好きを伝えてそれでおしまい黒龍の縄張りを荒らす新興チームのアジトに乗り込み、ひと暴れしておおよそ決着が着いた時だった。相手チームのボスの胸ぐらを掴んでその顔をボコボコに殴り続けていた特攻隊長が、ふと何かを思い出したように手を止めた。どうかしたのか、とそちらに目を向けると、青くてキラキラと光る瞳と目が合う。薄ピンク色の唇がそっと開く。彼は聞き心地の良い声で、しかし割と大きめな音でオレをまっすぐ見ながら言葉を発した。
「好きだ、ココ」
何を言われたのかすぐには理解できなくて、倒した相手を踏みつけていた足が止まる。
思わず足をどかして身体を彼の方へ向け直し、真正面から顔をまじまじと見つめてしまった。相変わらず人形みたいに綺麗な顔は表情が読めないままだ。頬についた赤い血は返り血だろうか。口元が切れているのは誰かに殴られたのだろうか、帰ったら手当てしてやるからな。どうせ服の下も殴られて打ち身やあざがあるんだろう、オマエは隊長なのにいつも自分が一番前を突っ切っていくから。その姿に憧れてついていくヤツが多いんだ、特攻隊には。
いや、そんなどうでもいいことを考えている場合ではない。彼は今とんでもないことを言った、気がする。でも、思考が全然まとまらない。
落ち着いて先ほどの彼の言葉を頭の中で再生する。喧嘩をした後の汚れた格好で、彼が相手のボスをタコ殴りにして、抗争に王手をかける一歩手前のその盤面で、彼はいつもの無表情のままこちらを振り返って「好きだ、ココ」と言った。
え?
何も言えないでいるオレを少しの間見つめた後、彼は手に持った男に向き直りまた殴りつけ始めた。
敵チームはほぼ殲滅したから静かに地面に倒れていて、一部の諦めの悪い奴らをウチのヤツらが締め上げているという状況が数秒前までは展開されていた。しかし案外よく通る彼の声は、隊長の号令を聞き漏らさんとする忠実な部下たちの耳にしっかり届いて居たらしい。先程までザワザワして居た相手チームのアジトの中は、彼が敵を殴りつける音以外はシーンとしていた。
え?
思わず周りを見渡す。オレの右にいた信頼のおける部下と目が合う。彼は目と口をポカンと開けた表情のまま、静かにゆっくりと頷いた。多分オレも同じ顔をしている。
続いて左に顔を向ける。特攻隊に最近入ったヤツで、特攻隊長によく懐いている若い隊員の顔が視界に入ってきた。彼は興奮した表情で顔を赤くして、両手を握りしめながらめちゃくちゃ縦に首を振って居た。首痛めないようにしろよ。
正面に向き直って、金髪の男にもう一度目を向ける。抗争のことなんてすでに頭から吹っ飛んでいたオレは、答えを求める子供みたいに質問を投げかけた。
「あの、いぬぴ……」
「オラァ!!テメェら、ウチのシマを荒らしやがって……ぶっ殺してやる!!」
彼に殴られ続けた男はもはや虫の息だった。ヤバイ、まじで洒落にならん。頭に血の上った彼はやりすぎるきらいがある、大事になる前に止めなければ。まぁ、間違いがあったとしてもオレがなんとかするけども。
あわてて特攻隊の奴らに目配せをして、イヌピーを羽交締めにさせて敵のボスから引き剥がした。オレの考えをよく理解し調教された部下たちは、慣れた手つきで相手のボスや幹部連中を回収していく。
「ヤツらのボスはウチの特攻隊長がノシた、勝ち鬨だ!特攻隊はイヌピーを止めて先にアジトに戻れ、親衛隊はそいつらを連れて行け、シメて情報を得たらオレに報告を上げろ!」
「ハイ!」と野太い声が聞こえて、周囲はバタバタと慌ただしく動き出した。オレ自身もボスへの報告等の後始末で忙しく動き回り、残務処理がようやく終る頃には全身が疲れ切っており、気がついたらアジトのソファに腰掛けていた。
ぼーっとしたまま腰掛けていると、ガチャリ、と背後でドアの開く音が聞こえた。そのままコツコツと足音が近づいてきて、2人がけのソファに体重がかかる音がする。視界の端に金髪が揺れている。
不意に、頭の中に昼間の光景が思い出された。「好きだ、ココ」無表情の中にほんの少し滲む興奮した様子に気がつく奴はオレ以外にいるのだろうか。「好きだ、ココ」頬が赤く見えるのは返り血や抗争の興奮だけじゃないはずだ。「好きだ、ココ」真っ直ぐにこちらを見詰めてくるキラキラした瞳は何かを期待して居たんじゃないか?「好きだ、ココ」何かって、なんだよ、もしかして、「好きだ、ココ」
イヌピーはオレのことが、好きなのか?
