Distance of Swords(※ ⭐︎の度に場面が変わります)
「私のこと恋しいみたいで、玄関のドアを開けたら飛びついてくるの。もう疲れが吹き飛んじゃうわ」
「律儀にドアの前で待ち構えてるんだよねえ」
「そうなのよー。ほんと健気よね」
ペット談義は楽しい。ペットに愛を注いでいる人とは特に話が合う。一見近寄り難そうな人でも、ペットのことになると流暢に話してくれたりする。人と会話を続けるのが上手くない俺にとって救いになっている話題のひとつだ。
「これ、うちの子の写真。 かわいいでしょう」
かわいいね、と相づちを打つ。美しい毛並みの犬がきらきらした目でこちらを見つめている。
「あなたの猫ちゃんも見たい」と彼女の飼い犬そっくりの純粋な目で見られ、用意していた画像をスマホに表示させる。「あなたの髪色とそっくりね」と言われ、少しの罪悪感を覚える。
写真フォルダには学院時代に保護した猫、リトル・ジョンの写ったものがたくさんある。それを上手く使って、飼い猫の写真ということにしている。話している内容はれおくんについてだけど、まさか人間を飼っているなんて言えない。
☆
れおくんをフィレンツェ飼い始めてしばらく経った。仕事面ではお世話になっているけれど、生活面ではほとんど俺がお世話している。しつけも少しずつ効果が出てきて、一日最低二食は放っておいても取るようになった。毛並みの管理もがんばれば自分でできるようだけど、ドライヤーやブラッシングなどはなるべく俺がやってあげるようにしている。これも大切なコミュニケーションの一つだと思うし、何より嫌なことを忘れて落ち着けるから。
セナ、おれひとりでもできるぞ? とれおくんがおだやかな声で言う。「いいから俺に任せて」と返して、再びヘアブラシをオレンジ色の髪に当てて毛先まで滑らせる。ひと撫でするたびに整っていく感じが好きだ。俺が使っているヘアオイルを塗り、ドライヤーで乾かしたばかりの髪はやわらかく、少し触れるだけで簡単に形を変えてしまう。自由奔放なれおくんは放っておくと床に寝転んだりして髪を痛め付けてしまうから、きれいに乾ききるまでおとなしくしてて、としつけてある。いつも動き回ってばかりのれおくんにゆっくり触れられるこの時間は、湯舟に浸かるような安心感があった。
耳をぴんと立ててしっぽをふりふり。そう見えてしまうのだからしかたない。気まぐれで猫のようにキリッとした目つきをしているれおくんは、仕草だけ見ると犬のようだ。
セナ、きれいだな。鳴き声のように何度も聞いてきたそれは相変わらず俺の耳にやさしく馴染む。愛らしい賛辞。体温がほんの少し上がるのを感じた。
きれいに整えた髪を弧を描くように撫でれば、少しくすぐったそうに若草色の瞳を細める。自分と同じシャンプーの香りが広がって日だまりのようにやさしく触れてくる。
電気を消したあと、「れおくん」と意味もなく名前を呼ぶ。なあに、セナ。「なんでもない」と言葉を交わす。俺の名前をれおくんが呼んでくれるのが嬉しくて気まぐれに繰り返す。そうしている間におだやかな波のような眠気がやって来て身を任せる。れおくんがおやすみ、と呟いたのが聞こえた。
⭐︎
「いずみさん」
懐かしい声で呼ばれ、視線を向けると、走ってきた幼い少年の、ふわふわとした淡い金髪が揺れた。幼いながらに外国のお人形みたいな見た目をした少年が立っている。彼は目をきらきらさせて、「今日もよろしくおねがいします」と大人びた口調で言う。息をするように「としちかいんだしタメ語でいいよ」と伝えると、少し頬を赤くして「よろしくね」と声を出した。
キッズモデル時代の後輩である彼、ゆうくんは俺によく懐いてくれた。ひとりっ子で人並みに友達を作るのが苦手だった俺にとって、初めて自分から関わった子。幼かった俺は作り笑いを浮かべる周りの大人や競争相手のモデル達に怯えていたけれど、ゆうくんと出会ってからはまともに話せるようになった。俺以上に怖がったり泣いているゆうくんを見て、自分がしっかりしなきゃと初めて決意したことを今でも覚えている。守るべきものがあると強くなれるという言葉を歌やドラマでよく聞くが、俺はあのとき、それを知ったらしい。
