初恋を返して 大変なことになった。イデアが部室に入るなりそう言い放ったのを、アズールは深刻には受け止めなかった。イデアは普段から大袈裟な表現を好んで使っているせいで、アズールはいつもの誇張表現だと思うのは自然である。ああ悲しき現代のオオカミ少年。5,000兆円欲しい。
「いやマジだからこれ本当にやばいんだってアズール氏!なぜならリドル氏が絡んでいるから!」
第一声には視線を少し寄越しただけのアズールが、リドルの名を聞いてやっと体をイデアに向けた。
「リドルさん?また流行りに疎いリドルさんをからかって怒らせたんでしょう。自業自得です」
優秀だが普通の少年なら知っているような俗世のあれこれを知らないリドルを、好き嫌いはともかく世の中の動きには詳しいイデアがネットスラングで煽って怒らせるのはよくあることだった。
「そうだけど、そうだけど……今回はちょっとだいぶ相当アレっていうか」
「僕には関係ありません」
対価を支払ってもらえれば話は別だが、自己責任がモットーのオクタヴィネル寮の長であるアズールは基本的に助けてはくれない。
「関係あるっていうか……」
イデアの一言でアズールの顔色が変わった。自分が関わっているとなれば前提が変わってくる。アズールは青い目の底が抜けたような恐ろしい深みでイデアを射抜く。
「は?どういうことですか!詳細を教えてください」
「ひぇ怖……アズ怖……」
「イデアさん?」
遊んでるんじゃないんだと眼力で理解させると、イデアはやっと説明し始めた。
「ハイ!結論から申しますと!リドル氏の初恋を盗んでしまったってわけ」
ボドゲ部やイグニハイド寮でよく耳にするする有名アニメのセリフを思わせる口ぶりに、アズールはイデアの胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「詳しくって言いましたよね?」
「あああすみませっ!先月さあ、アズール氏が罰ゲームでコスプレしたよね」
「非常に不本意ながら」
マジカルライフゲームで最下位になったアズールは何故か部室に保管されていたアニメキャラのコスプレ衣装を着る羽目になった。
「で、やるなら完璧にやろうってメイクも衣装も完璧にしてスタジオまで借りて機材と魔法を駆使して写真撮りまくって調子に乗ってコスプレ写真集まで作ったじゃない?不本意とか言いながらノリノリだったよねアズール氏さぁ」
喋ってるうちに当日の盛り上がりを思い出したのか、楽しそうに語るイデアは余計なことまで喋ってしまう。
「……写真集は初耳ですが」
「あああああ〜〜口が滑った」
真っ青になって慌てるイデアにアズールに落ち着いてくださいとマウントを取り上下関係を優位にする。これは別にいまする必要はないが商談のせいで染み付いた癖だ。
「写真集のことは後ほど。でそれがどうしたんです?」
イデアのノリに付き合ってると日が暮れそうなので話題を取捨選択して進行させる。アズールはおそらく司会も出来るだろう。
「実はその写真集、うっかりリドル氏に取り上げられちゃって」
しかしながらアズール冷静でいられるのはここまでだった。借りを作らず他人の弱みを握って商売をしている男が、自分の弱みになりうる女装写真集を他寮の寮長が手にしている。想像を遥かに超える最悪の事態にアズールは狼狽えた。
「ハ?……てことは見られたんですか!?僕のあんな恥ずかしい女装姿!!」
「凝視してましたわ」
「ンギィ!」
中国史ではおなじみの憤死しそうな顔でアズールは悲鳴をあげる。
「顔真っ赤だけどそれ怒ってるの恥ずか死んでるの?」
「両方ですが!?もう、なんてことしてくれたんですか!真面目なリドルさんに僕が女装癖のある変態で写真集まで作るナルシストだと思われたじゃないですか!」
全て誤解だが写真集がリドルの手の中にある以上、アズールはどんなレッテルを貼られるかわからない。これを盾にフロイドをどうにかしろと言ってくる可能性もある。フロイドの制御など出来るわけもないししたくもない。
「それは大丈夫。いや、大丈夫じゃないけど、変態だとは思われてないっていうか……」
「なんですハッキリ言ってください!」
「リドル氏はあれがアズール氏だとは気づいてないんだよね……」
まさかの展開にアズールは目を丸くする。
「え!?どうみても僕じゃないですか??」
