「ねえ宮瀬。俺の身長って、体作るときにもうちょっと伸ばせたりしない?」
「また死ぬ前提の話しないでくれない?伸ばせねえよ」
ちょろちょろと学区外なのにやたら顔を出すようになった夏油傑(9歳になったらしい)の行動力を面倒に思いながらも、俺は投げやりに応える。ソファに座って情報収集用の新聞を広げているため、ねえねえと俺を揺する夏油傑に、若いお父さんと息子みたいになっている気がするが考えないことにした。そもそも子供がいる歳じゃねえし。こいつが厄介だしそろそろ引っ越すか、と思いながら、下手に目を離せないのでジレンマを抱えている。
「ねえ宮瀬。稽古してよ」
「お前本当にツラの皮厚いな」
「だって相手が宮瀬だからね」
どういう意味だと思いながら、子供らしい我儘と自分勝手に小賢しさを併せ持っている夏油傑は、さすが将来大物になるだけあるなと俺は嘆息する。
「この後はもうちょっと身長伸びたら遊んでやるって言ったろ」
この前終わりにした自己満の格闘技の稽古を、夏油傑は随分と気に入っているらしい。
「だから死んだら身長って伸ばせないのって聞いてるんだよ」
「だから伸ばせねえつってんだろ」
「宮瀬はケチだね」
イラっとする物言いをするところが本当にクソガキ。
「ケチなんじゃなくてできねえの。そもそも俺の呪術はあれこれギリギリなんだよ。あんまり使いたくねえんだからな」
とはいえ実力を過大に吹聴するのは嫌いなので、そう素直な話をした。
「ギリギリ?」
一般家庭で育っている夏油傑に呪術の知識を教えるのが俺みたいな構図になってるのどうにかならないだろうか。そもそも夏油傑ともあんまり関わりたくねえんだよなあと思いながらも答えてしまう。
「俺の呪術は厳密に蘇生じゃねえんだよ。魂を呪器に移してるだけ。呪術において死者は蘇らないことが原則なの」
「でも俺生きてるよ」
「だからまずいんだよ。そんな蘇生まがいの呪術が存在してるって知れたら、俺の尊厳がなくなるだろうな」
「命じゃなくて?」
もっともな疑問に俺はせせら笑う。
「世の中にはな、死ぬよりももっとひどいことがあるんだよ。俺が死んだら、地下室は灰になるように設定しているし、いつでも自害する覚悟はある。ひどい目には遭いたくねえからな」
「嫌だ。宮瀬死なないで」
子供らしくそんな駄々をこねた夏油傑に可愛げを感じそうになるのをなんとか堪えながら俺は肩を竦める。
「残念なことに俺はそんなに強くないんでな」
「宮瀬強いじゃん!」
そりゃあ9歳の子をぼこぼこにするくらいワケねえけど。
「戦闘出来る術式じゃねえからな。有利な術式を使われたらあっという間に死ぬよ」
「じゃあ俺が強くなって宮瀬を守ってあげる」
は~このマセガキ。
「お前弱えじゃん」
「俺強くなるよ。そしたら宮瀬、俺と一緒にいてくれる?」
「あのなあ」
なんでこんなに好かれちまってるんだ?
