聖者の行進いつか2人で見た映画の主人公は、罪を犯し、追手から逃れるために南を目指して旅立った。
俺たちは何の罪を犯したのだろう。
断片的に脳に流れ込んでくる情景は曖昧で、一度に理解するにはあまりにも鮮烈。
オレンジ色の西陽が差し込む駅のホーム、何度も乗り継ぎして南へ向かう俺たちが辿り着いたここは、自分たちを知る人間は誰もいない。
電車の揺れにウトウトしていた俺は圭介さんに手を引かれて、アスファルトが所々剥がれてでこぼこになった小さなホームに降り立った。
人の気配は無くて、駅名を示した看板は錆びて端が茶色く変色している。改札口も無人で、ブリキの切符入れがポツンと置かれていた。
目の前の一本しかない線路の向こう側の景色は見渡す限りの田園風景と山ばかり。
最後の乗客だった俺たちを置いて、1両編成の電車は発車のベルを響かせ走り去って行った。
圭介さんとお揃いの黒髪になった俺の頭をするりと撫でて、小さく呟かれた吐息混じりの一言。
「ここにするか」
その一言で、俺たちの新しい生活が始まった。
◆
「おはよう、圭ちゃん!これ、2人で食べて~」
「タナカのおばちゃん、はざっす!こんなにいーの?」
「よかよか、いっぱい取れたけんねぇ」
「あんがとな!食いきれっかな~」
布団の中で庭から聞こえる会話に耳を傾ける。
隣のおばちゃん、庭で育ててたトマト持ってきてくれたんだ。
おばちゃんは明るい声で、婦人会の集まりで作ったというカプレーゼの話を一生懸命語っている。初めて食べたけど美味しかったんだって。
それに対して楽しそうに相槌を打つ圭介さんの声は元気いっぱいに爽やかで、昨夜、布団のなかで見た圭介さんと同一人物とは思えない。
引き寄せた目覚まし時計は午前6時を指していて、7月の太陽は障子の向こうから燦々と俺を照らしてくる。
圭介さんは先に起きて、庭の菜園に水やりをしてくれているらしい。
あの日、辿り着いた無人駅。周辺に目ぼしい物件が見つからず、少し離れた場所にある空き家だらけになっていた集落で古い一軒家と畑を借りて、程々に自給自足する生活を始めた。
田舎に移住してきた人間は三代先までよそ者扱い…なんて噂を聞いていたが、圭介さんの持ち前の人懐っこさは全世界に通用する武器だったらしい。
ご近所のおばさんもおじさんも、あっという間にみんな虜にしてしまった。
庭の塀の向こうに軽トラが止まる音がして、タナカのおっちゃんの登場を察知する。
「圭ちゃん、これも食べんさい」
「おっちゃん、おはよ…うお、でっけーキュウリ!もう畑、行ってきたんかよ」
「昼間は暑くてハウスやら入れんけん、朝がいいとよ」
「だよなぁ、俺らも早めに用意してくわ」
カプレーゼなら、一昨日買ったチーズ使えるな、と思っていたのにキュウリが増えた。うーん。カプレーゼに添えとく?
遠くの方から近付いてくる電動三輪車の音はヤマダのばーちゃんのものだ。
「圭ちゃ~ん、おはよう。アボカドっち知っとるね?昨日、買ってきたんが美味しかったけん、お裾分けしに来たとよ~」
「ヤマダのばーちゃん、おはよ、…買ってきたもんは自分で食えっていつも言ってんだろ」
「圭ちゃんとちぃちゃんに食べてほしかけん、いいから持っていきんさい」
アボカド増えた。ならもうチョップドサラダに決定だな。よくわからん横文字でお洒落風な名前のくせに、全部刻んで投げ込んで混ぜたら完成なんて、気が利いたメニューだ。
今夜のメニューが一品決まったところで、やっと布団から起き上がる。
メインのおかずは何にするか…冷蔵庫の中身をぐるぐる思い浮かべつつパンツを手繰り寄せた。
近くに脱ぎ捨てられてたTシャツを着込んだらずいぶん首元が緩くて、圭介さんのやつだって気づいたけど、めんどくさいからこれでいーや。
芸術的な寝癖を手で適当に撫で付けながら、トースターに食パンを放り込んで、コーヒーメーカーをセットする。
鍋を火にかけたらムワッと熱気が迫ってくるから、扇風機のスイッチを足の指でカチッと押し込む。
鍋に入れたゆで玉子がそろそろ半熟になるかなってタイミングで、ご近所中の人気者が背中にぴたりとくっついてきた。
刈り上げた後頭部にサリサリと頬擦りされてくすぐったい。
「ちぃ~、おはよ」
「はざっす…寝坊しました、すんません」
「いーよ、俺のせいだし…まぁ、お前のせいでもあるけど」
「いやどう考えても圭介さんのせいだし」
「誰かさんが、もっとしてって甘えてきた」
Tシャツが滑り落ちてむき出しになっていた肩にキスしながら尻を揉まれて、思わず身震いする。
「もー!やめて!」
「もっとしてほしくなる?」
Tシャツの中で俺の腹をまさぐっている手を引っ張り出して、トーストとジャムを持たせると笑いながら食卓に運んでくれる。
寝る前にしっかり運動したから腹ペコで、二人してモゴモゴとくちいっぱいにトーストを詰め込みながら今日の予定を確認しあう。
「今日も畑、見に行くんすよね?そのあとは?」
「タバコ屋のおっちゃんの手伝い」
「なんかあるんすか」
「怪我して動けねぇっつってたから、おっちゃんのハウスの水やりする」
何もわからないまま自給自足に手を出した俺たちは、みんなに鍛えられて、ここ最近は畑やハウスの簡単な世話を買って出るまでに成長していた。
手早く皿を洗って作業着に着替え、俺は長靴、圭介さんは地下足袋を履いて、借り物の軽トラに二人で乗り込む。
最初のうちは俺がエンスト起こしてばっかりだったけど、あっという間に圭介さんが乗りこなすようになった。
ガチャガチャとシフトレバーを切り替える様子がめちゃくちゃカッケェ。