あのホリデーを経てオレとジャミルの関係は表面上は変わらないように見えても今までのものとは確実に変わっていた。
ジャミルがオレの世話をしてくれるのは、仕事だからでオレのことはただの主人としか見てなかった。オレはジャミルのことずっと家族のような存在だって思ってたのに、一番の親友だって思ってたのに、全部違ってた。オレの独り善がりだったんだ。
ジャミルにとってはそうじゃなくっても、オレにとってはジャミルは一番大切な存在で、生きていくのに欠かせない。なんとかしてこれからも隣に繋ぎ止めておきたい。ワガママなんて言える立場ではないことはわかっているのにどうしても譲れないのは、オレが「傲慢」だからだろう。
ジャミルは利害関係がなければオレと関わりたくないと言っていた。――ということは利害関係があればオレの隣にいてくれるってこと、だよな。
「ジャミルにとって、オレの側にいるメリット、かあ……」
(お金?)
目に見える対価としては一番わかりやすい。
でもなぁ〜……お金を払って世話してもらってって、なんか嫌だ。
(宝石?)
ジャミルは上質な宝石やアクセサリーをよく集めている。……集めてオレを着飾っている。うん、これは違うな。
(地位や名誉?)
アジーム家嫡男の一番の従者となれば、熱砂の国での地位は安泰だ。うまくやれば第一秘書官や補佐役としてアジーム家の中枢で活躍する事ができる。実質熱砂の国を牛耳るようなものだ。ジャミルは優秀だし、間違いない。
うーん、これ、かな?
とーちゃんと交渉してジャミルの雇用主をオレに変更する許可はもらった。後はジャミルに雇用条件を提案して……オレの隣にいてくれるように頼むだけだ。
*
オーバーブロット後、ジャミルが本調子に戻ってしばらくしたある日の夜。いつものように寝床を整え、寝る前のハーブティーを一緒に飲み終え「おやすみ」と部屋を去るジャミルにオレは意を決して声をかけた。
「――っ、ジャミル!!」
「ん、どうかしたか?」
思ったより大きな声になってしまった。ジャミルはビックリした顔で振り向いた。
「あー……えっと、」
いざとなるとなんて切り出せばいいか悩む。でも、ジャミルの時間を無駄に奪うわけにはいけないし。
「ジャミルの雇用について、相談したいんだ、けど」
思わずジャミルから目を逸らしてしまった。ジャミル、怒るかな。あんなに嫌いだって宣言したオレに、これからも一緒にいて欲しいなんて言われたら。
「…………は?」
キレイなチャコールグレーの瞳を濁らせたジャミルに、オレは気づかなかった。
*
俺の雇用について、だと?
いつものように寝る準備をして「おやすみ」と告げた。大嫌いで、でも大切な俺のカリムは。
(ああ、これで俺も終わりだ――)
きっと俺を絶望へと落とす言葉を紡ぐのだろう。
*
カリムへの気持ちがわからなくなって、暴走した俺は、腹の底に溜め込んでいた思いをぶちまけたことで冷静さを取り戻した。
俺のことを何も理解していないアイツに腹がたった。一番近くにいたのに。ずーっと一緒だったのに。カリムだけは言わなくても俺の全部を理解してくれるって信じてた。でも現実は俺のことなんてこれっぽっちもわかっていないカリムに苛ついて悔しくて――悲しかった。
大嫌いと言ったのは本心だったが、それは俺がカリムを大好きだからだ。まだ素直に認めたくないけど。
これからもずっとカリムの隣は誰にも譲りたくない。
だからこれまで以上に有能さを見せつけて信頼を回復して確固たるものにしていこうと誓ったところだったのに。
「ジャミルの雇用について、相談したいんだ、けど」
解雇、か……? あの能天気なカリムでも流石に俺の裏切りは見過ごせなかったのだろうか。
カリムが俺を理解してくれないと言ったが、俺もカリムのことをわかった気になっていた。
いくらずっと一緒に育ってきたと言っても俺たちは他人だ。言わなければ伝わらないこともある。そんな当たり前なことに今更気づいた。
自室に戻ろうとした体を戻し、カリムの前に座る。
――逃げても仕方ない。原因を作ってしまったのは俺なんだから、しっかり話して、俺の気持ちを伝えよう。
願わくばお前の隣にこれからも置いてほしい、と。
「……俺はダメな従者だったか?」
何か言いたげに口を開いては言い淀むカリムに、俺は自分から問いかけた。
「ダメじゃないっ!!! ジャミルはすっげぇ有能なんだ!!!」
そんなの俺が一番知ってる。
「じゃあなんだ? 俺を解雇しようとしているのかと思ったが」
「――っ !そ、そんなのイヤだ!! 〜〜ジャミルはそうしたいのかもしれないけど、絶対ダメだ!」
……よかった。とりあえず即解雇、というわけではなさそうだ。
多少心に余裕が出来た俺はカリムに少し近づいて座り直す。
「教えてくれ、カリム」
お前は俺に何を望む?
