white「いっそ、染めたらどう?」
と、いつもハテノ村の井戸端でアマリリとおしゃべりをしているナギコが言った。
「でも、こんなに綺麗に白い服だと、逆に染めづらそうですね。
他の服にも仕立て直しにくそうですし」
と、防具屋の娘のソフォラが、少し困ったような顔をした。
「いいじゃないの、綺麗に染めて婚礼衣装にしちゃえば。
花嫁の着るドレスだって、婚家の色に染まるようにって、あんなに白くするんでしょ?」
アマリリが少し訳知り顔で口を挟んだ。
「じゃあ、あの人はいつも青い服ばかり着ているから、青く染めたらどうさね?」
そう言って、ウオトリー村から嫁いできた風車番のロレルが穏やかに笑う。
「ちょっとみんな、待った待った。
この服を染めるかどうか決めるのはこの娘だし、染めるのはアタシの旦那だよ。
そもそも、花嫁の着るドレスが白いのはね──」
そう言って、染物屋の嫁のセンが大きな声で、ゼルダが渡した白い服を手にしたまま話し始めた。
※
──今日は一日中、雨みたいだな。
リンクは自宅の窓から、見るともなしに小雨そぼ降る外の景色を見つめていた。
村外れにあるリンクの家を訪れる人は滅多にいない。以前はリンクの家の前で暇を潰していたサクラダ工務店の二人も、今はハイラル復興に伴って各地で増えた建物建築の需要に応えるため忙しくしているようで、すっかり姿を見かけなくなった。
今日のように家の中に閉じこもってこうして家の中で一人きりで過ごしていると、世界に一人きりになったかのような感覚に陥る──少し前、一人きりでハイラル各地を旅していた頃と同じように。
感慨に浸りながら、しかし外の景色をぼんやり眺めるリンクの胸は、言いようのない満足感で満たされていた。彼は今、首を長くして人を待っているところだった。
雨の降る音に紛れて、静かにこちらに向かって来る足音が聴こえてくる。耳の長いハイリア人でも聞き分けられないほど小さな音だが、リンクの耳はその音を過たず拾った。足音がリンクの家に繋がる唯一の道である吊り橋を渡り始めると、リンクは素早い動きで自宅の扉を開け、その人の訪れを待った。
「──まあ、リンク」
帰り道にコログからもらったのだろうか、大きな葉っぱを傘がわりにさしたゼルダが、家の中から飛び出てきたリンクの姿を認めて目を丸くした。
村に買い物に出かけていただけなのに、一日千秋の思いでゼルダの帰りを待ち侘びていたリンクの気持ちを察したのか、ゼルダは優しく微笑んだ。
「ただいま戻りました、リンク」
「お帰りなさい、ゼルダ」
そう言いながら、リンクはゼルダの葉っぱの傘を手に取って、ゼルダを家の中に招き入れた。
「どうするか決まったの?」
ところどころ雨に濡れたゼルダの身体を、柔らかな布で甲斐甲斐しく拭いてあげながら問うリンクに、ゼルダは曖昧に微笑み返した。
ゼルダの手には、かつて儀式の時に着用し、そして百年に及ぶガノンとの戦いの間、身に纏っていた白い巫女服があった。
百年前の厄災の日のまま、泥に汚れ、ところどころ破れ、ほつれていた巫女服は、インパやパーヤ、カカリコ村の女性陣の助けもあって、美しく修繕されていた。リンクの英傑の服といい、インパをはじめとするシーカー族の民が、ゼルダ達の衣服を大切に保管し、修繕してくれたことに、ゼルダは深く感謝した。
だが、ガノンを封印し、これからは聖なる姫巫女というより、亡国の姫として国を建て直そうとしているゼルダは、巫女服の扱いに困ってしまった。この巫女服には、衣服や装飾品を古代の儀式になぞらえても、形ばかりの真似事をしていただけで、力の発現に結びつかなかったという苦い記憶もある。それに、ゼルダが巫女服を身に纏う儀式や出来事は、今後はもうほとんど起こらないだろうという現実的な理由もあった。
とはいえかつて繁栄していたハイラル王国の姫が身に纏っていた巫女服は、厄災によって技術力が衰退した現代では、素材も、縫製も、もはや再現できないような妙品だった。
「ゼルダがその服を着ていてつらい思いをするなら、着なくて良いと思うけど」
迷うゼルダに、リンクはそう言って優しく微笑んだ。
