変わらぬ友人たちの邂逅「あらま。なんてことでしょう」
出会った頃と寸分変わらない、でも嗜むタバコを変えたのか微かにあの頃とは若干違う匂いを漂わせた彼は、僕の腕を無造作に掴んでそう呟いた。
普通はもっと遠慮するでしょ、と苦笑いした僕の言葉は耳に入っていないらしく、微かに開いたままの唇からは何の返事も出てこない。レオスくんが持つ自分の世界はとても広くて深いから、一度入ってしまうと僕の声は全然届かなくなってしまう。
ひとしきり観察して一旦満足したのか、僕の腕から生える蔦から目を離して、冷たくも力強くも見えるエメラルドグリーンの瞳を僕に向けた。
「オリバーくん、しばらく見ない間に随分でっかくなりましたねぇ!どれだけ伸びれば気が済むのよ、あなた」
そのサイズはもう熊よ、熊!と楽しそうにケラケラと笑うレオスくんは、おそらく人間では無いだろうと断言できる僕の姿形には言及せず、そんなことを言う。
僕の腕を伝ってよじ登ってくるまめねこくんも、さほど気にしていないようだ。それとも僕のことを木か何かと勘違いしているのだろうか。ああでも、僕が人間だった頃から時折僕の体をよじのぼってはレオスくんを見下ろして得意げにしていたから、姿形が変わろうと彼にとって僕は二足歩行するアスレチックなのだろう。
初対面で距離を詰めて鋭く見える視線を向けながもとても丁寧な言葉で挨拶をしてくれたレオス君とは真反対に、可愛らしい顔をしつつも耳をペタンと下げて小さな槍を向けてきたあの警戒心は、何処へやら。
友人のエメラルドグリーンが三回ほど瞬きをしたのを見届けてから、玄関先で立たせっぱなしだったことを思い出し、彼らを家の中に招き入れた。「お邪魔します」と律儀に挨拶をする姿は、自他共に認めるマッド・サイエンティストのイメージとはかけ離れていて、でも“らしい”なあと思う。ただあまりにも警戒心が無さすぎて不安になるのも事実だ。
僕が歩を進めると、床が小さく鈍い音で軋む。メンテナンスと補強をしているから床が抜ける心配はない。建物自体が古いというのもあるけれど、後ろを歩くレオスくんの足音がトンットンッと軽やかな音をしているから、単純に僕の体積が大きくなっただろう。
「君、よくビビらないね」
「えー?めちゃくちゃビビってますよ、私。だってそのぶっとい腕でぶん殴られたら私簡単に吹っ飛ばされますもん」
「いや、そうだけど。そうじゃなくてさ。まめねこくん、君もだよ?」
呆れたように言えば、レオスくんはきょとんと目を丸くして見上げてくる。いつのまにか肩にまで登ってきたまめねこくんも僕の髪の毛に手をかけたところで丸い目をこちらに向けたまま静止していた。と言っても、鼻とヒゲをピクピクさせて、少し首を傾げて…体を傾けて?不思議そうにしたあとすぐにまたよじ登り始める。
この姿になったことに後悔はない。でも、聞かざるを得なかった。
僕は、彼の変わらない態度が、どうしようもなく恐ろしかった。
「僕のこと、怖くないの?」
この男は人間をやめても臆病なままだな、と。
本人は笑っているつもりだろうが眉尻が下がり頬が細やかに痙攣している様子を見れば、これが空元気で無理をしていることは明白だ。
私が彼に目を向ければいつでもしっかりと目を合わせてきたオリバーくんの瞳は、今は私と自身の手元の間をフラフラと彷徨わせて落ち着きがない。デカい図体をしているのだからイキがって堂々としていればいいというのに。
こういう聞き方をする場合は大抵否定の言葉を求めていることが多い。自己嫌悪を否定されて耳障りのいい言葉を受け取って、他者によって自己肯定感を与えられることを望んでいるのだろう。オリバーくんは、本人曰く、根がネガティブ思考の人間だからこういったメンヘラ発言もさして珍しくはない。
しかし、彼は分かっている筈だ。例え相手が友人のオリバーくんであっても私がその期待に応えることは決してない。
「はあ〜?怖いに決まってます。だから調べるんじゃないですか」
