熱があるのに熱があるのに
「……ベレスさん。なんで来ちゃったんですか」
寝台の上でぐったりと身体をもたげたシルヴァンが、かすれた声でそう言った。
部屋の扉を控えめに叩いてから入ったベレスは手にした籠を掲げて見せる。
「熱があると聞いたから看病に」
ベレスが寝台の側まで歩いて行くとシルヴァンは掛け物に頭まで潜り込んでしまった。
そこからくぐもった声で「駄目ですよ」と弱々しい声。
「うぅ……ベレスさんにうつさないために内緒にしたのに」
「できると思った?」
「バレる前に治る予定だったんですぅ」
仕方のない子だと、自分を慮りすぎる伴侶を見て苦笑する。ベレスは風邪など引いたことがなかったしうつされる心配ははなからしていなかった。けれど来るなと言われるのは分かりきっていたのでこうして不意をついたのは、やはり正解だった。
寝台をわかりやすく軋ませて腰掛けるとシルヴァンが頭からかぶっている掛け物を剥ぎとる。
「あっ」
赤い頬ととろりとした瞳、下がった眉が体調不良を物語り、気まずげに視線が揺れていた。
「食欲は?」
「あんまり……ちょっと前に熱は上がりきったかんじします」
「そう」
食欲がないのは可哀想だと思い髪を撫でると、シルヴァンが目を細めてほっと息をついたのがわかった。
けれどすぐに手から逃れるようにもぞもぞと動き出す。
「だめです……俺あせ、たくさんかいたから」
「気にしないよ」
「おれが気にするんです」
動きを封じるように頬も撫でると、次第に抵抗は弱くなりやがて大人しくなった。手に熱い呼吸があたり遠慮がちに頬が押し当てこすりつけられる。
これは思ったより弱っているなと心配になり自然と声音が優しく、子供をあやすような口調になった。
「いい子。大人しくしないとね」
「はーい……ベレスさんの手、つめたいですね」
「今日は特に冷えるからね。君の体温が気持ちいいくらいだ」
「俺もつめたくて気持ちいいです。でも……あったかくしてくださいね。ベレスさんまで風邪ひかないように」
「うん。ありがとう」
あまり話が長引くと疲れさせてしまうなと思い会話をやめた。シルヴァンとはいくらでも話せてしまうので、意識的にこうしないといけないのだ。
よしよしと撫でてから腰を浮かせると、ぐっと手を引かれた。
「どこ、か……いくんですか」
驚いたような瞳がいかないで、と言っていた。思わず庇護欲というか、母性本能とでも言うのかそういうものが込み上げてそわりと息が詰まる。
「体、を……拭いてあげようかと」
持ってきた籠を見遣りそう言えばシルヴァンの視線も同じように動く。
「ぁ……あぁ、なるほど……すみません」
納得したような声音とは裏腹に存外強い力で手は握られたままだ。ぴんときたベレスは密やかな動きでそのまま移動する。
「でも、それよりこうしようか」
「へ……」
掛け物の中に潜り込み体を横たえる。シルヴァンが遅れて狼狽えたがもう遅い。
「隣にいるから、少し眠るといい」
ぴたりとくっつき、胸元でシルヴァンを抱きしめる。素肌に触れた額は熱く、撫でる髪の奥の頭皮はじんわりと発汗していた。
鼻先で髪をかき分け口づけるとシルヴァンは嫌がり泣きそうな声を出した。
「ほんとに、だめですって……!」
胸元で無理やり顔を上げたシルヴァンが精一杯体を離そうとしてくるので、ぎゅっと抱きしめてやる。
「こら、さっきみたいに大人しくして」
「あせくさいから、はずかしいんですよ……」
「気にしないって」
落ち着かせようと背を撫でるとシルヴァンは一応は大人しくなった。
「はぁ……すみませんこんな……あんたの前ではいつだってかっこよくいたいのに」
「いつもの君も弱った君も全部君だから心配しなくていい。それに君はいつでもかっこいいし、においだって好きだよ」
「………」
黙った様子から観念したようだとベレスは満足する。毎日自分を助けるためと働き詰めのシルヴァンにはたまの風邪くらいがちょうどいいと、こんな時くらい思いっきり甘やかして休ませるつもりだ。
「眠って、起きたら軽くなにか食べ……」