化粧も施し銀色ロングヘアのウィッグ被ってはいるが、面相が変わるほどの変化はない。
「……なんていうか、普通に女性だと思ってる」
イデアが小出しに出してくる情報に振り回されたが、自分だと知られてないならまだ助かるとアズールはパァッと笑顔を浮かべた。
「ではそれで通しましょう!僕ってことは絶対に言わないでくださいね。イデアさんが責任を持って関わった人間全員に徹底させてください」
解決解決と一抜けようとしたアズールに、イデアは言いにくそうに言葉を続ける。
「ここからなんだよね大変なことっていうのは」
「まだ何かあるんです!?」
解決してないようでアズールはぬか喜びに肩を下ろした。次はいったいどんな情報が飛び出すのか。
「そのリドル氏がね、その、えーと、女性と思い込んだアズール氏に一目惚れしたんですわ」
「……は?」
想像の斜め上を行く展開に、一文字発声するのが精一杯だった。
「初恋を奪ったのは君ってわけ」
「さっきも聞きましたけどそれ……って、ハァァァアアア!?」
「いや、まああのアズール氏のコス完成度高すぎて写真だけみたら普通に美人コスプレイヤーにしか見えないからね」
「でも僕ですよ?リドルさんが恋をするなんてそんなことあるわけ……!」
ない、という否定の言葉は突如開け放たれた部室のドアの音にかき消された。
「イデア先輩!!」
大音量で名前を呼ばれたイデアはヒッと肩を竦ませる。
「リ、リドル氏……!」
「さあ早く教えてください!この女性は誰なのかを!お知り合いなんでしょう!?」
言いながら突きつけられたのはコスプレをしたアズールの写真集。眼前に黒歴史を掲げられ、今度はアズールがヒッと悲鳴をあげた。
「えーっと、相手の許可を得ずに勝手に教えられないんだよね。ほらストーカーとか怖いし?」
「僕がそんな卑劣な真似をするとでも!?」
「ヒィ〜怒らないでくれます!?」
イデアにのらりくらりとかわされ続けたのだろう。怒り心頭で興奮しきったリドルはズンズンとイデアに詰め寄った。
「じゃあイデア先輩立ち会いのもと会わせてください!直接会って聞きますから!心配なら彼女は複数人で来てくれてかまわないよ。必要なら僕もトレイやケイトとか、第三者を同伴させるし!」
リドルの提案に今度はイデアが憤慨する。
「なんで拙者が合コンみたいな真似しなきゃいけないんだよ。とにかくあっちに聞かないとなにも言えないから今日は帰ってくれ。僕たち部活するから!ね、アズール氏?」
サッとアズールの後ろに回り込みリドルへの盾にして、対応を丸投げしてくる。
突然振られたアズールは戸惑いながらもイデアの案に賛同した。
「え、あ……そ、そうですね。今日はもうこれ以上話は進みそうにありません。リドルさんも興奮されてる様子ですし、一旦お開ききして心を落ち着けては?」
第三者の助言に冷静さを取り戻すリドル。イデアと話しているとつい熱がこもってしまう。
「たしかに少し取り乱したね。僕としたことが……」
お騒がせしたと謝罪して回るリドルにいつもの彼らしさを感じアズールはホッとする。
帰り際、リドルは胸を押さえて想いを吐露する。ため息みたいに。
「ああ、でもこんな気持ちは初めてなんだ。彼女のことが知りたくて仕方がないよ」
憂いた表情と仕草にアズールはヒヤリとする。本気かもしれない。けれどそれをそのままにしてはいけない。
「リドルさん、気の迷いかもしれませんよ?一晩眠ればきっと勘違……」
「いいや、これは恋だよ!彼女のことを想うと胸がドキドキするし呼吸もままならないんだ!」
誘導しようとしたがリドルの剣幕に押されて震え上がってしまう。
「ひえぇ……」
「どうかしたのかいアズール」
リドルが熱くなればなるほどアズールは凍えるような気持ちになる。
「いえ、別に。ではリドルさんまた明日」
愛想笑いでなんとか取り繕って、親切ぶって扉を開けてリドルを廊下へと促した。
「え、ああまた明日ねアズール」
パタンとドアが閉められ部室が静かになったのも束の間、今度はアズールがイデアを責め立てた。
「どうしてくれるんですかーーーー!!!」
「次回、アズール氏二度目のコスプレ!バレずに合コン完遂できるか……の巻!」
「そんなに海に沈められたいんですか」
ジェイドとフロイドを呼ぼうとするアズールを必死で止めたイデアはそのまま縋り付いて訴える。