俺はいつもしているように、ゆうくんの手首を掴んで撮影場所まで誘導する。必死についてくるのがかわいらしい。目的地に着くと待っていた大人達によろしくおねがいします、と頭を下げてあいさつする。ゆうくんも慌てておねがいします、と頭を下げる。撮影が始まり、眩しい光の中で何度もポーズを取る。ゆうくんに視線を向けると、大人達の指示に従ってたどたどしくポーズを取っている。あどけなさが残る表情がかわいい。見とれるのと同時に負けてられないと気が引き締まる。
カメラの光に包まれて思わず目をつむる。もう一度目を開けるとベッドの上にいた。どうやら夢だったらしい。俺がいないと何もできなかった、幼い頃のゆうくんをぼんやりと思い出す。あれから時が経ち、一年前には俺を自身の撮影に推薦してくれるほど、ゆうくんは成長した。
「僕はあなたに憧れてここまで来たんです」と言われて嬉しかった。もう一人前だと、俺が気にかけなくても大丈夫だと心から思えた。ただ同時に感じた、自分の心の一部が欠けてしまった感覚が今もずっと抜けずにいる。
⭐︎
「イズミの友達なの? 奇遇ね! 最近仲良くなったばかりなの」
『人と動物の共生』をテーマにした映像作品に使う曲を依頼された先で出会った女性は言った。セナはやっぱり話しかけづらい雰囲気を纏っているようで、気難しい人かと思っていたけど、話してみたら愛しのペットの話で盛り上がった、とのことだ。
「ん? セナ、ペット飼ってるって言ってた?」
「ええ。 可愛い猫ちゃんの写真も見せてくれたわ」
自分の帰りを玄関で待っててくれるとか、用意したご飯は残さず食べてくれるとか、ドライヤーで毛並みを整えるときは大人しくしてるとか、セナは言ったらしい。……それ、おれのことでは?
やっぱり今のままではダメだと思う。
先日感じたもやもやが、魚の骨が喉に留まるように引っ掛かっている。常識が無いと言われがちなおれも、今のセナとの関係は少し違和感を感じていた。セナが昔ゆうくんを一方的に追いかけていた頃のような感じがする。うまく表現できないけど。
カップルとペットでは何がちがう? 自身に問いかけて連想ゲームをする。人権の有無、結婚できるかどうか。お互いに関われることの多さ、思い合う気持ちの強さ。恋人とはいかなくても、せめて大切な友人とか表現してくれたらここまでもやもやとしなかったのにな、と思う。
おれもひとりの人間だ、と主張したい。大切にしてくれているのはわかるけど、もっと同じ目線でいたいんだよって。
☆
「なあ、スオ~はどう思う?」
パソコンの画面に映る後輩、スオ〜に話しかける。
2歳下で出会った頃は元気と真面目だけが取り柄の危なっかしいやつだったが、今ではたまに相談に乗ってもらうほど信頼しているスオ〜に相談することにした。
「またメロドラマじみたこと言ってるんですね」
「そういうのじゃないって。Knightsに加入してからがんばって、やっとセナに認められたおまえならわかるかと思ったんだよ」
「簡単に答えを求めるな、妄想しろってあなたがいつも言ってるじゃないですか」
「それはそうだけどさー」
「それならレオさんは何がきっかけで私を認めて下さったんです?」
はっとしてスオ~を見つめる。丁寧な口調のわりにどこか失礼な発言をするスオ~は、たまに物事の核心を突く。
「おまえの強い意志。実力とか技術はどうにでもなるけど、本人がその気じゃなきゃ始まらないからな。おまえが全力でおれを引き止めてくれたから今のKnightsがあると思ってる」
スオ~は満足そうな表情になった。
「じゃあ、意志を示すしかないでしょう。我々はKnightsなのですから」
☆
「セナ、おれペット扱いは嫌だ。おまえと対等でいたい」
セナに話がある、と言ってふたりの休みを合わせて時間を作った。
セナがふたり分のコーヒーを用意してとん、とカップを置いたときに話を切り出した。
セナは落ち着いた様子で自分の分も置き、椅子を引いてすとん、と腰を落とした。
腕を組み、じっとこちらを見つめる。
「……話って、それ?」
「うん」
しん、と空気が静まる。はあ、とため息が聞こえて思わずびく、と身体が震えた。
「何かと思ったらそんなこと。そういうのは、日常生活とか仕事の調整とか自分でできるようになってから言いなよねえ」
「え?」
予想していたよりずいぶんと軽い様子に拍子抜けしそうになる。
「俺のお世話になってるうちはペットでいいでしょ。はい、この話終わり」