やっぱり命を救っている以上、べったりされるのは仕方がないのかもしれないが、俺としては勘弁してほしかった。
「お前は好みじゃないから絶対無理。というかそろそろ帰れ」
何が悲しくてガキ相手に好みの話をしなきゃならないんだ。
「じゃあ、宮瀬はどんな人間が好きなんだよ」
不貞腐れたように尋ねてくる夏油傑に、俺は面倒になってごろりとソファに転がった。そろそろ相手するの無理疲れた。帰らねえかな。夏油両親、門限早めてくれよもっと。多分、夏油傑(9)は両親の信頼があるんだろうななんて思うけど。
「お前と違って慇懃なやつ」
「いんぎん?」
子供には難しかったのか、問い返してきた夏油傑に俺は言い換えてやる。
「態度が丁寧ってこと」
「丁寧……」
噛みしめるように俺の言葉を繰り返した夏油傑の様子がちょっと変な気がした。ちゃんと振り向くと、夏油傑は真剣な表情で俺を見ている。
「……なんだよ」
「別に……」
珍しく歯切れの悪い様子で俯いた夏油傑は、それからソファを降りると、帰る!と言ってばたばたとドアを開けて俺の家から出て行った。呼び止める隙もない。
「なんなんだ?」
ガキは分からん。俺は新聞を適当に折りたたんでローテーブルの上に放り投げると、ソファに横になる。
そろそろ依頼の期限が近い。とある呪詛師の生け捕りの依頼だ。獲物となる呪詛師の居場所はもうわかっているから、術式を使わせる前に叩きのめせば問題ないだろう。いつも通りだ。引き渡した後の呪詛師がどうなるかなんて知らないが、この世界には案外自分で痛めつけてとどめを刺したいという人間もいる。殺しは死体の処理や絡まる怨恨が面倒で引き受けてないが、中々どうして俺は悪名高い。まあ別に他人の評価が最悪だったとして、何も俺の生きるモチベには関係ない。
お金をためて海外に逃亡して呪術と何のかかわりもない悠々自適な日々をおくる。それが俺の今の目標だ。考えてみたら日本に居なければあんな呪災には合わないだろうし。
だから今日はちゃんと働こう。
から出かけた俺は、特筆することもなく、夕方にはきっちりターゲットの呪詛師をとらえて、依頼主に突き出して来ることが出来た。
問題が起こったのは、その帰りだった。
ナンバーを知られたくなかったので、引き渡し場所から少し離れた駐車場に車を停めていた俺は、そう言えばこの辺には五条本家があることを思い出す。触らぬ神に祟りなし。さっさと離れよ。なんて思い、何げなく十字路の横を覗き込んだ俺は、黒服の男の腕にぐったりとした様子で抱えられた白い髪のガキの姿を目撃してしまった。
「は?」
男たちは酷く焦っている様子で、お互いを急き立て、俺に気づく様子はない。足を止めたその先で、黒塗りのボックスカーの中にそのガキの姿は消える。ぐったりと気絶しているらしいガキのちらりと見えた顔立ちは。
「ご、ごじょうさとる……」
夏油傑と同い年だから多分9歳だ。嫌そんな情報はどうでもいい。顔を見なければ単に眠った子供を車に乗せただけだ、なんて思い込んで離れたんだろうが、嘘だろ勘弁してくれ。何が悲しくてこんな現場に出くわさなきゃならない。
ここで見送っても良かったが、万が一にでも五条悟が死ぬなんてそれこそ冗談じゃない。
今この瞬間に、呪術界というかこの国の未来の暗雲が立ち込めてすらいる。幼いころから狙われまくっていたという情報があったし、夏油傑みたいに死なれちゃ困るんだよ……!
なんで狙われてるって分かってんのにこんなことになってんの?護衛は?身内は?保護者何してんの?ときょろきょろとしても誰も追いかけてくる様子はない。
俺は仕方なしに、あとを追いかけることにした。
もうやだこの未来の最強コンビ。なんでそう事件に巻き込まれるわけ?呪われてるんじゃないのかと思ったところで運命には呪われてそうな二人だったと思い直した。だからと言って仕方ないとはならない。
五条悟と顔見知りになるのを嫌だと思いながら、呪力を巡らせて地を蹴る。道路を追いかけると人目につくので、屋根の上を伝いながらパルクールよろしく車を追いかけた。この体は特別製なので、人間離れしたアクションも呪力を乗せれば可能だ。背中のギターケースの中に入っている日本刀のことを考え、もっと長物を持って来てればよかったと考える。まあ銃も持ってるし大丈夫だろ。
住宅街を抜け、人気のない道路に出た瞬間に、背のギターケースをあけて中から日本刀を抜き取る。走り抜ける犯人の車に跳躍し、刀を抜いて上から運転席の人間めがけて屋根ごと貫いた。上手く殺せた。手ごたえがある。
運のいいことに、車はどこかにぶつかることもなく停車し、中から転がり出てきた人間ふたりをあっさりと射殺する。構えてない呪術師なんてこんなもんだ。それから俺は刀を引き抜くと、車内が血まみれになっただろうな、うげえ、なんて想像しながら、開きっぱなしの後部座席をのぞき込み。
暗がりの中で月より光るような青い瞳を見た。
息を飲んで後ずさる。
起きてた……!?
「待て、俺は」
慌てて降参のポーズをとる。刀を取り落としてしまった。俺の馬鹿!
