Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    s a t o u

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 🍩 🍉 🍔 🌟
    POIPOI 15

    s a t o u

    ☆quiet follow

    あめゆめナイト
    ※キャチアス時間軸

    #飴村乱数
    AmemuraRamuda
    #夢野幻太郎
    fantaroYumeno
    #あめゆめ
    rainOrShine

    zzz...
     おととい、午前4時18分。
     昨日、午前3時47分。
     そして今日、午前2時36分。
     シブヤ郊外のホテルの一室で飴村乱数は携帯電話の画面を見つめる。朝5時にセットしていたアラームには今日も仕事をさせてやれなかった。
     アラームをオフにしたのち、携帯を枕元に伏せそっと身体を起こす。寝起きのぼやけた意識のまま、乱数は自分の両側で寝息をたてる二人の男に目をやった。ベッドサイドの仄かな灯でも仲間の顔はよく見える。右隣の男──有栖川帝統は布団を跳ねのけ両手両足おまけに口までいっぱいに広げている。ガウンが乱れ、太腿どころか下着までもが露わになっている。対照的に左隣の夢野幻太郎は身体を丸めてじっと静かに目を閉じている。
     乱数は二人を起こさないようにそっとベッドの上を這い、布張りのやわらかい床に足をつけた。ベッドの下に散らばったスリッパを二つ引っ掴んで履き、窓辺のソファへと腰を下ろす。細心の注意を払ってカーテンに指を寄せ、少しだけ持ち上げて覗き込む。その隙間から見えるのはどこまでも夜だった。
     幻太郎が小さく呻いて仰向けになる。帝統がとろりとした声で乱数の名を呼ぶ。乱数はソファの中で膝を抱え、そっと目を伏せ友人二人の朝を待つ。
     寝言に返事をしてはならないと、昔誰かに教わった。




     それはもう散々な一週間だった。
     中王区から逃げ果せるためシブヤ郊外のホテルに転がり込んだ月曜日。
     別の「飴村乱数」がシブヤに現れた火曜日。
     言浚に襲撃を受け邪答院仄仄と対峙した水曜日。
     有栖川帝統から「もう大丈夫だ」と宣言された木曜日。
     そして、そうは言っても油断ならないと夢野幻太郎の隠れ部屋で三人一緒に過ごした金、土、日。
     もう一度巡ってきた月曜日の朝、隠れ家を後にすると、シブヤに構えている飴村乱数の事務所はもはや事務所とは呼べない惨状になっていた。
     靴の跡がつけられたデザイン画が床に散らばり、メートル数万円の生地やコレクション用のサンプルはひっくり返され、ソファもテーブルもデスクもパソコンも何もかもがてんでばらばらの場所にあった。
     乱数は事務所の入り口に佇んだままそんな部屋の中を見回した。どこから片付けるべきだろう、面倒くさい、わざわざ散らかさなくたってそんな場所に隠れられないことくらい分かるだろうバカなのか?と胸中で言浚に向かって毒づいた。
     生地、傷んでいないといいな。そうだ、パソコンは無事だろうかと立ち尽くしたまま考える。考えるだけで一歩も動くことができなかった。
     背後で帝統が舌打ちをした。幻太郎が小さく息を吐いた。乱数が振り返ると、二人ともそっくり同じような顔をしていた。眉根を寄せ、かたく口を結んで事務所の中に目を向けていた。どうしてお前たちが怒っているんだ、と乱数は狼狽し、慌てて二人の顔から視線を逸らす。不意に帝統の手が頭に乗せられ、幻太郎の指が肩に置かれた。
    「大丈夫だよ」
    「大丈夫ですよ」
     いったい何が、と乱数は叫び出したかった。そうしたかったが声が出なかった。かわりに「ふ」に似たおかしな音が喉の奥から漏れ出た。散々な一週間だった。頭と肩に置かれる手はどうしようもなくあたたかく、乱数はゆっくりと水色の袖で両目を擦った。



