【町東】春は来ない「失礼します、町田先生はいらっしゃいますか」
「おお、西園寺」
名前を呼ばれて入口まで行くと、色素の薄い髪を後ろで結わえた少年がぴんと背筋を伸ばして立っていた。レッスンを受けてそのまま来たのだろう、背中には大きなバイオリンケースが背負われている。これを、と手渡されたのは校内で行われる演奏会の参加申込書で、先日西園寺が参加した室内楽コンクールでカルテットを組んだ向井も出場するとのことで丁度いいからと俺が薦めたものだった。皇帝がせっかく育み芽を出した縁を途切れさせたくないと思ったのが八割、西園寺が出てくれれば毎年なんとなく影の薄いまま終わる校内演奏会も盛り上がるだろうと打算的に思ったのがもう二割。西園寺は初め渋っていたが、どうやらあいつに背中を押されて出ることにしたらしい。
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