36℃に君が触れればびゅう、と寒風が頬を不躾に撫でていきKKは寒さに顔を顰めた。
「あー…クソ寒ぃなちくしょうめ。なんだって寒波なんか来てんだ、こちとら夜通し化け物退治だぞふざけんな」
そんな文句を垂れつつタクティカルジャケットのファスナーを上げて中に着込んでいたネックウォーマーを顎まで上げる。ここまで寒いとは思わなくて貼るカイロをもう一枚貼れば良かったと後悔すらした。
過信していたのだ、自分を。暁人が同じくらいの防寒をしていたからこんなもんでいいだろうと踏んでいたら知らぬ間に自分はめっきり寒さには弱くなったようだ。
──歳は取りたくねぇなぁ。
心の中でそうボヤきつつ、多少は風を凌げるビルの軒下でKKは煙草を口に咥えながらただひたすらに暁人を待っていた。
「KK、お待たせ!」
「おぉ。大丈夫だったか?」
「なんとかね。依頼主さんも最初は軽くパニックになってたみたいだったけど今はだいぶ落ち着いたみたいで…ほら、これはその依頼主さんから。二人でどうぞ、だって」
そう言ってビルから出てきた暁人はこちらへ缶コーヒーを差し出してきた。
実はここ最近、依頼主との対応には暁人にあたってもらっている事が多くなった。自分でも自覚してはいるが俺は少し雑なところが多い。しかしそれに比べて暁人は物腰も柔らかく人が良いため、相手に不快感を与えることがあまり無い。だからこそ依頼を円滑に進める為に近頃は暁人にこうして立ち回ってもらうことにしているのだ。
これに関しては凛子達も賛成していて、俺としては少し複雑なところも無きにしも非ずといった感じなのだが。
「これからは依頼人の対応は全部暁人にやってもらうかぁ」
「なんで!?やだよKKがやってよ!」
「はは、冗談だよ冗談」
半分本気だけどな、と心の中で付け加えながら缶コーヒーのプルタブを引いた。が、かじかんだ指先は思ったより上手く動かなくて縁を掠めるばかり。
「チッ、全然開かねぇ」
その言葉にKKの手が冷え切っているのを察した暁人が「貸して」とKKの手から缶コーヒーを取り何なく開けてくれた。
「はい」
「お、サンキュー」
「どういたしまして。…待たせちゃったせいかな、ごめんね」
「そんなのお前が気にすることじゃねえよ」
そう、そもそも寒波が悪い。KK一人だったらあまりの寒さにキレ散らかしているところだっただろう。
この一服が済んだらとっととアジトに帰って風呂とビールだな。
──そう思っていると。
「………ぁ?」
缶コーヒーを掴む俺の手を、突然暁人の両手がぎゅっと包み込んできた。突然のことに目を白黒させている俺に構うことなく暁人は「どう?少しは暖かい?」なんて呑気なことを聞いてきやがる。
「あ、暖かいことは暖かいけどよ…何してんだお前」
「僕の手すごくあったかいってよく麻里に言われるし触られるから、KKにはどうかなって。知ってる?人間って手の冷えからでも風邪引くんだよ?」
「…あっそ」
なんだ、結局そういうことかよ。どうやら俺は妹と同じ扱いを受けているらしい。ウブなガキみたいに狼狽えた自分が気恥ずかしくて馬鹿馬鹿しくて溜息が出てくる。
「コーヒーで温まってるから充分だよ。お前の方が冷えるぞ」
「そう…?」
俺の言葉に暁人はなんだか少しだけ渋々とした表情を見せてから両手を外した。なるほど、確かにさっきまでかじかんでいた手はすっかり感覚を取り戻したようだ。
「ったく、面倒見良いのも程々にしろよ?誰にでも彼にでもこんなことしてたら勘違いされんぞ」
放っておくとアジトのやつらにも同じことをしかねないなと思った俺はそう釘を刺すが。
「しないよ」
「あ?」
暁人はコーヒーに口を付けることなくそれをジャケットのポケットに仕舞い歩き出す。
「家族以外だったら、KKにしかしないよこんな事」
先行くね、と暁人は足早に歩いて行ってしまい俺は慌ててその背中を追おうとしたけれど。
「………聞き間違い…じゃねえよな」
そんな訳が無い、そんなはずが無いと思っているのにKKの目に映った暁人の一瞬の表情と──街灯に照らされた赤く染まった耳がそれを裏付けてしまう。
『勘違いなら早くしてくれよ』
普通なら聞き流してしまいそうな程の小声でも、その言葉は真夜中の渋谷では無情にもスムーズにKKの耳とへと入ってしまったことを暁人は気付いているのだろうか。
「ふざけんな、クソ。人の気も知らねえで…」
握られていた手が熱い。もしかしたら自分の頬も今は赤くなっているかもしれない、だとしたら気持ち悪いことこの上無いとは思うけれど。
「熱が上がったらアイツのせいだ」
それは果たして体のか、もしくは心か。
KKはせめて今は悟られないようにと煙草に火を点けてゆっくりと暁人の後を追う事にしたのだった。
(隠すつもりだったのに、溶かされてしまうだなんて)
.