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    パラロイティカクロ

    #パラロイ
    paraloy
    #ティカクロ
    tikakuro
    #まほやくSS
    mahoyakuSs

    「結婚しようかな」

     フォルモーントシティのとある店。その3階にある一室で、ラスティカ・フェルチは呟いた。
     照明はごくわずかな光に絞られていて、壁一面のスクリーンには長髪の麗人が高層ビルの最上階から飛び降りる場面が流れている。彼らのお気に入りのスパイ映画があと24分で終わるところだった。
     彼の隣に座っていたアシストロイドのクロエは、じきにクライマックスを迎える映画のワンシーンに魅入っていた。そのためラスティカの言葉はただの「音」として一瞬処理されかけたが、クロエがそれを「理解」した瞬間、弾けるようにしてソファから立ち上がった。

    「結婚!?ラスティカ結婚するの!?あんたに好いひとがいたなんて俺知らなかったよ!ねぇ誰!?俺が知ってる人!?」

     クロエはグッと両手に拳を握り、もう一度「ねぇ!?」とラスティカに詰め寄った。白い服に覆われた胸元が青白く光っている。オーナーに突然降って湧いた話に興奮しているのだ。クロエはカルディアシステムを搭載される前から恋バナが好きなアシストロイドだった。ラスティカは控えめに声をあげて笑った。

    「君とだよ、クロエ」

     クロエはアシストロイドにあるまじき処理速度でラスティカの言葉を解析した。瞬きも呼吸も忘れ、両手を握ったままのポーズでいたため「あれ?クロエ?フリーズしたかな」とラスティカが慌ててクロエの頬を両手で包んだほどだった。

    「俺とラスティカが、結婚」

     ラスティカが頷く。クロエはそっとソファに腰を下ろし、握りしめていた両手の拳を解いて膝に置いた。ラスティカはクロエの手の上に自分の手のひらを重ね、クロエがいつものかわいい顔で「うん!」だとか「嬉しい!」だとかとにかくそういう明るい返事をするのを待った。

    「⋯⋯無理、だと、思う」

     
     スクリーンにエンドロールが流れ始めた。
     ちなみにラスティカにはその後に関して一切の記憶がない。




     朝一番にラスティカのメンテナンスショップへとやってきたヒースクリフは絶叫した。普段ならばこの時間2階の自室で眠っているはずの店主がなぜか入り口に横たわっており、それと気付かず思い切り踏んづけてしまったからだ。

    「ラ、ラスティカ!?すみません!え、ええと⋯⋯どうしてこんなところに⋯⋯」
    「振られたんだ⋯⋯クロエに」

     なんだ、とヒースクリフはほっとして柔らかな笑い声を上げた。

    「クロエ、最近忙しそうにしてますもんね。何に誘ったんですか?映画?ショッピング?」
    「結婚」
    「そうですか、結婚」

     横たわるラスティカの傍に膝をついてウン、ウンと話を聴いていたヒースクリフは本日二度目の絶叫を上げた。
     その声に気づいた彼のペットロイドが駆けてきて、瞬時に人型に変わる。

    「ヒース!無事か!?クソッ⋯⋯センサーがイカれちまってんのか?」
    「シノ⋯⋯あ、いや、別に俺の身に危険が起きたわけじゃないよ。ちょっとラスティカにびっくりしただけだから大丈夫」
    「は?オイ、お前。オレのヒースを驚かすなんて良い度胸だな」

     ツンツンとラスティカの頬に人差し指をめり込ませるシノを慌ててヒースクリフが制止する。ラスティカは赤くなった頬を片手で押さえてずるりと起き上がった。いったい自分がなぜ店の入り口で倒れていたのか、ヒースクリフに踏んづけられて目を覚ますまで全く覚えていなかった。

    「ラスティカ、クロエは?」
    「⋯⋯ああ、ハート財団の施設にいるみたいだ。今日はボランティアイベントを手伝いに行くって言ってたっけ⋯⋯」
     手首につけている機械でクロエの位置情報を確認したのちラスティカはふたたびガクンと項垂れた。そんな彼を慰めるようにポン、ポンとぎこちなく、それでいて優しいテンポでヒースクリフが背中を叩く。「いいなそれ。オレにもしてくれよ」と本気の声色でシノが言う。シノはいつだって本気だった。ヒースクリフが何か言おうとすると同時に彼のポケットから電子音が鳴った。
     電子音の鳴る機械を取り出したヒースクリフは、発信元の名前を見た瞬間、「シィ、」と唇に人差し指を立てて店の奥へと移動した。2、3分ほど経って奥から戻ってきたヒースクリフが額に汗を浮かべていたものだから、シノは驚愕して主人の元へと寄り添った。