*
見慣れたガーネットの瞳が俺をまっすぐ射抜く。
真剣なカリムの顔。――ああ、キレイだ。
「…………あのな、俺、ジャミルはどうしたらオレの従者でいてくれるかなって考えたんだ」
「…………」
俺はお前の従者だが。これまでも、これからも。
「オレのワガママだからジャミルが無理だったら断ってくれていいんだ」
混乱して返事をしない俺に、慌てたようにカリムは付け足す。
「もし、これからもオレの従者でいてくれるんだったら、もっと待遇をよくしないとって思って。ここにいる間は雇用主をオレにしてくれるようにとーちゃんに頼んだんだ」
………………は?
「だからジャミル!! お前の望む通りの対価をやるからこれからもオレの側にいてくれ!!」
カリムの思考回路がよくわからないことが、よーくわかった。
*
「要するにお前は俺が望む通りの報酬をくれてやるから今まで通り俺に側にいて世話をしろってことか?」
「お、おう! 世話は必要最低限でいいし、オレにジャミルの望み叶えられるかわからないけど……」
自信なさげに眉尻を下げて、あはは、と笑うカリムを愛おしく思う。
俺がお前の側にいたいと思うように、お前も俺を隣に置きたいと願ってくれていた。お前を裏切った俺を。
「……望みはなんでもいいのか?」
「なんでもいいぜ!! オレにできることなら!」
給金を今の10倍でもいい、金銀財宝もなんとか集められるように頑張るぜ、何か地位が欲しいなら何年かかっても必ず、と力説するカリム。
残念だが俺が望むのはそんなものじゃない。
俺が欲しいのは、お前、だ。
だけど、形だけカリムを手に入れるんじゃ俺はもう満足しない。だから――――
「お前の時間をもらおうか」
*
オレの時間――?
オレの時間ってどういうことだ?
ジャミルの言っていることが理解できなくて言葉も出ない。
「お前の……そうだな、寝る前の15分を俺にくれるか?」
それ以外の条件は今のままで十分だ、とジャミルは続ける。
「オレはその15分何をすればいいんだ?」
「何もしなくていい。ただ黙って俺の言うとおりに側にいてくれれば」
嫌か?と問うジャミル。
嫌なわけない。ジャミルと寝る直前まで一緒にいられるなんてむしろご褒美じゃないか。
「じゃあ交渉成立、だな」
「お、おう! すぐ契約書作るからちょっと待っててくれ」
*
カリムは慌ただしくペンを走らせる。
学業に関しては全然駄目だが、商いに関わることは意外とちゃんとしてるんだよな、こいつは。
「…………よし、と。 じゃあ内容確認してここにサインしてくれ」
基本給金や休暇等これまでの条件に、『カリム・アルアジームの時間15分/日』と我ながら意味不明な雇用条件が加わった。
「今日から有効ってことでいいか?」
「いや、今日はもう遅いから明日からでいい。寝る前15分だからこれからは寝る支度も15分早くするぞ」
俺の為にカリムの睡眠時間を減らすわけにはいかない。
「わかった!」
ニコッと笑うカリムに俺は思いもよらなかった明日からのご褒美タイムにほくそ笑むのだった。
*
「カリム、そろそろ部屋に戻るぞ」
翌日の夜、談話室で寮生との時間を過ごすカリムに声をかける。これまでならまだ寛ぐ時間ではあるので寮生達も驚いた様子だ。
「寮長疲れてたんですか? すみません、話付き合ってもらって」
「寮長! 僕らに出来ることがあったら何でも言ってくださいね」
気遣う声に優越感を覚える。カリムは俺にご奉仕するんだ、お前たちに割く時間などない。
