭いた。その間にも全身状態を目視で検分する。黒い薄手のパーカーは派手に損傷しているため、もう着られないだろう。下半身は黒っぽいデニム、こちらは汚れてはいるものの破れなどはない。
     不自然な沈黙はあるものの、無遠慮に世話を焼いても嫌がらない。潜入業務中に何かあったと推測はできるが、何があったか聞く職務上の権利もない。
    「風呂は沸いていますので、拭けたら中へどうぞ。風邪を引かないうちに」
    「……そうだな。実は靴の中まで雨水が浸みている」
     ようやく口を開くと、気怠げにスニーカーと靴下を脱ぎ始めた。
    「スリッパがあるので、よかったら降谷さん専用にしてください。随分汚れていますが、お怪我は」
    「風呂に入るのは問題ない」
    「どこですか、痛みは」
    「……背中と腕、軽い打撲と擦過傷だ。骨折はない」
    「わかりました。風呂をあがったら消毒しましょう。風呂の介助は要りますか」
    「そ、れは……必要ない」
     降谷は焦ったように、風見が下駄箱から用意したスリッパに足を挿れる。早歩きで風呂場に向かうと「大丈夫だから」と言って脱衣所の戸を閉めた。
     玄関の湿ったところを軽く拭きとると、キッチンで簡易ポットに水をいれて湯を沸かし、救急セットの中身を確認した。


     十五分ほどで湯気とともに降谷が風呂からあがってた降谷は、風見の部屋着を着ていた。
     いつも手持ちの洗濯物を紙袋に入れて、それを洗濯したりクリーニングに出したりしていたようだが、脱衣所に風見の部屋着と、未使用の下着を置いておいたら、素直にそれを着てくれたようだ。
    「着替え、助かった。君のものだから少し大きいけれど。僕が着ていたパーカーはもうダメだろうから、処分してくれるか」
    「承知しました。着ていなかったものなので、気にせず使ってください。お茶を用意したので、どうぞ」
     降谷は、礼を言うと、喉を鳴らして少し冷ましてあった煎茶を飲み干した。
    「今日は、傘をお忘れだったんですか?」
    「ああ……走ってきたんだ。夜中に起こしてすまなかった」
    「いえ、今日は自分も珍しく眠れなくて」
    「それでもバタバタしたから世話を掛けた。進行中の案件で調査していたら、少々諍いに巻き込まれてしまってね」
     降谷にしては珍しい失態だが、予測はしていた。
     ここ数日、彼は風見の部屋を主たる寝床にしているようだったが、風見が部屋で活動する時間帯には来ないようにしていた。外出中か眠っている時だけを見越して来訪するのは、風見のプライベートを尊重する意思の表れかのようにも思われたが、彼にとっての実利を兼ねているのだと、改めて確信を得た。
    「危険なことをされているようですが、お一人で動いていらっしゃるのですか」
     揶揄を絡めたことに、さすがに降谷も気づくだろうと思う。せっかく顔色が良くなってきたことを密かに喜んでいたのに、都合良く動けるようになったことで怪我をされたのでは部屋を提供した甲斐がないし、怪我の原因を作ったとなれば元も子もない。
    「すまなかったな。上には報告を入れている。ただ逐一というわけでもない。風見も、全部は報告してないだろう」
    「過不足なく報告しています」
    「君の報告書にはいつも感心する。僕の意図が正しく伝わって何よりだ」
    「恐れ入ります」
     つまり、降谷の意図を汲み取った報告書を作るのは、風見の得意とするところなのだった。書類仕事はつまらないが、不得意ではない。
     計算高い報告書を作成する降谷の理性的な狡猾さは、意図せず風見にも備わっているものだった。類似点を認めたからこそ反発も抱いたし、今では好感も持っている。
    「降谷さん、落ち着いたら、ちゃんと背中見せてくださいね」
     返答に詰まった降谷が、一歩後ずさるのを見て、風見は相手への威嚇を込めて笑顔を作る。
    「見せてもらえないと、報告書に書くことが増えそうな気がするので」
    「君、そんな顔ができたのか……。わかったよ。さっきのシャワーも結構きつかったんだ、手加減してくれ」
    「その様子だと、湯船にも肩まで浸かれなかったんじゃないですか」
    「腰までの半身浴にした。それでも十分暖まったよ」
    「それはますます、傷を見せていただく必要がありそうですね」
     降谷が「わかった、煮るなり焼くなり好きにしろ」と白旗を揚げたので、風見は、菩提達磨のような顔であぐらをかいた降谷の背後に回った。ソファに座り、降谷の上半身の部屋着の裾を捲って、肩甲骨の上までたくし上げて、背中を確認する。
    「うわっ」
    「え?」
    「降谷さん、痛みを感じにくい体質なんですか?」
    「そんなことはないと思うが」