     「乱数、コンセント貸してください」
     事務所のソファに座り込み、執筆作業をしていた幻太郎が言った。いいよテキトーに使って、と作業部屋から声を張り上げて返事をすると、ややあってキーボードを叩く音が乱数の耳に届いた。
    「へぇ、ゲンタローってパソコン使うんだ」
     作業部屋から顔だけ覗かせて声をかけると、幻太郎は手を止めて画面から顔を上げた。
    「ええまあ、紙に書くことの方がずっと多いですが」
     四方八方に色彩が犇めくワンルームに、書生服の男がパソコンと向き合っている。なんだかへんなの、と乱数は小さく笑って再び事務所へと引っ込んだ。

     ひっくり返されたトルソーもサンプル用の布も乱雑に動かされたソファもデスクも、三人がかりで一日かけて、すべて収まるべきところに収めた。
     帝統がもう大丈夫だと宣言した通り中王区からの襲撃はぱったりと止み、別個体の飴村乱数は街から姿を消してしまった。勘解由小路無花果からの連絡は途絶え、他ディビジョンに出向いてあれこれ画策する日々も終わりを迎えた。再び乱数はシブヤを闊歩することができるのだ。それなのに、不安の塊のようなものがずっと消えないでいることが煩わしかった。
     だから乱数はこれまで以上に服と向き合うことにした。おかしな話だが、服のことを考えている間は不思議と何も考えずに済んだのだ。
     それでも集中力は切れる時には切れるもので、十六枚目のデザイン画を描き終えたところで乱数は両手を合わせて頭の上で伸びをした。ポキ、と身体のどこかで骨のような音が鳴った。幻太郎が差し入れにと持ってきたオレンジジュースに口をつけながらデスクの上を眺め、積み上げられた雑誌や書籍の山の中から一冊の本を手に取って開く。以前、なんでもいいからインスピレーションが湧くような本を持ってきてと幻太郎に声をかけたところ、『世界の絶景100選』やら『ミッケ』やら『マクベス』やら、ありとあらゆるジャンルの書籍を携えてやってきたのだ。乱数が適当に手に取った本は横長の絵本で、表紙には鮮やかなあおむしが描かれていた。