赤子をあやすように眠る体勢をとった時、もぞりとシルヴァンが足を動かした。そのままぐっと密着され何かが、太ももに。
いやそれはよく知る──。
「シルヴァン……」
驚いて見れば、どこか据わった目をしたシルヴァンがいた。
「えぇ……勃ちました。勃っちまいましたよ。でもそりゃそうでしょうあんなに好き好き言われたら」
具合の悪さはどこにいってしまったのか、驚くべき速さでシルヴァンが言い放ち気圧される。
「そんなに言ったかな。というより、君体調が悪いのに、これは……っぁ」
抱き込んだ頭を無理やりに寄せたシルヴァンが首筋に口づけてきた。口づけというにはやや乱暴でまるで噛み付くような。常より熱い唇からあっという間に情欲の熱がこの身にともってしまう。
「こら……!」
「だめだってわかってます……でも、もうとめられませんよ」
その低くかすれて尚、色を灯した声音に全身がぞくぞくと痺れた。
緩慢な動きでのし掛かられたが跳ね除けることができない。それどころか触れ合う部分全てが蠱惑的で思考が鈍る。
「んっ……ぁ……」
風邪を気にしてか、律儀に唇を避けるように降ってくる口づけの雨をどこかもどかしいと感じてしまう。
これではいけない。自分は伴侶として、元教師として彼を助け導いて──。
「しんどくないの……?」
けれど発した声はどうしようもなく甘さを含み、身体は彼を迎えるように力が抜けていく。
それでも無理をさせるわけにはと、なけなしの理性でシルヴァンを見つめると切な気な笑顔を見せた。
「むしろ、このままっていうほうが無理です……」
言葉通り余裕のない瞳が、閨の中で光っている。もつれる手で釦を外す姿から目が離せない。
「ね……だめですか?」
さっきまであんなに「だめ」だと言って拒絶していたくせに。同じ言葉で了承を乞うなんてなんだかひどくずるい。
答える前に服を脱がされ肌を合わせられた。性急で遠慮のない手が身体をまさぐる。それが熱くて熱くて、気持ちよくて流される。
「だめ、じゃ……ない」
獣の瞳が満足そうに歪む。
「でも少しだけ。熱が上がらないように……」
覆いかぶさってきたシルヴァンが耳打ちする。
「ええ、それでいいです……少しでおわれるなら」
「……善処する」
それからはもう何かが決壊したように互いを求め合い──。
「んっ……君はうごかなくていいから」
「っあ……そん、な……の、どこで覚えたんですか」
またがって腰を揺らしながら愛しさに頬を撫でれば、快楽に苦しそうな声が上がった。汗で張り付いた髪をかき上げてやり、その額に口づける。唇が湿り汗の味とにおいがして一層の興奮。
「もちろん、君から……ぁっ…ん……ねぇ、口づけは……?」
「だめ、ですよ……うつしたくない」
唇を封じるようにシルヴァンが手で口元を覆ってしまい、もう今更だろうと焦れる。
身体をくずおり顔を近づけ、されたのと同じように口づけの雨を降らせながら、強請るように中を締め付けてやるとシルヴァンが喘いだ。
「っぁ、ちょっとそれ……っん」
「……少しだけって、言ってたものね」
唇が駄目ならとその他の部分に唇を押し当てた。目尻、頬、鼻、それから耳。身体を撫で回しながら腰をつかい、耳をなぶった。
ぁ、あと声を漏らしながらシルヴァンが腰を震わせている。
「みみ、っうぁ……!」
「……かわいい。早く終わらせて、ゆっくり……んんっ、やすまなきゃ…っ……!」
こんなにもどかしい交わりなんて耐えられない。シルヴァンにはしっかりと体調を整えてもらおうと改めて誓う。
けれどその末に、こんなにはしたなく腰を動かして、常よりも互いに遠慮のない性交をしていてはもう本末転倒だ。
熱があるのに。
熱があるから。こんなにも火がついてしまったのだと言い聞かせ、互いに果てつくしてしまった。
翌朝、いくら「だめ」だと言っても元気になったシルヴァンに通じるはずもなく──。
「たまには風邪もひいてみるもんですねぇ!」
幸せそうに笑いながら押し倒してくるシルヴァンに、いい加減怒ったベレスが「もう看病しない」と臍を曲げるのだった。
風邪なんてひかないで、という真意と心配がきちんと伝わったのはしばらく後の話だった。