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    おはぎ

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    POIPOI 23

    おはぎ

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    GGD.NYP2の展示作品です。

    以前冒頭を少しポイしていた作品をお正月仕様に少し手を入れて完成させました!
    ドキドキ!五条家お宅訪問~!なお話です。
    180%捏造ですが、幸せになって欲しい気持ちだけは本物を詰め込みました。

    ▼特に以下捏造が含まれます
    ・教師if
    ・五条家メンバ(悟両親、ばあや、その他)
    ・五条、夏油両実家に関する事柄(所在地から全て)

    上記楽しめる方は宜しくお願いします!

    #夏五
    GeGo
    #725NYP2
    ##GEGODIG.

    猛獣使いを逃がすな「……本当に大丈夫なのか?」
    「だーいじょうぶだってば! 何緊張してんの」
    「普通緊張するだろう! 恋人の実家にご挨拶に行くんだぞ!」
     強張った身体をほぐそうと悟が私の肩を掴んでふるふると揺すった。普段なら制止するところだが、今はじっと目を閉じて身体をゆだねていた。されるがままの私を悟が大口開けて笑っているが、もはや今の私にとってはどうでもいい。この胃から喉元までせり上がってくるような緊張感を拭ってくれるものならば、藁でも猫でも悟でも、何でも縋って鷲掴みたい。現実逃避をやめて、大きく深呼吸。一気に息を吸い過ぎて咳き込んだが、緊張感が口からこぼれ出てはくれなかった。
    「はぁ……帰りたい……高専の寮で一人スウェットを着て、日がな一日だらだらしたい……」
    「何で一人なの? 僕も混ぜてよそれ」
    「君が居たら現実を思い出しちゃうから駄目。君の顔と毛玉のついたスウェットって、下手なコラ画像みたいになるし」
    「仕方ないじゃん僕だって好きでこんな綺麗な顔に生まれたわけじゃないもん♡」
     無駄にキラキラしている悟を無視して、またもや「はぁ……」と眉間に深い深い皺を刻みながらため息をついた。「そんなにため息ばっかりだと幸せ逃げちゃうよ~ほら吸って吸って!」と陽気に振る舞うこの男を後ろから張り倒してやりたくなった。
     だがそれも当然だろう、彼にとってはただ“実家に帰る”だけなのだから。

     私が緊張して吐くから嫌だと言い張ったため、最寄りの駅からは一般的なタクシーで向かうことになった。最初は当たり前のように「十三時に迎えに来るって」と悟が言うので、お願いだからタクシーで行かせてくれと頼み込んだのだ。駅の昇降場でタクシーを捕まえて後ろに乗り込む。
    「どちらまで?」
    「五条の屋敷まで」
    「はいはい、五条さんのお屋敷ね」
     そのやり取りだけでタクシーが滑らかに走り出した。窓の外を流れる景色に、あぁもう東京ではないのか、と当たり前のことを思った。
    「五条って名前、この辺りでは珍しいのかい?」
    「え? どうして?」
    「いや、細かい住所を言わなくても伝わったから」
     悟の実家なのだから、そりゃ大きなお屋敷だろうとは思うけれど、中でもこのあたりでは珍しい苗字なのではないのだろうか。だからこそ、タクシーの運転手に“五条の屋敷”と伝えるだけでも伝わったのではないか。
     私の質問を受け「ははっ」と声を出したのは、運転手だった。
    「お客さん、この辺りは初めてですか?」
    「あ、えぇ、はい」
    「この辺りには、五条って名前の人間は沢山いますよ。でも“五条さんのお屋敷”と言やぁ一つしかない。どの運転手に聞いても同じだと思いますよ」
    「そうなんですか……」
     柔らかい運転手の声とは裏腹に、私の緊張は増すばかりだった。駅前で拾った流しのタクシーが知っている家ってどういうことだよ、そんなの聞いたことないぞ。運転手に聞こえないよう声を潜めて悟に恨み言を呟く。
    「君の家は観光地か何かなのか、観光バスでも止まるのか」
    「いや、流石に観光バスは止まらないけど……でも行事で人の出入りがある日は結構写真撮られたりするかもー。着物の人いっぱいいるから、京都っぽいんじゃない?」
     一応結界張ってるから写真とっても綺麗には映らないけどね、と当たり前のように話す悟に、これまで生きてきた世界の違いをまざまざと見せつけられる。
     いわゆる一般中流家庭出身の私は、両親のお陰で特に不自由なく生活させてもらっていたと思う。誕生日にプレゼントだってもらったし、家族の記念日には少し良いところに食事にも行った。だが、うちにはお手伝いさんなんていたことは無いし、知らない大人が家の中をうろつくことも、地域のプチ観光地になることもない。
    (高専時代から、考え方にだいぶズレがあるとは思っていたけれど、改めて突きつけられると来るものがあるなぁ)
     やはり、悟に誘われたあの時に断っておけばよかったと、今さら自分のポンコツさに悲しくなった。



     遠方での任務明け、白む空を背に高専へ辿り着いた私は土埃を落とすべく真っ先に風呂場へ足を向けた。連日連夜に及ぶ過重労働のせいで目は霞み、自分が空腹なのかもわからなくなっていたが、とにかく今はベッドに横になって一秒でも早く寝たかった。
     高専の寮はどこもかしこも造りが古く長身の私は不便を強いられれることも多いが、この総檜造りの大浴場だけは昔からお気に入りだった。早朝のまだ誰も居ない時間帯、独り占めして入る大きな湯船は疲れ切った私の心をいとも容易く満たしていった。
    「あ゙ぁ゙ー……」
     久しぶりに浸かるお湯に、思った以上に身体が張っていたのか気の抜けた声が出た。後でストレッチもしておかないといけないかも、でも眠すぎる、そういえばお腹も空いたな、ととりとめのない思考が頭を巡る。そのまま湯船に沈みそうになった時、カラカラ、と引き戸が動く音に目を覚ました。
    「あ、傑帰ってきてたの、なーんだ僕だけかと思ったのにぃ~。今お前風呂浸かったまま寝落ちしそうになってた? やめてよ僕このお風呂好きなんだから、使えなくなっちゃうじゃん」
     久しぶりに会った恋人に対してその言い草はなんだ、と言ってやりたいが口が思うように動かないのでじろりと視線だけを向けておいた。案の定何も気づいていないような悟は、簡単に仕度を済ませ私の横に入ってきた。ちゃぷちゃぷと水面が波立ち、身体に熱いお湯が当たる。
    「はぁ~この風呂だけは昔っから最高~! 僕実家の風呂以外でこんな大きいの初めて入ってさ、楽しかったんだよなぁ」
    「分かる。温泉でも何でもないのに、何かワクワクするよね」
    「昔は七海とかとぎゃーぎゃー騒ぎながら入ってて、夜蛾先生に怒られたっけね」
    「風呂場で遊ぶな! とか言って、風呂掃除させられたりしたよね」
    「うわ懐かし~」
     それでまたふざけて更に怒られたんだよなぁ、と思い出話に花が咲く。この大きい風呂の有難みを感じるようになったということは、私も悟もそれだけ歳を重ねたのだと実感する。
     歳を重ねていくと、若い頃は何でもなかったモノたちが殊更愛しく思える時がある。健康で自由の利く身体だったり、古くから続く人間関係だったり、どんなに歳を重ねても子ども扱いしてくれる家族だったり。
     そういえば今年はまだ一度も実家に顔を出していなかった。何か美味しいものでも買って様子でも見に行くかなぁ。母さん腰悪くしたって言ってたけど、あれからどうしたんだろうか。
     孝行したいときに親は無しと言うし、まだ二人の身体が元気なうちに旅行でもプレゼントしてあげようか。そう思った時、ふと隣にいる悟が気になった。
    「悟は、実家と連絡とってるの?」
    「え? あーまぁ一応御三家だからね、定期的に連絡は取るよ」
    「そういう業務連絡じゃなくてさ、ご両親とかと話したりするの?」
     そこまで言って、私は「しまった」と思った。禪院や加茂の話を聞くに、御三家というものは一般家庭よりずいぶん殺伐としているのだと生徒たちから聞いていたのに。悟の嫌な思い出を無遠慮に掘り起こしてしまったのではないか、と恐る恐る横を見ると、先ほどと何ら変わらない様子で悟は湯船に浸かっている。
    「父さんと母さんもそれなりに忙しい人だからなぁ、そんなに頻繁じゃないけど連絡は取ったりするよ、たまに時間が合えば一緒に食事したりもするしね」
    「え、あ、そうなのか」
    「……? あぁ、禪院のとこみたいに、うちも殺伐としてるかと思った?」
     拍子抜けした声から私の考えを察した悟が、軽く笑いながら「うちは他の家とは戦略が違うからね」と言った。
     もう少し先を聞いてみたかったが疲れた身体では長風呂に耐えられず、仕方なく「そうなんだ」とだけ返して湯船から上がる。あまりよそ様の家庭事情に首を突っ込むものでもないか、とその場を立ち去ろうとした時「じゃあさ」と悟が呼びかけた。
    「正月、実家に顔出そうと思ってたんだけど、その時一緒に行かない? 美味しいもん食べられるよきっと」
     どう? と伺う悟の表情が可愛かったことに加え、連勤の疲労と湯船で温まった身体が私の鋭い判断力を鈍らせて「悟ん家の美味しいものって、きっと凄い豪華なんだろうね」と訳の分からない返事をさせた。
     カラカラと引き戸を閉める後ろから、「じゃあ日が近くなったらまた言うね!」という明るい声に「うん」と生返事をしたのが運の尽き。その数週間後には、気づけば緊張で吐き気を催しながらタクシーに揺られているのだった。