     「このえほんを いもうとのクリスタに」

     はじめに書いてあった文章をなんとなく読み上げると、パソコンを叩いていた音が止まり、「何です?」と幻太郎が声を上げた。穏やかな響きの中にわずかばかりの苛立ちを含んだその声は、幻太郎の執筆作業の行き詰まりを乱数に感じさせた。
    「乱数?」
     次に幻太郎が声を上げたとき、そこに心配の色を滲ませているのがわかった。そのどうしようもなく優しい声が乱数は苦手だった。正確には苦手、ではなくもっと別の感情なのだろうということに気がついてはいるが、乱数はそれを表す適切な言葉を知らなかった。だからとりあえず苦手というタグをつけておくことにしたのだ。
     #乱数は幻太郎が自分を呼ぶ優しい声が苦手だった
     隣の部屋で幻太郎が立ち上がる気配がしたため、乱数は絵本を開いたまま男のいる部屋へと向かった。ソファから腰を浮かせて今にも立ち上がらんとしていた幻太郎は、乱数が作業部屋から顔を覗かせると再びしゃんと腰を落ち着けた。
    「ほら、ここにそう書いてあるの。なんで?クリスタって誰?」
     乱数は幻太郎の隣に座って絵本を開いてみせる。乱数の手元を覗き込みながら夢野幻太郎は「ああ」と合点がいったように短く声を上げた。
    「外国の絵本によく書いてある文ですよ。マーガレットに捧げます。愛するトムへ。エトセトラ、エトセトラ。ちなみにクリスタとはそこにそのまま書いてあるように作者の妹です。確か二十近く歳の離れた妹だった筈」
    「ほんと?」
    「本当ですとも。小生生まれてこのかた嘘をついたことなんてありませんもの」
    「わ、これへんなの。絵本に穴があいてる」
    「仕掛け絵本です。ほら、あおむしはイチゴを食べてオレンジを食べてチーズにサラミにペロペロキャンディまで食べて⋯⋯」
    「チョウになるんだ」
    「この色彩。まるであなたの創る服のよう」
     ふ、と小さく笑って幻太郎は絵本の中のチョウを指さす。涼やかに見えるものの、その横顔はひどく疲れ切っていた。それが執筆の苦しみによるものだけではないことを乱数は知っていた。
     中王区から逃げ果せるためのホテルを手配したのは幻太郎だった。朝から晩まで帝統と交代で見張りを行う日が数日続き、それだけでなく帝統にも乱数にも黙って何かの策を講じていた。おまけに事が解決すれば待っているのは小説業の締め切りだ。その疲労は乱数には計りしれない。
    「ゲンタロー」
     乱数が呼びかけると「うん?」と幻太郎は視線だけを向ける。その目の下にはうっすらと隈が見える。
    「少し寝たら?なんかもう寂雷んとこのリーマンみたいな目になっちゃってるよぉ」
    「もう締め切りだってのに全然進まないのは俺のせい⋯⋯」
    「アハハ、似てる似てる」
    「眠れないのも俺のせい⋯⋯。俺のせい⋯⋯」
    「違う。ボクのせいだよ」
     社畜の真似事をしていた小説家は顔を上げて乱数を見た。乱数は唇を結んで幻太郎を見据えていたが、耐えきれずテーブルの上に開かれている辞書へと視線を移した。幻太郎は短く息を吐いてパソコンを閉じる。
    「それじゃ少しだけ横になりましょう」
    「うん⋯⋯うん。ほら、これ枕にして、これ掛けて」
     ソファに仰向けになる幻太郎にクッションを手渡し、自分の着ている水色の上着を脱いだ。
    「おや、よろしいので?」
    「うん。毛布がわり。今日お天気なのに少し寒いもん」
     幻太郎は瞳をやわらかく乱数に向けた。乱数はソファの脇に座り込む。
    「大丈夫だよ、眠っていいよゲンタロー。いい夢見てね」
    「それはそれは」
    「おやすみゲンタロー」
     乱数が言い終わるが早いか、幻太郎は目を閉じる。それからじっと固まったまま少しも動かない幻太郎の寝相の良さに感心しながら、乱数はそっとソファを離れた。
     デスクの上に置いていた携帯から軽快な通知音が鳴った。メッセージを開いて手早く返信をする。いくつかメッセージのやりとりをしてスタンプを押したのち、乱数は携帯をズボンのポケットにしまってそっと事務所を出た。


    「アレクサ、おやすみ」
    「わぁ!すごいねぇ。オネーサンの声で電気消せちゃうんだあ」
    「この間セールで安くなってたから買っちゃったの。けっこう便利だよ」
    「でもでもぉ、ボクより先に機械がオネーサンにおやすみって言うなんて、ちょっと嫉妬しちゃうなぁ」
    「まだ私たち眠らないからいいじゃない?」
    「今夜はだぁめ。オネーサンあした朝イチで大事な会議だって言ってたでしょ?もう寝なきゃメッだよ」
    「久しぶりに会えたのに⋯⋯。でも乱数ちゃんにそう言われたら我慢するしかないなあ」
    「偉い偉い。オネーサンはいい子だね」
    「なんか電気消したらほんとに眠くなってきちゃった」
    「うん、眠いねぇ。おやすみオネーサン」
    「おやすみ⋯⋯」