    「背中と腕、打撲と擦過傷、間違いありません。随分派手に……。打撲のほうがひどいですね。軽く消毒しますよ」
     風見は、降谷の両肩を固定するように両手で掴み、降谷の左耳あたりで囁いた。
    「お体の負担もあるでしょうし、私の寝室に移動お願いします」
     降谷は「うあっ」と言って両手で左耳を覆うと、猫のように素早く飛び退いて、目の前にあったテーブルの向かいに回った。
    「み、耳元で話すな!」
    「すみません、もしかして、耳が弱いですか」
    「そういうわけではないんだが……別に、ここで十分だよ。ソファも大きいし」
    「いえ、ベッドのほうが絶対に寝心地がいいので、体も楽だと思います」
    「絶対?」
    「絶対です」
     超人かと思われた彼と仕事を始めて、その印象は人間へと近づいていった。睡眠を削って仕事に充てるのは、超人だからではなく、強い使命感があるからだ。気が張っている時はどんなに寝不足でも職務の遂行をきっちりこなすが、体力に限界がないわけではない。そのために体力の維持を怠らないし、食事にも気を配っている。
     風見の部屋で見る降谷の印象は、そんな降谷の側面ともまた異なるものだった。仕事の殻を脱いだ時、風見のひとつ年下だという年齢相応の青年らしい、もしかしたらそんな先入観より幼くも見えるような顔をする。
     さて、と風見はソファから立ち上がり、キッチンで温めたタオルなどを準備した。
    「寝室はこちらのリビングの奥の部屋ですが、降谷さん、入ったことは」
    「ここまで世話になっておいて言うことでもないが、一応これでもプライベートには触れないように考慮して……少しは覗いたが」
    「……盗聴器はつけていませんよね」
    「確認しただけだよ。念のためだ」
    「まあ、無理もないですがね。理解はします」
     二人は寝室に移動した。風見は、手にしていたものをナイトテーブルに置き、上掛けの羽毛布団を剥いで四つに畳んで部屋の端に寄せた。降谷が、念のために大きなバスタオルを敷こうというのでその通りにした。
    「さあどうぞ、上の服を脱いで、うつ伏せになってください」
     寝室は間接照明のため、ルームライトをつけてもリビングほどの明るさはない。これなら服を脱いでもらっても抵抗感は少ないだろう。
     降谷は、上に着ていたスウェットを脱いで畳むと、ガラステーブルの上に置いた。
    おずおずとベッドに寝転び、小さく感嘆の声をあげた。
    「これ……いいベッドだなあ、寝心地がいいし広いし。スプリングの強さも丁度良い。気持ちいい」
    「わかりました? 寝に帰るだけのような生活になりがちなので。奮発したんですよ」
    「ええ、ああ、わかる、これは……気持ちいい……眠ってしまいそうだ」
     風見はベッドの脇に腰掛け、今にも溶け出しそうな降谷に話しかけながら、背中の清拭を始めることにした。
    「降谷さん、眠れないと仰っていましたが、その後はどうなんですか」
     傷に異物などがないか確認しながら、ホットタオルで軽く拭いていく。傷の範囲は広いが、消毒して冷やせば大事になることもないだろう。
    「君に合鍵を渡された時は、何の冗談か、もしくは罠なのかとも思ったんだけど」
    「そんなに警戒されていたんですか」
    「職業柄というのもあるけれど、もしもがないとは限らない」
    「そうですね。逡巡されるのは無理もないと思いましたし」
     簡単に部下との半同居に頷くような人間とも思えなかった。もちろん出過ぎたことだっただろうとは思っていたので、彼が部屋に来るのが早いか、必要なくなったからと合鍵を返されるのが早いか、どちらが先かと想像していたのだ。
    「申し訳ないが、君の性的指向はあらかじめ情報を得ていた。恋愛感情という可能性は排除していたし、ストーカーなどに繋がるとも思えない。とはいえ、調査は調査にすぎない。君が裏を持つ人間でないと思うのは、あくまで君を信頼している僕の予断だ」
     信頼、という言葉に心が踊ると、降谷が「あ、いっ……」と声をあげた。
    「力、強い……、もう少し……やさしく、してくれないか」
    「あ、すみません。気をつけます」
    「すまない、ちょっと、痛くて」
     とはいえ、と、降谷は続ける。
    「あの時は、休めるところを提供してもらえるのはありがたかった。だから、自分の目で判断させてもらおうと思ったんだ。折角の申し出を、無碍に断るのもなと思って……君もあまり不用意に人を部屋にあげな、結局、邪魔している僕が、言うのも……何だけれど……あ、あ……」
     風見が、消毒液をぐいと背中に押しつけたので、降谷が頬を横に向け、顔を顰めて耐えている。
     降谷の話を聞きながら、風見は今まさに、気づいていた。
    「痛い、風見」