     タクシーは私の気持ちとは裏腹に軽快な足取りで目的地へと向かっている。
    「あのさ、今日って私も一緒に行くこと、その、お家の方たちは知ってるんだよね?」
    「うん、もちろん言ってあるよ」
    「そうだよね……」
     それってどこまで私たちの事伝えてるの、とは正直怖くて聞けなかった。見知らぬタクシーの中だし、もし悟がかの有名な五条の屋敷に住む御曹司だとバレて、しかも男の恋人がいるだなんて知れた日にはそれこそ街中で噂になるだろう。それだけは何としても避けなければならない。
     呪術師としても五条家の御曹司としても蝶よ花よと育てられた(であろう)悟が、ある日突然どこの馬の骨とも分からない無骨な男を連れてきて、しかもソイツが高専時代の学友で、今では恋人同士だなんて。五条家の方々からすれば卒倒間違いなしの大事件だ。今頃たすき掛けしたおばあちゃんとかが薙刀構えて待ってたりするんじゃないか? 悟との仲を認めてもらうためには下手に抵抗せず一回くらい刺されておいた方が良いんだろうか。急所を外せばさほど問題ないだろうし、殺しても死なないくらい頑丈な奴なら悟様の盾として認めましょう、みたいな展開にはならないかなぁ。
     それとも、五条家の方の前では友人で通した方が良いのだろうか。本当のことを話せないのは私としても少し切ない気持ちになるが、これがきっかけとなって悟と家族の関係に傷をつける方がもっと嫌だ。私自身はこの関係を全く恥じていないし、むしろ悟は私のモノだと世間に公表して歩きたいくらいなのだが、自分たちの大切な息子となると話は変わってくるかもしれない。悟と私の場合、過去に全く異性と交流が無かった訳ではないのだから、ご家族は一層受け入れがたくても不思議じゃない。
     それに悟は、私と違って継ぐべき家もある。持って生まれた術式にその能力の殆どを左右されると言ってもいい呪術師の家系は、どこもその血筋を大切にすると聞く。私のように非術師の両親から術師が生まれるのは稀であり、古来より続く術師の家系はその相伝の術式を絶やさぬよう心血を注ぐらしい。当然五条家も同じ状況なのだろう。
     そんなお家柄の現当主が、今私の横に座って呑気に携帯を眺めている悟なのだ。君のせいで私はこんなに悩んでいるのに、なんでそんなポヤポヤしてるんだ、ちくしょう。
     見当違いな恨み言をまたもや悟に募らせていると、タクシーが一軒の屋敷の前に静かに停まった。
    「お客さん、つきましたよ」
     運転手の明るい声を受け、私の緊張は最高潮に達していた。


    ◇◇◇


    「相当なものだろうとは思っていたが……まさかこれほどとは思わなかったよ」
    「そ? 他の御三家もこんな感じだと思うけどなぁ」
     タクシーを見送ってから背筋を伸ばして屋敷を見回してみる。屋敷の方々がずらりと出迎えてたらどうしようかと思ったが、今のところそれはなさそうだ。大きな門には立派な正月飾りがつけられており、高級旅館と見まごうばかりの門松も鎮座している。
    「わ、この門松、本物の竹じゃないか」
    「あぁ、毎年うちの竹林から取ってきて作るからなぁ。あ、ここから見えるやつね」
     悟の視線を追うと、門の奥には言う通り緑豊かな竹林が見える。どうやら屋敷まではまだ距離があるらしい。御三家のわりに塀が低いなと思ったが、よく見るとびっちり結界が敷かれていた。これだけ透明な塀があれば、物理的なものは景観を損ねない程度のもので済むのだろう。
     悟がふらっと門の前に立つ。おもむろに手をかざすと、ぎぎ、と重い音を立てながら扉がゆっくりと開いた。
    「え、今何が起きたんだ」
    「あぁ、呪力をちょっとね。ま、オートロックのカードキーみたいなもんだよ。本当は試しの門みたいにしようかなって思ったんだけど、そうすると僕以外開けられなくなっちゃうからやめたんだ」
     この結界も悟が張ったのか。五条家の方々が少年漫画の影響で無駄に筋トレさせられる事態は回避できたようだ。
     悟に続いて門をくぐると静かな小路が続いていた。
    「なんだかこの辺りは空気が澄んでいるね」
    「結界の影響じゃないかな」
    「そうか、少し呼吸がしやすく感じるよ」
     足を止めて深呼吸する。さわさわと木々を揺らした風が自分の中に入り込み、身体の中を浄化してくれる気がした。
     サクサクと小気味いい音を聞きながら奥へと歩を進める。
     暫く進むと、入口の門より二回りほど小さな門が見えてきた。緩んでいた緊張の糸が、またピンと張りつめる。私の足取りが重くなったことに気づいたのか、先導していた悟が私を振り返り、しょうがないな、と言う顔でほほ笑む。普段ならその顔をするのは私の役回りなのに。
    「傑、また緊張してきちゃった? 別に悪いことしてないんだしさ、堂々としてなよ」
    「そうは言ってもな……その、悟は私の事、ご家族に何て伝えてあるんだ? もし言わない方が良いこととかあれば事前に聞いておきたい」
    「え、それは――」
     
    「悟様!!」
     悟が口を開くと同時に門の奥から、小走りでこちらにかけてくる小柄な女性が見えた。しまった、五条家の方に会う前に最後口裏合わせだけはしておきたかったのに。ここまで来たら仕方がない、極力私からは喋らない様にして悟の様子を見るしかないか。軽く息を吐いて、外行きの仮面を被り身構える。
    「あー、ただいまぁ」
    「遠いところをお疲れ様でございました。まぁ、そちらがあの?」
    「初めまして、夏油傑と言います。悟さんとは高専生時代から仲良くさせて頂いてます」
     悟の手から荷物を受け取った女性が私に気づいた。咄嗟にぺらぺらと当たり障りのない挨拶が口から出てきて安心する。ついいつもの癖で「荷物持ちますよ」と声をかけると「お客様なのですから」とやんわり断られてしまった。線の細い女性に重たいものを持たせるのは忍びなく、私の手荷物は自分で持つからと辛うじてこちらも断った。
    「ご挨拶が遅くなり申し訳ありません。私は小夜と申します。悟様が小さい頃からこの五条家に仕えている身でございます。ご滞在中、何かお困りのことがあれば何なりとお申し付けくださいませ」
    「こちらこそ、お世話になります。宜しくお願いします」
     悟が子供の頃からいらしたとは思えないほど軽やかで可憐な印象の小夜さんに続いて屋敷に足を踏み入れる。門をくぐると、そこには想像通りの所謂”ザお屋敷”が広がっていて、なんだか逆に安心してしまった。屋敷の外観に見とれていると「何かございましたか?」と前を行く小夜さんに声をかけられる。
    「いえすみません、こんなに立派なお屋敷を初めて間近で見たものですから何だか見とれてしまって」
    「それはそれは、古いだけが取り柄のようなものですから」
    「とんでもない。ここまで綺麗に、しかも今でも皆さんお住まいになりながら残されるのは、さぞ大変でしょう」
    「そういって頂けると、隙間風に耐えている甲斐があるというものですわ」
    「そうそう、天井も低いから頭ぶつけるし、襖の建付けとかも悪かったりするしね。住むなら現代家屋の方がいいよ」
     そう謙遜する姿にも嫌味はなく、根底にある品が透けて見えた。今の穏やかなやり取りからも、悟が実家の人間と上手く付き合っているのだと分かって嬉しい。自分の大事な人が、ちゃんと心から大事にされているのはとても満たされた心地がした。
     良く磨かれた廊下を進み客間に通される。ほのかに白檀の香が焚かれた座敷に腰を下ろすと、荷物を置いて戻ってきた小夜さんがすぐさまお茶を用意してくれた。
    「悟様から、夏油様はあまり甘いものを好まないと伺いましたのでこちらを」
     そういって私の前に置かれたのは、洒落た器に入った小さなかき餅だった。色とりどりの小さなお菓子が可愛らしい陶器に盛られている。一緒に出された緑茶は香りが良く、こういったものに疎い私でも質の良いものだと一瞬で分かった。わざわざ私の好みを聞き用意してくださったお茶菓子をそのままにするのも気が引けて、迷いに迷った末、おずおずと手を伸ばした。
    「お口に合いますでしょうか?」
    「はい、とても美味しいです。わざわざ私のためにありがとうございます」
    「お気になさらないで下さい。悟様用のお菓子はどれもとびきり甘いものばかりですから、家の者もたまにはこういったものが食べたくなります」
     そういって悟の前に置かれたのは、薄い生地に包まれたきんつばだ。添えられていた黒文字で切り分けて口に運ぶ。
    「んーやっぱり入間堂のきんつば最高。ガツンと来る甘みが、餡子食べてる! って感じがして僕好き」
     残りもパクパクと口に運ぶと「おかわり頂戴」と女性に声をかけた。「そうおっしゃると思って、こちらにご用意しておりますよ」彼女は奥から箱ごとお菓子をだし、後は好きに食べろと言わんばかりに悟に渡す。
    「全く……悟様は昔から一度好きになったものは絶対に自分から離さないんですよ。お夕食が召し上がれなくなりますと注意しても聞かなくって」
    「そうなのー僕って昔っから好きな物には一途だから。ね、傑」
     危うく口に含んだばかりの緑茶を吹き出すところだった。わざとらしく私に話を振ってくるな、どう振る舞っていいか悩むだろう! 悟の事だ、私が困るのを見て楽しんでいるのだろう。小夜さんに気づかれないよう悟をひと睨みして姿勢を戻す。
     かさり、と脇に置いた紙袋に手が当たり音を立てた。あ、ここまで五条家の空間に圧倒されてしまい、私としたことがすっかり機を逸してしまった。
    「すみません、こちら大したものではないのですが」
     そういって前に出したのは百貨店の紙袋だった。悟の実家に対して私が持っていけるものなど無いし、何をもっていけばいいのか皆目見当がつかなかった(悟に聞いても『別にいいよ』の一点張りで話にならなかった)ので、結局、以前人から貰って気に入っている洋菓子にしたのだ。個包装になっているものだから働いている方々も手に取りやすいだろうし、少しほろ苦いキャラメルを使ったものなので大人向けだ。一日に数十個しか販売されない希少品でその木箱にはナンバリングまでされている。そのお菓子を三箱、私にしてはそれなりに奮発した手土産だった。
    「まぁまぁ、お気遣い頂きありがとうございます」
    「洋菓子なので、お口に合えばぜひ。あまり甘くないのですが、私はこのくらいがちょうどよくて」
    「それは皆も喜びますわ。ありがとうございます」
     そういって小夜さんがにこやかに紙袋を受け取ってくれ、ひとまずほっと胸をなでおろした。
     そのまま高専での悟の様子などを話しながら小一時間ほどお茶を頂いてしまった。小夜さんは悟の幼少期から働いていたということもあり私の知らない悟の様子が垣間見えて楽しくなってしまったのだ。小夜さんが「お茶のお代わりを」と声をかけてくださったところで、ずっと気にかかっていたことを口にする。
    「あの、申し訳ありません、本日は悟さんのご両親はいらっしゃらないのでしょうか? お家にお邪魔する以上、ご挨拶させて頂きたいと思うのですが……」
     本心を言えば、心臓が口から飛び出てしまうのではと思うほど緊張しているので、このまま楽しく小夜さんから悟の昔話を八時間ほど聞いていたい。しかし、大人として家主の方々にご挨拶しないのは流石にまずいだろう。
    (だが本当に不在だとしたら、それこそ私が避けられたのだろうな。それはそれで、少し寂しいが仕方ない)
     私の問いかけを聞いた小夜さんはきょとんとした顔の後、ああ!と何かに気づいたような顔をした。何か、私はおかしなことを言ってしまったのだろうか?
     不安に思っていると横から悟が口をはさんだ。

