書きかけのドルパロサビのロングトーンが綺麗にハモった時、ああ、コイツとアイドルをやれて良かった、と心からそう感じた。
最後のワンフレーズまできっちり歌い上げれば、[[rb:会場>ハコ]]を揺らすような万雷の拍手が鼓膜に突き刺さった。
黄色と青のサイリウムが瞬く2階席へ向けて手を振っていると、ステージの反対側にいたはずの男がこちらに向かって走ってくるのが視界の端にちらついた。軽く脚を開いて、襲い掛かってくる衝撃に備える。
キャ────────!!
客席の悲鳴みたいな声がどこか遠くに聞こえる。
感極まったアルバートの熱烈な感情表現。最早ライブのフィナーレの定番となってしまったハグとキス。角度を変えてもう一度。今日はカメラ入る日だから止めろって散々言っておいたのに。
「アーノルド、やはり貴方は最高だ!!」
ようやく離れたと思ったら恐ろしいほど整った顔が間近にある。お伽噺の王子然とした顔が、今は誕生日の子供みたいにキラキラして見えるのは照明に反射した汗だけが理由じゃないだろう。マイクが音を拾わないようにしてあるのだけが最後の理性か。
──そうだな。俺だってそう思うよ。でも、
「長いッ!!」
脳天目掛けて放った手刀は見事にアルバート・ハインラインに直撃した。
あちこちからさわさわとした笑い声が起こって、やがて拍手に埋もれていく。
「セットが崩れる」
「もう下がるだけなんだから、いいだろ」
「アンコールが残ってる」
ぶすくれた顔も整ってるんだから困りものだ。
舞台袖に下がってからも忙しい。ツアーTシャツに着替えてアンコールに応えなければ。
「アーノルド」
いつまで経っても慣れない早着替えの途中で声を掛けられる。何かと振り向けば両腕でがっしりと拘束された。この忙しいタイミングでまだかましてくるのか。
「離せって」
「これだけは言わせてください」
「今じゃないとダメな話か?」
「貴方と組めて良かった」
「……そうかよ」
背中をタップすればまたちゅ、と啄むようなキスを残して拘束が解かれた。長いツアーを共にしてきた歴戦のスタッフ達は、もう慣れっこだという風に俺達のことをスルーしていく。
アルバートは去り際に俺が手にしていたTシャツをもぎ取って、代わりにアイツのシャツを押し付けて行きやがった。そのまま交換したそれに袖を通してステージへ向かっていく!
「は?おい!ちょっと待て!!」
再び煌びやかなステージへ舞い戻っていく相方を慌てて追いかけた。
背の高いアイツに用意されたシャツは俺のものよりもワンサイズ大きかった。
──くそ、このあとのMCで絶対ネタにしてやるからな!精々丈の合わないぴっちりTシャツを観客に見せつけてやれ。
□■□■□
打ち上げと称した宴会で、アルバートはベロベロに酔っぱらっていた。
各テーブルへ挨拶回りをした際にかなり飲まされていた。普段なら潰れる程の量じゃないが、ライブ後の興奮覚めやらぬ中、空きっ腹にアルコールを流し込んだせいで一気に酔いが回ったのだろう。『懐に入れた相手にはスキンシップが激しい』『酔うとキス魔』という[[rb:キャラクター>・・・・・・]]は伊達ではない。今も俺に張り付いて離れないし、腰に回された腕はビクともしないし、左頬はコイツのせいでベチョベチョだ。体格差によって左腕は完全に抑え込まれている。
──ああ、あの皿の手羽先が食べたい。けど片手じゃ上手く食えそうにない。口の端にタレでも着けようものなら犬みたいにベロベロ舐め回してくるかもしれん。
「アーノルドはもともと俳優志望で……当時の俳優養成コースが人員いっぱいれ……れもアイドルコースに回されて僕とれあったんれす……」