    「ヒース、どうした。誰からの連絡だったんだ?」
    「あ、ええと⋯⋯。あの、ラスティカ。今日はこれから何か予定はある?」
    「⋯⋯?ないよ。定休日だし、依頼されていたメンテナンスはすべて終わらせているから」
    「そう、じゃあ少し俺に付き合ってもらってもいいかな」
    「どこへ?」

     ヒースクリフはおずおずと、下町の隙間から遥か遠く、摩天楼のように聳え立つハイ・タワーを指差した。

    「あそこの最上階へ」



     クロエに振られ、ヒースクリフに踏まれ、シノに頬を好き勝手いじられドン底に這いつくばっていたラスティカは、その数時間後にはフォルモーントシティで一番高い場所にあるバーのソファで小鳥みたいにその身を縮こまらせていた。
     地上から最上階までエレベーターなような機械でやって来たため緊張と酔い、高低差でラスティカの気分は最悪に近かった。隣に座るヒースも彼ほどではないが身体を強張らせている。犬型に変形したシノだけが、主人の足元で普段通りにシャンと背筋を伸ばしている。

    「ヒースクリフ」
    「はい」
    「ここって、まさか」

     ラスティカがフロアの主の名前を言う前に、コツ、と革靴の音が鳴った。靴音は一定のテンポでラスティカとヒースの元に近づいてくる。ラスティカは俯き、無意識にクロエの姿を探したが当然ここにいるはずもない。靴音が止まるのと同時に、花によく似た香りが鼻をくすぐった。

    「ようこそ。ヒースクリフ、そして⋯⋯」 

     俯いていたラスティカは観念して顔を上げた。
     ありとあらゆる媒体で彼の顔を見たことがある。
     ありとあらゆる人が彼の名前を口にするのを聞いたことがある。
     シャイロック・ベネット。
     結えられた艶のある黒髪は無造作に見えるが一切の隙がない。薄い唇は完璧に笑みの形をつくっていて、サングラスの奥に光る切れ長の眼は優しさに溢れているが、こちらを値踏みしているようにも見える。想像していたよりも背が高く、線の細い麗人だった。
     シャイロックは視界を覆っていた薄いサングラスを上着の胸ポケットに掛けた。マナプレートを抜かれたアシストロイドのようにジッと固まるラスティカを愉快そうに見下ろしながら、シャイロックはやわらかい声で語りかける。

    「⋯⋯私の顔に、何か」

     ラスティカは夢から醒めたように息をした。おもむろに立ち上がり右手を差し出す。

    「は⋯⋯はじめまして、ラスティカ・フェルチと申します。ウエストストリートのメンテナンスショップでエンジニアをやっています。ぉ、お会いできて光栄です、ベネットさん」

     少し吃ってしまい頰が熱くなる感覚に恥入りたくなったが、シャイロックは気にするそぶりもない。彼を目の前にするとたいていの人間はそうなってしまうのだ。
     ラスティカと握手を交わし、ヒースとハグをする。一通りの挨拶が済み、三人ともがソファに腰を落ち着けたところで、思い切ってラスティカが口を開いた。

    「それで、ベネットさん」
    「シャイロックとお呼びになって。このバーからの景色を共有できる方々はみな私の友人も同然です」

     圧倒的な余裕と貫禄。すべてをその手で選び取ることのできる人間の言葉は重く熱い。しかしシャイロックはその言葉の重さを、視線と口調でいとも簡単に心地よいものにしていくこともできる人間である。だから彼に会う人は皆、シャイロックを好きになる。
     普段ならばどうにかして会話を切り上げようとするラスティカも、シャイロックとの会話は不思議と続けられそうな気がしていた。

    「シャイロック。何故僕をここに?」
    「そうですね。ふふ、数時間ほど休息の時間が取れたので、ヒースクリフを招こうと連絡をしたのですが──ほら、昨年の暮れに会う約束をしていたのに私の都合で泡になってしまったでしょう?──"ラスティカがプロポーズを断られて落ち込んでるんだ。だからそばにいてやりたい"なんて言われたら気になって仕方がなくって。金、商売、権力、策略に秘密⋯⋯いずれも魅力的な話題ですが、いささか食傷気味なのです」

