僕ら愚かな山羊になれ湘南のプレデター皿斑、お供のレフティーエイリアン。血走った二対の瞳がぎろりと僕を睨みつける。
「キミたちの元ネタはその非力な人間に殺された、それは何故か?……答えはここ、ですよ」
わざとらしく人差し指でこめかみをトントンと叩く。これだけでも挑発兼アピールになったはず。
この奈落から勝ち上がるには、二子一揮という司令塔が必要だと。
案の定、二人の化物は怒り狂いながら試合の申し込みに応じてくれた。
「痛ッ……!」
僕の胸ぐらを掴むエイリアン、右肩に鋭く爪を立てるプレデター。もし僕が一人きりだったなら、たちまちボロ雑巾にされていたかもしれない。
しかし今の僕にはたった一人残った戦友、氷織羊くんがいて、頼んでもいないのに喧嘩の仲裁をしてくれている。
二次選考でチームを組んだ僕、氷織くん、斬鉄くんのうち、切り込み隊長の斬鉄くんを失って、夢の崖っぷちに立ってなお、エゴの一欠片も見せないなんて。その上で敵かもしれない誰かのために、自分の時間を使えるだなんて。
氷織くん、キミってホント、本当の本当にバカなんだ。
「すみません、迷惑をかけてしまって。それで……相手は彼らでもいいですか?」
僕の謝罪を聞きながら、氷織くんは何かを悟ったように頷いてから、目を細めてうっすらと微笑んだ。
その調子、濁った瞳で見透かしてください──
この試合に負けたらキミは終わりだ、誰にも選ばれずに監獄を出るしかない。その先が天国か地獄かなんて、悪いけど知ったことじゃない。
「あの人達には僕が必要ですから」
廊下で僕が発したのは、三流以下の陳腐な煽り文句。ビブスを握る衣擦れの音は、氷織くんからの返事。
──僕の瞳に映るキミから、決して目を逸らさないで。
不気味なほど静謐なピッチに、開戦の合図(ホイッスル)が鳴り響く。
ーーー
「僕たちの勝利です。来てくれますね……皿斑くん」
絶対零度の一撃が全てを葬り去って、人類チームにつかの間の平和が訪れた。いや、氷織くんも大概あちら側のミュータントなのかもしれない。
試合結果は下記の通り。
僕の不意打ちゴールが一点、フィジカル任せに取られたゴールが一点、氷織くんの連続四得点。試合は前半45分を待たずに終了した。
「……!」
皿斑くんが頷いて、ようやく全てが動き出した。
それまでは止まった時の中で氷織くんだけが動いていた──と思えるほどの精度で、彼は僕とブルーロックマンを含めた全員の思考を潜り抜けてみせたのだ。
いや、思考すらさせてもらえなかった。彼にとって敵は一定のパターンで動くNPCで、僕はさしずめ味方のオトモニコイッキ。
一フレーム単位に刻まれた世界で、氷織羊というプレイヤーは最も効果的な入力を遂行する。この溜めに僕らは翻弄され、思考を一方向に縛られてしまうのだ。
妙に身近な例えが浮かんでしまい、僕は廊下を歩きながら身震いする。
相手と世界一の座をかけて戦わなければならないとは。なんとも壮絶な世界に来てしまったものだ。
「だったら研究させてもらうのみです」
全ての寝支度を済ませて、さあモニタールームに入り浸ろう、と思ったら。
「えっと……?」
八畳ほどの部屋に敷き詰められた、短い毛足のカーペット、その隅っこに、氷織くんが落ちていた。
「……呼吸は……うん、正常。よかった……」
なぜ僕が安堵したのかというと、ゴールを決めた彼の姿が目に焼き付いていたからだ。
瞬きもせず宙空を見つめたまま、喜怒哀楽のどれでもない顔でピッチに立ち尽くす氷織くんは。
息をしていなかった、死んでいるみたいだった。
直後に見られた手首足首のストレッチも、自分という物体の動作確認をしているように見えた。
大好きなゲームやアニメの事を話したり、一緒に食事を摂ったりした経験が無ければ、ブルーロックの運営が作り上げた機械人形と言われても信じてしまっていたと思う。
「寝てるだけかな……でも、初めて見たかも……?」
ともかく今、安らかに寝息を立てる彼は間違いなく人間だ。
人の気配に敏感とか、眠りが浅くなりがちだから腸内環境に気を使っているとか、さまざま語っていた氷織くんが寝落ちするとは。やはり今回の試合、相当な負担を強いてしまったか。
試合の後、僕は相談もせず強引にマッチングを成立させ、わざと氷織くんを追い立てた事実を謝った。
その時彼は柔和な態度で許しの言葉をくれたのだが、本音ではまだ割り切れていないのかもしれない。
それとも、謝罪という行為そのものが筋違いなのだとしたら。
見下された無意識に侮られた、期待されなかった、そんな風に、穏やかな態度の裏では僕への憎悪が育っているのなら。
「氷織くん、風邪をひいたら大変ですよ。寝るなら部屋に戻りましょう。」
いつかは敵になるはずなのに、何故だろう、とても哀しい。
でも直接の理解は叶わない、だって僕らは別々の人間だから。
だから今は最善を尽くすんだ。罪を償うためじゃなく、氷織羊という人間に親愛と敬意を示すために。
かつて斬鉄くんが話していたチームVの日常と、林間学校で学んだレスキュー講習を組み合わせて、僕は床に横たわる氷織くんを背負おうと奮闘する。
「……?」
初めは過酷なフィジカルトレーニングのおかげで、僕より背の高い身体であっても簡単に持ち上げられたのだと思っていた。
しかし、肩に掛けられた腕には明らかに力が籠められているし、抱え上げた腿もなんだか丁度いい加減に巻き付いてきているし。
あと背中に響く心音はどう考えても早すぎるし、眠くて熱もない人にしては温かすぎるし、いつの間にか胸式呼吸に変わっているし。それに、それに──深く寝ている人は、こんなきりの良いタイミングで唾液を飲み込まないんだ。
僕だってこんなに他人と、それもチームメイトと触れ合った経験はないから緊張から来る勘違いかもしれないけれど。
十中八九狸寝入りじゃないか、ちょっと待って、いつから?
「軽いもんだ、このくらい……ッ」
でも僕が敬語を使わないってことは、キミの嘘に気づいてないってこと。
意趣返しにしても、甘えたんだしても、どちらにせよキミが勇気を振り絞ったんだって、またまた勝手に解釈させてもらったから。
できれば後者であればいいな。なんて願う僕も、大概バカなのかもしれないけれど。
気合を入れて氷織くんを抱え直した刹那、耳元で笑みのこぼれる音がした。