檸檬11 ⅲ. 猪頭と寝太郎のタンポポ
「なぁおい紋逸」
「何? 今ちょっと忙しいから話しかけないで欲しいんだけど。ていうか、いつになったら俺の名前マトモに呼べるようになるのさ」
「俺様の背中にしがみついてるだけのクセによく言うぜ。本当にこの先が出口であってるんだよな?」
「そ、そのはずだけど……? 雨と風の音がするし、それに混じって焚き火の音もする。もしかしたら雨宿りしてる人がいるのかも………あ、ほら。あそこに灯りが」
「猪突猛進ッ……!」
「ウッッソデショッッ! ちょっと待ってよイノスケェエエ!! この洞窟なんか怖いんだよォオ!! 変な感じするのぉっ! 置いてかないでェエエ!!!」
洞窟の奥の方から何やら汚い叫び声が響いてきて、炭治郎は膝に埋めていた顔を上げた。横を向いて暗闇をジッと見つめていると、段々と足音が近づいてくる。
「ウッシャアアア!! 到着したぜオラァア!! 誰だテメェエエ!!」
「………」
「ハ、ハァッ、ちょ、オマ……この、ホントに、ふざけんな…ッ。こっちから押しかけといて、いきなりド突く奴があるか」
「ウッセェ弱味噌ッ! 子分は黙って親分の後着いてくりゃあいいんだ!」
唐突に現れた二人の人間達に炭治郎はキュ、と瞳孔を窄ませた。
先に姿を見せた方は頭に猪の頭の皮を被った上半身裸の男。続いて滑り込んできたのが、タンポポみたいな黄色い頭をした煩い男。どちらも奇天烈な見かけをしているが、共通点として腰に刀を差していた。僅かに香る同族の血の匂いに混じり、他の人間とは異なる匂いを纏っていることからも、彼らが話によく聞く鬼狩りであると判断できる。
「……………君達、鬼狩り?」
問えば、額を突き合わせて怒鳴り合っていた二人はピタッと動きを止め、同時に炭治郎の方を振り向く。タンポポの方は目を見開いていて、恐らく猪頭の方も中は瞠目しているのだろうと思う。ガラッと変わった匂いは警戒と緊張を表していた。
それから二人はピクリとも動かず、喋らなくなってしまったので、炭治郎は立ち上がって自ら距離を詰めることにした。近づいていく毎に、彼らの目線が炭治郎の顔を追って上向いていく。
炭治郎はタンポポの前に立つと、腰に備わった刀の柄を掴み「これ、借りていい? すぐに返す」と告げて、返事を待たずにそれを抜いた。
「髪、邪魔だったんだ。長いと鬱陶しくて」
ザクッ、ザクッ、ザクッ。
太い結び目を掴み、根本に借りた刀の刃を当てて斬り込んでいく。やがて、刃が通ると短くなった赫灼の髪が頭を包むようにハラりと落ちて、手の中には紅い束が残った。それを焚き火の中に放り投げ、パッパッと手を払った炭治郎は、腰を抜かして尻餅をついているタンポポに「ありがとう」と言って刀を返した。しかしいつまで経ってもタンポポは受け取ろうとしないので、鞘に戻して胸にグイッと押しつけると、彼はそのままドサッと後ろにひっくり返ってしまった。
「あれ、もしかして目ぇ開けたまま気絶してたのこの子。通りで返事がないわけだ。やっぱり鼻が詰まってるとダメだなぁ」
言いながら、今度は視線を猪頭に向けた。しゃがんでいたので首を上向けると、猪は静かにこちらを見下ろしていたので目が合った。多分。被り物の中身は見えないので何とも言えないが、感覚的には合っている気がする。
「ねぇキミ、名前は? 俺は竈門炭治郎。ここで会ったのもきっと何かの縁だ。仲良くしてくれると嬉しいな」
ニコッと人好きのする笑みを浮かべるけれども、猪頭からの反応はない。もしかしてこの子も立ったまま気絶してるのか? そう思って近づいて手を伸ばすと、ザッ!と彼は退いたのでどうやら目は覚めているらしい。
(んー、この子達どうしたのかな。さっきから反応が変というか……あ。そういえば、さっき警戒しているような匂いを薄らと感じた気がする。ああそうか。俺は鬼だから、この子達に敵と見做されているのか!)