     静かな寝息を耳に留めながら乱数はそっとベッドから抜け出る。冷蔵庫に貼り付けられたホワイトボードにメッセージを残して高層マンションを後にする。二十四時が近いシブヤの街は昼間とは違った明るさと鮮やかさを纏っている。耳障りなほど大きな声で笑いあうスーツ姿の中年男性4 人組、腕を組んでふらふらと歩く恋人たちとすれ違う。
     事務所のビルまであと数メートルというところで、乱数は歩みを止める。ビルの入り口には幻太郎が立っていた。明らかに怒っている、ということが離れていても明確に乱数には伝わってきた。
    「あ、ゲンタロー起きたの?」
     乱数が声をかけると、幻太郎は小さく口を開き眉根を寄せた。珍しい顔だなとだけ乱数は思った。
     幻太郎はしばらくその表情のまま静止し、やがて諦めたように大きく息を吐いた。
    「乱数、こんな時間までどこへ⋯⋯」
    「オネーサンのところだよ?」
    「お⋯⋯」
     幻太郎は片手で顔を覆い、もう一度息を吐く。
    「小生が起きたらあなた、事務所にいないんですもの。出掛けるなら出掛けると連絡くらい寄越して然るべきでは?」
    「ごめんってばゲンタロー。オネーサンから連絡がきてさぁ。ちょっと会ってすぐ帰るつもりだったんだよ?でもオネーサンが寂しがってたんだもん」
     これまで何度もそうしてきたように顔の筋肉を動かして「笑み」の形を作り、跳ねるように幻太郎に近づく。俯く幻太郎の顔に違和感を覚え、乱数はわずかに目を見開いた。
    「なんかさ、ゲンタローすごい、汗かいてない?」
     いつもふわふわと遊んでいる髪が顔まわりに貼り付いている。ソファで眠るよう促す前よりも疲労感が滲み出ている。
    「さっきまであなたを探し回っていましたから」
    「ボクを?なん⋯⋯」
    「なんで?なんて訊いたら流石の小生も怒りますからね」
     幻太郎はわざとらしく語気を強めてみせた。そして、呆けたような顔をする乱数に目をやりふっと小さく笑う。
    「それにしてもよかったです。あなたに何もなくて。ああ、午睡で回復した大量がゼロになってしまいました」
    「事務所で休んでく?泊まってってもいいよ」
    「いえ。風呂にも浸かりたいですし、何より原稿を上げなければなりませんから⋯⋯今晩はうちへ帰ります」
     そう、それじゃあまたね、と手を振ろうとすると幻太郎は何かを思いついたように「あ」と短く声を上げた。その先に続いた言葉に乱数は瞬き、小さく頷いた。


     幻太郎の家まではずいぶんと歩いた。まだかな、と乱数が思ったところで「着きましたよ」と幻太郎が立ち止まったのは何の変哲もないアパートの前だった。幻太郎は懐から鍵を取り出してドアを開け、当たり前のようにその部屋の中へと入った。ブーツの靴紐を緩め、玄関に揃えて置く姿を見つめていると、幻太郎は視線だけをあげて小さく笑った。
    「どうぞ、そんな所にいないでお入りなさい乱数」
     おじゃまします、と呟いて部屋の中へ入り、幻太郎に倣って靴を揃える。
     幻太郎の部屋は驚くほど普通だった。玄関のすぐ奥に簡素なキッチンがあり、その先の八畳程度のリビングにはソファやテレビなんかが置いてあり、その隣には同じくらいの広さの和室があった。一つだけ普通じゃないな、と乱数が思ったのはその部屋が本に埋もれているところだけだった。
    「一軒家に住んでいると思っていました?」
     暗い和室で羽織紐を外しながら幻太郎が言った。乱数はとりあえず三人掛けのソファの端に腰を落ち着ける。
    「うん。おじいちゃんがいるような、古くて大きい家」
    「障子や襖があるような?」
    「そうそう掛け軸とか縁側があるみたいな」
    「それは本邸ですね。ここは執筆作業用に借りているだけの部屋ですから」
     へえ、と乱数が返すと幻太郎は「嘘ですよ」と軽やかに笑う。

