【さこみつ】主従で水浴び 昨日一日降り続いた雨は、今日の夜明け前にようやく上がった。久しぶりの本格的な雨に田畑は潤い、三成は「慈雨であったな」と微笑んでいた。
今朝までは。
朝餉を終え登城する道すがら、三成はまず城の周囲の林から盛大に響く蝉の声の洗礼を浴びた。
登城して執務に取りかかれば、今度は次第に高くなる太陽に悩まされることとなる。
昨日とは打って変わって雲ひとつない青空から照りつける夏の日差しと、それに加えて雨で濡れた地面から立ち上る湿気。
不快指数はうなぎ上りで上昇中だ。
いつも涼しい顔で顔色一つ変えずに執務に集中している三成だが、昼餉を終えて午後の仕事に取り掛かる頃にはもううんざりしていた。
八つ時(午後二時)、いつもより早い時間に左近が顔を出す。
いつもならもう半時ほど遅く来るのだが、やはりこの暑さを慮ってのことだろう。
「殿、手を休めてください。左近が冷たいものを持ってまいりましたよ」
左近の手にある井戸水でキリッと冷やしたわらび餅は、涼し気な竹の器に盛られている。同じく竹筒に入れられた汲み立ての井戸水とともに差し出され、三成はまず水を一気に飲み干した。喉を滑り落ちていく冷たさがなんとも心地よい。
「今日は蒸しますなぁ。左近など先程この水を汲むついでに井戸端で水浴びをしてしまいましたよ」
そういえば、左近はいつもはほとんど下ろしている黒髪を頭の上にまとめ上げていた。拭いてもまだ湿っている髪が着物につかないようにということらしい。
三成は添えられた楊枝でわらび餅を一つ刺して口に運んだ。ふるふるとした食感と優しい甘さと冷たさがこの季節にぴったりなのだが、三成は眉間のシワを深くした。
「お前、主の俺を差し置いて一人で水浴びをしただと?」
左近は三成の前に腰を下ろし、呆れたようにため息をついた。
「左近は朝から城の周囲を回って、雨で土塁などに崩れた場所がないか点検してきたんですよ。その後は城の連中に乞われて剣術の稽古をつけていたので汗だくだったんです」
殿は汗臭い左近はお嫌でしょう?
そう言われて、三成は言葉に詰まった。
本音を言えば、左近の汗の匂いは嫌いではない。だがそれではまるで変質者のようではないかと、三成は自分の思考を否定する。そして、その腹いせのように左近に言いがかりをつけるのだ。
「水浴びをするなら俺も誘うのが家老の勤めではないか」
冷たいわらび餅をぺろりと平らげた三成は、文机の上にあった扇を取ってびしりと左近に突きつける。
左近とてもう全て分かっている。これはただのワガママ。甘えなのだと。
「でしたら、これから水浴びに参りましょうか?」
「井戸端にか?」
「いいえ。さすがに城主が昼間から井戸端で裸になるってのはちょっと、ね……」
筆頭家老だってよろしくないだろうがと三成は思うが、左近はそういうところには頓着しない男だ。
「では湯殿に井戸水を持ってこさせるか?」
「それじゃあつまらない。湖まで行きますよ」
左近はそう言うと、三成の手を取って立ち上がる。
「さ、左近、まだ仕事が……」
「それ、今日中です? 殿のことだから、明日でもいいものでしょう? ほら、行きますよ」
たしかに左近の言う通り、三成はいつも余裕を持って仕事を進めているので、数日執務を休んでも特に問題はない。
「左近がどうしても行きたいと言うなら……付き合ってやろう」
「ええ、ええ。どうぞ、左近の息抜きに付き合ってやってください」
ぽそりと言う三成に、左近は夏の日差しのような笑顔を向けた。
二人で馬を並べてゆるりと佐和山を下りれば、田畑の脇を抜けて湖までは歩いても四半刻かからない距離だ。
人気のない砂浜近くの木陰を見つけると、左近はそこの木に二頭の馬の手綱を結わえる。
「さ、殿。思う存分水浴びなさってください」
そう言った左近は、さっさと袴を脱ぐと小袖や単もまとめて脱いで馬の鞍にかけた。
左近の裸など三成は見慣れているのだが、それはいつも夜で、月明かりか灯明皿の心許ない明かりの下でだけだった。こんな明るい日差しのもとで見るのは……、初めてかもしれない。
下帯一枚になった左近の身体には大小の刀傷があったが、鍛えられ引き締まった身体は若々しくすらある。
「ほら、殿も脱いで。軽く泳ぎましょう」
左近が振り返って三成に手を差し出す。
思わず見とれていた三成は、慌てたように首を振った。
「お、俺はいい。それより左近、お前は普段からそんな派手な下帯を着けているのか」
照れ隠しにしてはいささか下手に過ぎるが、三成は左近の身につけている下着を指さした。
今日の左近の下帯は、白地に深い臙脂色が斑に染められた洒落た色合いのものだった。
「見えないところにも気を使うのはイイ男の基本ですよ。なんてね」
いたずらっぽく片目を閉じて、三成を誘うのを諦めた左近は一人で水の中に入っていった。どこで泳ぎなど覚えたのか、左近はすいすいと浜辺から遠くなっていく。
「せっかく二人きりだというのに……、俺を放って行くとは」
三成はつまらなそうに下を向いて袴を脱いだ。しかしそれ以上脱ぐ気にはなれず、小袖と単の裾をまくって帯に手挟み、波打ち際まで歩いてくるぶしまで水につける。
やはり浅い部分は太陽光の熱で生温い。三成はもう少しと、ふくらはぎの中ほどまでの深さまで行ってみた。
足元がひんやりして心地よい。これでもう少し日差しが弱ければ言うことはないのだが。
――もう少し深くまで行ってみるか。
三成の足が滑るようにゆっくり湖底を移動する。その水深が膝くらいになった頃、左近が岸に戻ってきた。左近の姿がどんどん近くなり、肩から胸、腰と水の上に出てくる。
「とのー、まだそんな格好で……。ほら、左近ともっと深いとこまで行きましょう? 肩まで浸かったほうが気持ちいいですよ」
「俺はこれでいいのだ!」
三成はふいと左近から目をそらした。
水に濡れて下腹部に張り付いた下帯。生地の白い部分から左近の大筒が薄っすらと透けて見えていた。
三成の鼓動が早くなり、顔が熱くなる。
「今日は随分と意地を張っていらっしゃる」
そんな三成を知ってか知らずか、水に濡れた左近の腕がふわりと三成を抱いた。
いつもは熱い左近の身体が、今日はひんやりとしていて心地いい。
「もう、これでいい……」
「しょうがないですな……」
二人は寄り添ったまま、しばらく琵琶湖の水に揺られていた。
「殿、痛いです……」
「すまぬ、左近」
その日の夜、日焼けで真っ赤になった左近の背に薬を塗る三成の姿があった。