喫茶店のプトオク「いらっしゃいませー」
「ブラックコーヒーを…」
「かしこまりました」
私が働いている喫茶店には、毎日のように足を運んでくださる常連さんが沢山いる。小言を言い合いながらも決まって同じものを頼むおしどり夫婦。何々君が何々ちゃんを好きらしいなんてありがちな学校のゴシップで盛り上がるティーンの女の子たち。
良く言えば古き良き、悪く言えば少し古めかしいこの喫茶店。めったに顔を出さないマスターが営むここには、大勢の人たちが目まぐるしい日常から一時の憩いを求めてやってくる。
そして週に一、二回、必ずブラックコーヒーを頼んでは数時間ぶっ通しでノートパソコンに向かっているこの男性もそう。一度も色を入れたことがないだろう艶やかな黒髪の七三分け、真面目な黒縁眼鏡と青いよれよれのネクタイ。いつも難しい顔をしながら、私には何が何だかわからない文字や数字で埋め尽くされた画面と向き合っている。
けれど今日もお馴染みのブラックコーヒーをテーブルに運ぶと、そのスクリーンにはいつもの複雑怪奇な羅列ではなく、珍しく映像が流れていた。お客様のパソコン画面を覗くのは失礼だと分かっていても、興味本位でつい盗み見してしまう。
そこに映っていたのは栗色の髪に青いマスクをした若い男の子と、同じくマスクをした水色の髪の女の子。二人は何かから逃げるように廊下を全速力で走り抜けている。男の子の方は時折凄い身体能力で箱から天井へとジャンプしつつ、画面に向かって喋りかけている。横を次々と流れていくスタンプを見るに、どうやらライブ配信のようだ。画面左上の「827K」という数字にも驚く。恐らく、同時接続数というやつ。凄い、超人気配信者なんだ。
いつもは複雑な画面と格闘しているこの人が、見るからに嬉しそうな表情で食い入るように見つめているのがなんだか微笑ましい。コーヒーをパソコンから少し離れた場所に静かに置くと、私は別のお客様の注文を聞きに向かった。
以降もそのお客様は決まったスケジュール通りにここに足を運んでは、似たような単調な作業に明け暮れていた。でもたまに同じ男の子のライブ配信を視聴しているのを見かけたら、ずいぶん熱心なファンなのだろう。
そんな日々がそれから数か月続き、ある日を境にそのお客様はパタリとお店に来なくなった。最初は不思議に思ったけれど、お客様がいきなり店離れするのは特段珍しくもない。人それぞれいろいろな事情があるものだ。
そうした出来事が頭からすっかり抜け落ちた数年後のある日。
「いらっしゃいませー」
「ここか、クリプトがいつも話してたカフェってのは!」
「オクタビオ、声が大きい」
派手な緑の髪にゴーグルとマスクを身につけた義足の青年と、大ぶりな緑と白のジャケットを羽織った男性が一緒に入店した。なんだか珍しいタイプのお客様だ。片方はずいぶん落ち着きがなく、着席した後もそわそわと辺りを見渡している。
「ご注文をお伺いします」
「ブラックコーヒーを」
「俺はカフェラテ!」
「…かしこまりました」
はじめてのお客様のはずなのに、コーヒーを注文する声を以前も聞いたことがある気がして引っ掛かりを覚える。なんだろう。悶々としながらエスプレッソマシーンを稼働していると、ジャケットを着た男性がおもむろにノートパソコンをテーブルに取り出した。
「おいおい、ここでも作業すんのか?」
「もう一息なんだ、すまない少しだけ」
「ったく、しょうがねえ奴。終わったら俺が満足するまで構ってもらうからな」
「ああ、それはもちろん」
ずいぶん仲の良さそうな内容の会話を小耳に挟みつつ、スチームミルクをカップに注ぐ。
「そういや、この前の配信すげえ評判良くてヤバかったんだぜ。また一緒に出てくれよ」
「一度きりだと言っただろう」
「えー」
配信…?出来上がった飲み物をトレーで運びながら頭の中で歯車がカチコチ回り、数年前のとある記憶がよみがえる。あれ、まさか。
「ブラックコーヒーとカフェラテ、お待たせしました」
「お、さんきゅ!」
テーブルに辿り着くと、オクタビオと呼ばれていた青年がゴーグルを頭に乗せ礼を述べた。
たった今思い出した記憶の中。口元を弛ませ配信を見ていた真面目そうな青年と、画面越しで見た快活な少年と目の前の二人がぴったり合致した。それぞれ見た目は少し変わっているけれど、やっぱりそうだ。
思いもよらない事実に辿り着き、つい二人をジッと見つめてしまう。パソコンに夢中の男の人は気づかなかったけれど、緑の髪の青年は私の不躾な視線に気づいたようでふと顔を上げる。我に返り咄嗟に謝ろうと口を開いた瞬間、彼は目元をほころばせ、シーッとマスク越しの口元に人差し指を当ててパチリと綺麗なウィンクをひとつ送ってきた。
あまりに自然かつ眩しい動作に、頬が熱を持つ。さっとおじぎをしてその場を離れる。さすが大人気配信者、人の心を掴む仕草を心得ている。
数年前、突如姿を見せなくなった気難しそうな青年が、熱心に配信を追っていた人気者を伴って再びこの喫茶店を訪れた。どういう経緯で知り合ったのかは検討もつかないけれど、ファンだった相手を昔馴染みの店に連れて来るような友人関係を築くなんて、いちファンからしてみれば涙が出るほど羨ましいことなのではないだろうか。
「なあ、まだー?」
「もう少し…」
「そう言いながらもう40分経ってんだけど?」
「あとこれだけ突破できれば…」
「ふうん、じゃあもうあんた抜きでホテル行って一人でオナニーしちゃお、」
「ッ、オクタビオ!」
突然の爆弾発言に向かいの男性は顔を真っ赤にし、急いでパソコンをしまうとすでに温くなったコーヒーを一気に飲み干した。そして二人分の代金を乱雑にテーブルに放ると、派手な青年の手を鷲づかみ急ぎ足で店のドアをくぐっていく。
「あ、ありがとうございましたー」
仲のいい友人同士どころじゃなかった。そんな関係はとうに越えていたのか、なおさら凄い。にしても二人のことが妙に気になる。そういえば、この前一緒に配信したって言ってたっけ。家に帰ったら、検索してみよう。