「待って!ゴメンて!!でももうそれしかないでしょ!?女装して合コンなり二人でデートなりして、リドル氏をボコボコに振るしかなくない!?」
「そんなの出来るわけないじゃないですか!声はどうするんです!?身長は!?写真だから誤魔化せたけど僕の体格はどうみても男性ですよ!?」
そう。あれは奇跡をみんなで作り上げて一瞬を切り取った写真。本物はリドルよりも背は高いし声はもうどうしたってアズール。ウィンターホリデーの時のフロイドのように声を変えられなくもないが、それだけクリアしたところで他にも問題は山積みだ。
「頑張って!」
「何をですか!?」
がんばりでなんとかなるなら努力家のアズールはとっくにしている。
「わかんないけど、頑張って!!慈悲の精神と稀代の努力でなんとかして!!」
「便利に使わないでくださいうちの寮の精神と僕の性格!」
「横にジェイド氏とフロイド氏を立たせたら相対的に小さく見えるのでは?」
「あの二人に女装を面白がられるに決まってるじゃないですか!」
言い合いは平行線。何かいい案が浮かぶこともなく、悪戯に体力を消耗するだけだった。
「ていうか、もしリドルさんと合コンなりデートなりすることになったらあなたも来てもらいますからね!」
「え、嫌だけど」
「引き摺ってでも連れていきますよ。肉塊になってもです」
「いやだっ、絶対いやだ!」
「あなたが写真集なんか出すからでしょう!」
「アズール氏がクオリティ爆上げするから、もったいなくなちゃってさぁフヒヒ本当にすみませんでした」
「悪いと思ってるならあなたの頭脳と悪ノリしたイグニハイド寮生の総力を持ってなんとかしてください!」
「いやでも冷静に考えて二択でしょ。諦めてことの真相を伝えるか、女装してリドル氏を会うか」
「無理ですよ……」
アズールの声が急にか細くなる。小さな変化に気づいたイデアがアズールを見ると、眉を下げて弱々しい顔をしていた。いつも強気のアズールらしからぬ、ずいぶんと頼りない表情にイデアの良心が少し痛む。
「だって僕ですよ?自分で言うのもなんですが、リドルさんは僕のことよくは思っていないでしょう」
「そんなことなー……くないか。まあ、普段の行いを考えればそうだね」
「騙して付き合って、もしバレたら。リドルさんは僕を許さないでしょう。必要ならば敵を増やすことも構いませんが、そうでないのなら現状維持がいいです。僕だって好きで嫌われてるわけじゃない」
最後の言葉はイデアの胸にチクチクと追い討ちをかける。そして誤魔化して逃げることはアズールもリドルも傷つけて自分達だけ助かろうとする行為だとやっと理解した。
「あー、その、ごめん。ちゃんと考えるから少し待ってくれる?あの写真が君だってバレないように、なんとかリドル氏に諦めさせる方法」
「僕も取り乱してすみませんでした。お願いします。協力できることであればします」
「おけ、じゃあ今日は解散……と言いたいとこだけどゲームしない?」
お通夜みたいな雰囲気を打ち消すように、イデアは提案する。
「いいですけど、大丈夫です?」
「リラックスしてる時の方がアイデアは浮かぶよ」
天才が言うには説得力があった。
「まあ、確かにそうですね」
ゲームを初めてしまえばいつのまにか熱中して、リドルのことはすっかり忘れてしまった。じゃあまた明日と笑顔で別れそれぞれ寮で思い思いに過ごし、今日も楽しかったと眠りについて翌朝を迎える。いつも通りのルーティーンをこなして登校し、廊下でハタっとイデアとアズールは顔を合わせた。
「おはようございますイデアさん。朝から生身のあなたと出会えるなんて珍しい」
「おはようアズール氏。朝から体力育成っすわ〜。だる」
「じゃあ僕たちのクラスと一緒ですね。ではホームルームの後で」
挨拶と少しの会話をして二人がホームルームに向かおうとしたとき、目の前を歩く人物に二人の頭にに稲妻が走る。これから進もうとしていた廊下の先をリドルが歩いていた。そして思い出す。いま自分たちが抱える大きな問題を。
無意識に景色に同化しようと動きを止める二人だが、イデアの燃える髪がそれを許さない。
「お、イデア先輩おはようございます。アズールもおはよう」
「お、おはよう」
「おはようございますリドルさん」
また昨日の話にならないよう挨拶にそこそこに切り上げ、そそくさとホームルームに向かう二人は無言で必死に足を動かした。一刻も早くリドルの視界から消えたい一心で。