リクエストにお応えします 自宅近くのコンビニで補助監督と別れ、新作のカヌレとスナック菓子を買って店を出る。『今コンビニ出たよ』と傑にラインすると、オッケーと猫のスタンプ。携帯をポケットにしまうと、自慢の長い脚をフル活用して家路を急ぐ。下手したら文字通り浮いてしまいそうな足取りを何とか地面に接地させる。え、大丈夫? 僕数センチ浮いてない?
玄関前でふぅ、と息を整えて、顔が弛まないように一度思いっきり笑顔を作ってから真剣な顔を作り直す。よしよし、いいよ、今にも呪詛師と戦いますって感じ。不機嫌な顔にちょっぴり殺気を足して、勢いよく玄関のドアを無言で開ける。
「お、おかえりなさい」
急いでリビングから傑がかけてくる。僕はそのまま無言で脚を突き出すと、すぐさま傑が跪いて靴紐をほどき靴を脱がせてくれる。そのまま無言でコンビニの袋を持たせると「任務はどうだったんですか?」という傑を無視してずかずか室内に入る。
「牛乳」
「っはい、ただいま」
ソファに座ったまま補助監督から送られてきた資料に目を通しながら顎で指示する。目の前に置かれたマグを手に取り口をつけると冷たい牛乳が触れる。
「ねぇ」
「はい、」
「何で冷たいの? 普通ホットミルクにするでしょ疲れてるんだからさ」
「っあ、す、すみません、すぐ」
慌ててマグを手に取ろうとする傑目掛けて、これ見よがしに大きなため息を吐き舌打ちをする。僕の機嫌がどんどん悪くなるのを感じ取った傑がおどおどと様子を伺っている。
「ったく、何でこんなことも分かんないのかな。別にいいんだよ、出てっても」
「ご、ごめんなさい!」
「傑が一緒に居たいって言うからこうしてるのになぁ」
「私が、私が悪かった! やだ、嫌だ、捨てないで悟、何でもするからっ……!」
「へぇ、口では何とでもいえるよね? そういう時どうするって教えたっけ?」
ソファにふんぞり返り、背もたれに肘をついて傑を見る。突き刺すような視線を受けた傑が目を潤ませて僕の前に跪いた。おずおずと伸ばされる手を見ながら傑の言葉を待つ。
「……あ、あの、」
「何?」
「さ、せて、下さい」
「だから、何を? ちゃんと言わなきゃ分かんないでしょ」
「……さ、貴方の、を、舐めさせて、下さい」
「はぁ、しょうがないな」
足を開き隙間をつくると、大きな身体をしならせて傑が滑り込む。震える手で僕のボトムスの前をくつろげ、下着に手をかける様子を感情のこもっていない冷たい視線で見下ろしていた――
◇◇◇
「っはぁ~! 今回のも最っ高に楽しかった~! 傑どんどん上手くなってない?」
「それは良かった。それにしても悟さ、『ホットミルクに決まってる』はないよ、笑わないように堪えるの必死だった」
二人で仲良くシャワーを浴び互いに髪を乾かし合ってからソファでくつろぐ。もちろんお決まりのように傑は僕の腕の中に抱えられている。
「いや、参考資料では熱燗だったんだけどさ、僕飲めないじゃん? だからホットミルクにした」
「いやもっとこう、コーヒーにするとかさ、なんかあるだろう。ホットミルクって、安眠効果高すぎだろ」
「しょうがないじゃん! 僕コーヒーもブラック飲めないし、あの時は飲みたかったんだもん!」
「『DV旦那』の設定ブレるからさ、ちゃんと事前に決めときな? そういうのは」
えー、なんて言いながらくっつきあう。暑いよって言われたって離れないくらいには浮かれてる。でも浮かれてしまうのも許してほしい。だって今日は僕の「リクエストの日」なのだから!