犯人グループだと思われて、攻撃されたらひとたまりもない。呪術勝負なら9歳相手でも多分負ける。いや待ってくれ俺は自己保身のためにお前を助けたかっただけなんだ。いや言うな。それを口にするのは逆効果すぎだ。
「なんで助けたんだよ」
攻撃してくるかと思いきや、五条悟はただ口を開いただけだった。ぶっきらぼうに言われて目を瞬く。そんな風に聞かれるとは思わなかった。感謝しろとは言わないが、助けられたと分かっていてのこの反応あんまりだろ。
「俺が五条悟だから?」
噛みつくような五条悟の言い方が予想外の反応で、自分ひとりで何とか出来たって言いたいのか?と内心で首を傾げる。
「まあ、そうだけど」
五条悟だからは正解だ。素直に同意すると、不快そうに五条悟の表情が歪む。何かが気に食わないらしい。子供の癇癪に当てられる前に退散するか。
「お前、大丈夫か?怪我無いなら俺もう行くけど」
すると五条悟は虚を突かれたような顔をした。
「は?」
「いや、お前には悪いけどお前とは関わり合いになりたくないし……」
今度は五条悟の方がぱちぱちと目を瞬いて俺を見る。可愛い顔をしているからそんな表情も可愛いが生憎、誰かのせいで子供は余計に苦手だった。
五条悟は少し黙ってから、車の中から出てくる。月明かりの下で返り血を浴びた五条悟は、人外じみていて美しかった。俺の語彙じゃそう美麗な表現は出来ないが、こんなものに月夜に出会ってしまったら何らかの運命に縛られそうだ。
「じゃあなんで助けたんだよ」
「そりゃあ……お前に死なれると困るから……」
説明しにくくて歯切れが悪くなるのに比べ、このガキは物怖じせずに問いかけてくる。
「なんで?」
なんでと聞かれても、俺の知る未来の話なんてできない。大事なのはこの国に五条悟が必要だということだ。それを遠回しにでも伝えたら納得してくれるだろうか?
「お前が大切だからな」
すると綺麗な目を大きく見張って俺を見つめた。そうするとちゃんと年相応に見えた。
「なんか五条への恨みとか、金目当てとかじゃないの?」
「そんな面倒なことしねえよ」
「面倒なんだ」
思ってもいなかった、なんて声音で五条は言う。なるほど、五条悟を助けたのは謝礼目的とでも思われていたのか。そりゃ不快だよな。
「面倒だろ。繋がりなんて」
答えると、五条悟はまじまじと俺を見てから、吹き出して笑いだす。何がそんなにツボに入ったのか分からないが、機嫌は直ったらしかった。
「そろそろ行っていいか?」
「駄目。名前教えろよ」
聞かなきゃよかった。そもそも許可を取る必要なんてない。
「嫌だよ。繋がり面倒だって言ったじゃん」
「俺、多分おまえより強いけど?」
「いっちょまえに脅しか?」
「誰にも喋らないから!」
「そんなこと言われても、お前のこと信頼できねえし」
「大切って言ったのになんでだよ?」
「じゃあ、例えばお前、親のこと大切?信頼できる?」
「…………」
なんとなく推察する五条の家の複雑さにそう言ってみたら、やっぱり複雑な想いを抱えているらしく五条悟は黙った。別にガキをいじめて喜ぶような性格じゃねえし、そろそろ本当に退散させて欲しい。
というかマジでしょんぼりさせてしまったらしく、五条悟は俯いている。あんな不遜な男になるガキが、こんな殊勝な顔をしていると、変に困る。このまま置いていってもいいが、どうしたもんかとため息をついた。
仕方ないな。変に告げ口されて五条に追われることになったら最悪すぎる。
「じゃあ、お前がどうして捕まったのか教えてくれよ。俺より強いんだろ」
「…………」
答えない五条悟に、俺は続ける。
「言いたくない秘密の交換だ。そうすればお互い話さないだろ?」
提案してやると、五条は俺の顔を見上げて、ぽつりと呟いた。
「……他にも仲間がいるかもしれねえし……わざと捕まってから、全滅させて帰れば、もう自由に遊ばせてくれると思った」
「自由に?」
「……ろくに家から出してもらえねえから」
その理由は想像がつく。六眼と無下限呪術。か。大変だな。
自由、ね。今の不自由さがこいつの自由さにつながっていくんだろうな。
それよりも聞き捨てならないことをコイツは言った。
「他に仲間いんの?」
「喋ってたから多分。後二人」
「じゃあそろそろ来るな」
「え?」
刀を拾った瞬間、五条悟もはっと振り向いた。敵を目視した。疾走している一人の姿はぐんぐん近くなり、体術タイプだろうと察した。照準を合わせることより刀で応戦することを選ぶ。五条悟に近寄らせる前に、斬る。