     降谷が涙目で振り返る。
     風見は、降谷のことを、非常に強い、もしくは我慢強い人間だと思っていた。
     だが、当然、一般的な人間と同じ痛みがある。《上司》の仮面をとった降谷は、痛いとかしんどいとか、弱音を素直に口に出すのだ。風見にも部下がいるからわかる。彼らの前で弱音を吐くのは、なかなか勇気がいる。すべからく矜持を保ちたいという、あさましい願いがあることを否定はできない。
     風見の価値観に照らせば、そのあさましさをまっとうにさらけ出せる人間は強い。
     だからこそ、彼が身悶える姿を見られることに、悦んでしまう。
     しかも、その姿に、どうしてだか。
    「風見、痛いって」
     興奮する。
     愕然としながら、冗談半分、疑い半分の声で降谷が問いかけてくる。
    「君、もしかして嗜虐癖があるのか」
    「いえ、そんなことは……ないんですけど……」
    「何故言葉を濁すんだ」
    「もしかして、自分が知らなかっただけですかね?」
    「僕に聞くな。え、本当なのか?」
    「違います、本当にそんなつもりはなかったんです」
    「風見、その台詞は、どう聞いても、言い訳に聞こえる」
     とはいえ、降谷の風見への信頼はまだ揺らいでいないようだ。
     「本気か」と冗談めかして笑いながら、背中をどこにも当てないように気をつけつつ、ベッドの脇に座っている風見を足蹴にしようとしてくる。風見はその攻撃を「やめてくださいよ」と躱しながら、足をバタバタさせる降谷の足を封じ込め、再度うつ伏せにさせてから、形の良い尻の上に座り込んだ。
    「この体勢が一番よさそうですね。患者から攻撃されにくい」
    「動けない。脅威を感じる」
     尻が触れ合うのは気恥ずかしいが、寝技だと思えばそれほどでもない。
    「動かないでください。終わるまでの辛抱ですよ。スプリングもありますし、そんなに重くはないでしょう」
     冗談でも「そんな顔をするあなたの所為です」などと言ったら、我ながら本当に犯罪者の言い分だなとげんなりする。
     それでも今は彼の怪我の消毒が先だと、思い直して脱脂綿に消毒薬を含ませた。
    「でもまあ……君の部屋にいると、よく眠れる気がするよ。初めのうちは緊張していたけど、君、起きていても話しかけないでいてくれるし」
    「まあ、体を休めに来られているんですしね。あまり気を遣われるより、放っておかれるほうが休まるかと」
    「楽だなあって思ったよ。適度に放っておいてくれて、丁度良い具合に気を遣ってくれて。居心地よくて、つい毎日のように通ってしまった」
    「降谷さん、本庁に用のない日も来られていましたよね」
    「ばれていたか。君の厚意に寄りかかってしまったな。こんな傷の手当てまでさせて」
    「それはいいんですよ。自分から言い出したことですし……あなたの、こんなに弱っている姿は、なかなか見られませんしね」
    「またそういうことを言う……痛い、痛いからやめろ。興奮するな」
    「傷の深いところはこれで終わりです。もう少しの辛抱ですよ。正直に言って、あの日も結構弱っていたでしょう」
    「わかるか……あ、」
    「わかりますよ。顔色も声音も、いつものあなたではありませんでした。だから、合鍵なんか渡してしまったんですよ」
    「……ん、まあ、そうだな……だから、あの、合鍵を……受け取って、しまった……」
     痛々しげな傷に過ごしずつ消毒液を押し当てていくと、普段は絶対に聞けないような、悩ましく掠れた声が、降谷の口から漏れ聞こえて、反射的に反応しそうになるのをぐっと堪える。
     本当にそんなつもりはなかったのに、と恨めしい気持ちで、引き締まった腰を見つめた。
    「降谷さん、終わりです」
     うつ伏せていた降谷が、涙目でうっそりと振り返る。
     その表情に色気を感じたことは、気のせいということにした。降谷の手を引いて体を起こし、打撲の部分には冷湿布をして、念のために包帯で上半身を保護した。
    「ありがとう。君、器用だよな」
    「降谷さんもこのくらいできるでしょう。さあもう、降谷さんはこのままベッドで寝てください。自分がソファで寝ますので」
     そう言って風見が道具を纏めて床に下ろし、立ち上がろうとしたところで「待て」と腕を引かれ、そのままベッドに二人で倒れ込んだ。
    「ちょっと、無茶はやめてください。怪我人が」
    「いてて……いや、このベッド、広いから二人くらい寝られそうだと思って」
    「いや、でも、降谷さんの怪我が心配ですよ。それに、以前、よく眠るなら人肌はおすすめしないと言ったでしょう」
    「でも、僕は風見がいると思うと、よく眠れるんだよ」
    「…………? どうしてですか」
