朝のゲームセンター 思い出す ミルク 僕たちの足元に伸びる光は柔らかく色づいた白で、僕はミルク味のキャンディを思い出した。雨彦さんが覗き込んでいるその機械はUFOのような形をしている。透明な丸いドームの中で色とりどりのお菓子がゆっくりと回っていた。まだ街は目を覚ましていない。朝の眠たげな光の中で鮮やかなその色は目に眩しい。
「幼き日、銀の硬貨を夢に換えー。懐かしいねー」
「そうだな。……いや、俺は初めてかもしれないな」
意外だとは思わなかった。ゲームセンターにいる雨彦さんはどうにもうまく想像ができない。軽やかすぎる音も、点滅する強い光も、ケースに詰め込まれたぬいぐるみたちも、雨彦さんには似合わない。このゲームセンターにはそのどれもがなかった。聞こえるのは目の前の機械が立てる微かな駆動音だけで、光はガラスの向こうから差し込む朝日だけで、ここで手に入れられるものは、どうやらこの中にあるお菓子だけのようだった。
雨彦さんはコインを投入口に入れる。軽快な音を立てて、雨彦さんの手元に数字が浮かぶ。
「このボタンを押せばいいのか?」
「そうだよー。アームで掬って、掬ったものを台の上に落とすだけだよー」
「ああ、それで押し出されたやつが落ちてくるってわけか」
なるほど、と呟いた雨彦さんは回るお菓子たちへと視線を向けた。キャンディと、ラムネと、チョコレート。雨彦さんの手が動いた。滑るように伸びたアームがお菓子の海を捉える。お菓子が減っている所を狙うと掬いやすいという話を僕はしなかったけれど、雨彦さんは気が付いたみたいだ。さすが、と思ってしまうのが少し悔しい。
掬い上げられたお菓子はアームの上でじっと待っていた。落とすタイミングを狙う雨彦さんの呼吸の音が聞こえる。真剣な表情だ。僕もなんだか緊張してきてしまった。雨彦さんがボタンを押した。転がり落ちたお菓子たちがぶつかりあう。おしくらまんじゅうみたいだ、と思ったのは、どこか雪の朝のような空気がここに漂っているからかもしれない。
「お」
押し出されたお菓子がいくつか取り出し口へと落ちてきた。子供が遊ぶ事を前提としている機械は雨彦さんにとっては背が低すぎる。それでも雨彦さんは器用に屈んで取り出し口へと手を入れた。
「取れたぜ」
大きな手のひらの上に収まった色とりどりのお菓子は、カラフルなセロハンやキラキラと光る包み紙に覆われていた。まやかしのその色も、朝の柔らかな光の中では宝石のようだ。
「どれがいい?」
「くれるのー?」
「全部は食べきれないからな」
「ありがとうー。手のひらがパレットごとくに彩られー。どれにしようかなー」
雨彦さんの手のひらの上で彷徨った僕の指は、緑色のセロハンに包まれたラムネを選んだ。セロハンの端を軽く引く。ラムネは逆上がりをするようにくるりと回る。隙間から覗くチョークのような乾いた白に懐かしさを覚えた。口に入れれば甘さだけを残してあっという間に溶けていく。雨彦さんは透明な袋に入ったキャンディーを片手で取り上げると、端に噛み付くようにして器用に袋を開けた。その中身を口へと滑らせる。コロ、とささやかな音が鳴る。
「うまいな」
「うん」
雨彦さんはまたお菓子の乗ったままの手を僕に向けて差し出した。もう一つどうぞ、という事らしい。今度は金貨の形をしたチョコを選んだ。いつかの映画の撮影を思い出す。あの時宝箱に入っていたのも同じようなチョコだった。メッキよりももっと柔らかな金色はあっさりと剥がれる。齧ればチョコは簡単に割れる。平たくなった断面を見ながら、このドームの中は意外と冷えているのかもしれないと思った。スノードームを思い浮かべたけれど、その中に雪は降っていなかった。ただ、お菓子が静かに回り続けている。それだけだった。
「北村」
チョコを食べ終えた僕に向かって、また雨彦さんの手が差し出される。広い手のひらの中に一つ残された、キラキラと光る赤色のハート。ハートの形をしたチョコレート。
「僕はもうもらったから、雨彦さんが食べなよー」
「飴をもらったんでね。味が混ざっちまう」
差し出す事に慣れている人だった。こういう言い訳を用意して、それをごく自然に持ち出してくる。それはうらやましかったり、嬉しかったりもしたけれど、今はもどかしいと思った。欲しがってほしい。欲しがってほしいも何も、そもそも雨彦さんが手に入れたものだけれど。
「もらってほしい」
そう言って雨彦さんは微笑んだ。初めて好きだと打ち明けられた時の事を思い出した。あの時は夜だったから、雨彦さんの表情は見えなかった。でも、きっとこんな顔をしていたんだろう。
「……そこまで言うならー」
僕は雨彦さんの手からハートを取り上げた。すぐに食べてしまうのは惜しかった。天井に向けて翳しては、角度を変えながら眺める。僕たちの命の象徴と同じ形をしたそれは不思議と温かいような気がした。もらってほしい。聞いたばかりの雨彦さんの声が蘇る。僕にはもったいないほどの気持ちを詰め込んだ声。包み紙を剥がそうとした指先は動かなかった。
「後で」
雨彦さんが僕を見た。キャンディーを入れた右の頬が少しだけ膨らんでいる。
「分けて食べようよ。一緒にねー」
「割っちまうのかい?」
「心臓は、四つの部屋でできておりー。そもそも一つじゃないと思うんだよねー」
「はは、違いないな。……それなら、後でいただくとしようか」
そろそろ行くか、と雨彦さんはゆっくりと歩き出した。隣に並んで歩いていく。ガラス張りの扉の向こうで何かが音を立てていた。目覚まし時計の音だった。もう起きなくちゃ。
雨彦さんが扉を開けた。その途端に光が強さを増した。その眩しさに目を閉じる。次に目を開けたその時に、このささやかな約束を覚えていられますように。
(END)