「おおおおお!」
敵が雄たけびを上げながら、何かを放ってくるのをすべて躱した。濁った小さな棘のような形に、刺さったら何らかのデバフが付くタイプだろうと推測する。この本命に見える攻撃をフェイントにして、カウンターを決めるつもりだろう。させるかよ。
手の内を読み切って俺は跳躍する。わざと身動きの取れない上からの振り下ろしを選んだ、ふりをして刀を投げ捨てる。
驚いたその顔に、隠し持っていたナイフを投げる。一投。そして完全に意識の外だろう靴に仕込んであるもう一つのナイフの二投。蹴り放つ。俺は二投目が本命だ。綺麗に心臓を貫いた二投目に、男は呻いて崩れ落ちる。
もう一人が追い付いてきた。
左手で銃を抜き放つと、無造作に三発。銃を弾ける術式なんてそうない。呪術師は武器に頼ることを嫌う。呪術で応戦してくると思う者も多い。それが五条の人間相手なら猶更だろう。生憎俺は五条の人間じゃない部外者だ。全弾命中して、もう一人もあっさりと地に付した。
刀を拾う。ギターケースに差し込み。銃も入れる。ナイフも拾って痕跡を残さないようにする。もちろん血を払って、ギターケースのポケットに入れてあるビニール袋に仕舞い、ギターケースに放りこんだ。
五条悟を振り返ると、唖然とした顔で俺を見ている。
「術式つかわないんだ」
「見てわかんねえの?俺の術式は戦闘向きじゃない」
「…………その術式……おまえ……」
俺をじっと見ている五条悟は、分からないでいるらしい。まあ俺の術式は初めて見るだろうし、予想するには知識量がまだ少ないんだろうか?とはいえ全く生意気な喋り方で嫌なガキだな。おまえと来たか。
「宮瀬創貴」
「え?」
「俺の名前。これでお互いの秘密を喋らない契約は成立だな」
遊びにも近いが、呪術師にとって契約の単語が重いことを俺も良く知っている。これ以上は、家からの自由を求めて無茶するガキのフォローは出来ない。というかマジで余計なことをした感ある。
「一人で帰れ、犯人の携帯使ってな。それくらいできるだろ」
「出来る、けど。宮瀬……」
「なんだよ」
「俺と一緒に来てよ」
「はあ?」
思いがけないことを言われて思わず踏み出そうとしていた足を止めた。
「宮瀬がいれば俺……」
じっと縋るように俺を見る五条に、俺はもう一度ため息をついた。
命を助けたせいかまた懐かれたのかもしれない。とはいっても余計なお世話だったっぽいけど、自由を望むガキには俺がうらやましくなったのかもしれない。なんて、あるわけないか。
「悪いけど五条の犬になる気はねえよ。それに俺はお前と一緒には居られない。呪詛師だからな」
呪詛師の言葉に五条は大きく目を見開く。
「正義の味方の方じゃないの?」
その単語前に言われたことあったな。
「どちらかといえば悪の方」
そう答えると、このガキも目を輝かせる。やめろそんな目で俺を見るな。悪役に憧れる年頃か?
「悪なのに助けたのかよ」
「そう。悪だから好きなことをする」
「好きなこと……」
呟く五条悟に、適当なことを言いすぎたなと、俺はひらりと手を振った。
「じゃあな。もう二度と会わねえだろ。元気で暮らせ。そして生きろ。五条悟」
「宮瀬!」
呼び止められても今度こそ振り返らない。
「俺、おまえのこと探すからな!」
なんだその恐ろしい宣言こわ。
これ以上関わっても、五条の追手が来るかもしれないし、この場を離れるに限る。
引っ越さないとなあ、と俺は新たな拠点を探す手間を考えて、人助けなんてするもんじゃねえなと思った。
五条悟は多分話さない気がしたが、五条がどうかは分からない。
引っ越す手筈を考えて、ふと夏油傑のことを思い浮かべたが、待っていてやる時間はないだろう。
まあ夏油傑ならこれから先も上手くやるだろ。
一応見ててやるから、もう死ぬなよ。
俺は勝手に心の中で別れを告げて、帰路を急いだ。
+++
宮瀬の家に来たら、突然空き家になってた。
別れの挨拶もなかった。置いていかれたことに、心のどこかが欠けたみたいに痛んで苦しい。
「最初に運命って言ったの、宮瀬だったのに」
誰も居ない部屋の中で呟いても、返事は、ない。
+++
「宮瀬……」
宮瀬のことは誰にも言わなかった。まだ探す方法は分からない。分かっているのは名前と呪詛師だってことだけ。
「ぜってー見つけるからな」
あの夜の、呪術もなしに戦う綺麗な男のことが、忘れられないから。