「大丈夫だ! ちょっとジャミルと約束があってさ」
ニコニコと笑顔を咲かせながら寮生たちに手を振るカリム。
くそ、可愛いな。
*
入浴させてカリムの髪を乾かし、これで一日が終わる。いつもなら。
「…………カリム。ここに座れ」
何故かいつもより緊張しているカリムを呼び寄せ、ぺたんと柔らかな絨毯に座らせる。
「オレは何をすればいいんだ? 肩でも揉むか?」
「お前は何もしなくていいから……じゃあこれからお前の時間もらうぞ」
俺はそう断るとカリムの細い背中に寄りかかった。
「ひゃ、ジャ、ジャミル?」
素っ頓狂な声を上げるカリム。同時に体が強張るのを感じた。
「重いか?」
「い、いや、全然大丈夫だ! ……えっと、寄りかかるだけで、いいのか……?」
遠慮がちに、でも熱を含んだ顔で俺に問う。
俺じゃなかったらきっとその誘いに抗うことはできないくらい魅惑的な顔をする。
一体お前はナニを期待していたんだか。
――体だけが欲しいわけじゃない。俺はお前の全てが欲しいんだ。
*
夜の帳が下りた静けさの中、オレに寄りかかったジャミルがいつの間にか用意していた本のページを捲る音だけが響く。
オレはというと、どうしていいかわからずに、ただじっと座っていることしかできなかった。
――ジャミル、オレのこと嫌いなだけじゃないのかな。
だってオレなら嫌いなやつと一緒にいたいとは思わない。ジャミルのこと心から信じたいのに、あのホリデーの時の目が言葉がオレの心の奥底に突き刺さったままなんだ。
だけど、それでも背中の熱は現実なんだよな。ジャミルが隣にいてくれる。それだけで十分すぎるほどオレは幸せじゃないか。いっそこの時間が永遠に続けばいいのに――
幸福な時は過ぎるのがとても早い。最初は15分も黙っていれるのかな、と思ったけれど、ドギマギしているうちにあっという間に過ぎてしまったようだ。
パタンと本を閉じる音がすると背中に感じていた熱が離れていく。
「カリム、時間だ。ベッドに入れ」
「お、おう」
促されるままベッドに潜り込む。ジャミルは横になったオレに布団をかけ「明日もよろしくな。おやすみ」と頭を撫でると部屋を出ていった。
経験上わかる、かなり上機嫌なジャミルの様子に嬉しくなった。
でも本当にこれでジャミルに対価を支払えているのだろうか。オレは何も出来ていない。ただ座っていただけだ。
それでも、今にも鼻歌を歌い出しそうなジャミルを見るとこの契約を提案してよかったと思えた。
*
「カリムは最近ご機嫌じゃの」
契約から一週間が経とうとしたある日の放課後、軽音部でいつも通りの部活と言う名のお茶会でリリアに言われた。
「そうそう、カリムくんいつもニコニコしてるけど、ここ一週間くらい幸せオーラがすごい出てるよ〜」
「オレってそんなにわかりやすいか?」
「うん、すぐわかるよ。ジャミルくん絡みでしょ〜☆」
「うっ、そこまでわかるのか!?」
「だってカリムくんて、ジャミルくんとそれ以外って価値観なんだもん。けーくんすぐわかっちゃう」
……図星だ。
確かにオレってそういうとこある。
「じ、実はさ! オレジャミルと契約し「カリム」」
いつの間にかオレの後ろにジャミルが立っていた。
「ジャミル!! どうした? いつもより早いな!」
「帰るぞ。先輩方、お先に失礼します」
ジャミルはオレの手を掴んだままさっさと教室を出ようとする。ちょっと怒ってる気がする。気づかないうちにオレまた何かしちまったか?
