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    時間と世界を跳躍するトリッパーな女主と夏油の話。救済系。
    あの春の日、あの少女を死から救えたら、私の選択肢はまた変わってただろうか?
    前中後編のうちの前編。まとめた。

    ##夢術廻戦
    ##夏油傑

    雨の音がずっとしている。水があちこちにぶつかり、跳ねては地に落ちるて流れていく音が重なり合って響いている。今、世界のノイズはそれだけで、通り過ぎていく傘がいつもよりも人間の情報を減らしていた。今は何も見たくない。特に『普通の人間』を視界に入れたくなかった夏油にとって、この雨はほんの少しだけ救いだった。行く宛もない。そろそろ戻らなければ門限に間に合わないと分かっていても、どうしても足を元来た道の方へ向けられない。帰っても今は誰もいないのを知っている。出迎えてもらったところでなんになる。そう思う自分と、傘も差さずに馬鹿みたいに濡れて、どうするつもりだと自分が問いかけてくるのを聞こえないふりをした。夏油は俯いて毛先から雨が滴り落ちるのをそのままに、ただただ黙ってただ足を進める。止まることは出来ない。自分が決めた道を歩んでいる。でも行き先が分からない。救うこと。その対価に傷つくこと。見返りを求めているわけじゃない。でも、この世界はあまりにも──自分達に優しくない。
     ふと、前に人が立っていて足を止めた。
     避けようとした瞬間に、雨が止む。
     違う、頭の上に傘を差し出されたのだ。
     顔をあげると、見知らぬ女が立っていた。
    「泣いてるのかい?」
     そんなことを言われるとは思ってなかった夏油が目を瞬くと、女はゆるりと笑う。
    「だったらうちにおいで」
     その言葉になんて返事をしたのか分からない。
     ただ、気づいた時には傘を受け取っていた。
     女は夏油から見れば小柄だった。大抵の日本人は夏油から見れば小柄で弱いが、その時は女に殺されようがどうしようが、どうでも良いように感じていた。灰色の少し古びたマンションのエレベーターを上がり、女の背を追ってドアから中に足を踏み入れたところで、意識が落ちた。

     ふと、持ち上がった瞼に、全身に酷く熱が篭っているのをぼんやりとした頭で感じた。指先一つ動かすのが億劫だ。溺れているかのように体が重く、息が苦しい。人の気配がするのをかすんだ視界で見やる。小柄な人影が近づいてきていた。
    「辛そうだね」
     額に触れる指先がひやりとして、夏油は目を閉じる。警戒する気力もないが、警戒するにはその気配はあまりに優しかった。見知らぬ声の女が自分に向ける穏やかさに戸惑いながらも、それを振り払うことが出来ない。自分が弱っていることを自覚して、夏油は情けなくなる前に眠ることにした。今は何も考えられない。

     曖昧な目覚めを繰り返し、きちんと動けるようになったのは3日目のことだった。といっても、携帯の日付が3日経っていることを知らせていたので、3日経っていることが分かっただけだ。通知がたくさんきているが、後できちんと連絡することにする。熱で意識が朦朧としている間、女がずっとそばで夏油を見守っていたことは覚えている。仕事をしているのかは知らないが、そんなにつきっきりで世話をさせてしまったことに迷惑をかけたと夏油は思った。
     女のものらしいベッドから降りる。服は着替えさせられていて、バスローブ姿だった。夏油の制服は洗ってあり、きれいに畳んで置いてあったので、気配がないことを良いことに着替えてしまう。着替えながら部屋を見渡すと、ものの少ないシックな部屋だった。インテリアもスマートなデザインのものが多く、部屋から住んでいる人間の性別は推測できない印象だ。
     女を探してリビングを出る。一人暮らしにしては広い部屋に、夏油はリビングから一番遠い奥の部屋のドアをノックしてみた。
    「どうした?」
     ドアの向こうから声がしたのに、夏油はドアを開ける。その瞬間、溢れてきた煙にむせ込んだ。
    「ああ、こら。開けていいとは言ってないのに」