まだ熱いはずのコーヒーをくいっと飲み、セナはさっさと席を立って行ってしまった。
「えー……」
あまりにもあっけなく終わった話し合い。仕方なくセナの言葉を頭の中で繰り返してみたけど、納得いかなかった。
⭐︎
あの話し合いから二日。なんか腹が立ってきた。おれが対等になりたいと告げたことが犬の遠吠えどころか鳴き声程度に思われている気がする。あの場ですぐおれ本気だぞとか言えばよかったけど、セナがたまに見せる拒絶オーラを感じて踏み込めなかった。あの頑なな感じはなんだったんだろう。あいつが変なとこ頑固なのは今に始まったことじゃないけど。
「月永さん、大丈夫ですか」
「……はい。すみません、もう一度内容をお願いします」
だいたい、お世話になってるって何だ。なってるけど。でもおれだって何度かひとりで仕事受けるところから仕上げて渡すところまでやってきた。それをあいつが管理するとか勝手に決めただけじゃん。
「……以上が内容です。曲の提供だけでなく、月永さんにも出てもらうことになりますが、よろしいでしょうか」
「大丈夫です。よろしくお願いします」
握手を交わす。この前大きい仕事が片付いて、一ヶ月ほど開いている。現場に出向くのも余裕のある今だから大丈夫だろう。
☆
「月ぴ~、作曲のコンペで勝ち残ったんだってね」
れおくんの様子が少し変になってからあまり口を聞いてくれなくなった。その相談も兼ねて同じユニットメンバーの朔間凛月、くまくんに電話すると、心当たりのないことを言われた。
「え、何の話? 聞いてないんだけど」
「知らないの? この前楽譜データ送ってもらったときに言ってたんだけど」
れおくんはSNSを使って楽譜を送り、受けとったくまくんがピアノを引いて音動画にして送り返すやりとりを続けている。れおくんは俺に話さなかった近況を、代わりに彼に伝えていたらしい。音楽に造詣の深いふたりだからわかり合えることが多いとはいえ、一番近くにいるマネージャーも務めている俺の知らないことをしゃべられるのはいい気がしなかった。
⭐︎
「月永レオさんですね? 初めまして、お会いできて光栄です」
「初めまして」
作曲家らしいことはすぐにわかった。催しの内容からして、関係者は音楽関係に絞られる。そして作曲者の名前をよく覚えているのは同業者くらいのものだ。多くの人々はその曲を誰が作ったかなんて気にしない。
「私もこのコンペ出していたんですよ。入選は逃しましたけどね」
「そっか。今、音楽聞けるもの持ってる? もしよかったら作った曲聞いてみたい」
「ぜひ聞いてください。すぐ用意します」
男性はスマホにイヤフォンのコードを差し込み、音楽アプリを立ち上げた。おれはイヤフォンを受け取って耳元に近づける。音量調整を済ませて、画面上の再生ボタンが押された。
⭐︎
「ぜひ握手させてください」
わざわざ人気のないところに連れ込んで言うことか? とは思ったけど、案外恥ずかしがりなのかもしれない。差し出された手を取った瞬間、手を強い力で、関節の可動域と逆方向に捻られた。
「な、何するんだ」と言い終わる前に、男がいつの間にか手に持っている刃物が向かってくる。刺される、と思わず目を瞑って身構えたとき、男の動きが止まった。
カシャン、と刃物が地面に落ちた音がした。
「演技指導も、たまには役に立つんだねえ」
よく知った人物の声が耳に届く。
「セナ!」
目を開けると、セナが男を取り押さえていた。
「れおくん、大丈夫?」
「あ……うん」
男を取り押さえる手捌き、各所へ連絡する手筈の全てが、セナがかつて演じた執事にそっくりで、おれは見惚れながらセナの指示に従って連絡を済ませた。
⭐︎
「あんたが思ってるよりはるかに、悪意を向けて来る人は多いんだよ」
(セナ視点で、自分が誰かに仕事を取られたときのことを回想する。
☆
世の中には、どうにもならないことがある。努力で変えられることなんて、ほんの少ししかない。音楽や写真、モデルなどの芸術分野は尚更だ。
天才は二通りに分けられる。天性のものか、生後努力して身に付けたか。
天性の天才は、そうでない者の気持ちがわからない。人間として生まれた俺たちが息をするように才能を扱うからだ。
当たり前に持っているものの価値なんて、持たざる者にしかわからない。
「あいつがいなければよかったのに」