体の横でだらんと垂れていたオリバーくんの腕を掴んで持ち上げる。びくりと震えて離れようとしたが、渾身の力を込めれば大人しくなった。
私がいくら力を入れたところでこの腕がダメージを受けることはないだろう。
「この腕の葉っぱと蔦と耳元の花、それと膝あたりの苔と、目から出てくる…なんですかこれ鱗粉?よくわからないキラキラした…目ヤニ?まあいいです、その妖精さん御用達アイテム全てサンプルに寄越しなさい」
まだらに木肌と苔に覆われた肌も、服の隙間から蔦を伸ばして咲くドクダミの花も、耳元の八重桜も、ハッキリ言って気味が悪い。私がこれまで目にしてきたドラゴンや妖精のように元来そういう生物であったのなら特別こういう感情は湧かないし、普通に接することも出来るのだが、この男は元々人間だ。人間から産まれ、加齢し、私たちと出会って共にふざけ合い、同じ時を過ごした。
私は、姿も種族も変わってしまった友人が、どうしようもなく恐ろしかった。
…でも、だからなんだ。
一緒に酒を飲んだし、ツラを合わせてメシだって行った。お互いに共感はできずとも理解し合えるくらいには言葉を交わした仲だ。素直に怖がってなんてやるものか。弱い姿は散々見せたが、この男に対して怯える姿なんて決して見せてやらない。
本当は気にしいで見栄っ張りで強がりで、そして優しいことを知っている。私が彼を明確な悪意を持って害さない限り、オリバーくんが私に危害を加えることは決してないと、知っている。
私にとってオリバーくんが恐れる対象ではないことくらい、他でもないこの私、レオス・ヴィンセントが一番理解している。
数十年後に私が彼に会うために向かう先が、墓場からこの家に変わっただけじゃないか。
私が地位も名誉も功績も全て捨てて、そうまでしてようやく手に入れた永い命を、オリバーくんは人間を捨てることで得た。このことに対して皮肉を言ってやれるくらい、強がって見せますよ。
「ぜぇぇぇぇんぶ解明して、あなたの生態を丸裸にしてやりますよォ〜?」
対等であることは望んだ。なんならちょっと優位に立つくらいでもいいかなとは思っている。だが上位存在になって私より上に立たれるなんてたまったものじゃない!
自信なさげなヘーゼルの瞳を睨みつければ、オリバーくんはしっかりと受け止めて、そして声を出して笑った。弾けるように笑い出す様は昔から何度も見てきた。今度こそしっかりと私の目を見てきた彼の顔は、どこか吹っ切れたような清々しい顔をしている。出会った頃と何も変わらない、人懐こくて愛嬌のある笑顔だった。
原理はさっぱり分からないがオリバーくんの目から溢れるキラキラが多くなる。サンプル採取には困らなそうだ。
いい加減疲れてきた手の力を緩めて彼の腕を解放すれば、オリバーくんは楽しそうに両手を広げた。
「あー、笑った。君が君でよかったよ」
「何を言うんですか。私は私ですよ!ずぅっと、永遠に、世界が終わるその時までレオス・ヴィンセントです」
「ウン。そうだね」
「あーあ!なーんか勘違いされて腹が立ちましたぁ。これは茶請けにさぞいいものを貰わねぇと気がすまねぇなあ!?」
「はいはい。とっておきのお茶とクッキをー用意しますよ。あ、それともエント族に伝わる秘酒がいい?」
「勿論、どちらもいただきましょう!」
「オーケー、夜はお酒に合うものをデリバリーしようか。まめねこくんにはジュースを用意するからね」
頭の上のまめねこに手を添えて、私に背を向け歩き始めるオリバーくんの声は弾んでいる。人間の頃より1メートルは高くなった頭の上まで登り切ったまめねこが嬉しそうに槍を振り回すのが見える。
あの頃よりも遠くなってしまった彼らを見てると自嘲が漏れて、情けなさに目を伏せた。
…ああ、まめねこ。私はお前が羨ましいよ。
姿形が変わったって、そうやって怖がらずに無邪気に友人と変わらずに接することができるんだから。
ここに来るまでに通ってきた森の冷たく澄んだ空気ですっかりキレイになった気分のする肺からこっそり空気を吐き出して、私を置いていくな!と声をかけるために、深く息を吸い込んだ。