    「もう、その辺にしといてあげなよ。流石に傑が可哀そうだよ、

    「……は?」
    「そうね、私も楽しくなってしまって。傑さん、ごめんなさいね」
    「は、え、……は?」
     全く事態を飲み込めていない私は、仕方ないなと呆れ気味の悟と、口元に手をあて上品に笑う小夜さんを交互に見る。
     え、今悟は何といったのだ。
     、と言わなかったか?
     呆然としている私に、彼女が向き直る。
    「改めてご挨拶をさせてくださいね。五条幸枝さちえと申します。悟と仲良くして下さってありがとう」
     深々とお辞儀をされ、つられて私も頭を下げる。
     ちょっとまて、じゃあ何か、私が先ほどまで小一時間茶飲み話をし、高専での悟の様子を面白おかしく話していた気さくなご婦人は、五条家当主の母、この屋敷の奥方だったという事か?
     下げた頭を戻せずにいた私に「ほら、傑混乱しちゃってるでしょ」と悟が助け舟を出してくれた。悟にこうして助けられるとは思ってもみなかった。
    「ごめんね傑、母さん昔から人を驚かすのが趣味みたいな人でさ。最初に声かけて来た時からおかしいなとは思ってたんだけど……」
    「だって、悟がやっと傑さんを家に連れてくるって言うからおもてなししなきゃと思って。それに、傑さんとも沢山お話しできて、私とても楽しかったわぁ」
     朗らかに笑う幸枝さんとは正反対のぎこちない笑顔を張り付けながら、何とか応対する。私はすっかり忘れていたのだ、ここの家主と言うことは、悟のご両親なのだということを。
    「本当にさぁ……小夜さんにだって、無理言ったんじゃないの? 今頃困ってるよ、きっと」
    「あらぁ、そんなことないわよ? 小夜さんのお着物を借りはしたけれど、私だけで対応したじゃない。最初は小夜さんに私の代わりとして傑さんを出迎えてもらおうかと思ったんだけど、流石に出来ないって断られてしまったのよねぇ」
    「小夜さんまで巻き込んじゃダメって言ってるでしょ」
     二人の呑気な会話を聞きながら、あぁ、小夜さんと言う方は実在するのか、とか、悟が窘めるなんて初めて見たな、とか見当違いなことばかり考えていた。
     
     その後、痺れをきらした本物の小夜さんが私達を迎えにきて(幸枝さんに一時間は来るなと言われていたらしい)ようやく奇妙なお茶会は終わりを告げた。迎えに来てくれた小夜さんは酷く恐縮していて、気苦労が絶えないのだろうなと妙に共感してしまった。
     別れ際、夕食の時には主人も戻る、と幸枝さんから聞き、ご挨拶はその時にと言う話になった。長い長い廊下を歩きながら、足元がおぼつかない感覚を覚える。幸枝さんのサプライズによって、私は完全に五条家の空気に飲まれてしまったのか、今自分が緊張しているのかどうかも定かではなかった。
     部屋に通され悟と二人きりになると、一気に緊張が解けた私はそのままへなへなと座り込んだ。
    「傑ごめん、母さん止めればよかったんだけど、変に邪魔すると後でもっと面倒なこと仕掛けてくることが多くて……」
    「いや、大丈夫だよ……ちょっと、驚いてはしまったけれど、逆に考えれば最初から悟のお母さまだと分かっていたらあそこまで話はできなかったと思うし。うん、結果オーライだよ」
     そう、そうだよ、と自分に言い聞かせる私に、珍しく悟が謝り倒していた。


    ◇◇◇


     ふっと一息つき手元の時計を見ると時刻は十六時を回った頃だった。夕食までは少し時間がある。「屋敷の中でも見て回る?」と言う悟について見学に行こうとした時、部屋の外から声をかけられた。
    「悟様、こちらにいらっしゃいますか」
    「え、八重さん? ちょ、ちょっと待って」
     小夜さんや幸枝さんよりも幾分かお年を召されたその声に、悟が珍しく機敏に反応する。少しだけ居住まいをただした悟が「どうぞ」と声をかけるとゆっくりと障子戸が開き、灰色がかった髪を綺麗にまとめた女性が顔を出した。
    「お休みの所申し訳ありません。悟様がいらっしゃったと聞きました故、ご挨拶をと思い参りました」
    「あぁ、わざわざありがとう。そうだ、傑にも紹介するね」
     そういって悟が私に向き直る。
    「こちらは八重やえさん。僕が生まれた時からずっとお世話になっている人。で、八重さん、こちらが夏油傑さん、今一緒に高専で働いてる同僚で――」
    「初めまして。悟様が幼少の頃よりお世話を任されております八重と申します。夏油様の事は悟様よりお伺いしております」
     悟の紹介を遮って私に挨拶をしてくれた八重さんは、先ほどの幸枝さんたちと違って少し厳しい空気をまとっていた。じっと私を見つめる視線に、何だか品定めをされているような気になり自然と背筋が伸びる。ぴりりと張った空気に耐えかねた悟が「八重さん、あの」と口を挟むが、「悟様」という良く通る一声でぴしゃりと抑え込まれてしまった。
    「私は今夏油様とお話をしておりますゆえ、少々お待ちいただけますか」
    「あの、そうなんだけど、でも、」
    「悟、大丈夫だよ。私も八重さんとお話がしたいんだ」
     珍しくタジタジになる悟に今度は私が助け舟を出す。八重さんの視線は真っすぐ私を射抜いていたが、はなからそのような扱いを想定していた私は全く動じなかった。
    (むしろ、幸枝さんの態度が驚きだったというか……最初からこのぐらい拒絶されるものだと思っていたし、少し安心するくらいだな)
     想定通りの対応に、私も作り込んだ外面を張り付けて応対する。
    「改めて私からも自己紹介をさせてください。夏油傑と申します、悟さんとは学生時代より親しくさせて頂いていたので、きっと名前が出たのかもしれませんね」
     宜しくお願いします、と頭を下げるも、八重さんの表情は眉一つ動かなかった。うーん、この顔でも変化が無いとは。中々に強敵の様だ。次はどのように接するべきか考えていると「夏油様」と八重さんの方から話しかけられた。
     