自分以外の誰かが選ばれたときに浮かぶ思い。自分勝手な考えは簡単に消えてくれない。自分の醜い気持ちを受け入れて、努力の一助にするしかないとわかっていても、感情に飲み込まれそうになることはよくある。
天才様はどうか知らないが、努力するしかない凡人なんてそんなものだ。
近頃は仕事が軌道に乗ってきてひどく落ち込むことも減ってきたから、久しぶりに思い出した感情だった。上手く昇華できればいいが、そうはいかない場合もある。悲しいことに、今回のように相手を潰すことに力を注いでしまう場合もある。
⭐︎
「ねえ、れおくん。聞いてくれる?」
一つの音も逃さないように気を張っている彼に向かって言う。
「俺、れおくんが大好きだよ」
「れおくんとずっと仲良くいたい。れおくんが俺にとって生まれて初めての対等な友達だった。一緒に過ごせて楽しかったし嬉しかった。でも」
「俺には、“対等“ができないみたい。あんたとの関係だって壊しちゃったし」
「だからせめて上下関係なら、飼い主とペットなら、傍にいられると思った」
⭐︎
飼い犬の首輪を解くように、れおくんの首もとのボタンを外した。
「離れようか、俺たち。これからは自由にしていいよ。
日本に帰っても、世界を飛び回ってもいいし、好きなことだけ選んで生きていけばいい。れおくんはもうペットじゃないから、ちゃんとした大人なんだから、大丈夫でしょ」
「ちょっと待て」
すぐさま返ってきた声に、びく、と身体が震えた。
「勝手に決めるなよ」
思わず顔を上げると、はっきりと怒りを孕んだ目に気づいた。
「おれにはお前が必要だ。離れるとか、勝手に決めるな」
瞳を正面から見つめる。怒りの中に、悲しそうな光が見えた。
れおくんの気持ちがわからないなんて逃げ道は、もうない。
あとはただ自分の気持ちを示すだけ。
「一緒にいてお互いに干渉しないなんて、俺には理解できない。引っ付いてお互いに依存するか、離れるしかないでしょ」
それ以外の関係性を俺は知らない。俺は関わった人をできる限り大切にしてきた。知ってることを全部教えて、一緒に過ごす時間を慈しんで、それを脅かすものから守り抜いてきた。母親が俺に対してそうしたように。どこか自分より弱い存在を保護するような、身勝手なやり方だと気づいてはいたけれど。
れおくんに出会ったときは驚いた。言うことを聞いてくれないし、気まぐれだし、すごく自由に振る舞っていたから。それまでのやり方なんて全く通用しなくて、でもどこか一緒にいて面白いと、付いて行ったら楽しそうだと、生まれて初めて思えたから、友達ってこういうものなんだと思い込んだ。
でも、友達という関係は崩れてしまった。
友達初心者だった俺は、心にもないことをたくさん言って傷つけた。他人にいいように利用されて、最後に俺に縋ってきたときも、何もしてあげられなかった。
「俺がどういう人間か、れおくんは知ってるよね。自分自身と身内だけ、管理できる範囲しか大切にできない。それ以外の、俺の考えを超えたものなんて大切にできないんだよ」
「それでいいよ」
「おれがセナの初めての友達だったように、初めてセナの考えを超えた、セナの大切な人になりたい」
「セナはおれが嫌い?」
「そんなわけない」
「じゃあ、一緒に作っていこう。 セナが経験したことない関係ってやつを。
予想もしなかった未来を」
「おれとセナなら大丈夫だよ」
その声色に、表情に、心ががくん、と動かされるような感覚がする。
頓珍漢で大袈裟でめちゃくちゃで、それでも信じてみたいと思わせるような言葉をれおくんは遣う。
そういえば王さまだったな、こいつ。
⭐︎
「終わったーー」
「はいお疲れさま。急がないと間に合わなくなっちゃうよ」
待ち合わせ場所に来たれおくんの手首を掴んで引っ張る。もともと乗る予定だったヘリを逃してしまったので、空港まで行って飛行機を利用する必要があった。
いつもは素直に引っ張られているれおくんが動かないので、思わずれおくんの顔を見た。
びゅう、と強い風が吹き抜ける。
「セナ」
「……何」
「手、繋ごっか」
れおくんはそう言うと、もう片方の手で俺の手を丁寧に離し、握手のように繋ぎ直した。
「行こう」
日差しが強い。気温も少し上がったみたいだ。日焼け止め足さないと、と心の中で呟く。
春がやって来た。