微睡みの星灯り。 (那レン)長い長い一日が終わる。
今日の仕事はスケジュールがタイトだったこともあり、それもなかなか骨が折れる内容ばかりで気が付けば夜も更けていた。家に辿り着いた頃には日付けも変わっていて誰もいない部屋に重たい足取りで帰宅して、適当に荷物を廊下に置いてからそのままバスルームへと足を運ぶ。パウダールームで乱雑に衣類を籠に落として浴室へと移動しシャワーを頭から浴びれば、この身に溜まった疲労による怠さも全てが水滴に溶けて流れていくような気がして、一つゆっくりと息を吐いてからコックを捻りシャワーを止めた。
時間も時間だからと軽めに入浴を済ませてからバスルームを後にして、途中で置き去りにした荷物からスマホを取り出し通知チェックをしながら髪を拭う。ある程度返信等を返してからテーブルに置き、軽くバスローブを纏ったまま明日のオフは何をしようか、などと返信を行いながら注いだ水の入ったグラスを片手に思案していると軽快な音楽が鳴り始めた。それと共にブブ、とテーブルの上で響く小さなバイブレーションの音に腕を伸ばし手にしたスマホの画面を見れば、まさかの人物からの電話に急いで通話をタップする。
『もしもし、レンくん?』
途端に明るく軽やかな声が自身の名を呼び、心做しか胸の内があたたかくなる。
「やぁ、シノミー。こんな夜更けにどうしたんだい?」
今日はロケの関係で実家に帰省しているはずだろう?と問い掛ければ、「さっきまで撮影していましたよぉ〜」といつもの穏やかな口調に自然と口元が弛んでくるのが自分でも分かる。
『今日泊まっているコテージの僕の部屋、天蓋に窓が付いていて空が見えるんです。たくさんの星が瞬いていて……眺めてたら、レンくんの声が聞きたくなっちゃって』
詳しく話を聞いていると、どうやらご実家の部屋は使えなかったらしく、スタッフさんと共に近場のコテージに泊まっているらしい。この時期の北海道は一足先に訪れた秋の気配に空気がとても澄んでいて、夜空はそれはそれは見応えのあるものだと聞いてはいたが、その星空を見てオレを思い出してくれるなんて。とても光栄なことで誇らしくも、でも、どことなく面映い気持ちになる。
「嬉しいことを言ってくれるね。オレもシノミーの声が聞きたかったんだ」
『わぁ、そうなんですか? ふふっ、想いが通じ合っちゃいましたね』
「はは、そうだね」
柔らかな笑い声に先程までの気怠さが嘘のように軽くなり、己の単純さに小さく苦笑が溢れそうになったものの電子の向こう側にいる相手の存在が偉大なのだと思い直す。折角の電話に野暮なリアクションで水をさす訳にはいかないからね。
それから今日の収録での出来事や近況の報告、次のレッスンの予定とか他愛もない話をこちらも空を見上げながら話していると、電子音越しに空気の燻る気配を感じる。どうやらシノミーが欠伸をしたようだ。
「眠くなってきたかい?」
『ぅん……レンくんは、ねますか……?』
「そうだね、シノミーの寝息を子守唄に寝ようかな」
なんて、冗談混じりに答えながらグラスを片して寝室へと向かう。部屋に入って直ぐの所に置いてあるラックにバスローブを掛けてベッドの上へと寝転んだ辺りで再び空気の燻る気配を感じて、スマホを耳に当てれば吐息を多く含んだ声がオレの名をまた柔く呼ぶ。
『レンくん……』
「なんだい、シノミー」
少し甘さを残した声色があまりに愛おしくて、自分でも分かるくらい穏やかな声で呼び返していたことに驚いてしまう。こんな感情がオレにもあったんだな、と多少感心しつつも小さく緩やかに繰り返される呼吸音に目を閉じて耳を傾けていると、ぽそぽそと何が聞こえた。
「シノミー?」
『ぎゅぅって……します、ね……』
そう言って微かなベッドの軋む音と衣擦れの音が響き、ぎゅぎゅ、と何かが締まるような音に彼が懸命を"オレ"を抱き締めようと布団の上の何かに腕を回しているのが安易に想像できた。
『ずっと、ぎゅぅ……』
微睡んだ声音でそう呟くと、程なくしてゆっくりとした寝息が聞こえきて彼が寝落ちたことを悟る。
窓から差込む微かな月明かりとキミの寝息に、本当に抱き締められているような感覚が身体を満たしていく。
「……ああ、ずっと抱き締めていて」
俺の心も体も、全部。全部、シノミーのものだから。
「愛しているよ。おやすみ、シノミー」
ちゅ、とスマホの画面に口付けを落としてから画面をタップし、瞼を閉じる。
夢の中でも大好きなキミといられますように。
そう願いを込めて、ゆっくりと優しい闇へこの身を委ねた。