    「貴方様はどの程度、悟坊ちゃまの事を理解されていらっしゃるのですか」

     毅然としたその表情にはそぐわない問いかけに、一瞬反応が遅れる。
    「理解、とはどういう事でしょうか。彼の呪術界における立場や術式については、一般家庭の出とはいえ時間を共にする中でそれなりに理解していると――」
    「そんなことはどうでも良いのです」
     今どうでも良いと言ったか? 御三家の現当主で、呪術界最強を名乗る男の立場や術式に対してどうでも良いと言ったのか?
     じゃあ私は今、いったい何を問われているのだろうか。質問の意図を汲み取れず黙っている私に、仕方がないと言わんばかりの表情で八重さんが言葉を足した。
    「私は、悟坊ちゃまの事を理解されているのかと伺いました。呪術界におけるお立場や術式に関することなど、悟坊ちゃまの一部に過ぎません。それよりも八重が確かめとうございますのは、夏油様がどの程度ご理解されているのか、という事でございます」
     正面から私を捉える八重さんの瞳には一点の曇りも無かった。その力強い瞳を前に、私も険しい表情で応対せざるを得ない状況だが、内心ものすごく動揺していた。
    (え、今この人、悟個人の事をどの程度知ってるのかって聞いてきた、よね? え、五条家の人っていうからもっと社会的立場がーとか、由緒正しい五条の血筋がーとか、そういう嫌味を覚悟してたんだけど……何か思ってた方向と違くないか?)
     その場の空気に合わせて眉間の皺を取り繕ったまま固まっていると、八重さんの口から駄目押しの一言が投げられる。

    「この八重、僭越ながら夏油様が悟様と並び立つにふさわしい御仁か、検めさせていただきとうございます」

     
     こうして、突如始まった『悟坊ちゃまクイズ』の火蓋が切って落とされたのだった――



     (どうしてこうなったのか……)
     大広間に集まったのは五条家の恐らく使用人の方々数名と、たすき掛けをした八重さん。向かいに正座した私と、間にはなぜか楽しそうにほほ笑む幸枝さんと、何とも言えない複雑な顔をした悟が居た。幸枝さんの前には小さな旗と小箱が置かれている。
    「えーそれではこれより、八重さんと傑さんによる『悟坊ちゃまクイズ大会』を開催したいと思います。そして私幸枝が、この大会の審判を務めさせていただきます」
     ぺこ、と幸枝さんが軽く頭を下げると周囲のギャラリーから拍手が沸く。
    「それではルールの説明です。まず、お二人には『これなら相手には負けないぞ』と思う悟知識に関する質問を五つずつお手元の札に書いていただきます。そしてその札をこの箱に入れ、私が無作為に引きますので、お二人は出たお題についてお手元の画用紙に答えを記入し一斉に見せてください」
     幸枝さんの説明に合わせて、私の手元にも紙でできた札と画用紙の束が渡される。「何か質問はありますか?」との声に、気になっていた点を挙げた。
    「あの、その場合答えはどのように把握するのでしょうか。幸枝さんの感性で判断される、と言う事でしょうか?」
    「いえいえ、そんな恣意的な判断はできませんわ。当然、ここに本人がいるのですから、本人に答えてもらうのが良いでしょう」
    「は? え、何それ、は?」
     部屋の隅で、大々的に繰り広げられる茶番を遠くから眺めていた悟が急に大役を振られてどぎまぎと反応を返した。何で関係ないみたいな顔してるんだ、この大会のタイトル聞いてなかったのか。
    「だって、私だけでは分からないこともありますし、年を経て変化していることもあるでしょう? だったら本人に今の気持ちを聞いたほうが早いじゃない」
    「幸枝様、それでは悟坊ちゃまのお答えが私たちの回答に左右されてしまう可能性がございます」
    「確かに、それもそうね……。では、まずお二人が回答をしたため終ったら、悟に答えを教えてもらいましょう、そうすれば公平な判断ができますね」
    「や、それ質問の内容によっては僕が辱めを受けることにならないかな?」
     流石の悟もこの事態の異常さに気づいたようだ。しかし、時すでに遅し、悟の手元には答えを書く用の画用紙が用意されている。

    「さ、じゃあ始めましょう。問題は全部で三問、先に二問正解したほうの勝ちとします。ではまずお二人とも、質問を五つずつ記入いただけるかしら」
     幸枝さんの穏やかな声音に合わせて、八重さんと私は筆を手に取った。悟の疑問は軽やかにスルーされた。

     八重さんが知らなくて、私だけが知っていること……うーん何だ。グラビアアイドルの好みとかか?
     いや、親の前でそんなもの答えさせられるなんて、私ならその瞬間に舌を噛むな。
     悟が私と初対面で言った言葉、とか? それだと自分で自分を弄っているようで腹が立つし、何だか卑怯な気もする。

     私が質問をひねり出すのに四苦八苦している間に、八重さんはすらすらと筆を走らせ五つとも書ききってしまっていた。焦る私に『こんなことすら考えられないのか』という無言のマウントを感じ、ええいままよ、と勢いで書ききった。どうせほとんど使われない可能性が高いのだ、なるようになるだろう。
     我々の手元から集められた札が小箱の中でかさかさと音を立てて混ざる。
    「さて、では最初の問題は……こちら!」
     幸枝さんの手にした札に書かれていたのは『初めて悟坊ちゃまがお話になった言葉は?』だった。

     わ、わかるわけねぇ~!!
     完全に読み間違えた。少しだけ有利な質問に留めておいた方がいいんじゃないか、なんて私の考えが甘かったのだ。相手は本気で私を潰しに来ている。こんな不利な問題、勘で答えるしかないじゃないか。
     何だ、無難に行けばパパとかママとかだろうが……五条家でそんな呼ばせ方するか? お母さん、お父さん、なんなら父上、母上もありうるぞ。
     いや待てよ、八重さんがこの質問を入れてきたということは間接的なマウントも含まれてるんじゃないか?
     となれば、おのずと答えは導き出される……答えは、これしかない!!
     
     さらさらと書ききった私を確認すると、幸枝さんが「答えは書けた?」と悟に確認する。
    「や、僕も聞いた話だから確実には分からないけど……これかな、と思うものを書いてみた、けどこれでいいの?」
    「まぁ、間違っていたらそこは私が訂正します」
     そりゃ自分が物心つく前のことを聞かれてもと言う感じだものな。じゃあ悟の回答はいらないんじゃないか、とも思うがそこには触れずにおこう。
    「じゃあ、はい。僕の答えは『ママ』で」
     とん、と悟が表にした画用紙に衝撃を受ける。五条家ってママパパ呼びオッケーだったのか。しかし、すかさず幸枝さんの声が割り入ってきた。
    「確かに『ママ』の方がパパよりも先だったけど、実は最初の言葉は違うのよ。じゃあ二人の回答を見てみましょうか」
     その声を合図に八重さんと私が画用紙を表に返す。
     
    「私は、『やえ』と口にしたのではないかと予想しました。いつも一緒にいらした八重さんに対し、幸枝さんが呼ぶ声を悟さんが聴いていても不思議じゃないかなと」
     私の回答を聞いた瞬間、八重さんの表情には勝利の笑みが浮かんでいた。
    「私は『ぱっぱ』でございます。冷たい風の吹く秋口、はらはらと落ちる枯葉を眺めながらおっしゃいました。その頃から悟坊ちゃまは聡明でいらっしゃいましたから、緑に色づいていた葉っぱと落ちてくる枯葉が同一の『葉っぱぱっぱ』であると、理解されていたのです」
     おぉ! とギャラリーから感嘆の声が漏れる。私の自信のない声と異なり、まるでその情景を再現するかのごとく朗々と語る八重さんの姿に、私は敗北を認めざるを得なかった。

    「今説明してくれたように、正解は『葉っぱ』です。この問題は八重さんの勝ちね」
     幸枝さんの判定に、ギャラリーから控えめな拍手が起きた。
    「悟は言葉が早かったのよねぇ。その代わり歩き出すのが遅いかと思ったけれどそういうことも無かったし」
    「昔から悟坊ちゃまは何でも器用にこなされるお子様でしたから」
     和やか思い出ムードの中、私は一人焦っていた。
    (本当ならこういう場では八重さんに勝ちを譲り、下手に波風を立てない方が良いのかもしれない。だが『悟クイズ』で私が誰かに負けることはどうしても許容できない。これが薙刀で刺されるくらいならどんなに楽だったか……。このままでは、八重さんと悟の絆に負けてしまう。何としても、ここは勝ちきらなければ)
     いつの間にか、この奇妙な勝負にどっぷりとのめり込んでいる私がいた。

    「じゃあ、次の問題はこれ! えっと『悟が苦手な食べ物は?』です」
     幸枝さんによって引かれたのは私が書き入れた問いだった。このチャンスは絶対に逃すまいと筆を取った時、八重さんがまっすぐに手を挙げた。
    「どうしたの? 八重さん」
    「そのご質問では正解が複数出てしまいます。もう少し絞り込んで頂けないでしょうか」
     少しでも悟の回答を予想しやすくするために、対象を絞り込んできたのか! 抜け目のない方だ。一瞬八重さんと交わった視線は、ふい、とすぐさま外された。

    「んーそうね、じゃあ悟、今一番苦手なものを書いてください。過去に苦手でも克服できたものは対象外としましょう」
     はい、じゃあ皆答えを書いてね、という幸枝さんの合図を受け三人とも画用紙に向き直る。
     悟が今一番苦手な食べ物か……基本好き嫌いなく何でも食べるやつだからな、これには八重さんも相当困るに違いない。ちらりと見ると案の定筆が止まっていた。過去の悟坊ちゃまはきっと何でもよく食べたはず。この質問自体に戸惑いがあるに違いない。私は勝利を確信しながら筆を走らせた。