     出てきた女は夏油を押しやるようにして廊下に出るとドアを閉める。煙草だ。思い切り吸い込んでしまったために、涙が出るほど咳き込んだ夏油は、ようやく顔を上げた。
    「お目覚めだね。何か食べれそうかな?」
    「あ、いえ」
     反射的に遠慮をしかけた夏油が、思ったより空腹であることに気づいて腹を押さえると、女は笑った。
    「じゃあ食事にしよう」
     夏油の横を通り過ぎ、リビングを通ってキッチンへ行く女は、慣れた様子で、冷蔵庫から材料を取り出す。
    「おかゆも飽きただろう。でもご飯がいいかな?サムゲタンにでもしようか。タンパク質もとれるしね」
     女の後をついて回ってしまいそうで、夏油はキッチンに足を文言えれる前に足を止める。
    「てつだ」
    「いらないよ。そこに座ってなさい」
     言い切る前に断られてしまい、夏油は仕方なしにリビングの二人用のテーブルに向かうと椅子に腰掛けた。
    「あの」
    「ん?」
     鳥肉や材料を切ってしまい、鍋を用意した女に夏油は声をかける。まず言うべきことがあった。
    「ありがとうございました」
    「構わないよ。人助けの気分だった。まあそんなに熱を出されるとは思っていなかったけどね」
    「ご迷惑をおかけしてすみません」
    「いいさ。看病もはらはらして面白かったよ。初めてしたし」
     微妙に不謹慎なような返事が返ってくるが、女が何も気にした様子がないのが演技にも思えずに夏油は少しだけほっとする。
    「何かお礼を、」
    「要らないよ。未成年を連れ去って泊めたんだ。むしろ私のことは黙っておいてほしいね」
     女の見た目は年齢不詳だが、煙草を吸っているとなると一般的に考えて成人しているのだろう。鶏肉を焼く匂いがして、余計に空腹を感じた。
    「未成年……に見えますか」
    「あんな迷子みたいな顔をしてふらふらしているのは、子供だよ。でもあのへんは人通りが少ない。倒れる前に拾えて良かったよ」
    「…………」
     子供、と言われてざわつくほど、子供のつもりはなかったが、反感を覚えてしまったあたりを見ると、確かに子供なのだろう。ため息をついた夏油に、女は振り返る。
    「食べたら戻してあげよう。これも縁だ」
    「一人で帰れます。そこまでご迷惑をかけるわけには行きません」
     夏油の言葉に女は黙る。しばらくの静寂のあと、機嫌を損ねたか心配した夏油の前に、白い器に美味しそうに盛られたサムゲタンを置かれた。
    「断るならこれはお預けだ」
    「な…………」
     ごまと生姜のいい香りと、大きめに切られたねぎや鶏肉が美味しそうで、夏油はしばしの逡巡の上に頭を下げた。
    「よろしくお願いします」
    「よろしい」
     笑った女の顔を見上げ、夏油は箸を手に取る。
    「いただきます」
    「どうぞ召し上がれ」
     少し薄めに味付けされたサムゲタンは、沁みるようにおいしかった。柔らかい鳥肉も、旨味が出たスープも、シンプルな作り方をしていたが、食が進む。
     夏油の食べっぷりを見て女は、それならもう心配ないね、と笑った。
     食事を終えて、帰る道すがら連絡を取ろうと夏油は携帯を取り出す。
    「ああ、電話をかけるなら外に出てくれ。内容を聞く気がないからね」
     部屋の主がそう言うなら従わなければならないと、夏油は玄関に降りて、ドアに手をかける。ドアを押しあけ、足を踏み出した。
    「それじゃあ、さようなら」
    「え?」
     いつの間についてきていたのか、背後から聞こえた女の言葉に夏油は振り返る。その瞬間に、もうそこにドアはなかった。
    「…………え?」
     見覚えのある景色だった。マンションの廊下じゃない。
     前を向くと、目の前にあるのは呪術高専の校門だった。
     急に降り注ぎ始めた雨に、夏油は顔をあげる。
    「え…………?」
     一体どういうことだと混乱した頭で、夏油は手に持っていた携帯をふと見る。