この場の異様な空気感と違和感の正体に今更気づいた炭治郎は、パッと両手を挙げてサッと後ろに下がって二人との距離を取る。
「もう気づいているのかもしれないけど、俺は鬼だ。でも、人は襲わないよ。今まで一度も人間は食べた事がないから安心して」
「……し、信じろってのかよっ。鬼のテメェが言う事をおいそれと鵜呑みにするほど、俺様は馬鹿じゃねぇ」
すると、内容はともあれやっと返事がきたので炭治郎はホッと胸を撫で下ろし、ドッカリとその場に腰を下ろす。胡座をかいてゆったりと座り、猪頭の声に耳を傾ける。
「テ、テメェ……何を考えてやがる。何呑気に座って寛いでんだ!」
「俺に敵意は無いよって証を見せた方がキミも安心するかなと思って。ほらおいで、この寒さにその格好だと身体に障るだろう。焚き火があるから暖まるといいよ」
「何度も言わせんなッ! 誰がテメェの言うことなんか聞くかってんだよッッ!!」
両手に刀を構えた臨戦体勢でそう叫ばれてしまい、炭治郎は心の中で(ダメかぁ…)と呟き口をへの字に曲げた。
これはどうやらそうとう警戒されているらしい。どうしたものかと困り果てるのも、仕方のないことだった。
「それにテメェはヤベェ気配がする。強えだろ凄く。謙遜はいらねぇ、俺様には分かる。テメェはハンパなく強え。悔しいが今の俺様たちじゃ相手にならねぇ」
「そうか。キミがそう言うならそうなのかもしれない。生憎俺は鬼としか手合わせしたことがないから、鬼狩りのキミ達の強さは測れないしよく分からない。会うのもキミ達が初めてなんだ」
そう。実は炭治郎、今まで無限城の箱入り息子であったため、鬼狩りと対面するは今回が初めてなのである。ちょくちょく街へは出ていたので人間と話したことはあるのだが、彼らはそもそも〝鬼〟という生物の存在を知らない。もしくは信じていない。故に普通の人間として炭治郎を見るので、怯えられたことなどなかった。
しかし、日頃から鬼と相対しているため気配に聡い鬼狩りの二人には炭治郎が鬼だとバレている。恐らく、始祖の血が濃い鬼であることも薄々感じ取っているはずだ。警戒されて当たり前。むしろ斬りかかって来られないだけマシというものだが、そんな鬼狩り事情を知らない炭治郎にはサッパリワカランという状況なのである。
「ところでそこのタンポポ君は大丈夫? 気絶しちゃったみたいだけど………あ。言っとくけど俺は何にもしてないからね! 刀借りただけだから!!」
「コイツぁ大丈夫だ。むしろ寝てる方が頼りになるんだぜこのタンポポは!」
「ああそうさ。問題ないとも。伊之助は俺をよく分かってくれている」
起き上がったタンポポは目を瞑って鼻提灯を膨らませていた。眠っているようだけれど、喋っているということは起きているのか? 猪頭に動揺は見られない事を踏まえると、少なくとも彼らにとっては異常事態ではないらしい。
「不思議な子だね。キミのそれは特技か何かなの? 面白いね」
「まあそんなところだ。それはそうとタンポポはやめてくれないか? 俺は我妻善逸という」
「善逸ね。覚えた。次からはそう呼ぶよ」
「俺様は嘴平伊之助様だ! 親分と呼んでくれていいぜ!」
「猪のキミは伊之助親分か。二人ともよろしくね」
ようやく二人の緊張がほぐれてきたらしい。普通に会話をすることが出来て、炭治郎も自然と笑顔が溢れた。
「話は戻るけど、俺にキミ達と戦う意志はない。それを分かって欲しいんだけど、どうすれば証明になるかな?」
「じゃあ俺様のこブヘッ!」
何か言いかけた伊之助の頭を押さえつけて押しのけたのは善逸だ。鼻提灯がぷわぷわと浮いているのに、実に素早い動きだ。とても寝ぼけているようには見えない身のこなしに、炭治郎は思わず簡単の声を上げた。
「証明も何も、俺達もキミと同様戦う意志はない。だが馴れ合う気もない。俺達は今すぐここを立ち去る。押しかけてしまった上に失礼な物言いをしてしまって申し訳なかった。この通りだ」
「イデッ! おいコラ! 何しやがる! デコぶつけたじゃねぇか!」
「お前は黙ってろ伊之助」
ガバッと膝をついて頭を下げられて、今度はキョトンとしてしまう。何を謝られているのかいまいち分からなかったが、ここは彼らの気持ちを上手く利用させてもらおう。