    「はい、じゃあまずは悟から出してもらいましょうか」 
    「苦手と言うか、食べれはするんだけど身体が拒絶するんだよねコレ」
     幸枝さんの声を合図に悟が回答を出す。そこには『牛レバー』と書かれていた。その回答を疑問に思った幸枝さんが「でも他のレバーは食べるわよね?」と確認した。 
    「うん、鶏のレバーとかは全然平気。学生時代さ、傑と一緒に超上手いレバニラを店で食べて、あれを再現するぞ!って意気込んで作ったんだけど見事に生でさ。あり得ないくらい食あたりしちゃったの、僕たち。で、それ以来身体が拒絶するんだよね」
     だから牛レバーだけはだめなの。そういって悟が苦笑した。
     いやーあの時のことは思い出したくもない。最終的に硝子に頼み込んで胃洗浄までしてもらったんだよな確か。ついでに呪霊がどうなるのか見たいから胃カメラさせろとか言われた気がする。辛過ぎて意識も朦朧としてたからイマイチ覚えていないけれど。
     これだけ強烈な思い出を共有している私の手元には、しっかり『牛レバー』と書かれた画用紙が握られていた。八重さんの手元には『人参のグラッセ』と書かれていた。この家でも和食以外のメニューが出ていたことに感心する。
    「昔甘いものがお好きな悟坊ちゃまのためにとグラッセをご用意した時『野菜が甘いのは気持ち悪い』と召し上がらなかったのを思い出したのですが、今はお召し上がりになられるのですね」
    「今は普通に食べられるよ。昔は出汁と甘さが混じるのに慣れてなくってさ、まぁ舌が鈍感になっただけかもしれないけど」
     悟の返答を聞いて、ギャラリーからは温かいため息と小さな拍手が起こった。流石の悟もそれには「本当にやめてくれ」と頭を抱えている。流石にとうの昔に成人した人間としては、甘い人参が食べられたと褒められるのは些か辛いものがあるのだろう。
     何はともあれ一勝一敗、次の問題が肝になる。私の書いた質問が来ることを祈るばかりだった。

    「じゃあこれが最後ですね。いざ! 最後の問題は『最も尊敬する人物は?』です」
     急に一般的なアンケートみたいな質問が来て拍子抜けしてしまった。これは私が書き入れたものではない、と言うことは八重さんが入れたものか?
     しかし向かいの八重さんを見ると私と同じように困惑した表情を浮かべていた。この質問は八重さんじゃない? じゃあ誰が……
    「二人の質問だけだと面白くないかと思って私も何個か入れてみたの。このタイミングで出てくるなんて、私持ってるわね~」
     ほくほくと嬉しそうな幸枝さんに謎が解けた。そうだった、この方はこういう方だった。ここ数時間を共にしただけでも分かる気質に内心頭を抱える。
     五条の血筋はあれか? 周囲を巻き込まないと死ぬのか?
     そして振り回されても、なんだかんだで許してしまうその魅力も遺伝なのか?
     しかし、出てしまったものは仕方がない。この問いで勝たなければ八重さんに私を認めてもらうことができないのだ。考えろ、悟が尊敬する人。
     アイツ尊敬って言葉知ってるのか……? だめだ、悟が誰かを敬う姿が全く想像できない。(一応)上司である夜蛾学長や楽巌寺学長を敬っている所など一度も見たことは無いし、歴史上の偉人や有名人にもさして興味はないだろう。一般的にいい歳の大人であればこれまでの人生でお世話になった恩師や両親等を上げることが多いが、悟に一般論は通用しない。
     悟が好きな物、好きなこと。駄目だ、やっぱり誰も想像できない。あんなに自己中心的で自分が正しいと信じているような奴が尊敬する人なんて。


    ――その時、私に一つの天啓が下りた。
     そうだ、悟ならやりかねないぞ。確信した私は一思いに筆を走らせた。


    「じゃあ皆答えは書けたかしら? 今回が最後だし、八重さんと傑さんの回答を先に見てみましょうか」
     幸枝さんの声に続いてまずは八重さんが答えを披露する。
    「私は『先代の六眼様』ではないかと。幼少の頃から先代様の残された書物によく目を通されていましたし、坊ちゃんと同じ境地に辿り着かれていた御方ならば、尊敬の対象になるのではないかと考えました」
    「確かにあり得そうな回答だわ。じゃあ次は傑さんね」
     とん、と勢いよく出した私の回答に周囲は騒めき、悟は声を上げて笑った。
    「私は『悟自身』なのではないかと考えました。誤解してほしくないのですが、これは彼が自惚れていると揶揄しているわけではありません。彼を学生時代から隣で見て来た私だからこそ、この回答だと思えるのです。彼はご存じの通り飄々としていて軽薄で、優秀であるが故にある種、情のない人間だと思われることもあります。しかし、彼が誰よりも優しく、懐が広く、情に厚い人物だからこそ、今のこの環境があるのだと私は思うのです。彼はその身一つで世界を滅ぼせるほど強大な力を持っています。その力を制御するために必要な精神力とはいかほどのものか、私には想像もできません。だからこそ、私は悟が自身を最も尊敬していても、何ら不思議はないと考えているのです」
     
     ――パチ、パチパチ
     私の口上を聞いていたギャラリーは、気づけば呆然とその手を打っていた。自分でも途中から何か壮大な話になってきたな、とは思っていたが何か上手くいったのでそのまま表情をキープする。別に嘘は言ってない。悟の事を優しく人間的なやつだと思っているのは本当だし。ただ、ちょこっと美化しただけだ。
     私の口上を黙って聞いていた悟はたまらず吹き出している。ひーひー言いながら泣いている悟と呆然と私を見つめるギャラリーの温度差がすさまじい。

    「傑さん、貴方面白い才能があるのね……途中から、何か演劇でも見ている気になってしまったわ」
    「母さん気を付けてくださいね。コイツ昔からこういうとこあるんです。ハーメルンの笛吹きみたいに、あっという間に人心掌握しちゃうんですよ」
     涙を拭いながら悟が幸枝さんに要らんことを吹き込んでいる。やめろ、私の印象が悪くなるだろうが。
     私の口上に引っ張られていた幸枝さんが「あ、じゃあ悟の答えも見せてくれる?」と話を振った。
     悟の手元に視線が集中する。どうだ、どちらが正解なんだ?
     


    「はい、僕の答えはこれね」
     とん、と悟の膝上に出された画用紙には『上村さん』と書かれていた。
     
    「「は?」」
     私と八重さんの声が重なる。だ、誰なんだいったい。
     私たちの心の声が聞こえたのか悟が説明し始めた。
    「あれ、皆知らないの? ファミコンの生みの親って言われてる超超有名人だよ。本当は宮本さんと岩田さんも迷ったんだけどさぁ、やっぱりここは原点ともいえるファミコンかなぁって思って――」

     そこから先、悟が説明してくれた上村さん、宮本さん、岩田さんの伝説は、正直右から左だった。え、この展開は全く予想していなかったぞ。確かにゲームはお世話になったし、高専の時初めてテレビゲームに出会った時狂ったみたいに遊んでたけどさ……。え、しかも書籍も持ってるの? 本当に好きなんだ、知らなかった。

    「――で、岩田さんのプレゼンなんて世界でも指折りの上手さでさ」
    「さ、悟、ありがとう。その、また後で聞かせてくれるか。皆さん、お忙しいだろうし」
    「あぁごめん、勝負の途中だったね。最後の問題は二人とも外れだったけど……どうする、じゃんけんでもしとく?」
     悟の話を夢中になって聞いていた幸枝さんに判断を仰ぐ。思い出したように我に返った幸枝さんが、優雅に右手を頬に添えて小首をかしげる。
    「そうね。……じゃあ、この勝負は持ち越しにしましょう! 次に傑さんがいらした時にということで」
     じゃあ今日は解散にします、という号令に従いギャラリーも散り散りになる。え、本当にこんな終わり方でいいのか? 私か八重さん、どちらかが立てなくなるまでやり合うんじゃ?
     急な場面転換に戸惑っていた私の元に八重さんが歩み寄ってきた。
     私の目の前に立つとつられて私も立ち上がる。長らく正座していたせいで脚がかなり痺れていたが下唇を噛んで耐える。
     
    「夏油様、先ほどの演説は私も心に来るものがございました。まるで悟坊ちゃまの全てを知っているかのように驕っていた自分が情けない。……まだ全てを認めたわけではありません。ですがこれからは、是非坊ちゃまの理解者同士、情報交換をさせて頂きたく」
     そういうと八重さんは私の前にスッと手をだした。出された手を素直に握り返す。
     この日、私と八重さんの間には奇妙な友情が芽生えたのだった。

    (いや、この茶番は一体なんだったんだ……)


    ◇◇◇


     八重さんとの一幕が終わり、あてがわれた部屋に戻るとふっと息を吐いた。悟はあのまま用事があると、どこかに連れていかれてしまったのだ。
     一人畳の上に脚を放りだして寝転ぶ。今朝、駅に着いた時には口から心臓が飛び出そうなほど緊張していたのに、着いてから今までいろいろなことがあり過ぎてあっという間に時間が過ぎてしまった。
    (いや、一つ一つのイベントはすごい重いんだけどさ)
     当初、もっと拒絶されるかと思っていたが、幸枝さんも小夜さんも、その他の方々も私に対して厳しい態度を取ることは無かった。八重さんだって、悟の事が大好きで大切だからこそという感じで、そこには私の家柄や術式に関する嫌悪は見えなかった。
     そして、これはかなり失礼なことだが、正直思っていたよりも『悟が人間扱いされている』ことにとても驚いていた。
     禪院や加茂の話しか聞いてこなかった御三家のイメージでは、術式先行、個人の意思や尊厳は二の次のような印象があった。しかし、五条家に来てからというもの、誰一人として悟の事をそのように扱っている人を見かけなかったのだ。もちろん六眼と無下限呪術の抱き合わせであることに対しての畏怖はあるのだろう。しかしそれ以上に一人の大切な子供として、長らく見守ってきたのだと来たばかりの私にも分かる程にじみ出ていたのだ。
     