     風呂から出ると、リビングのテーブルが窓際に寄せられ布団が敷かれていた。和室(幻太郎は書斎、と呼んでいた)の襖が開いて幻太郎が顔を覗かせる。白いTシャツに黒いルームウェア。こんなに気の抜けた格好の幻太郎を見るのは初めてだった。
    「小生はしばらく作業しますから。乱数は眠ってくださいね。そこのリモコンで電気は消せますから」
    「うん。わかった」
    「おやすみなさい乱数」
     幻太郎にそう返事をしたものの、何時間経ったって何をしたって乱数に眠気が訪れることはなかった。うんざりして携帯に触れると五時を少しばかり過ぎていた。毛布を取り払うと、部屋の中はどこもかしこもぼんやりとした薄水色に染まっていた。和室の扉を滑らせると、幻太郎は低い机に突っ伏して小さく寝息を立てていた。リビングからさっきまで自分の使っていた毛布を引っ掴んで肩からかけてやると、不快そうにくぐもった声を上げたあと、幻太郎はゆっくりと目を開けた。
    「あ、ごめ、ん。ゲンタロー⋯⋯」
    「らむ、だ⋯⋯?」
     寝起きの低くしゃがれた声で幻太郎は乱数を呼ぶ。
    「おつかれさま。ねぇ、こっちの布団で寝なよ。寒くしてるとカゼひいちゃうよ」
     乱数の言葉に幻太郎は二、三度瞬きをしたのち呟きを返したが聞き取れなかった。薄い唇をむにむにと動かし、幻太郎はそのまま再び眠りへと落ちていったらしかった。乱数は毛布をしっかりと幻太郎にかけ、どこまでも穏やかな寝顔を見つめる。ふ、と思いがけず笑みが溢れた。
    「いいなあ」と思わず漏れ出た言葉は誰にも聞こえていない。


    6
     「昨晩は眠れましたか?」
     軽くトーストしたバターロールを手にした幻太郎が、向かいに座る乱数に訊く。乱数はヨーグルトを飲み込み「うん、ありがと」と笑って嘘をついた。幻太郎は二度だけ瞬き、「それはそれは」と普段と変わらない柔和な笑みを乱数に向け、残りのバターロールを口に押し込んだ。
     正午になる前に乱数は幻太郎のアパートを後にした。女性たちから何件かメッセージや着信が入っており、歩きながら全てに返事をするうちに事務所へと着いていた。
     デスクに向かう気になれず、一人掛けのソファに体を沈める。棒付きの飴をからころと舌で転がし天井を眺める。その間も乱数の頭の中では数週間後のコレクションの構想やら二時間前にSNSで話題になっていた海外モデルのゴシップやら次回のラップバトルのことやらと、とにかく絶え間なく情報が渦巻いていた。ふっと瞼が重くなる気配を感じた瞬間乱数は飴を噛み砕き、残った棒をゴミ箱へと投げ捨てる。勢いよくソファから起き上がるとスプリングが低く鳴いた。煩雑としたデスクへと向かいスケッチブックを開く。仕事だけが、デザインだけが、飴村乱数を飴村乱数のかたちに留めておいてくれる唯一の寄る方だと信じて疑わなかった。


