尾形とおひねこ尾の精神が入れ替わってしまうはなし 二人とも珍しく予定のなかった休日、近くのスーパーにしばらくの食糧や日用品、惣菜などを買いに行った。家に帰るとちょうどお昼ご飯を食べる頃合いだった。せっかくの休日だからと昼間のうちからお酒を飲んで少し贅沢なランチを食べる。他愛のないことを話しながらついつい飲み過ぎてしまえば自然と眠気が訪れた。リビングのソファは猫たちに占拠されてしまっている。たまには、と二人で寝室に向かいまだ日の高い時間からベッドに潜りこんで眠りについた。
「……ん」
鯉登は何か腹に重みを感じて目を覚ました。一体なんだと思い寝ぼけ眼をこすりながら目を開けると腹の上には尾形がのしかかっていた。
「……尾形?」
こんなにも寝相が悪い奴だっただろうか。転がってきたにしてはすっぽりと鯉登の腹に収まっている。ともかくそれなりにがたいの良い成人男性が腹の上に乗っているのは苦しい。雑に肩を揺らして起きろと声をかけると尾形はゆっくりと目を開いた。
「起きたか。重いから退いてくr」
「にゃー」
「は?」
いつもの何を考えているのかわからない無表情のまま尾形は猫のように鳴いた。あまりに突拍子もない奇行に思わず素っ頓狂な声が出てしまった。なんだ? にゃー、とは。悪戯でもしている気なのだろうか。
「どうした尾形、寝ぼけているのか?」
「にゃー」
もう一度尾形は鳴き声をあげるとのっそりと起き上がり鯉登に顔を寄せてきた。思わぬ距離の近さにギョッとして固まっていると尾形はそのまますりすりと頬を鯉登の胸に擦りつける。甘えるように胸に顔を埋めると上目遣いにまた低い声でにゃあんと鳴いた。
「お、がた……」
ん? というように小首を傾げる尾形はどこかいつもよりも柔らかいというか、なんというか可愛い、感じがした。そろりと手を伸ばして頭を撫でてみると嬉しそうに目を細めて少しだけ口角を上げた。あまり見られないその表情や愛くるしい仕草に耐えられなくなった鯉登はついに叫んでしまった。
「むぜっ!!」
◆
尾形は肌寒さを感じ目を覚ました。しっかりと布団の中で寝たはずなのに外気にさらされ小さくくしゃみをする。意識が覚醒するにつれ尾形は徐々に自分の体の違和感に気がついた。妙によく聞こえる音、しかし耳の位置がおかしい。それに尻のあたりに何かあると感じた。
パッと目を開けると見えたのはリビングだ。おかしい、確かに寝室で寝ていたはずなのに。ここはソファの上に違いにない。寝転んだ姿勢にしてはいささか低い位置から見えているような気がする。
(鯉登…っ!)
あまりの異常事態に思わず恋人の名前を呼ぼうとしたが、口から出たのは。
「にゃー」
という可愛らしい鳴き声だった。は、なんで俺の口から猫の声が? 思わず口に手を当てるが、そのときに見えた自分の手にも驚いた。年相応の節くれだった大きな手が小さくて丸くてぷにぷにしたおててになっていたのだ。
「…なぁん…(う、そだろ)」
おそるおそる頭に手をあてるとふわふわした三角の耳に触れる。ぐっと振り向けば腰の辺りからしなやかな黒い尻尾が生えていた。間違いない、俺は猫になってしまった。だらだらと心の中で汗をかきながら焦っているとにゃおんと猫の鳴き声が聞こえた。声の方を振り向くと、愛猫のおとが心配そうな顔でこちらを見ていた。
「にゃあ…(おと…)」
「んにぃ!」
名前を呼ばれたことがわかったのかおとは嬉しそうな声をあげ近寄ってきた。ろくに動けないまま頭突きのような勢いでぶつかってくるとすりすりと頬を擦りつけ、尾形の頬をぺろぺろと舐めた。
な、なんだぁ…? 再び尾形はフリーズする。確かにおとは人懐こい猫であり、尾形にも鯉登にもよく甘えてくる。しかし、こんなにも擦り寄ってきただろうか、俺が猫だからだろうか。
「なぉん?」
少しだけ高い、まさに猫なで声といった声で甘い声でこちらに向かって鳴く。残念ながら猫にはなったものの猫の言葉はわからない。だが、おとは尾形のことを心配している様子だった。いつもよりも近くにあるその黒い瞳をじっと見ると自分の姿が映っていた。そして、尾形はようやく状況を理解した。これはただの猫ではない。もう一匹の飼い猫、ひゃくになってしまったのだ。
「にゃん、にぃ…(なん、だと…)」
いつもと様子が違うことが心配なのかなおもおとはペロペロとグールミングしてくる。この猫たちはつがいであるからおとの態度が甘えたなのも納得できる。
と、そこで尾形ははたと気づいた。俺が今ひゃくであるならば、本当のひゃくと俺の体はどうなっているんだ? 現状を踏まえると導き出される答えはひとつだ。尾形はバッとソファから飛びおり急いで寝室へと向かった。慣れない四足を懸命に動かし寝室のドアに飛びつく。何度かジャンプしてドアレバーを下ろす。ようやく隙間のあいた扉に体を滑り込ませた尾形の目に飛び込んできたのはとんでもない光景だった。
「よしよし、ほんのこてむぜね♡」
「にゃあ♡」
そこにはベッドのヘリに座った鯉登に膝枕をしてもらいながら優しく頭を撫でられている尾形の姿があった。俺には見せたことがないようなデレデレとした顔をし膝にのる男を存分に甘やかしているのが気に食わない。それになんだ、ひゃくのあの態度は。俺の体で鯉登に好き勝手しやがって……。俺だってまだ膝枕をしてもらったことはないのに、あのむちむちの太ももに顔を埋めるなんて許せねぇ……。
「ンぃッ!」
思わず出たひどい声にベッドの上の二人が気づきこちらを見た。
「ひゃく…? どうやって入ってきたんだ?」
今まで猫が勝手に入ってきたことはないからか鯉登は驚いた顔をした。ひゃくは至福の時間を邪魔されたことが不服なのか不機嫌そうに眉間に皺を寄せたが本当の自分の姿を見つけると目を見開いた。
「ふにゃあ!」
「お、尾形? 急にどうした」
「ゃ、んにゃあ!(それは俺じゃねぇ!)」
猫のひゃくと尾形が猫語で喧嘩し始めたことに狼狽える鯉登。一体どうしたと様子を見にきたおと。穏やかだった休日から一変、二人と二匹のとんでもない夜が始まった。