     ラスティカはグルンと首を直角に曲げて無言でヒースを見た。真っ青で真っ赤な顔をしていた。ヒースも無言で「ゴメン」といいたげな顔をした。それで、とシャイロックは歌うように続ける。

    「ラスティカ・フェルチ。カルディアシステムを開発した才人のうちのひとり。そんな人間の恋の話、きっとどんな美酒より刺激的で甘美な味わいに違いありません。どうかあなたの時間と言葉を私に分けてはいただけませんか?」

     あなたの語る物語に、ふさわしい対価となりますよう、とシャイロックは自らの手でグラスにワインを注いだ。以前ブラッドリーがベネットのワインを手に入れたと上機嫌になっていたが、今ラスティカに注がれたワインはその一杯分でセントラルストリートの一等地に家が建てられるほどの価値のあるものだ。
     僕はこれから家を呑むのか⋯⋯とワインの中でぐにゃぐにゃになっている自分の顔を見ながら、トンチンカンな感想を抱いた。

    「ヒース、あなたはまだ酒を飲める年齢ではなかったですね」
    「はい。ですが成人の記念日にはベネットのワインを開けようと決めています」
    「ふふ⋯⋯嬉しいことをおっしゃる。ゆっくりこちらの世界にいらして。酒は良いものですよ。たいていの物語に酒はつきものですから」

     シャイロックはカウンターへ赴き、やがてバーから見える海とおなじ色をした飲み物を運んできた。ラスティカは重く息を吐いた。

    「シャイロック。残念ながら僕の物語にはお酒は登場しませんよ。クロエは炭酸飲料、僕はアルコールよりカフェインを好みますから」
     おや、とシャイロックはゆっくりと瞬いた。ほっそりとした指をステムにかけ、軽く持ち上げて微笑む。

    「素敵。では今日このとき、この瞬間。あなた方の物語に初めて登場するのはベネットの酒なのですね」
    「⋯⋯物語も何も、僕とクロエは終わってしまったんだ」
    「才人って何故かくも情熱的なのでしょう。ですが心が動く限り、誰の物語も終わることはないと私は思っていますよ。いえ、たとえ心臓が燃えても止まっても、物語は続いていくのだと」

     三人はグラスを寄せ合い、広いバーに杯の音が小さく響く。
     同時にシャイロックの腕時計から電子音が鳴った。数秒画面を操作すると、エレベーターの到着音ともにバーの入り口から喧騒が聞こえてきた。

    「さすがハイクラスの坊ちゃんだぜ。真昼間から警察署長様を捕まえてこんな場所に呼び出すってんだもんなぁ」
    「ここが噂に聞くベネットのバー⋯⋯。こんな場所、生きてるうちに来られるなんて夢にも思わなかった⋯⋯ああ、ボス。ヒースクリフがあそこに。あれ?ラスティカともう一人いるな」
     声の主はブラッドリーとカインだった。警官服姿のまま、「よぉ」と片手を挙げてソファに近づいてきた二人は、ヒースクリフの向かいに座る人物を見て息を呑んだ。

    「⋯⋯ハハッ。バーの主人までいやがるときた」
    「シャイロック・ベネット!?本物に会えるなんて今日が俺の人生で一番ラッキーな日だ!なあ、サイン貰えるか?あ、でも警察手帳しかないな」
    「馬鹿野郎が」

     ブラッドリーはいそいそと警察手帳を取り出そうとするカインの頭を容赦なくはたいた。そして、胸元から出した四角い厚紙を両手で持って、真顔でシャイロックへと突きつけた。色紙である。ベネットのバーに呼び出しがかかった時から万が一のときのために備えていたのだ。そういう先見の鋭さから、この若さでフォルモーントシティポリスの署長にまで成り上がっていった男だった。
    「お名前は?」
    「ブラッドリーです」
    「ブ、ラ、ッドリーくん、へ⋯⋯」
    「ざっす」
     サラサラとシャイロックがペンを走らせる姿を見ながら、ブラッドリーの胸ぐらを掴もうとしたカインはまともに反撃されチクショウ!と男泣きしていた。
     洒落たバーが一瞬にしてハイスクールの一室のようになり、ラスティカは困惑していた。オーエンやカルディアシステムの在り方を巡っての大立ち回りはまだ彼の記憶に新しい。その場に居合わせた警官二人とこんな形で再会することになるとは夢にも思わなかったのだ。
    「どうして彼らが⋯⋯」
     隣のヒースクリフを見ると、何やら非常に申し訳なさそうな顔をして俯き、控えめに挙手をする。
    「⋯⋯俺が呼びました」
    「私がヒースクリフに頼みました」
    「なんで⋯⋯?」
     
