愛した人「木兎さん、起きてくださいよ。」
彼は眠そうに目を擦る。それから枕元のスマホで時計を見る。時計は9時半を示していた。
「あ、起きた起きた。朝ごはんどうしましょうか?」
そのまま何も返事をしないまま、彼は寝室を後にする。バシャバシャと水の音がする。顔を洗っているのだろうか。仕方が無いので先にリビングに行く。トーストとコーヒーを2人分。ちょうど目玉焼きが焼きあがった頃に、彼はリビングに来る。まだ眠たいのだろうか、ぼーっとしているようだ。
「木兎さん、いくら眠いからって無視しないでください。さすがの俺でも怒りますからね。」
返事はかえってこないが、まぁ分かってはいるのだろう。
「じゃ、いただきます。」
いつも朝は米派の赤葦だが、木兎はパンの方が好きらしいのでたまにはトーストも悪くないだろう。あまり自分で焼くことがなかったので、すこしコゲている。
「はは、すいません木兎さん……ちょっとコゲちゃってますね……。」
彼から反応はない。椅子に座ったまままた眠ってしまったのだろうか。まあそれも無理はないだろう。このところ忙しくて、あまり眠れていなかったようだから。
「……ご馳走様でした。先、片付けちゃいますから、木兎さんも食べ終わったらキッチンに持ってきて下さいね?いつもそのまま置きっぱなしなんですから……。」
わらいながらキッチンで食器を洗っていると、インターホンがなる。
「はーい?」
扉を開けるとそこには月島と黒尾さんがいた。
「あ、赤葦サン。お久しぶりです。」
「月島!黒尾さんまで!」
「お久~。どう?元気してる?」
「僕達は元気ですよ。黒尾さん達も元気そうでよかったです。」
「あ、ちょっと待ってくださいね、今木兎さん呼びますから。」
「え、赤葦サン……」
「……赤葦、木兎は呼ばなくていいよ。疲れてるんだろ?」
せっかく遊びに来てくれて申し訳ないが、確かにその通りだ。
「あぁ、そ、そうなんですよ……すみません。昨日はやく寝た方がいいって言ったんですけどね……。」
「木兎も変わってねぇな!……あ、そういやこれやるわ。」
そう言いながら彼は白い封筒を俺に渡した。
「……え?なんですかこれ。」
「お前の大切な人からのお手紙。後で読みな。」
「あぁ、はい……?」
「じゃあ、それだけだから。」
「あ、はい!また今度ゆっくりお茶でもしましょうね。」
「おー、そうだな。んじゃまた!」
「……お邪魔しました。」
2人はこの謎の封筒を残し、そのまま帰っていった。
俺はその封筒を真っ二つに破いて、そのまま床に落とした。
===
「……黒尾サン、いいんですか?」
彼は黒尾に尋ねる。黒尾は彼の方を向かないまま、空を見上げて言う。なんだか寂しいような、迷いがあるような、そんな表情を浮かべながら。
「なによツッキー、じゃあ俺らはどうすりゃいいのよ?」
「いや……それは分からないですけど……。」
「……大丈夫だよ。あいつも気づいてはいるみたいだし。」
「そう……ですかね……。」
心の中に黒いモヤがかかるような感覚だった。
===
それは彼にとってあまりにも突然すぎる事だったのだ。
『ちょっとコンビニ行ってきます!』
そう言い残して、彼は帰ってこなかった。
彼ではなくなった彼が発見されたのは次の日のことだった。
おかしいとは思ったのだ。今までメールも電話も一切無しに無断で外に泊まってくることは一切なかったから。俺があと少しでも早く電話をかけていれば。もう少し早く、警察に連絡をしていたならば。もっと彼と話をしていたならば。彼の話を聞いてあげることが出来ていたなら。
「……もっとなにか変わっていたのかな。」
そう呟いて、彼は手のつけられていないコーヒーとトーストとを片付けた。そのまま綺麗に整えられたひとりで寝るのには大きすぎるベッドに腰かける。もちろん、誰かがいる訳もない。
悪い冗談だと思っていたかった。嘘だと言って欲しかった。変わり果てた恋人の姿は、あまり綺麗とは言いがたくて。どうして彼がこんな目に遭わなければならなかったのか。そんな問いがずっと自分の頭の中をぐるぐると回っていた。
「……木兎さん。」
俺は、どうすればいいんですか?
白い封筒の中には、いつも決まって同じ筆跡で、俺への愛が綴られているようだった。
「何が愛してるですか……。」
愛しているなら俺を1人にして欲しくなかったのに。涙はもう枯れてしまったようで。目頭はただ理由もなく熱くなるだけ。胸はギュウと締め付けられるだけ。
いっそ自分も死んでしまえたらとも思った。しかしそんな勇気は自分になかった。
「どうか帰ってきてください……。」
その言葉は、ただ広い寝室に溶けていくだけであった。