炭治郎は頭を上げてと仕草で示し、向かいの席に誘導するように手を差し述べた。
「謝る気があるのなら、とりあえずここに座ってくれる? 俺は二人と話がしたい。雨に濡れて身体が冷えているだろう? 暖まるといい」
二人は顔を見合わせてから、静かに焚き火の向こう側に腰をかけてくれた。
それから、少したわいない話をした。そうすれば、年齢の近い三人が打ち解けるのも早い。途中、善逸の鼻提灯が割れて瞼が開いてからはちょっとばかし騒ぎになったけれど、たまたま懐に入っていた飴をあげたら落ち着いてくれた。
「んーそれで? 炭治郎は俺達に何を話したいの?」
「え?」
「話したいことがあったから、俺たちが帰るの引き留めたんでしょ? お前が悪い奴じゃないってのは大体分かったし、話くらい聞いてやるって。な、伊之助」
「おうよ! テメェはもう俺様の子分だからな! 子分の悩みは親分である俺様が解決してやるぜ!」
「そうか。それは頼もしいな。二人ともありがとう。実は俺、キミ達と一緒に鬼狩りをしたいと思ってるんだ。鬼殺隊に入りたい」
ギュ。胡座の真ん中で絡めた自身の両手を握り締める。
声は震えていないだろうか。
俺は平静を保てているだろうか。
「ふーん、俺達と一緒にねぇ。……はあっ⁉︎」
「そりゃテメェ、鬼のくせに同族狩りするってことかよ? いいのか?」
「ああ。俺はもう……あの方に必要とされていないから。追い出されちゃったんだよ」
「だからこんな湿っぽい所でショボくれてたわけだ。強いくせに意外と弱虫なんだなお前」
「伊之助っ! 馬ッッ鹿お前ッ! 怒らせるようなこと言うなよ!」
「あはは、伊之助は辛辣だなぁ。まあその通りだよ」
事あるごとにすったもんだする二人を見てると、何だか気が抜けてしまう。炭治郎は両手を解き、後ろについて背もたれがわりに寄りかかる。
「日中はどうするんだ? 鬼は太陽に当たれないんだろう?」
「ああそれは心配しなくて大丈夫。俺は鬼だけど太陽を克服しているから、問題なくお日様の下を歩けるよ」
「へぇそれなら心配な……ふあ?」
「……?」
「ん?」
またもギョッとした顔を向けられて、炭治郎はコテンと首を傾げた。
「何、二人とも。そんなに驚くこと?」
「いやいやいやいや! はっ? 驚かないわけないでしょ! むしろ平然としてる方がおかしいって!! 太陽を克服してるってさ、初めて聞いたけど!?? 俺ら大丈夫?? 今から鬼の大軍団が攻めてくるとかない??」
「そりゃあ流石にヤベェぞ! 敵を一網打尽にするチャンスだが、柱がいねぇと話になんねぇ。上弦とかいっぱい来たら、いくら山の王の俺様がいるとはいえ手に負えねぇよ!」
「二人とも落ち着いて! ……それは無いよ。さっきも言ったけど、俺は追い出されたの。無惨様にお前は用済みだから要らないって言われたんだって言っただろ。捨てた駒をわざわざ拾いにくるなんて非効率なこと、無惨様はしないよ」
自分で言ってて虚しくなる。これが現実なんだと実感してしまう。ジワッと熱くなる目元を誤魔化すように唇を噛み締めて、情けない顔を見られないように俯いた。
「なんか……ごめんな。嫌な事思い出させっちまって。お前は鬼なんだもんな。お前に取っての鬼舞辻は俺達にとっての御館様ってことだし、尽くしてた相手に追い出されたら悲しいよな」
「元気出せよ、ゴンパチロー! 雨が止んだら俺様がピカピカのでっかいドングリ見つけてプレゼントしてやるから」
「それは要らないと思うよ伊之助。ありがた迷惑だよ」
「? んだよありがた迷惑っつーのは。変な造語つかってんじゃねぇ、弱味噌」
「造語って言葉知ってるのにありがた迷惑は知らないの? 何その知識の偏り」
「ふふ、二人は本当に面白いなぁ。ありがた迷惑なんかじゃないよ、伊之助。ドングリ楽しみにしてるね」
「おうっ! 期待して待っとけ!」
そんなこんなで、それから炭治郎は鬼狩りの二人としばらく行動を共にすることになった。
初めて出来た同年代の友人と呼べる存在。
彼らと過ごしていく中で、次第に炭治郎は己の心に深く刻まれた傷口のことを少しだけ忘れることが出来た。