月光の審判さらさらと心地よい夜風が開け放たれた窓からそよいでいる。闇にかがやく月が天高く翳したのだから、普段ならそこの寝台でゆっくりと一日の疲れを癒しているはずなのだ。それなのに。
「……こひつじ君、審問の時間ですよ」
窓枠に腰掛けるその人は、異端審問官の衣装を身に纏い、愛用の杖と共にやってきた。
「え、は……?」
「おやおや、いつもの凛々しいお姿はどこへ?部屋着とはいえ、なんだかいつもより幼い気がします」
「こ、こんな時間に訪問しておいて……」
「フフ、そうでした。ねえ…この間のお話、覚えていますか?」
「……え!?えーっと……」
予想外の言葉が彼の口から飛び出してくる。いや、予想外の言葉はいつも聞いているのだがそれとは区分けそのものが違う気がした。自分の発した言葉に心当たりがないか必死で記憶を辿るが、当然そんなものはない。段々と彼の表情は曇り、それは悲しみに変わっていく。さっきまでの愉快な口振りから一転、落胆の滲む声音が部屋に響いた。
「……覚えていないのですか?」
「……すみません、あの時は少々酔っ払っていたみたいで」
かろうじて心当たりに相当しそうな話題を選び出すと、言い訳としても最低な言葉の羅列を彼に向かって浴びせてしまっていた。けれど記憶にないものはない。正直に白状してしまった方がお互いのためにも良いはずだと……選択肢を誤ってしまった。
「はぁ、あんなに情熱的に私を求めてくださったというのに。真に受けた私が馬鹿みたいじゃないですか」
「……は、え……?」
「君はね、私を抱きたくてたまらないらしいです。…自分の心に尋ねてみたらどうですか?」
じろりと鋭い視線が射抜き、言う通りに自問自答を素直に声に出してみた。
「えっ、と……たしかに美人で可愛くて目が離せなくて、ずっとお守りしたいとは思ってます、けど……僕、いったいこの人に何をしたんだ……?」
逡巡し、思考を巡らせる。あまり得意では無い分野だが目の前の人になにかしてしまったなら、誠心誠意謝るためにもきちんと思い出さなければならない。うんうんとその場で唸っていると諦めたように嘆息する彼から投げかけられる。
「これだけお膳立てして思い出せないなら……もう諦めますかね」
「ま、待ってください!絶対、絶対思い出しますから!」
「じゃあヒントだけあげましょう。生涯神の子である人間の唇を奪った日の話です。」
「唇……………あ。」
「思い出しましたか?」
「え、あれ、夢じゃな……っ」
動揺してぐらつく足を踏ん張り、よろめいた拍子に寝台に膝をぶつけて前のめりに倒れ込んだ。情けなさに顔を上げられずにいると、彼の声が降ってくる。
「しかも君ったら、私が戦闘中に使った技にヤキモチ妬くんですよ」
「ちなみに、なんのワザで」
顔をあげずに突っ伏したまま尋ねると、杖で顎を掬われて強引に上向かされる。
「お・は・だ・け……です」
神官がこんな妖艶な表情をしていいんだろうか。逆光でよく見えないはずなのに、強制されなくたってこの人に視線が収束していく……魅入って、しまう。
「さあ、思い出したのならショータイムです。君は、着替える時どこから服を脱ぎますか?私は……ここから」
いつの間にか履いていた靴は壁際に揃えられ、ほっそりとした足首が自らの手で降ろされていく靴下と法衣の隙間から覗く。脱いだ左の靴下は床にぱさりと投げ捨てられ、片方とはいえ素足を晒している。踝から流れる線の細い脚先、形のいい爪は切り揃えられ艶々と丁寧に磨かれているのを見て、心の中にいけない気持ちがふつふつと湧いてきた。
もう幾度もジョブ服のあられもない姿を見ているというのに、やはり聖職の服とは禁忌を感じやすくできているのかもしれない。何もしていないのに、悪いことをしている気分にさせられる。
「フフ、視線が熱すぎて蕩けちゃいそうですね」
─ああもうこの人は。でも悲しい顔にならないでよかった。自分がこの背信行為に耐えれば赦してくれるというなら、幾らでもその咎を負おう。
そんな事を考えている間に、右足も同じように素足になっている。水遊びでもするかのように窓際に立ってひらりとプリーツの細い中着を翻すと、膝の辺りまでが素足なことに気づいてしまった。生唾が勝手に喉を下りていき、心臓がひときわ大きな鼓動を打つ。
「テメノス、さん…下…ッはいてな」
「シー…お喋りしてる余裕があるんですか。まだまだこれからですので」
断罪の杖もまさかこんな如何わしい遣われ方をするだなんて思いもよらないだろう。柄を逆手に持ち、装飾部分にプリーツを引っ掛けると太腿までが一気に顕になる。白い太腿をさらけ出し、際どいところまで持ち上げられた裾がちらちらとその奥を想像させる。見えそうなのに、見えない。この人のそんなところが見たいのかと問われれば『わからない』。けれどその行為自体、他に取って代わる要素がないのは確かなようだった。
一旦裾を降ろすと、外套のフードを被って法衣を先に肌蹴ていく。ひとつひとつ、丁寧に外された留め金の最後のひとつが外れ、ぱらりと両側に開いたそれを肩から袖にかけて緩々と落とした。半端に引っかかっているのも構わず、ワンピース型の中着の脇腹あたりについている合わせ目を少しずつ開いてゆき、背中の留め具も器用に外すと、法衣と一緒にするすると降ろしていく。
目深に被された外套ひとつ身につけて、それ以外は彼自身の素肌で彩られた夜の窓辺。照らし出された満月が宗教画のような美しさを醸し出しているのに、自分はなんて不埒なんだろうか。下半身に猛る己を、もう抑えることが難しい。
「テメノスさん、僕は貴方を」
「…はい。その言葉、お待ちしてましたよ」
今宵結ばれるのだ。この女神のような、美しいひとと。
END