     通話口でシャイロックに誘いを受けたヒースクリフは、ついラスティカのことを話してしまった。その際「では失恋なさった御仁とあなたの友人を連れていらして。お話しましょう」と自分の父親より権力をもっている(だろう)人間に呼び付けられればアシストロイドでなくても従わないわけにはいかない。
     ちなみになぜヒースクリフがシティポリスの二人を呼んだかというと、彼が連絡をとれる人間がそれくらいしかいなかったからだ。ヒースには友達が少ない。

     さて、とシャイロックが軽く両手を合わせる。各々のグラスに飲み物が注がれ、それぞれがソファへと腰を落ち着けていた。
    「役者は揃いました。恋バナを始めましょう」
    「オイ、今あのマスターなんつった?」
    「ちゃんと聞いてなかったんですかボス。恋バナを始めましょう だってさ」
    「チクショー聞き間違いじゃねぇのかよ」
     やってらんねぇ、とでも言いたげにブラッドリーは頭の後ろで手を組み長い脚を放り出した。要人のアシストロイドのおつかいだとか、高級ワイン会社社長開催の恋バナ会だとか、ハイクラスの中でもトップクラスの連中の思考回路はどうにもブラッドリーと折り合いが悪かった。まあしかし、今この瞬間にも賃金は発生しているのだと思い出し、景気づけにベネットのワインに口をつける。一方で隣のカインはうーん、と真剣な顔をして唸っていた。
    「恋の話っていっても俺も署長もそんな浮いた話はありませんよ。ねぇ?」
    「あ?何俺様とガキのお前を同列に語ってんだよ」
    「えっブラッドリーさん恋人いらっしゃるんですか」
     この空気に押し黙っていたヒースクリフが瞳にわずかばかりの興味を浮かべて問うた。ブラッドリーは尊大な姿勢を崩さないまま、
    「いや、いねぇけど?」
    と返す。口元をヒクつかせるヒースの足元で、「いないのかよ」とでも言うようににシノが一回吠えた。
     ラスティカはもう帰りたかった。
     シャイロックは微笑んでいた。

    「オレはラスティカの話が聞きたい。プロポーズを断られたんだとさ」
     いつのまにか人型に成っていたシノが切り出すと、途端にシティポリスの眼が好奇を帯びた色に変わった。シノ!と嗜めながらヒースも内心かなり気になっていたためその声色はいつもより鋭さが欠けていた。カインが身を乗り出す。
    「ラスティカ!人見知りのあんたに好い人がいたなんて知らなかったよ。相手は誰だ?」
    「クロエだ」
     シノが答える。カインは「お?」と眉を顰め、ブラッドリーは脚を組んだ。
    「ラボにいたあの赤髪のアシストロイドか。ハッ⋯⋯。恋人、友人、ペットに秘書⋯⋯アシストロイドはどんな役割にでもなれるっていうが伴侶にまでしようとするとはな。ハイクラスの連中ってのはやっぱココがイカれてんな」
     トン、と自分のこめかみを指差すブラッドリーは存外愉快そうだった。ラスティカはフ、と口元をゆるめる。
    「警察署長さんは事実をわざわざ述べるのが趣味?僕はね、カルディアシステムを作ろうと思い立ち、それを実行するにまで至った人間だよ」

     つまりはイカれていないほうが異常なのだ。
     気弱な優男だと思っていた相手からの思わぬ反撃に、ブラッドリーはいよいよ楽しそうに膝を打った。
    「なかなか度胸あるじゃねえか。ツラも良い。ちっとばかしトンでるが頭の方は言わずもがな。なんでフラれちまったんだろうなぁ」
    「知らないよ。昨日クロエと家で映画を観ていてさ──あなたがモデルのあのスパイ映画。クロエ、あれが大好きなんです。それで、結婚しようかな、って僕言ったんだ。そしたら無理だって」