     日付は3日前の、高専を逃げ出したあの雨の日ものになっていた。
    『戻してあげよう』
     女の言葉が脳裏をよぎる。自覚的な台詞だ。この状況はおそらく女の仕業に違いなかった。夏油はひとまず高専の寮へと戻ることにする。また風邪をひけばあの女に会えるのだろうか、なんて考えて、確証のない期待を振り払った。

     3日、時間を巻き戻したなんて話は誰にも出来なかった。風邪をひいて見知らぬ女に看病してもらったなんて話をしたら、五条も家入もどんな反応をするか、想像するだけでたまったものじゃない。それだけ情けないことをしたと自覚しているだけに、もう一度あの女に会って、なんらかの形で恩を返しておきたかった。ほとんど覚えてない道をもう一度歩き、途切れている自分の記憶に、雨に打たれてどうするつもりだったんだと自問自答しながらも、夏油は3日ほどかけて自分が通った道を見つけ出し、そしてあのマンションをようやく探し当てた。それからがまた長かった。2階より上だったことは覚えているが、その後はまったく覚えていない。片端からチャイムを押し、違うことを確認して回った夏油は、4階に登って3つめの部屋のチャイムを押したところで、声をかけられた。
    「何をしているんだい?」
     呆れた声は、あの時聞いた女の声だった。その姿を見た瞬間、ほっとした夏油に、チャイムを押した部屋のドアが開いて夏油は慌てる。
    「すみません。部屋を間違えました」
     何度目か分からない言葉を、自分の顔の良さを利用して申し訳なさそうにいえば、部屋から出てきた女は取り立てて責めることもなくまた引っ込んでいった。
    「こんにちは。会えた良かったです」
     にこり、と笑ってそう口を開けば、女も微笑む。初めてみる笑みにどきりとした夏油に、女は言った。
    「胡散臭い男だなお前は」
    「…………」
     割と顔の良さを利用しての交渉は外したことがないのだが、女の反応に夏油は沈黙してからおかしくなって思わず笑う。
    「手厳しいですね。これでも他人に好かれる方なんですが」
    「弱ったお前は可愛げを感じていたからしおらしくてた方がいい」
    「それだと君から情報を聞き出すことが出来ないだろ?」
     女の態度に、ならば取り繕う必要はないなと敬語をやめてみれば、女は唇の端を楽しげに吊り上げた。
    「なるほど、本当に私に会いたかったんだな。可愛いやつ。階下から一つ一つの部屋のチャイムを鳴らしていたのを見たぞ」
     言われて夏油は目を覆う。
    「見ていたなら言ってくれ。全く記憶になくて困っていたのに」
    「え?本当に全部鳴らしたのか?」
     驚いた女の反応に、見てたんじゃなかったのか!と内心で声を上げた夏油が、気恥ずかしさに片手で額を覆いながら女を見ると、女は思ったよりも揶揄うような表情はしていなかった。どちらかというと呆れた──仕方ない奴とでも言うような──表情で、その顔を見て夏油は手を下ろす。
    「流石に部屋に上げてっていうのはまずいか?」
     女の一人暮らしに、あの時とは違って体調の良い未成年の男が上がりこむのは気遣いが足りないような気がして夏油は女と視線を合わせる。
    「構わないよ。特に失うものを持っていない」
    「……私はそうは思わない」
     近くに喫茶店の類はなかったかと思い返した夏油に、女は笑った。
    「人の弱さをみかけで判断しない方がいい。そうだろ?夏油傑くん」
     名前を呼ばれて目を見張った夏油は、女が取り出したカードにその理由を理解した。
    「学生証……」
    「そう。私は君の本名を知っている。そして学生の君を退学にさせるようなあれこれを言いふらすことが出来るわけだ。確かに君は強いんだろうね。着替えさせた時に体つきを見たよ。でも私は強かだ。君に心配される理由はないよ」
     着替えをした記憶がないので着替えさせられたのだろうとは思うが、今はそんなことよりも聞きたいことがあった。
    「殺される、とは思わないのか?」
     この体格差だ。簡単だろう。彼女だって見上げる男相手に、煽るようなことを言ったときの最悪の事態を思いつかないはずがない。