多感な学生時代に付き合い始めた僕たちは、十代特有の性への興味に任せて試せることは何でも試した。トップとボトムの交換なんて初っ端にやったし、射精管理や道具だって驚安の殿堂で手に入るものはたぶん大抵経験済みだ。いやーそういう時、寮って便利だよね~。七海と灰原には悪いことしたかもしれないけど、ま、これも社会勉強だよ。そんな感じで付き合って数年で僕たちの性生活はすこーしマンネリしてきてしまったのだ。もちろん、傑とするセックスはいつでも最高に気持ちがいいのだけど、何というか、刺激が欲しかった。
そんな時、任務先のメイドカフェでパクってきたメイド服に、冗談のつもりで袖を通し任務帰りの傑を出迎えた。当然サイズなんて合うはずもないから背中はばっくり開いてるし、スカートからはほぼ下半身のすべてが見えている酷い有様だったんだけど『おかえりなさいませ♡ ご主人様♡』と出迎えた僕をそのまま小脇に抱えてベッドに放り投げた時の傑は、完全に目が据わっていた。僕はその時初めて、頭につけるひらひらした布は目隠しにも、手を縛るのにも使えるんだということを学んだ。
それ以来、僕たちは月に一度互いにしたいプレイをリクエストし、リクエストされた方は全力で答える、という"大人の遊び"が始まった。ちなみに今回の僕のリクエストは『経済的DVをするエリート旦那と従順で淫ら(でちょっとM)な妻』だ。この間見かけたAVを参考にしたんだけど、傑には前にやってもらった未亡人の方が合ってたかなぁ。いや、今回のも良かったけどさ。
「で? 何で今回のお題を選んだの?」
「うーん、傑にもっと僕に甘えて、僕の事好き好き~って言ってほしいなと思って」
「何それ、私の愛が伝わってないのかい?」
「伝わってるけど! でも言葉にもして欲しいの!」
「ふふ、悟は可愛いね。そういう所も大好きだよ」
駄々をこねる子供をあやす様に触れるだけのキスをする。この遊びが恒例になってからもう一つ恒例になったことがある。それは遊び終わった後のちょっとした暴露タイムだ。大人になればなる程素直な気持ちを口に出すことは難しくて、この遊びにかこつけて、僕たちは互いに甘え合っている。
「ねぇ、明日天気よかったらさ、この前いったパン屋行こうよ」
「いいよ、朝昼兼用でサンドイッチでも買ってこようか」
「僕チョココロネ食べたい! あそこコアラついてるのが良いんだよね」
「君の好きなスプレーチョコもかかってなかった?」
「そうそう! ああゆうチープさがたまんないよね」
「悟ってたまに庶民舌だよね、ボンボンのくせに。いや、ボンボンだからか?」
はーい、そうと決まれば早く寝るよ、と僕がベッドに誘うと、立ち上がった傑が後ろからぎゅっと抱き着いてきた。あー、この雰囲気は。
「なーに傑、シたりないの?」
「……カッコいい悟見てたら、シたくなっちゃった」
「僕がもっかいトップってこと?」
「んーん、カッコいい悟を私の下でヒンヒン言わせたくなっちゃったってこと」
「……傑のスイッチってホントに分かんねー」
キッチンに下げようとマグを持つ腕に頭を擦り付け「ダメ?」としおらしく聞いてくる。くっそ、お前、僕がその顔に弱いって分かっててやってんのが腹立つ。でもその通りだから、折れそうになってるのもさらにムカつく。
「明日一日無駄にしたくないから、あんまり長くは嫌だからね」
「うん、分かってるよ」
嬉しそうに僕に口づける傑に、まぁこんなに喜ぶならと絆されてしまうのだから僕も学ばない。こういう時の傑が"長く"無いわけがないのに……。
◇◇◇
凝り固まった首を動かしながら壁掛け時計を見上げると、時刻は夜の八時を回ったあたり。高専も人がまばらになり始める時間帯だ。溜まった事務作業に目処がつき一息入れるために席を立つ。ずっと放置していた携帯には「いつ頃帰る?」という悟からの帰宅催促連絡が複数来ていた。もう少しかかりそう、としょげている猫のスタンプとともに送ると、恨めしそうにこちらを睨むスタンプが返ってきた。かわいい猫で誤魔化されるかと思ったが、そうそう上手くはいかないらしい。