     その日、乱数が開けたドアの向こうにいた幻太郎は、乱数が彼に出会ってから初めて見る顔をしていた。
    「乱数⋯⋯あなた、その顔いったい⋯⋯」
    「ゲンタローじゃん久しぶり!今日は別に呼んでないけど⋯⋯何の用?入る?」
     幻太郎は狼狽を隠そうともせず乱数の肩に手を置いた。乱数は困惑してそんな幻太郎を見上げる。
    「何?」
    「乱数あなた、徹夜明け⋯⋯いや、徹夜明けというよりここしばらく寝ていないんじゃあありませんか?」
    「んーといろいろ仕事が忙しくって。ほら納期も結構ヤバいの。締め切り前の大変さ、ゲンタローなら分かってくれるでしょ?」
     乱数は口と目を笑みの形に整え、軽めの音を喉から出す。幻太郎は険しい表情のまま、乱数の肩に置いた手に力を込めた。
    「それでも少しは休むべきです」
    「じゃあさその分、ゲンタローがボクの仕事を手伝ってくれるの?」
    「それは⋯⋯できかねますが」
     幻太郎は眉根を寄せ、そっと目を伏せる。そんな男を見あげながら、乱数は嘲るように短く笑った。
    「でしょ?もうボク仕事に戻らないと」
     幻太郎の手を跳ね除け踵を返した瞬間、鮮やかな部屋がぐにゃりと曲がる感覚に襲われ乱数は思わず膝をついた。
    「乱数!」
     幻太郎が駆け寄り、咄嗟にテーブルの上の飴を手に取り乱数の口元へと近づけた。
    「飴、は大丈夫。ついさっき食べたから」
    「乱数」
    「ん⋯⋯」
     幻太郎は乱数を抱き起こしてソファへと寝かせた。無造作に顔にかかる髪の毛をそっと指で払ってやり、乱数の目を見て口を開く。
    「眠れないのですか?」
     乱数は幻太郎の言葉を耳に留めながらその意味を理解しようとする。しかし、今自分が感じている気持ちを表すに相応しい言葉を、乱数はどうしても見つけられず苛立つように頭を振る。
    「わかんない。でも、別に眠りたいとも思わない」
     普段いきいきとした光を湛える瞳をぼんやりと濁らせたまま乱数は呟く。そんな乱数の姿を見ながら、幻太郎はわずかに開けていた唇をきゅ、と結んだ。
    「小生はあなたの生業の手助けはできません。それでも、あなたに寝物語を聞かせてあげることくらいはできます。だから」
     乱数は目玉だけを動かして幻太郎を見る。以前"苦手"のタグをつけてそのままにしておいた幻太郎の声色を耳に留める。
    「ねぇゲンタロー。怖い夢を見たらどうしよう」
    「小生が食んで差し上げましょう。なにせ某の正体は貘ゆえに」
    「ねぇゲンタロー。ボクが寝てる間に怖いオネーサンが来たらどうしよう」
    「小生が返り討ちにしてみせましょう。なにせ我の正体は風魔の末裔ゆえに」
    「ねぇゲンタロー、どうしよう」
    「うん?」
    「ボク、ねむいかも」
    「それは⋯⋯僥倖」
    「ボク、もう明日は仕事しない。オネーサンにも会わない。バトルのことも中王区のことも起きてから考える。だからもうゲンタロー、ボクのこと起こさないでおいてね」
     幻太郎が「何を今さら」と小さく笑う。
    「小生があなたを起こした事なんか無いでしょう」
     呆れたようなその言葉に乱数はわずかばかり目を見開き、それから深く深く息を吐く。幻太郎も帝統も誰も、乱数を起こした事なんてない。夜明けより早く鳴るアラームも自分で自分につけた枷だった。
     幻太郎は外套を脱ぎそっと乱数の身体にかけた。
    「あなたが目を覚ましたとき、必ずそばにいますから」
    「へんなの。ゲンタローってばお母さんみたい」
    「いいえ、僕はあなたの友人です」
    「ここにいて」
    「ええ、ええ。そうしましょう。だから今はもう眠りなさい乱数、全力で。いい夢も悪い夢も何も、なにも見ずに」
    「物語を聞かせてくれるって言った」
    「ご所望であれば」

     ぼんやりと霞がかかりはじめた意識の中、友人の「むかしむかし」の語り始めだけを聴きながら、飴村乱数は目を閉じる。




     
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭👏😭👏😭👍🌠💞💞👏👏💯💯💯💗👏👏👏👏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works