そう思った瞬間、頭が心臓が爆発しそうなくらい熱くなった。血管が張り裂けそうになるくらい、熱い何かが身体中を駆け巡っている。
「ココ」
真っ赤になってしまった顔を上げられないままでいると、横から柔らかい声が降ってきた。昼間の抗争の時と同じ心地の良い音だった。「好きだ、ココ」昼間の出来事が脳内でリフレインされて、ますます顔が熱くなる。
もしかして、もう一度言ってくれるのかもしれない。そうしたら、オレは、オレだって、オマエのことが、
「ココ、おやすみ」
そんなあっさりとした挨拶と共に、ギシッ、とソファが揺れた。用は済んだとばかりにスッと立ち上がった彼は、近寄ってきた時と同じように足音を鳴らしながら遠ざかっていく。
顔を上げると、視線の先で無機質な扉が閉められる瞬間が見えた。パタン。
え?
真っ赤に染まっていた頭が真っ白になって、しばらく呆然としてしまった。
ザァァァァ、と水の粒子が流れ出る音が耳元から聞こえてくる。身体がブルリと震え、いつの間にか自分がシャワーを浴びて居たことに気がついた。しかも冷水で。身体が冷え切ってしまう頃、ようやくオレはコックを捻ってシャワーを止めた。
乱暴に水気を拭いて寝巻きを羽織る。先ほど彼が消えていった薄暗い寝室に静かに入り、そっと扉を閉めた。布団が緩やかに上下するのに合わせて、くー、かー、と穏やかな寝息が聞こえてくる。ダブルベッドの空いている半分側に腰掛けて、膨らんだ布団を少しめくって覗き込む。
柔らかそうな金髪が薄暗い中でもはっきりと見えた。少しだけその柔らかさを楽しんでから耳たぶに触れると、彼は嫌がるように眉に皺を寄せながら身体を丸めた。なんかムカついたので、追いかけるように首元に手を添えると「ん……っ」とくすぐったそうにうめいた。段々と面白くなってきて彼の形のいい顔周りをペタペタ触り続ける。すると突然、ぐいと腕を掴まれて温い空間に引き摺り込まれた。
「……ぁにしてんだテメェ」
「ゴメン、起こした?」
「ぉきるだろ、……冷たぃ」
言葉になっているような寝言のような、むにゃむにゃと何かを呟きながら彼はオレを抱きしめた。ギュッ、と胸元に引き寄せられたので、オレより筋肉のある背中にそっと手を回す。冷水で冷えた身体に、幸福を流し込まれるみたいに温もりが広がっていく。あったかい。
その日は何だか全部どうでも良くなってしまって、2人で身体を寄せ合ったまま眠った。夢も見ないくらい熟睡できた夜はとても久々だった。
ーーーーー
次の日からオレたちは恋人同士、これまでとは違う新しい関係になって幸せな生活を始めます♡
……という素敵な事にはならなかった。イヌピーは昼前までぐーすか寝た後、ソファに座って部下にメールをしていたオレの背中に覆い被さり「腹減った」と飯を催促してきた。ここまではよかった、オレに甘えてるのかな、なんせ好きな男だもんな、などと浮かれていられたのは午前中までだった。
一日一緒に過ごしたが、イヌピーの態度が普段と全く変わらない。腹が減ったら雛みたいにピーピー文句を言ってきて、街を歩く時もいつも通りオレの前をフラフラ歩いている。オレと歩調を合わせるとか、2人で行きたいところを決めるとか、そういうデートみたいな雰囲気は一切ない。「何か欲しいものある?」と聞いてもいつもの無表情で「別に」と返ってくる。ヤレヤレとため息をつきながらオレ好みの靴を買い与え、その場で履き替えさせてまた歩き始める。先ほどより踵の高い靴にもかかわらず、彼は相変わらずスタスタと前を歩きあちこち好き勝手に寄り道している。
しばらくして街歩きに飽きたのか、今度は突然バイクを走らせたいと言い出した。これも良くあることだ。仕方ねぇなと呟きながらタクシーを手配し、アジトに戻ると彼はさっさと愛機を取りに行ってしまった。オレは後部座席に座り、いつもなら座席を掴む手を彼の腰に回してみた。ちょっとだけ何かを期待していたが、何の反応もない。ただ「いくぞ」とだけ声をかけられて、以降はお互い無言で単車を転がし続けた。
埠頭の端っこにバイクを止め、2人でコンクリの階段に腰掛けてぼーっと海を眺める。夕日がオレンジに光っていて空が綺麗だ。
今日一日、あまりにいつも通りすぎた。イヌピー 、なんでそんなに普通なの。あの告白は夢だった? ぐるぐると同じことをなん度も考えてしまう。
しかしそれを何時間も何回も繰り返して、ついに耐えきれなくなったオレは直接彼に聞いてしまった。
「イヌピー 、昨日のアレ、本当?」
「アレ?」
「昨日の……好きとか、そういうの」
「…………?」
うそだろ、本気でわからない顔して頭を捻らないでくれよ!