    「思うよ。でも今の君は理性と善性を持っている。これから先の君のことは知らないけどね」
     あっさりと殺される可能性を考えている、と口にした彼女にも驚いたが、まるで夏油の悩みを見透かしたような口ぶりに、すぐに返す言葉を見つけられず夏油は女の顔をまじまじと見る。
    「と言うわけでコーヒーブレイクにしよう。君はブラックかな?」
     さっきの部屋の隣のドアに鍵を差し込み、女はドアを開ける。本当に見つけるまで全部の部屋を調べてしまった自分に気づいて、夏油は肩をすくめながら答えた。
    「ブラックで」


    「君の名前を教えてくれ」
    「嫌だよ」
     見慣れた室内に足を踏み入れ、テーブルについた夏油に、彼女は安いコーヒーメーカーに、見覚えのあるカフェのラベルがついた粉を入れる。
     問いかけた途端に即答で返ってきた言葉に夏油はなんとなく予想していたと苦笑した。表札がなかった。というか、郵便受けにも名前がなかったのでここは空室だと思っていた。
    「私の名前を知っているのに不公平じゃないか?」
    「君が信頼できる人間だと感じたら教えてあげるよ。夏油くん」
     不公平であることをわざと揶揄うように名前を呼ばれる。
    「信頼できるの定義は?」
    「私に愛していると言える人間、ということにしよう。もっとも、人を見る目がないと返事をするけどな」
     思いがけない情緒的な返答が帰ってきたが、女の表情は至極真面目なものだ。つまり、その予定はないと言っていると言うことになる。
    「じゃあ勝手に名前をつけても?」
    「どうぞ」
     嫌がらないのは、どうでもいいと思っているからのようで、夏油は遠慮なく考えていた名前を口にした。
    「ゆうなさん。優しいに七って書く」
     女の表情は変わらない。
    「理由は?」
    「マイルドセブン吸ってるよね」
    「なるほど。安直だが良いことにしよう。一人称が気取ってる割には悪い子じゃないか、夏油くん」
     あの部屋から漏れ出た匂いには覚えがあった。マイルドセブンだ。銘柄がわかるほど煙草を嗜んだことがあると遠回しに言った夏油に優七は気づいたらしい。
    「あの部屋は?」
    「仕事部屋さ。物書きの端くれをしている」
     小説家か。そんな職業の人間には初めて会ったと、夏油はよく小説を読むこともあり興味を惹かれる。
    「へえ。どんな話を書いてるんだ?」
    「この世ならざるモノと人知れず戦う人間の話さ」
     夏油は口をつぐんだ。淡々とした表情ではいったコーヒーをマグカップに入れ、優七は夏油の前においた。夏油は表情を見やり、その真意を掴もうと内心を推し量る。だが、何も分かることはない。夏油は慎重に口を開いた。
    「この世ならざるモノって?」
    「幽霊の類だよ」
     マグカップを口に運ぶ優七は呪霊という存在を知らなそうに見えた。だが、彼女が見た目で判断できるような女ではないことを夏油は知っている。この女に、呪霊や呪術師という存在が知られた際のデメリットを考えてみる。……特になかった。
    「呪術師の話かい?」
    「違うな。魔法使いの話だよ」
     拍子抜けした夏油に、優七は笑う。
    「なんだ。まるでそんな存在に心当たりがあるとでもいうような顔だな。もしヒーローを知っていたら紹介してくれ。インタビューしたい」
    「私がそうだと言ったら?」
     この際もう良いだろう。と優七の話に乗ってみれば、優七は夏油をしげしげと見やり、それから微笑む。
    「いつもこの世界のためにありがとう」
     その微笑みが、嘘ではないことに──、夏油はめまいを覚えた。夏油の話を信じているのか。この女は。そんな突拍子もない話を。
    「どうして」
    「ん?冗談だったのか?」
     首を傾げる優七に夏油は言葉を失ったまま、それからため息をつく。
    「普通は冗談だと思うだろ」