     シン、と一瞬にして冬のようになった気配を感じてラスティカは顔を上げた。するとそこにいる全員が同じような顔をして自分を見つめていたものだからびっくりした。
    「"結婚しようかな⋯⋯?"ええと、それがプロポーズの言葉だったのか?」
    カインが尋ねる。ラスティカは頷く。
    「あ!昨日は何か二人の記念日だったんですよね?」
    ヒースクリフが遠慮がちに口を開く。
    「違うよ」
    「指輪は?」
    ブラッドリーが聞く。
    「なかったよ」
    「お花は?音楽は?」
    シャイロックの質問にラスティカは首を振る。
    どうしてこの人たち、こんなことを聞くんだろうみたいな顔で。
    「あ、そうだ思い出した⋯⋯それでその後ショックでいっぱいお酒を飲んだから朝あんな場所にいたんだ」
    「おや、ひどい人。あなたの恋物語に登場する初めての酒は私のものじゃあなかったのですね」
    「いえ、ベネットのワインを飲みましたよ」
    「では許します」
    「あれ?リケ様いる?」

     みんながラスティカのプロポーズのエピソードに頭を抱えたり、顔を覆ったり、ため息をついたりする中、シノが立ち上がった。
    「プロポーズの言葉も雰囲気も最悪だ。だからお前はフラれたんだ」
     この時ばっかりはヒースクリフでさえシノを止めなかった。



     ベネットのバーからは遠くに海が見える。
     太陽が役目を終え、フォルモーントの街が一等輝く時間がもうじきやってくる。そんな風情をよそに、ラスティカのプロポーズをめぐる喧喧諤諤は未だ続いていた。
    「とりあえず指輪がなくちゃ始まんないだろ。指輪を買ってやり直せ。オレはヒースと共にお前らを見てた。一度や二度の失敗で崩れるような仲じゃない。まだやり直せる」
    「つーかよぉそもそもアシストロイドの坊ちゃんに結婚願望があるのかよ。プロポーズ云々よりてめぇのモンにしてぇなら命令しちまえばいいじゃねぇか。カルディアシステムが搭載されてるったって元はアシストロイドだ。強制命令には従うはずだろ」
    「ボスならそうしますか?」
    「しねぇな」
    「ラスティカもボスと同じでしょう。命令とか、強制とか、そんなもので結ばれた絆なんていっそないほうがマシです」
    「あ、でもクロエ結婚式のコマーシャル見ながらいいな〜って言ってましたよ。あんな服作れたら最高って」
    「それ結婚より服の方に興味があるだけだろ。ヒースは鈍感だな。そんなところも愛らしいけどな」
     みんなが自分とクロエについてああだこうだと言葉を交わす光景を、当の本人であるラスティカはぼんやりとした心地で見ていた。向かいに座っているシャイロックは必要最低限の言葉しか発さず、あとは静かに微笑んでいるだけだった。不意にシャイロックと目が合う。「なあに?」と4歳の子どもに言うように彼が小首を傾げると、艶やかな髪がその仕草に合わせて揺れた。
    「──あなたの⋯⋯」
     ラスティカは無意識に唇を開けていた。視線が一気にラスティカへと向けられる。
    「あなたの映画⋯⋯ああ、違うか。あなたがモデルになってるあの映画。クロエはもうすべてのセリフをそらで言えるんです。127分の映像を彼一人で完璧に再現できるほど」
     両手を膝の上で組み、もうすっかり夜が降りてきた窓の外を見ながらラスティカは言葉を続ける。
     誰も何も言わなかった。
    「それなのに、もう百ぺんは観た映画の同じシーンでクロエは泣くんです。僕はあの映画を見るたびに、ああ、クロエは今日もあのシーンで涙を流すのかな、とそればっかりが気になるんです。そして昨日はじめて思ったんです。僕はあと何回、こうやって心を震わせるクロエの姿を隣で見ていられるのだろうと」

     フォルモーントシティよりずっと遠くの街の灯りが見えた。ラスティカはゆっくりと目を閉じ、それと同じだけの時間をかけて開く。

    「⋯⋯君が僕といてくれるならば、僕はどんな運命でも受け入れよう。僕の鳥籠の中で、永遠の幸せを約束します」
     シノの口笛が静かなバーに響いた。ブラッドリーが指を鳴らす。
    「気障な言葉だな。だが悪くねぇ」
    「悪くないどころか最高だ。そんなこと言われたら誰だってあんたに惚れちまう」
     ラスティカはゆっくりとかぶりを振った。
    「違うんだ⋯⋯僕もよくわからないけれど⋯⋯これはいつか、花嫁に出会えた時に伝えようと思っていた言葉だと思う。だからクロエに向けた言葉じゃない。今の僕が、今のクロエを想った言葉ではないんだ」