    「それはわからないけれど、安心するんだろうな」
     わからないのか、と溜息がこぼれた。
     風見は逡巡の後、意を決して口を開いた。
    「でも、正直自分は今日、これまで開ける気のなかった扉を開いた気がするんで……」
    「えっ……あ、や、痛、いたたたた」
     彼の両腕を捻り上げて、ぐいと身体を押し倒すと、降谷は苦悶の表情を浮かべた。
    「あなたが、自分の部屋に逃げれば安心だと思ってくれたことが本当に嬉しかったんです。ただ、我ながらどうも自分が安全ではない気がして……」
    「風見、やめろ」
     本調子でない降谷の静止に、風見ははっとして手を離した。いよいよ重症の予感がする。
     慌てる風見に、降谷は背中をかばいながら姿勢を変えて、ゆったりとした口調で話し始めた。
    「なあ、それ……、本当に嗜虐かどうか、考えてみろ」
    「え?」
    「いや、僕は、マイノリティな性癖の人間とも面識があるんだ。そういう生業の人とも話す機会がある、ということだが。風見のそれは違う気がする」
    「そ、そうですか? 違うんですかね」
     降谷に言われると、途端に違う気がしてくるから不思議だと思う。彼の言葉には強さがあるのでつい納得してしまうところがあるのだ。
    「ああ。だって君、これまでそういうことに悩んだことがなかったんだろう。映画も、スプラッタは苦手だし、柔道でも怪我した相手と戦うのは嫌うだろう」
     確かにそうだ。元々、痛そうなのは苦手なほうなのだ。性欲の話で言えば、これまでに優しすぎる、もっと酷くして欲しいと言われたことも、あったような気がする。
    「それでな。君には言ったことがないだろうけど、実は僕は他人の性欲を煽るのが、どちらかというと得意なんだ。多少危険は伴うが、そういう任務に就くこともある。まあ、僕の場合は大抵の人間よりは近接戦に自信があるから」
    「え?」
    「怪我をしたのは不確定要素だったんだがな。そのうち君の真意を知りたいと思っていたら、今日は君が話しかけてくれたから、少し、その」
     横向きに転がっている降谷をもう一度うつ伏せにさせて、両手と両足をベッドに縫い止めた。
    「騙しましたね」
    「いや、騙したと言うか、ちょっと知りたかっただけで……悪かった、悪かったよ。やっぱり君は僕が思った通りの人間だったと、え?」
     おとなしくなった降谷の両腕から手を離し、背中の怪我を避けるようにして、風見は降谷を正面から抱きしめた。
    「やめてください……本当に、困っていたんです」
     降谷の種明かしがあってから、ほっとして一気に気が緩み、風見は降谷の体を労るように包み込んだ。
    「そういうことなら納得できます。あなたのハニートラップの威力を知りました。でも、もうやらないでくださいね」
     どうして彼のことを、こんなに抱いてみたいと思うのかと、今後のことを考えて恐ろしくなったことも、騙されたと知って傷つかなかったことも、風見の偽りない本音である。けれどもしいそれが降谷の意図するところであったのなら、騙されたとしても納得できた。
    「ああ、よかった……」
     このまま彼を傷つけようとするのかと、脅威を感じたのも事実だった。
    「なあ、風見」
    「はい」
    「まだ、僕を抱いてみたいと思っているか」
    「大丈夫です。切り替えます」
    「その切り替え、ちょっとだけ待ってくれないかな」
     胸をなで下ろし、抱きしめた手を離そうとした風見の背中に、降谷の腕が回った。
    「えっ……?」
     降谷の両腕の力が、少し強くなった。
     少年のように麗しい瞳を輝かせて風見を見つめてから、降谷は風見の首元に軽いキスをした。
    「本当は、僕が君とこのベッドで寝てみたいんだ」
     そのたった一言で、降谷はこともなげにあれほど怯えた彼への性欲を駆り立てる。
     どうして、と問いかける唇を、降谷の薄い唇で塞がれた。
    「人肌はおすすめしないと言ったな」
    「本当に疲れている時は、ですよ」
    「だけど、やっぱり、好きな人と肌を触れあわせるのは、癒やされるだろう。気持ちがほぐれれば、体もそれに応えてくれる」
    「あの、降谷さん」
    「ん?」
     体にぴったりと張り付いた降谷が、少し低い位置から風見を見上げてくる。
    「抱いても構いませんか?」
     降谷はただ風見の首元に頭を埋めて、それに応えた。
                                                    

                              


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