「ゼルダが力の泉でその服を着ていたとき、本当は今すぐにでも駆け寄って、貴女を女神に祀り上げようとするそんな服、脱がしてしまいたいと思った。
でも、厄災を封印するために、厄災の胎から飛び出してきた貴女がその服を身に纏っているのを見たとき、あまりの神々しさに心が震えて、言葉が出なかった。
そして、向かい合って、泥だらけのその服を着た貴女が、覚えていますかと俺に問いかけたとき──貴女が美しくて愛おしくて、たまらなかった」
そう言って、リンクは少し恥ずかしそうにはにかんだ。つられてゼルダも頬を染めてうつむく。
結局あの後、お互い泥だらけの服で、ぼろぼろの状態で、泣きながら抱きしめ合った。そして──。
その後のめくるめく出来事を思い出してとろけそうになる自分に気づいて、ゼルダは慌ててテーブルの上にその白い巫女服を置いた。
「防具屋の娘さんのソフォラさんから見ても、染物屋の奥様のセンさんから見ても、今のハイラルでこれだけの服を作ることができるようになるには、もう十年は時間が必要だと言われました。
それから──」
そこまで言って言い淀んだゼルダに、テーブルを挟んで向かいに座るリンクが、続きを促すように首を傾げた。
その優しい眼差しに見つめられ、ゼルダははにかみながら口を開いた。
「白い服というと儀式に使われる服の印象ですが、婚礼の時の衣裳も白いですよね。
私はこれまで、それは『婚家の色に染まる』という意味だと思っていたのですが、センさんによれば、結婚が神の前で行われる神聖な儀式だから、婚礼の儀で身に纏う服は、白い色をしているのだそうです。
ですから、結婚式で着用する衣裳の原義は白い儀式服だと──」
何事も論理的に説明しなければ気が済まない学者肌のゼルダが、早口にあれこれ言い募るのを見て、リンクは破顔した。
先ほどゼルダは、巫女服がこれから普段使いできる服にできるかどうか、防具屋の娘のソフォラ、染物屋の妻センに相談するために出かけていた。ハテノ村どころかハイラル一の美人だとも言われるゼルダは、住み着き始めた頃からハテノ村で評判の人で、ひとたび村に出れば、子どもからお年寄りまでゼルダのところに集まってくる。リンクにはそれが何となく嫌で──それに加えて、平和な時代になったとはいえ、どこに危険が潜んでいるか分からないから──あまりゼルダを一人で外に出したがらないのだが、そのことが、ますますゼルダが外出すれば周囲に人だかりができるということにつながっているのだということに、リンクは気づいていない。
それはさておき、ゼルダの相談は、結局は村の大半の奥様方が参加するものになってしまった。ゼルダは巫女服を普段着にできるかどうかどうか相談したかったのだが、ゼルダが同じ年頃の男性であるリンクと二人暮らししていて、二人の仲の進展具合が村中でいい話の種になっていることから、結局のところ話がそういう方向へと進んでしまったものらしい。
折しも今日は雨。雨の日といえば、染物屋の主人であるセージが妻センにした雨の日のプロポーズの話は有名で、村中の誰もが知っているし、今でも雨の日にはセージがその話をしきりに語って聞かせる。普段は「そういう話」を積極的にしないゼルダがその手の話を匂わせるのも、奥様方に聞かされた話や、雨の日に家で二人きりという状況がそうさせているのかもしれない。普段リンクに言いづらいことほど、自分自身に言い聞かせるように、論理的に早口で説明するのがゼルダらしいところだった。
リンクはひとしきり話し終えて黙り込んだゼルダを見つめた。姫(ゼルダ)が知恵で説明するなら、それに勇気でそれに応じるのが勇者(リンク)だ。いつだって。
「ゼルダ。
その、純白の巫女服を仕立て直した婚礼衣裳を着て、俺の隣で笑っていてくれますか?」
──婚家の色に染まる、は、巷で後付けされた流言だとしても。
その服の、白い色は白のままで。その白が、新たな意味で色づき、幸福な色に彩られていけばいいと思いながら、リンクは言葉を紡ぐ。
姫巫女として過ごした苦い思い出。
女神として百年を耐えた奇跡。
そして今日、この時これから、この服はゼルダにとって、また別の新たな意味を持つ。
触れてはいけない純潔の白ではなく、これから色とりどりの色で彩ることができる、幸福な色として。