     シャイロックがワインを口にする。嚥下の音はしなかった。
     その場の誰もがラスティカの言うことが分からなかったし、それでいてぼんやりと理解ができるような心地でいた。地上から数百メートル離れた酒場は完璧な静寂に包まれた。が、その6秒後に
    「シャイロック!もうお仕事の時間だよ!」
    天真爛漫な声がその静寂を引っ掻いた。
    「ムル。こんな時間までお行儀よくできましたね。えらいです。ああ、本当だ⋯⋯」
     シャイロックは立ち上がりながらサングラスをかけた。そのままバーの奥へ消え、やがて一本のワインを抱えて戻ってきた。
    「これはお礼です。ラスティカ、アシストロイドと恋する私の友人⋯⋯。きっとうまくやってくださいね。きっとですよ」
    「はぁ?おい、主人。行っちまうのかよ」
    「ええ、非常に名残惜しいですが、ベネットの1秒に夢のような価値を提示してくれる人がいるんです」

     シャイロックはサングラスの奥でウインクし、靴音を響かせながら去っていった。突如お開きとなった恋バナ会は主催者を失うと急激に白けてしまい、しかしなんだかんだ仲が深まったようで、各々肩や背中をを叩き合いながらエレベーターホールへと向かった。


     ラスティカが店へと戻ると、ただいまを言うより先にクロエに飛びつかれた。クロエは両眼を赤く腫らしていて、現在進行形で泣いていた。
     ラスティカが目を白黒させている間「ラス、ラスティカ、ウゥ、よかっ、よかった。帰ってきた。いっ、位置情報チップも置いてっちゃってるし、こんな、フゥッ⋯⋯⋯⋯遅くまでなんの連絡もしてこないし、ズビ、ごめっ、俺、俺があんなこと言っちゃったから、ごめんっ、俺を嫌っ⋯⋯嫌いに⋯⋯なっ⋯⋯なっぢゃったのかなあって⋯⋯思っ⋯⋯」と息も絶え絶えに言った。
     
     そして自分の発した言葉に自分で傷ついたのか「お、おれのこと、嫌いになっちゃったの⋯⋯!?」とワンワン泣いた。ラスティカは非常に焦った。こんな事態はクロエのオーナーになってから一度もなかったのだ。胸の百合の模様が見たこともないくらいの明るさで光っている。あと3秒も同じだけ泣いたら確実に暴走する。カルディアシステムが暴走を起こしたアシストロイドがどのような悲劇を産むかラスティカは嫌になるほど知っている。彼は無我夢中でクロエを抱きしめた。
    「嫌いになんてならないよ。それは君がいちばんよく知っているだろう。君がいなきゃ僕は生きていけないんだから」
     腕の中で震えながら泣くクロエは、やがて深く息をしながら落ち着きを取り戻し「⋯⋯へへ、いっぱい泣いちゃった」と照れたように笑った。そしてラスティカの傍にあるボトルに気付き、アッと声を上げた。「ベネットのワイン!しかもプレミアものだよこれ⋯⋯どうしたのラスティカ!」



     今日一日にあった出来事を話すと、クロエは手を叩いて笑ったり、神妙な面持ちになったり、目をキラキラさせたり、お腹を抱えて笑ったり、近くの壁を叩いて笑ったりした。
    「はあ〜⋯⋯ラスティカがあのタワーの最上階にいたのかあ。しかもベネット社長とおしゃべりしたなんて⋯⋯いいなあ、いいなぁ!しかも俺なしでベイン署長やカインとも会ったなんて信じられない!すごいよラスティカ。ねぇねぇ、ベネットさんってどんな人?」
    「シャイロックはとても優しい人だったよ。きれいで、思ってたよりも背が高くって⋯⋯親切で、猫みたいな人のアシストロイドと一緒にいたよ」
    「わぁ、シャイロックだって!友達みたい」
    「シャイロックの方から、友達だって言ってくれたんだよ」
     ヒャァ〜、と興奮した子どもみたいな声を上げてクロエは笑った。笑ったあと、隣のラスティカが自分を見つめていることに気づきフッと真顔になる。ラスティカはクロエの手を握り、祈るように首を垂れた。