アルバート本人も最早何を話しているのか分かっていないんだろう。今は俺達の結成秘話──ファンクラブ会報にも散々書いてるし、インタビューでも答えているし、何ならウィキペディアにだって載っている──を熱弁中だ。今日だけで3回目くらいこの話題をループしている。
「あーそうだな、知ってる知ってる。全員一列に並ばされて『静かな夜に』歌わされたな、比較的マシだからってアイドルコースに移されたな」
「らンスもれしょう!訂正してくらさい!!」
「うるさっ……はいはい、歌もダンスも比較的マシだからアイドルコースに移されました」
「僕も手違いれアイドルコースに……でもそれがなければアーノルドとは出会わなかったんれすから……これは運命れす」
「アンタ運命って単語好きだよな、今回のアルバムにも入れたもんな」
「『SUPER NOVA』は………バミリを間違えたアーニーがアろリブの振りれ元の位置へ戻ったところがぁ……」
「またその話するのか?もう5回目だぞ」
「バク転れ臍が……」
「はいはい分かった分かった。枝豆食べるか?」
「いたらきまふ……」
口許へ鞘をもっていくと素直に食い付いた。
食ってる間は静かだし、キス攻撃も収まるので適度に与えておく。耳許でアイドルの咀嚼ASMRを聴かされてもいつものことなのでありがたみは薄い。どちらかというと雛鳥の給餌の感覚に近い。次はもう少し噛みごたえのある奴にしよう、その分だけ静かな時間が確保できる。
残り僅かになったジョッキを舐めていると、腰に回された腕がゆるゆるとほどけていった。いよいよ眠気が来たのかと肩に乗っかった顔を覗き込めばどこかの宇宙へチャンネルを合わせてぶつぶつと呟いている。こうなった時は大抵良いフレーズが喉元まで出掛かっているのだ。じっと様子を見守る。
「……──書くもの!」
「何か[[rb:降って>・・・]]来たか?あー……俺の携帯でいいか?」
画面にメモアプリを表示してアルバートに差し出す。受け取ったアルバートはあーだのうーだの言いながら端末を弄り始めた。これでお開きの時間まで大人しくなってくれるといいが。
と思ったらおもむろにどこかへコールし始めた。
「繋がらない……」
「俺の携帯で俺に掛けてもそりゃ繋がらんだろ」
「なんれ出ないんれすか!貴方の声が聴きたいのに!!」
「理不尽だなあ」
酔っぱらいの奇行にも理屈を求めても無意味か。そろそろお暇した方が良さそうだ。
「コイツが歩ける内にホテル戻りますね。お疲れ様です」
「ノイマンさんハインラインさんお疲れ様で~す」
「あ、タクシー呼びましょうか?」
「またコンサート決まったら宜しくお願いしますよ!」
ツアーという長い戦いを乗り越えた、企画や現場指揮のスタッフ達のいるテーブルへ順番に声を掛けて回る。俺達を切っ掛けに河岸を換えようか帰る流れに載ろうか、俄に動きが大きくなってきた。個室の出入口が混み合う前に退散しようと荷物をまとめてひっつかみ、アルバートの腕を引く。
「ほら立てよ、歩けるか?」
「アーニー……」
覚束ない足取りだが自力で立ち上がったアルバートだったが、次の瞬間、俺に向かって倒れかかってきた。不意打ちではあるが何とか受け止める。
「重い」
「……やっと二人きりになれますね」
抗議の声を黙殺したアルバートの、耳許へ囁く声色は酒精の気配を感じさせないものだった。いったいどこからどこまでが演技だったのか。元々俳優志望だったのは俺の方だというのに、全く大した役者である。
「……タクシー代はアンタ持ちな」
「ええ喜んで」
耳朶にわざと音を立てるキスを落とされた。しなだれかかる風を装いながらも、エスコートするように腰を抱かれる。全くもって食えない奴。
でも、そんな奴とグループを組んでる自分は相当なお人好しかもしれなかった。