    「……嬉しいなぁ」
     自然と口から言葉が零れる。

    「何が嬉しかったんだい?」
     独り言に返事が来た。驚いて振り返ると、障子を少し開けたところに一人の男性が立っている。
     穏やかな表情を浮かべているが、仕立ての良い着物にすっと伸びた背筋から香り立つ風格があった。
     
    「悟さんの、お父様、ですか?」
     
     慌てて姿勢を正して座する私に「急に押しかけてすまないね、そんなに畏まらないで」とほほ笑む。悟も居ない時にエンカウントするとは、どうしたものかと思っていると目の前の御方が口元に手を寄せ、くいっと傾けた。
     
    「君、酒は呑めるかな?」



    「私実は息子とこうして呑むのが夢だったんだよ。でも悟はあの通り下戸だからさ、付き合ってはくれるけれどこういうの初めてで嬉しいなぁ」
     上機嫌に小さな御猪口と徳利を乗せたお盆を手に戻ってきた。趣味で弄っているという庭に面した縁側に腰かけ、酒を受ける。暖を取るために家の方が用意してくれた火鉢がパチパチと音を立てた。
     綺麗に整備された庭には小さな池があり、ぼんやりと月が浮いていた。どうやら今夜は雲が無いらしい。
    「申し訳ありません、あの、私は何とお呼びすれば……」
    「あぁ! ごめんごめん、名乗ってなかったね。五条さとしと言います。悟と一字違いで紛らわしいんだよね」
     はは、と笑いながら手酌で酒を注ごうとするので慌てて徳利を持つ。ありがとう、と笑って酒を受ける姿にはあまりこの大きなお屋敷の家主然とした態度は見受けられない。
    「あ、今普通のおじさんだなーって思った?」
    「いえ、そんなことは!」
    「はは、よく言われるんだ。それにその通りだしね」
     一瞬心を読まれたのかと思うほど芯を捉えた台詞にどきりとする。ゆっくりと御猪口を傾ける動きにつられて自分も酒を一口飲む。柔らかい口当たりの冷酒が喉を過ぎた。
    「この時期だから燗かなとも思ったんだけど、皆夕食の準備で忙しくしててね。申し訳ないから冷にしたんだよ。でもこのするすると呑める感じは美味しいでしょ?」
    「はい、飲みすぎてしまいそうで怖いですね」
    「夏油君を飲ませ過ぎたら悟に怒られそうだから、ほどほどにね」
     そういって笑いかける顔はいたずら好きの子供の様で、どことなく悟の面影があった。
     
     暫く庭の木々を揺らす風の音や、炭のはぜる音を聞きながら静かに酒を飲む。丁度杯が空いたころ、聡さんがぽつりと話し出した。
    「今日はどうだったかな? 何か面倒ごとに巻き込まれたりはしなかった?」
     激しい思い出が頭を巡るが、一度飲み込んで返事をする。
    「……皆さん急にお邪魔した私に対してとても良くしてくださいました」
    「今の間は絶対何かあったんだよね? 何があったの?」
     一瞬の揺らぎも見逃さず、きらきらとした顔で問いかけてくる。
    「実は――」
     私は今日の出来事を掻い摘んで説明した。

    「あっはっは」
    「笑いごとではありませんよ……」
     事の顛末を聞いた聡さんは目に涙を浮かべて笑っていた。今までの話を聞いても笑って受け入れられるということは、きっとこの程度のことは予想の範囲内だったのだろう。大らかと言うか、自由と言うか。五条家の方々と触れ合うほど私の中の御三家のイメージがどんどんと崩れていった。
     ひとしきり笑い終えた聡さんが息を整え口を潤す。
    「皆何かするんじゃないかとは思っていたが、ずいぶん楽しみにしていたみたいだね」
    「あれは歓迎されていたということなのでしょうか」
    「そりゃそうだよ、でなければもっと素っ気なく対応するだろうし、あの部屋も用意しないと思うな」
    「あの部屋には、何か意味があるのですか?」
     聡さんの言葉が指す『あの部屋』とは、私と悟の為に用意された部屋を指すのだろう。二人にしては少し広いなと思ったが、何か意味があるのだろうか。
     私の問いかけに少し考え込んでいた聡さんが、まぁいいか、と話してくれた。
    「あの部屋はね、悟が幼い頃ずっと使っていた部屋なんだよ」
    「子供部屋だった、ということですか?」
    「そうだね、最近悟は帰ってきても客間を使うばかりで、あの部屋は使っていないんだ。何故かわかるかい?」
     確かにそれならばこの屋敷の中でも思い出の詰まった大事な部屋なのだろうと思う。しかし、ただの子供部屋ならば悟が実家に帰ってきたとき使わない理由はないはずだ。一体あの部屋には何があるんだ?
     私の疑問を汲み取るように、聡さんは言葉を続けた。

    「あの部屋は幼い頃の悟が使っていたんだ。毎日のように命を狙われ、常に危険と隣り合わせだった、だよ」

    「っ! それは、」
     聡さんの意図することがやっと分かった。
     まだ術式を使いこなす前の悟が過ごした部屋なのだ。当然、この屋敷の中で最も堅牢な部屋なのだろう。やっと思い至った私に微笑みながら「今の悟の眼にはうざったく感じるらしい。戻ったら部屋をよく見てみると面白いと思うよ」と付け加えた。

     私は五条家の方々からどのように見えているのか不安でたまらなかった。多少の嫌味は覚悟していたし、悟と仲の良い家族の間に亀裂を入れることにならないかと心配していたのに。
     それが実際訪れてみればどうだ。温かく出迎えてもらい、その上屋敷で一番安全な場所を貸し与えてもらっている。
     これが許されていなくて何だと言うんだ。

     初めから与えられていた優しさを理解し、唇を強く噛んだ。隣には庭を眺めながら杯を傾ける聡さんが静かにたたずんでいる。
    「私は、五条家の皆様には受け入れられないのだろうと思っていました。一般家庭の出であり、呪術界においては何の後ろ盾も無い私が、悟さんと共にいるのは認められないと、そう思っていました」
     私の独白を、聡さんは黙って聞いている。
    「ですが、今日お伺いして初めて私が大きな誤解をしていたと気づかされました。……温かく迎え入れてくださって、ありがとございます」
     そういって頭を下げると、「やめて、やめて」と咄嗟に聡さんが止めに入る。
     
    「夏油君はさ、うちの方針って悟から聞いたことないかな?」
    「方針、ですか?」
     そういえば、以前悟が『うちは他の家とは戦略が違う』と言っていたのを思い出す。
    「そこまで大層なもんじゃないけどね。うちはさ基本的に、何でもあり、が方針なの。もっとカッコよく言うと『多様性』って感じかな」
    「多様性……」
     咀嚼しきれない私に聡さんは説明を続けた。
    「うちは昔から六眼様のワンマン経営が主流なんだよね。でも六眼様はいつ生まれるか分からないし、どこで生まれるか予測ができないんだ。だからうちでは数百年前、少しでも六眼様誕生の確立を上げるために近親婚が流行った。そしたら血が濃くなりすぎちゃったのか生まれた子が皆早世してしまってね。その時の当主が思いっきり方向転換して、血筋にこだわらず他家のものを積極的に受け入れるようにしたんだよ。そしたらその戦略が大当たり、身体も強い六眼様がお生まれになった。それ以来五条家は多様性に舵を切って、他者を受け入れ子供は家皆で育てながら、六眼様をお待ちするという神頼み経営になったんだ」
     つまみの漬物を食みながら、何でもない事のように聡さんは話し続ける。
    「だからうちは昔から六眼様以外の当主は皆繋ぎでしかないから人気ないんだよね。だって御三家の集まりとか行ってもぐちぐち嫌味言われるだけだしさぁ。悟の前の当主も確かあみだで決めたんじゃなかったかな」
    「それは、他とはかなり様相が異なりますね……」
    「でしょ? でも子供の頃からこの方針に触れてた僕からすると、禪院とか加茂のやり方って疲れないのかなって思うけどね。身内同士でやり合っててさ、絶対非効率じゃない?」
     そういった聡さんの顔はほんのり色づいていて、その顔が余計に悟を思い出させた。どう返したらいいものか迷い、杯を傾け続ける私に聡さんは何でもない様に口にした。
     

    「だからさ、夏油君。これからも悟を宜しくね」


     私に向き直った聡さんの目には、私達の関係を全て知った上で言っている、そういう温度が確かにあった。
     私はその目を真っすぐに受け止めてから「こちらこそ、末永く宜しくお願いします」と深く頭を下げた。



     あれから「悟には内緒だよ」とにこやかに口留めした聡さんと別れて部屋に戻った。暫くして夕食だと迎えに来た悟にはすぐに「父さんと呑んでた?」と突き止められてしまった。聡さんすいません、息子さんが鋭すぎてバレてしまいました。心の中で謝りながら悟の手を握る。
    「え、なに、急に」
    「何となく触りたくて」
    「傑はそういうの嫌がると思ってたから僕は嬉しいけどさ」
     ぎゅ、と握り返してくれた大きな手を更に強く握りながら、絶対に幸せにします、と心の中でひっそり誓った。