    「クロエ。昨日は本当にごめん。つい考えなしにあんなことを言ってしまって。がっかりしただろう」

     クロエはびっくりして勢いよく首を振った。

    「謝らないで、ラスティカ⋯⋯!ラスティカの言葉が嬉しくないことなんてないよ!ただ⋯⋯ただね、きっと許してくれないと思ったんだ⋯⋯」
    「許してくれない?この世界の一体誰が、何が僕達を許さないというんだ?」
     張り詰めたような声色のラスティカを見上げながらクロエは困惑したように言う。


    「ほ、法律⋯⋯」
     ラスティカは眉根の皺を解き、「法律」と重い声でひとこと呟いてその場にヘナヘナと座り込んだ。

    「確かに⋯⋯」



     熱いコーヒーの入ったカップを二つ置く。ソファでくったりと目を閉じたラスティカはくったりとした声でクロエに礼を言った。
     クロエはラスティカの想いを袖にしたわけではなかった。賢いクロエは、自分たちはそもそも婚姻関係を結べる環境にいないということを伝えたかったのだ。

    「ヒースの提案のおかげで少しずつ法改正がされてるけどさ、結婚って年齢とか性別とか、人間同士でさえ厳しいところがあるからねぇ⋯⋯アシストロイドとの結婚なんて認められる日は来るのかな」

     カップに口をつけてクロエは笑う。ラスティカは腕を伸ばしてクロエを抱き寄せた。クロエの髪に顔を埋めながら、喉の奥から絞り出すように呟く。
    「⋯⋯そんなに、諦めたように笑わないで」
     クロエは何かを言いかけてやめ、そっと目を閉じた。それから明るく、甘えるような声でラスティカの名を呼ぶ。ラスティカは「ん?」と髪を揺らしてクロエを覗き込んだ。
    「ラスティカが俺のことを好きだなんて嬉しいな。でも、ねぇ、結婚したくなるほどの好きって何?ラスティカはヒースクリフもベネットさんのことも好きでしょう?」
     ラスティカはウウン、と唸った。言葉にするのは難しかったが、クロエはそれを急かさない。そんなクロエの優しさを知っているからラスティカは胸の内から湧いてくる言葉をぽつぽつとつぶやいた。

    「そうだな⋯⋯ヒースクリフもシャイロックもすごく魅力的なひとだよ。綺麗だなって思うし、優しくされたら嬉しいって思う。もっと仲良くなれたらきっと楽しいってこの僕が思うほどだよ。でも⋯⋯」
     ラスティカは閉口した。ふるりと頭を振って誤魔化すようにクロエを抱きしめる。
    「でも、ん⋯⋯。ちょっと恥ずかしいな、クロエ。もうおしまいにしてもいい?」
     えっ!?とクロエはラスティカの腕から抜け出し腕でバツをつくり抗議した。だよねぇ、とラスティカはへにゃへにゃと汗をかきながら笑ってふたたびその腕にクロエをおさめた。
    「クロエ。君に自由に生きてほしいと思う気持ちはほんとうだよ。君が君の心の思うままに振る舞う姿はかけがえのないものだ。だけどね、たまに⋯⋯ほんの、たまにだよ」
    「ウン」
    「君を鳥籠に入れてしまって、何からも傷つけられないように⋯⋯僕以外のことを何も考えられないようにしたいと⋯⋯思う、ことが、あるかもね⋯⋯?」
     羞恥で最後の方はほとんど囁き声だったがアシストロイドの聴覚機能は人間の数倍なのでちゃんとクロエには聞き取れた。正直、あまりラスティカの言葉が何を意味するものなのかクロエにはピンと来なかったが、ドッドッと乱暴にドアを叩くみたいなラスティカの鼓動にシンクロし、胸元の百合の模様が強く光ったので少しびっくりした。
    「まあ、とにかく、クロエはとっても特別ってこと」
    「俺はラスティカの特別。うん、最高の響き!」

     二人は額をくっつけて笑いあった。

    「ねぇ、ラスティカ」
    「うん?」
    「俺たち、法律には許されないかもしれないけどさ、それでも、もうきっとただのアシストロイドとオーナーじゃないよね」
    「そうだね」
    「お祝いしようよ。今日は特別な日だよ」