    「君は鍛えているようだったからなあ。そうでもおかしくないと思ったんだよ。私のような人間もいるからね」
     優七の言葉に、夏油ははっと優七を見やった。そう。そのことについて尋ねにきたのだ。優七が自分で水を向けたのは意外だったが、夏油はすぐに話題に乗った。
    「君は……過去へ戻れるのか?」
    「そうだね。まあその認識でいい」
    「………………」
     本当か、と無意味に問いかけるようなばかなことはしなかった。実際に夏油は3日前に戻っている。となると、とまで考えて、夏油は、期待を無造作に優七に投げかけることが出来なかった。助けてもらった恩人に、さらに恩を得ようとする自分が愚かな人間に思えた。
    「まあいいよ。言ってみるといい。これも何かの縁だ」
     優七は夏油が何を言いたいのか察しているようだった。自分の不躾さを自覚しながら、夏油はそれでも口を開く。
    「私をもっと過去に戻してもらえないか?」
     やはり察していたようで、優七は顔色ひとつ変えなかった。
    「もっと、というと?」
    「およそ4ヶ月。助けたい人がいる。……私が死なせてしまった人だ」
     あの春の日。死なせてしまったあの少女のことがずっと頭のどこかにある。呪術界に利用され、命を潰えさせた少女。
    「人はたくさん死ぬが、またどうしてその人なんだ?」
     淡々としたもっともな問いかけに夏油は口を閉じ、それから俯いた。
    「……私のミスのせいで死なせた。……それと、確かめたいことがある。これは私自身についてのことだ。彼女を助けられていたら、私がどうなっているのかを知りたい」
    「その人を助けるのなら君は記憶を持ったまま過去に戻らなくてはならない。過去を変えれば確かに環境に変化は訪れるが、一度した経験を消すことは出来ないよ」
    「それでも……!」
     夏油は立ち上がると、優七に深く頭を下げた。
    「救いたいんだ。なんだってする。どんな対価も支払う。だからお願いします。もう一度私を過去に戻してください……!」
     すぐに返答はなかった。感情のせいでざらつく声を絞り、夏油は頭を下げたまま静寂の中答えを待った。
     静寂は長く、息すら止まり、心臓も止まるような時間の遅さを感じる。
     やがて、その声は降ってきた。
    「とりあえず頭を上げなよ夏油くん」
     柔らかい声音は、肯定も否定も感じ取れない。顔を上げた夏油に、優七はマグカップを片手に笑みを浮かべていた。日常の風景に、夏油はひどく緊張していた自分を感じ取る。
    「まあいいよ。ヒーローを助けるカッコいい相棒になりたかったしね」
    「そ、れは……」
     受け身の返答ではあったが、それは確かに受諾の返答だった。ほっとした夏油に、優七はコーヒーを一口飲んでから言う。
    「対価は、そうだな」
     息をのんで続きを待つ夏油に、優七はゆっくりと続けた。
    「君が人の道を踏み外さないこと」
    「え?」
     目を見張った夏油を優七は見返す。その口元からは笑みが消えて、夏油を試すような光が瞳に宿っていた。
    「君を拾ったあの日。まるで世界に破滅でも呼びそうな顔をしていたよ。ヒーローならあんな顔はするな、とは言わないが、世界を破滅させるな」
     頭に浮かんでいたひどく残虐な選択肢を見透かされたようで、夏油は言葉を失った。その夏油の反応を指摘することもなく、優七はマグカップを両手で包むようにする。
    「冷めるぞ。座りなさい」
     言われて椅子に座った夏油は、まだ温かいマグカップを手に取る。
    「いつが良い?もう少し体調が戻ってからにするか?」
    「そうだね。そうして貰えると、確率が高くなる。流石に3日も寝たきりだと少し鈍ったみたいだ」
     返事をしながら、あっさりと進んでいる話に、これは夢か、何かに化かされているのかとも思う。
     ああ、でもこれが都合のいい夢だとして、でも手を伸ばさないことなど、夏油には出来なかった。
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