「ねえ、リリアちゃん。ジャミルくんのあの顔見た?」
「おお、すごい独占欲じゃったの。クク、カリムのやつ愛されておるの」
そんな会話が繰り広げられていたことをオレは知る由もなく。
*
危なかった。
なんとなく嫌な予感がしていつもより早めに迎えに行けばカリムが俺との契約内容を話そうとしていた。別にバレたからどうなるというわけではないが、カリムに俺の最終目的を知られたくないし――単純に恥ずかしい。もしオクタヴィネルの連中に知られたらと思うと……想像するだけで吐き気がする。
口外しないとカリムにきちんと言い聞かせなければ。
契約内容は絶対に俺とカリムの秘密だ。誰にも言うな。と言えば、カリムは何故、とも問わずに嬉しそうに了承した。
「オレとジャミルだけの秘密ってなんだか嬉しいな」
カリムは束縛や規則をあまり好まない。生き方や未来までも実家にガチガチに縛り付けられているからだろうか。
最近気づいたことだが、昔から俺との約束や秘密に関しては違った。約束だ、秘密だ、と言えばカリムはそのガーネットルビーの瞳を輝かせとても幸せそうに笑って頷くのだ。カリムが俺だけに向けるその感情が、俺はとても好きだ。そして同時に体の奥底にある熱を昂らせるのだった。
*
契約を交わしてから一週間、カリムの様子を観察しながら夜の15分を過ごした。不審がってたり嫌そうな素振りを見せたらこれ以上進めるのをやめようと思っていた。カリムに嫌われて隣にいる権利すら奪われることだけは避けたい。
けれど実際のところは、背中を合わせているだけでカリムの鼓動が速くなるのを感じたし頬も紅潮している。この反応は流石に言葉にされなくてもわかる。
(こいつ……俺のこと好き過ぎだろ)
少しずつ距離を縮めて絶対にカリムを手に入れてやる。
「ジャミル! 今日は何の本読むんだ?」
この時間の定位置となりつつあるカーペットに座りながらカリムが話しかけてくる。
「今日は疲れたから……膝を貸してくれるか?」
「へっ……膝? オレの?」
「ああ」
「別にいい、けど……」
いつもと違う要求に戸惑うカリムが可愛い。俺は遠慮なく胡座をかいたカリムの脚に頭を預ける。
「――!! ジャ、ジャミル!?」
見上げたカリムの顔は見事に真っ赤に染まっていて、それを確認した俺はニヤリと笑った。
*
こ、れは……所謂膝枕ってやつだよな?
あのキレイでカッコいいジャミルが!オレの脚を枕にして寝転んでいる。
サラサラと流れる艷やかなジャミルの髪が身動ぎする度に心地よく脚を擽る。
(やっばい……!!!)
見下されることは多々あるけども、オレがジャミルを見下ろすことはほとんどない。視界の暴力もすごいし、何よりジャミルかすごく、エッチな顔してこっちを見てる。
背中が触れるだけでもあんなにドキドキしてたのに、こんなの平静でいられない。
さっきから心臓はドクドク動いてるのがわかるし顔も暑いからきっと真っ赤だ。それから、ジャミルの顔のそばにあるオレのが……あ、ダメだ。意識したら余計に……!
そっと目を閉じて寛ぐジャミルの頭のすぐ横で、オレのちんこはゆっくりと頭をもたげ始めた。そして治めなきゃと思えば思うほど血液が集まっていく。
(ジャミル、ごめん!!!! 頼むから気づかないでくれ……!!!)
ジャミル相手に懸想してしまったオレは明日からどんな顔して話せばいいんだろう。
*
昨日までより距離をつめようと思って膝枕を提案してみたが……予想以上に効果覿面だった。
主人に膝枕をさせる背徳感、普段手でしか触れることのない太ももに頭を預ける行為、いつもより濃く感じるカリムの匂い――それだけで俺は絶頂しそうだった。
加えてカリムの困ったような赤面と緩く立ち上がったカリムの陰茎。正直たまらない。今すぐに服をひん剥いて抱き潰してやりたい。
でもまだ駄目だ。カリムから俺を懇願させたい。カリムに俺の全てを求められたい。
何も気づいてないふりをして平静を装った俺を褒めてくれ。
まだまだ続くよ……!!!