     浜辺に二人の花婿がいた。
     穏やかな風が二人の髪を揺らしている。

     ハイウェイに乗って、それから降りてしばらく走ったところに海がある。シャイロックのバーから見えた景色を話すとクロエが行きたがったのだ。

     「海って初めて来た。データよりずっときれい。でもデータにないにおいがするよ。潮のかおり⋯⋯」

     潮風はアシストロイドと相性が悪い。とくに最新型ではないクロエは海で泳ぐことはもちろん波に触れただけでエラーを起こすだろう。
     明け方の海は凪いでいて、その端っこを橙色に染めていた。

    「俺、なんでもできると思ってたけど、ラスティカとできないことってたくさんあるんだね」
    「そんなことない、なんだってできるよ。クロエのしたいこと、なんだって僕が叶えるよ」
    「海で泳ぐのも?」
    「クロエ、泳いでみたいの?」
    「うん、今まで全然思ったことなんかなかったのに、本物の海を見たら入ってみたくなっちゃった。わがままだね、俺」
    「きっとそれが心のままに生きるってことだよ。大丈夫、僕なら数時間でカスタムできる」
    「ラスティカに心をもらってから、いろんなことをやりたいと思うようになったし、ラスティカはそれを全部叶えてくれたね」
    「クロエこそ。君が生きて僕のそばにいてくれるだけで、僕の願いはもうすべて叶っているようなものなんだから」

     クロエは困ったように笑った。嬉しいけれど、自分自身に納得ができていないような笑い方だった。ラスティカは気付かないふりをした。
     
     「そうだ、ラスティカ」

     クロエはラスティカの身体に手を向け、スキャンするようにゆっくりと足元から頭のてっぺんまで動かした。すると、ラスティカの作業服が真っ白なタキシードへと変わる。驚いてクロエを見ると、クロエも同じような服へと変わっていた。

    「えへへ、リアル・ホログラムだから1時間くらいで消えちゃうけど⋯⋯」
    「すごいよクロエ!君にこんな才能があったなんて」
    「ありがとう。ねぇ、俺たちがこの姿でいられるうちにお祝いしようよ」

     ラスティカは頷いた。胸元から小さな箱を取り出して開くと、二つの指輪とともに音楽が流れ始めた。

    「これオルゴール?あれ、おかしいな。データにない歌だ⋯⋯」
    「うん、僕が作った」
    「すごいや。ラスティカはなんだってできちゃうね」
    「クロエがいるからね。指輪は⋯⋯ごめんね、いい素材を使ったんだけれど急だったから少し不恰好で。帰ったら本物の指輪を買いに行こう」

    クロエはラスティカの作った指輪を持つと空へと翳した。丸い穴から星が一つ見えた。クロエは微笑んで首を横に振る。

    「ありがとうラスティカ。でも俺、この指輪を持っていたい」

     互いの薬指にはまった指輪は、初めから決められていたようにぴったりだった。左手だと目立ってしまうので右手につけようと言ったのはクロエだった。ラスティカはその提案を受け入れた。クロエは満足そうに何度も自分の指とラスティカの顔を交互に見た。

    「本当にこれでいいの、クロエ」
    「間違えないで。これがいいんだよ、ラスティカ」
    「ああ、そうだね」

     ラスティカに背を向けてクロエは言う。もうじき朝がやってくる。見せかけのタキシードはあと数分で消えてしまうだろう。

    「紙っきれも讃美歌も拍手もいらない。僕らにはこの服と指輪と、約束だけがあればいい」
    「ラスティカの音楽もね」
    「うん、僕の音楽も」

     ラスティカはクロエと向かい合い、そっと彼の頬に指を寄せた。クロエはラスティカの瞳を見つめた後、ゆっくりと目を閉じた。
     ひとつの影が砂浜に伸びる。
     永遠みたいな時間が過ぎた後、二つに戻った影は手だけ繋いで砂浜を歩き出す。二人とも何も言わなかった。同じことを考えていたので言葉にするまでもなかったのだ。

     朝の光が二人の横顔を照らす。
     花婿は静かに泣いていた。
     もう一人の花婿は繋いだ手にそっと力を込めた。
     眠りから覚めた白い鳥が、どこか遠くを目指して飛び去った。








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