補助監督程では無いが、特級任務に伴う書類作成に加え受け持ちの生徒たちの報告書にも目を通す必要があるため、どうしてもこの時間になってしまうことも多かった。だが、そろそろ上がったほうがいいな、と淹れたてのコーヒーを口にしながら明日の予定を思い出す。明日は私の「リクエスト」の日なのだが、妙に悟が張り切っていたんだよな……。悟の無茶ぶりにもこたえられるように、なるべく睡眠はとったほうがいい。それに、明日は丸一日休みとはいえ、いつ寝られるか分からないし。
翌朝、隣に悟の気配がないことに気づき目が覚める。まだほとんど開いていない瞼を薄く開きリビングに行くと、ほんのりと温かい朝食とともに「今日は外で待ち合わせね!」と悟の書置きがあった。わざわざ同じ家に住んでいるのに外で待ち合わせるなんて、絶対何か企んでるな。しかも、リビングの椅子の上には紙袋に入った服と別紙の指示メモが入っている。いや、私のリクエストってそんなに細かい設定あったか? 眠い目をこすりながら、悟の用意してくれた朝食を食べるべくまずは洗面所へと足を向けた。
「確か、このあたりのはずだが……」
悟に指定された時刻、私は指示通り真っ黒いスーツに身を包み髪を一つに束ね、黒塗りの乗用車で銀座の大通りを走っていた。平日といえど人の流れの多いこの辺りは少し車で走りづらい。何とか見つけた駐車スペースに車を止め、小走りで指定された場所に向かう。
高級ブランドの路面店が立ち並ぶ並木通りを行くと、ガラス張りのビルの一角に人々の視線が集まっている。その先には、完璧に身なりを整えブランドの大きなショッパーを抱えた悟が立っていた。服装はいたってシンプルなものだが、一目で質の良いものだと分かる着こなしと整い過ぎている顔に周囲の人も不自然な距離を取って通り過ぎていく。手にするコーヒーさえも撮影の小道具のように見えた。
「っごめん、待たせ」
「遅いよ傑! マネージャーのくせに僕を待たせるってどういうこと?」
「……失礼しました、五条さん。向こうに車をお停めしてますので」
「僕待ちくたびれてんだけど。はい、この荷物全部持って」
「承知しました」
抱えていた紙袋をすべて地面に落とし悠々と先を歩く悟を慌てて追いかける。私たちを遠巻きに見ていた人は一瞬で悟が何か芸能関係の仕事をしていると思っただろう。なるほど、そのためのスーツか、と今回の"設定"を何となく把握した。駐車スペースに着き、悟と荷物を押し込め出庫の手続きをしていると一組の女性たちに声をかけられた。
「あのぉ、何かの撮影ですか?」
「あぁ、いえ今はプライベートなんです。すみません」
「そうなんですね! マネージャーさんって呼ばれてたんで、テレビか何かかなって思って、」
悟といるときは人の波が左右に分かれていくようだったが、私一人であれば声をかけやすいと思ったのだろう。それまで遠巻きにしていた人たちがぐっと距離を詰めてきた。穏便に作り笑いを返しそのまま車に乗り込むと「遅い」と不機嫌モードの悟に叱られてしまった。でも君が綺麗すぎるのも要因の一端なんだけど、という言葉は飲み込んだ。
そのまま悟の台詞に従って六本木の高級ホテルに車を向ける。五条の名前でチェックインを済ませ、荷物をすべて抱えたまま指定された部屋に入る。なんだここ、広すぎないか?まさかコイツ、今日のためにこんな部屋取ったのか?
「何つっ立ってんの? 早くルームサービスでも何でも頼んでよ。僕お腹空いちゃったんだけど」
「はい、ただいま」
悟の好みそうなフルーツや甘味を適当にオーダーする。暫くすると客室係がドア前に姿を見せたので「ここで大丈夫です」とドア口で商品を受け取った。
「五条さん、用意できました」
「……ん」
不愛想なまま私の用意したテーブルに歩み寄る。机の上を一瞥するとあてつけるように大きなため息をこぼした。
「……何か、不備がありましたでしょうか?」
「僕いま温かいものが食べたかったのに。フルーツなんて身体冷えちゃうじゃん」
「ですが、デザート系はこのあたりしか商品が無く、」
「だから? 僕知らないし。そんなに食べたきゃお前が食べなよ」
悟はカラン、と手にしていたフォークを机の上に軽くなげた。それを合図に、きつく締めていたネクタイに手をかける。
「……そんなに私に構ってほしいのか?」
背を向けてソファに腰かけている悟にゆっくりと歩み寄る。私の雰囲気が変わったことを感じ取ったのか、勢いよく悟が振り返った。