    ◇◇◇


     夕食を取るため悟に続いて大広間へと足を向ける。襖を開けた先には大きな座卓が二、三台連なって置かれ、その上には寿司桶と刺身、火にかけられた鍋が置かれていた。
    「わぁ、こりゃまた気合入ってるね」
    「え? 毎年こうじゃないのか?」
    「違う違う、うち普段は一人ひとりお膳だしね。たぶん傑が来るからだと思うよ」
     入口に立ち室内を眺めていると後ろから「寒いでしょう、早く座って座って」と幸枝さんに声をかけられてしまった。お客さんなんだから上座に、と言われたが「どうにも落ち着かないので」と固辞して何とか回避する。暫くしてお酒を抱えた聡さんと八重さんも姿を現した。
    「父さん、今年はどんな趣旨なのこれ」
    「せっかく夏油君がうちに来るって言うから、どうせならベタな団らんをやってみたいなぁと思ってね。今日屋敷に来てくれている皆も一緒に卓を囲もうと思ったんだ」
    「お父さんったら傑さんは肉と魚どちらが好きか分からないから両方用意したほうがいいかもとか、凄く迷っていたのよ」
    「もう一層のこと親睦を深めるためにバーベキューでもやるか、とおっしゃり始めたあたりで私がお止めしました」
     聡さんの張り切りぶりをお二人から伺うと、恐縮すると同時に素直に嬉しかった。
     
     仕度を済ませた屋敷の皆様も広間に集まり夕食が始まった。もっと静かなものかと思っていたが、そこかしこで談笑する声が聞こえて居心地が良い。
    (悟の家で食事をするなんて緊張で味もしないと思っていたけれど、これも配慮頂いたと思うのは考え過ぎか?)
     私も勧められるがままに酒や料理を口に運ぶ。定期的に幸枝さんから「傑さん、遠慮せずにどんどん召し上がってね」と声をかけられ、そのたびに「ありがとうございます」と皿に料理を取るものだからわんこ寿司状態だった。
    「ちょっと母さん、傑も僕と同い年なんだから流石にそこまで食べないって」
     見かねた悟が声をかけてくれる。私の口には目一杯マグロが詰まっていたので返事はろくにできなかったが。
    「ごめんなさいね、つい若い人見ると食べさせなきゃって思っちゃって」
    「僕たちもアラサーだからね、高校生じゃないんだからさ」
    「ついね、いつまでも子供は子供のままって本当なのねぇ」
     不思議ねぇ、と他人事のように笑う幸枝さんに若干振り回されている悟におかしくなった。悟も誰かに振り回されることってあるんだね、と呟くと勢いよく振り返った悟が「お前ねぇ……」となぜか微妙な顔をした。

     食事もひと段落し、ゆっくり酒を楽しむ段階に来ると悟は一人アイスを食べながら参加していた。私は悟と席を入れ替え聡さんに付き合っている。何度目かの乾杯をしたとき、聡さんが「あのね」と声を潜めて話しかけてきた。
    「夏油君にお願いがあって……」
    「あ、はい、何でしょうか」
    「あのさ、僕も、傑くんって呼んでも、いいかな」
     赤らんだ顔で上目遣いにおずおずとお願いされ、間髪入れずに「もちろん、好きに呼んで下さい!」と返すのが精いっぱいだった。酒が回っているのだろう、聡さんの口調も砕けてきている。
    「やったぁ。さっき幸枝さんがさ、傑さんって呼んでて羨ましくてさぁ」
    「そんな、名前ぐらいいくらでも呼んで下さい」
    「嬉しいなぁ。ふふ、傑くん、すぐるクン。……ふつつかな息子ですが、末永く宜しくお願いしますね」
     急に頭を下げた聡さんを支えながら「それは、こちらの台詞ですよ」と返す。慌てていた私に気づいた悟が手をかしてくれた。
    「あぁ父さん飲みすぎだよ。八重さんごめん、お水お願いできる?」
    「お待ちください、今お持ちします」
     聡さんの肩を支えながら「大丈夫?」と悟が声をかける。少し酒の回っていた私は、品のある人はふにゃふにゃになっても品があるんだなぁと見当違いの事を考えていた。
     八重さんから受け取った水を飲ませながら様子を伺う。
    「ごめん傑、父さん普段はもっと酒強いんだけどさ、たぶん傑と呑めて嬉しくて飲みすぎたのかも」
    「そうならいいけど、私が飲ませ過ぎてしまったのかも――」
    「そんなことないよ! 義理とはいえ息子とお酒飲めるの楽しくてさぁ加減を間違えちゃったね」
     楽しいねぇ、とふにゃふにゃになりながら言う聡さんを支えながら、少し冷えた頭で考える。

     あれ、そういえば私は悟のと紹介されているのか聞いていなかった。友人?同僚?……それとも、恋人?
    「ん? どうした、気持ち悪い?」
     急に考え込んだ私を伺うように覗き込む。聞くなら今しかないかもしれない、と悟の服のすそを引っ張り顔を寄せた。
    「あのさ、ずっと気になっていたんだけど……私って、その、お家の方々には悟の何って説明してるの?」
    「え、今更?」
    「や、その、ちゃんと聞いておきたくて……」
     ぼそぼそと声が小さくなった私に、本当に今さら、と笑った悟は、急に私の肩を抱いて立ち上がった。引きずられるように立ち上がる。
    「えー、宴もたけなわですが、ここで改めて皆に紹介させてください。前に説明はしたと思うけど、こちら『僕が生涯を共にしたいと思っている』夏油傑クンです。僕と同じ特級術師で、僕の初めての友達で親友で、恋人でーす。僕がフラれない様に、傑が後ろ髪引かれるよう、変なことは吹き込まず仲良くしてください!以上です!」
     どさり、と腰を下ろした私は真っ赤な顔を手で覆いながら「ここまでしろとは言ってないだろ」と強めに小突いた。はははと笑う悟の顔が何だかムカついて、追加で更に小突いておいた。
     完全に眠ってしまった聡さんを自室に運ぶため悟が席を外す。すると待っていましたとばかりにお屋敷に勤めている方々が私の元に集まってきた。
     
    「悟様は夏油様と遊ぶようになってから、悪戯っぽく笑うようになったんですよ。それがまた可愛くて」
    「今度、坊ちゃんがおっしゃってた『かっぷらーめん炒飯』なるものの作り方を教えて頂けませんか? 美味しいとお聞きしたのですがどうも爺には、ねっと、と言うのが難しく」
    「坊ちゃんの七五三の写真はご覧になったことありますか? あ、ではお食い初めのお写真は? あら、じゃあ今度お持ちします! それはそれは大層可愛らしくって」

     皆口々に悟との思い出や悟から聞いた私との思い出を楽しそうに話していく。そして最後は決まって『悟様を宜しくお願いしますね』と言い残して去っていくのだ。
     七、八人目の方から同様に声をかけられたとき「どうして皆さん私に、悟さんを宜しくとおっしゃるんでしょうか」と問いかける。するとその女性は至極当たり前だという顔で「悟様がご自身で選ばれた方ですもの」と答えた。
    「悟様はもちろん五条家の御当主様でいらっしゃいますが、それ以上に我々の大事な悟坊ちゃんなんですよ。坊ちゃんがご自身で伴侶にしたいと望まれている方ですもの、少しでも五条家に良い印象を持ってもらったり、坊ちゃまと仲良くいて欲しいと思うことは当然ですわ」
     そういってほほ笑んだご婦人は「それに」と茶目っ気たっぷりに付け加えた。
    「坊ちゃまは昔から、その才ゆえに奇抜な発想をなさることも多かったのですけれど、夏油様と一緒に居らっしゃるようになってからそれがずいぶん減ったとか。あの悟坊ちゃまを御することができるお方などこの世にどれほどいるか……。我々が夏油様に『悟様を何卒宜しく』と申す理由が伝わりますでしょうか」
    「はい、皆様の心労含めて理解できました。ありがとうございます」
     丁度良いタイミングで部屋に戻ってきた悟と目が合う。私とご婦人がにやにやとした表情で見上げたからか「え、何」と怪訝な顔をした悟を見て二人で笑った。
     悟、君はこれほどまでに愛されているんだね。



     翌朝、朝餉の用意ができたと声をかけられ昨夜同様大広間へと向かう。まだ半分寝ている悟と緊張感からばっちり目覚めた私は、普段の姿と真逆でおかしい。昨日の夕食で少し話した方々とは廊下や部屋ですれ違うたびに軽く会釈を交わした。たった一晩だったが、来た時に比べるとずいぶん居心地のよい空間になったものだ。
     広間に着くとお屠蘇とシンプルだが上等なおせちが並んでいた。昨夜もあれだけ豪華な料理が用意されていたのに、年の瀬に用意をして下さった方々には頭が下がる。栗きんとんばかり手を出す悟を指摘しながら私も箸を伸ばした。
    「わ、この黒豆美味しいぞ。こんなにふっくら炊くの難しいのに」
    「そうなんだ、気に入ってるなら持って帰る?」
    「いやいや、それは――」
    「おせちは既に少し取り分けて包んでございますので、ぜひお持ち帰りください」
    「だって、良かったね傑」
     私は今回の訪問で五条家では不用意な発言は色んな意味で控えなくてはいけないのだということを学んだ。実は昨晩出た年越しそばに対しても、美味しい美味しいと食べていたらおかわりを勧められた挙句、手土産にと生蕎麦を用意されてしまったのだ。この家の方々は少しでも隙があるとすぐにお持たせを作ろうとする節がある。気を引き締めてかからねば。
     ふと目の前に置かれた椀を覗くと中には白味噌の雑煮が入っていた。そうだ、もし機会があったらこのお雑煮の作り方を聞いてみたいな。ここと同じ食材は用意できないかもしれないが、真似くらいはできるだろう。そうやって、少しずつ悟が育ってきたこの家の事をもっと知りたいと思った。