冷や汗が出てきた。まさか本当に夢だったのだろうか。いやそんなわけない。今朝、現場にいた部下全員に「イヌピーは昨日オレを好きと言ったよな?」とメールで聞いたら、100%「ハイ」と返信が来た。第三者の目撃があるのだ、あの告白が夢なわけない。
じゃあ、どうしてイヌピーはいつもと全然変わらないんだ。
「オレのこと好きって言ったじゃん!」
「……あぁ、言ったけど」
「それだけ?」
「それだけって、何が?」
「好きなら、その先があるだろ。付き合おうとか、デートしようとか、キスしようとか」
「…………好きって言えば、それで終わりだと思ってた」
いつもと変わらない無表情で彼は言い放った。
夕陽に照らされた金髪はオレンジ色に輝いて、すごく綺麗なキラキラを纏っている。美しい光景についうっとりして髪を掬うと、彼はくすぐったそうに首をすくめた。そのまま手を頬に滑らせて、ピンクの唇に吸い寄せられるように顔を寄せる。彼の吐息がオレにそっと触れるのを合図に目を伏せた。ふに、と触れるだけのキスをする。目を開けると、イヌピーは目を見開いたまま固まって動かなくなっていた。
「……終わりなわけないだろ」
柔らかい感触に触れるか触れないかの距離でそう語りかけると、イヌピーの顔が徐々に真っ赤に染まっていくのがわかった。その様子を見て安心した。よかった、彼はオレのことが好きだ。
熱い唇にもう一度キスをする。今度は手加減せず、舌先で唇をつついて隙間からねじ込んでやる。
「ん、んぅ、…ぁ」
イヌピー は息も絶え絶えに、でも気持ちよさそうにオレに身体を擦り寄せてくる。後頭部と腰をキツく抱きしめてさらに深く口付けると、彼はオレの背中に手を回してきた。
コンクリの地面にゆっくりと押し倒し、手をとって地面に縫い付けるみたいに握りしめた。好き、と言ってくれるみたいに強く握り返されたのがすごく嬉しかった。
ツヤツヤしている唇に、もう一度キスを落とす。ちゅ、ちゅ、と啄むみたいなキスを繰り返して、段々と熱量を交換するみたいな深いものに変えていく。我慢に弱い彼は快楽にも弱いらしく、オレに与えられるものを拒むことなく受け入れてくれた。そんな様子がいじらしくて、また可愛い。
唇を離すと、つぅ、と2人の間を生ぬるい液体が繋ぐ。ぷつり、と切れるのを合図にしてもう一度深く片付ける。彼の思考を奪うみたいに、何度も何度も同じことを繰り返した。
「……イヌピー 、もっと気持ち良くなりたいだろ」
気がついたらすっかり日が落ちて、周りは暗くなっていた。うっすらとひかる金髪に口付けてから、少しずつ唇をずらして耳たぶを甘噛みすると、彼は「ん……っ」とくすぐったそうに喘いだ。トロトロに溶けてしまったような様子がとにかく可愛い。こんなに可愛い子がオレを好きなんだ。
ギュッ、と彼を引き寄せると、オレの背中に温かい手が回された。夜風に冷えた身体に、幸福を流し込まれるみたいに彼の温もりが広がっていく。あったかい、うれしい、だいすき。うっとりした気持ちでイヌピーを抱きしめた。イヌピーも同じように思ってくれているんだ、そう思うとより一層幸せな気持ちになれる気がした。
その日はフラフラになってしまった彼に運転させるのも可哀想だと思い、タクシーで近くのラブホに向かい一泊することにした。
以降の詳細は省くが、オレとイヌピーはこうして恋人同士になったのである。ハッピーエンド!
この時のオレは、とても重大なことに気がついていなかった。
「オレもイヌピーが好き」
このたった一言を彼に伝えていなかった。その結果、おんなじ気持ちで2人幸せに暮らしていると思っていたオレと、「ココに好きと言ったからもうおしまい」になっていたイヌピーの間には見えない溝が出来てしまっていた。
そして黒龍が東卍になって、ヤンキーの集まりが反社組織になって、オレたちがその幹部になる12年後の未来にて、オレは恋人だと思っていた男から「ココ、オマエいつ結婚するんだ」とピロートーク中に言われる事になるのだ。未来のオレはベッドから転がり落ち、その出来事をきっかけにして組織全体を巻き込む大喧嘩が勃発する……そんな事案など知らない現在のオレは、ラブホのベッドで好きな子に抱きしめられながら浮かれた初夜を過ごすのであった。