「はぁ? お前、何言ってんの。意味わかんないんだけど」
「こんなに分かりやすく駄々をこねておいて、それはないだろう?」
「別に駄々こねてなんか無いし。お前がミスしただけじゃん」
「口の利き方から教えなきゃダメか?」
ん? と悟の腕を強く引き向き直させる。「離せよ」と軽く抵抗するのもまた様式美だ。そのままソファに押し倒し上に跨ると手にしていたネクタイで悟の手を縛った。
「おい、これほどけって。お前僕にこんなことして良いと思ってんのかよ」
「担当の教育もまたマネージャーの仕事だからね。私だって君となんてしたくもないけど、仕方ない」
私の台詞に悟があからさまに傷ついた顔をした。その顔にまんまと加虐心を煽られ、悟のシャツを破き強引に肌を曝す。
「おい、お前ふざけんなっ、これ以上はシャレになんね、」
「シャレじゃない。それに、お前じゃないと何度言えばわかる」
ぐっと悟の綺麗な顔を押さえつけて睨む。
「す、傑、った、」
「傑さん、だろう? いい加減覚えろ」
小さく呼ぶ声に、きゅっと悟の胸をつまみ訂正させるとそのまま深く口づけた。途端にとろりと溶けた悟の目に気を良くし、口を塞いだまま白い身体に手を伸ばした――
◇◇◇
「どうだった? ねぇ、楽しかった?」
大きな浴槽に二人で浸かりながら恒例の振り返りタイムが始まった。さぁ褒めろと言わんばかりに目を輝かせた悟が感想を求めてくる。
「良かったけど、私こんな細かくリクエストしてなくない?」
「お前のリクエスト『下剋上モノ』ってだけだったじゃん! 逆に難しかったわ設定つくんの」
「それでマネージャーとタレントに行ったのか」
「外で待ち合わせってしてみたかったんだよね。当主とその御付きって設定で和装プレイも考えたんだけどさぁ、何かあまりにも僕っぽすぎるかなと思ってやめたんだよね」
タレントとマネージャーなんて設定も悟以外なかなかできないだろ、と心の中で突っ込みながら湯船に身体を沈める。やっぱり私たち二人が優に入れる湯船のある部屋なんて普通じゃないよなぁ。ただでさえ高級ホテルなのに中でも広いこの部屋の値段を想像して少し寒気がした。
「でもさぁ、何か傑のリクエストってもっとマニアックなの来るかと思ってたけど結構大雑把だよね」
「下剋上モノってマニアックじゃないのか?」
「王道でしょ~! あ、王道といえばさ、傑の事だから、先生♡とか先輩♡って言われる系好きかと思ってたけど、そういうのリクエストしてきたことないよね」
「……いや、流石に教育の場に身を置く人間として、そこは超えちゃいけない一線かなって思ってる」
「その倫理観ウケる~ 今度僕がリクエストしよっかな、先生と生徒モノ」
「えぇ……流石にそれは引く」
「引くなよ! うちの保管庫にある呪具引っ張り出してきてぴっちぴちの高校生に戻すぞお前のこと」
「いや、悟じゃなくて私が学生なの⁉ それこそ本当に超えちゃいけない一線だろ君」
軽口をたたき合っていると「で、今回のリクエストの真意は?」と悟が聞いてきた。
「んー、真意ってほどでもないけれど。悟は色々背負ってるものが多いから、せめて私の前ではただの悟として居てほしいなって、感じ?」
「ふは、それで下剋上モノなのー? 傑の愛歪んでなーい?」
うるさいな、と水をかけて黙らせた。歳を追うごとに当主としての仕事も増え、それに伴い実家絡みの面倒事も増えてきているのは何となく知っている。私は特級術師として徐々に発言力を得てきてはいるが、呪術界に強いコネもなければ名家の出でもないから悟の負担を直接減らしてやることは現状まだまだ難しい。だからこそ、私と過ごすときは悟を一人の人間として扱ってやりたい。家事も分担し、互いを労いながら時には喧嘩もする、そんな普通の家族みたいに扱いたい、と思っている。
「っし、のぼせるから早く上がるぞ」
「そうだな、お腹も空いた」
「さっきのフルーツは傑が少しダメにしちゃったからなー」
「君だって興奮してただろ」
「うるさいなぁ、いいから早くご飯食べて続きしよ。もちろん今度は僕がトップね♡ 傑にも体験させてあげるよ♡」
せっかくの休みなのに部屋に引きこもっていていいのか、とも思うが、良い部屋で恋人と密な時間を過ごすのも悪くないかと思い直し湯船から上がる。
「先に出てて、準備するから」
end.