     簡単な身支度を済ませて外に出る。門の前には運転手付きの車が控えており、聡さんや幸枝さん、八重さんたちが見送りに来てくれていた。
    「すいません、元旦にバタバタしてしまって」
    「いやいや、お仕事もあるだろうしね」
    「これに懲りずにまた是非遊びにいらしてね」
    「はい、また是非伺わせてください」
     私が応対している間にてきぱきと悟が車に荷物を積み込んだ。
    「ほら、新幹線の時間もあるし行くよー」
    「悟も身体に気を付けてね、たまには連絡しなさいよ」
    「はいはい、じゃあまたね」
     車が見えなくなるまで手を振ってくださる皆様に何度もぺこぺこと頭を下げながら車が走っていく。数分して駅に着き、運転手の方とも会釈をして別れた。

    「っはぁ~~~」
    「ため息でっか」
     大きく息を吐いた私をみて悟がけらけらと笑う。「緊張してたんだ、仕方ないだろ」と拗ねると「ごめんって」と悟が荷物をもって駆け寄ってきた。
     列車の時刻を確認すると待合の席に腰かけ時間を待つ。すると、悟が「ありがとね」とぽつり呟いた。
    「僕の我儘に付き合ってくれてさ、正月なのにダラダラもできなかっただろうし。……それに、その『恋人』って勝手に紹介してごめん。でも、どうしても外堀を、埋めたくて……」
     京都に降り立った時とは真逆で、急に自信を無くして萎んでいく悟が可笑しくて、同時にとても愛おしかった。
    「本当だよ、どんなに良い方たちでも緊張はするんだからな」
    「うん、ごめん」
    「その代わり、今度私の実家にも顔出しに行くよ。悟もあの緊張感を味わえばいいんだ」
    「うん……ぁえ? え、それって、傑の家族にも僕を紹介してくれるってこと?」
     急にいつも以上にキラキラした瞳で私を真っすぐ見つめてくる。なんでサングラスわざわざ外すんだ、君の眼はウソ発見器も兼ねてるのか?
    「うちはお手伝いさんなんていないからな、君も家事手伝うんだぞ」
    「うん、うん!もちろん!何でもする!!」
     たかが実家に一緒に行くくらいでこんなに喜んでくれるなんて思わなかった。きっと五条家の方々はこのキラキラした顔を見たことはないのだろうな。どうだ、恋人の特権だぞ、良いだろう。
     
     今度家に帰ったら、私もちゃんと紹介したい。
     私の友達で親友で、恋人で、そして『生涯を共にしたい』と思っている人なんだと。



    end.






    おまけ

    「ねぇ、何か傑の携帯さっきからすごいうるさくない?」
    「あぁこれ? 多分八重さんだと思う」
    「は!? なんで傑が八重さんの連絡先知ってんの」
    「この間連絡先交換してさ、三日に一回くらいはメッセージやり取りしてるかも」
    「うっそ、本人の僕より多くない頻度?」
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    Replies from the creator

    おはぎ

    DONE呪宴2の展示作品です。

    以前ポイしたお宅訪問のお話のワクワク!夏油家お宅訪問~!Verです。
    いつも通り180%捏造ですが、幸せになって欲しい気持ちは本物を詰めてます。
    傑さんや、君にこれだけは言っておきたい!!

    ▼特に以下捏造が含まれます
    ・教師if
    ・夏油、五条家メンバ(両親、兄妹、ばあや、その他)
    ・五条、夏油両実家に関する事柄(所在地から全て)

    上記楽しめる方は宜しくお願いします!
    恋人宣言「ねぇ傑、スーツと袴、どっちがいいかな?」
     コンコン、と開いた扉をノックしながら悟が声をかけて来る。明日の任務に関する資料に目を通していたからか、一瞬反応が遅れる。え、なんて?
    「ごめん、上手く聞き取れなくて。なに?」
    「だから、スーツと袴、どっちがいいかなって。今度実家寄ってくるとき用意お願いしてこようと思ってるから、早めに決めとかないとね」
     今日の昼何食べるかーとか、どっちのケーキにするかーとか、悟は昔から私に小さな判断を任せてくることがよくあった。自分で決めなと何度も言っているのだが悟の変な甘え癖は今も治っていない。だが、服装を聞いてくることは珍しい。(何でも、私のセンスは信用できないらしい。あのカッコよさが分からない方が不思議だ)しかも、選択肢はばっちり正装ときた。何か家の行事に出るのだろうか。それか結婚式とか?
    29607

    おはぎ

    DONEGGD.NYP2の展示作品です。

    以前冒頭を少しポイしていた作品をお正月仕様に少し手を入れて完成させました!
    ドキドキ!五条家お宅訪問~!なお話です。
    180%捏造ですが、幸せになって欲しい気持ちだけは本物を詰め込みました。

    ▼特に以下捏造が含まれます
    ・教師if
    ・五条家メンバ(悟両親、ばあや、その他)
    ・五条、夏油両実家に関する事柄(所在地から全て)

    上記楽しめる方は宜しくお願いします!
    猛獣使いを逃がすな「……本当に大丈夫なのか?」
    「だーいじょうぶだってば! 何緊張してんの」
    「普通緊張するだろう! 恋人の実家にご挨拶に行くんだぞ!」
     強張った身体をほぐそうと悟が私の肩を掴んでふるふると揺すった。普段なら制止するところだが、今はじっと目を閉じて身体をゆだねていた。されるがままの私を悟が大口開けて笑っているが、もはや今の私にとってはどうでもいい。この胃から喉元までせり上がってくるような緊張感を拭ってくれるものならば、藁でも猫でも悟でも、何でも縋って鷲掴みたい。現実逃避をやめて、大きく深呼吸。一気に息を吸い過ぎて咳き込んだが、緊張感が口からこぼれ出てはくれなかった。
    「はぁ……帰りたい……高専の寮で一人スウェットを着て、日がな一日だらだらしたい……」
    27404

    おはぎ

    DONEWebイベ展示作品③
    テーマは「くるみ割り人形」 現パロ?
    彫刻と白鳥――パシンッ
     頬を打つ乾いた音がスタジオに響く。張りつめた空気に触れないよう周囲に控えたダンサーたちは固唾を飲んでその行方を見守った。
     水を打ったように静まり返る中、良く通る深い響きを持った声が鼓膜を震わせる。

    「君、その程度で本当にプリンシパルなの?」

     その台詞に周囲は息をのんだ。かの有名なサトル・ゴジョウにあそこまで言われたら並みのダンサーなら誰もが逃亡しただろう。しかし、彼は静かに立ち上がるとスッと背筋を伸ばしてその視線を受け止めた。

    「はい、私がここのプリンシパルです」

     あの鋭い視線を受け止めてもなお、一歩も引くことなく堂々と返すその背中には、静かな怒りが佇んでいた。
     日本人離れしたすらりと長い手足と儚く煌びやかなその容姿から『踊る彫刻』の異名で知られるトップダンサーがサトル・ゴジョウその人だった。今回の公演では不慮の事故による怪我で主役の座を明け渡すことになり、代役として白羽の矢がたったのが新進気鋭のダンサー、スグル・ゲトーである。黒々とした艶やかな黒髪と大きく身体を使ったダイナミックなパフォーマンスから『アジアのブラックスワン』と呼ばれる彼もまた、近年トップダンサーの仲間入りを果たした若きスターである。
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    oh_sawasawa

    MOURNING元々は夏五ワンドロワンライのお題に興奮して書き始めたものでしたが、全く1時間で書けるものじゃなくなったので、こちらで供養。
    ちなみにお借りしたお題は喀血です。
    かなり派手に吐いているので苦手な方はご注意ください。
    モブのおじいちゃん先生捏造。
    体の関係に言及していますが、具体的な描写はないので15歳以上の方はお読みいただけます。
    「感染するとかありえなくね? 他の奴らはともかく俺には無下限あんだし」
     五条は無意識に拾った枯れ枝をグラウンドの向こうに思い切り投げつけながら不機嫌に口を尖らせた。
    「ただの結核ならね。呪霊が関連してるとなると話は別なんじゃない?」
     家入は階段の端のわずかな木影を陣取って紫煙を燻らせている。
     梅雨の薄い晴れ間。さすがに蝉はまだ地面から這い出してはいないようだが、雲間からじわじわと照りつける太陽の反射が二人の制服のシャツに微かなしみを作っていた。
     午後は体術の時間で仕方なくグラウンドに出てみたものの、この二人では特にやることもない。監督の夜蛾も上層部の呼出しで離席しており、実質休講のようなものだ。
    「それにしたって、連絡も取らせないとか横暴だろ。俺だったらとっくに脱走してる」
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