55連でスルタンが来てくれました!お財布に優しい!(幻覚)「どいてわしが」
管制室で口を尖らせる以蔵に、立香は蜜柑色の髪を揺らして両手を合わせた。
「お願い以蔵さん!」
「新入りの案内なんぞ、誰にでもできるろう。おまんから離れてまでわしがせんといけんもんなんか」
以蔵の言葉に、立香は瞳に懇願の色を浮かべて見上げる。
「以蔵さんももうカルデアに来て長いし……わたしを護衛していろんなとこ見てるから、案内にはちょうどいいと思って。えらい人の護衛役にもなるし」
「わしが離れちょる間におまんに何かあったらどがぁする」
「護衛ならエレちゃんがやってくれるって」
「あげなえれえれしちゅうおなごにおまんを任せれるか」
「いざとなったら令呪で喚ぶから!」
「そげなあやかしいことに令呪使いなや、わし以上に護衛ができるサーヴァントは、どんだけカルデア探いてもおらん」
あくまで拒む以蔵に、立香はうっすら金色の瞳を潤ませた。
「以蔵さんならやってくれると思ってたのに」
以蔵はこの顔に弱い。
「おーの……わかったわかった、引き受けちゃるき、泣きなや」
我ながら甘やかしていると思うが、この女の可愛さが悪いのであって以蔵は悪くない。
以蔵が蜜柑色の頭を撫でると、立香は微笑んだ。以蔵のような日陰者すら輝けるのではないかと錯覚させるほどの、光に満ちた笑みだ。
「嘘泣きか、こんわりことしめ」
「嘘じゃないです、とっても悲しかったですー 」
立香がどんなつもりだったかはさておき、先に折れた以蔵の負けだ。
「――では、以蔵さんが案内してくれるから、大船に乗った気持ちでいてください、スルタン。以蔵さんは護衛の天才です」
背後を振り向く立香の視線を追う。
頭に巻いたターバンの端布をかき上げ、ゆったりした上衣に身を包んだ男が、フレームの細い六角形の眼鏡を光らせた。
「私は至高の国家の帝王、メフメト二世である。ジャパニーズサムライよ、この帝王の道案内を仰せつかったことを光栄に思えよ」
その声には、人を従わせる者特有の張りがある。
こいたぁはまぁ、げにえらいてさんじゃのう……。
なかば呆れる以蔵を、メフメトは値踏みするように見る。きっと、目の前の男がどれほど自分の役に立つかと見定めているのだろう。
気に食わない。
「おまん、なんじゃそん目は」
「以蔵さん」
「はは、よいよい。貴賓に慣れていないのだろう。このカルデアには神霊や王も多いと聞くがな」
言外に以蔵の人間関係を貶められている気になる。
「するたんかなんか知らんが、わしをわやにしなや」
にらみつけてがなる以蔵へ、メフメトは余裕綽々の表情を向ける。
「その意気やよし。よく見れば顔立ちも幼い……私のハレムはいつでもお前を歓迎するぞ」
はれむ? と初めて聞いた単語にきょとんとする以蔵の前へ、立香が割り込んできた。
「やだぁもうオスマンジョーク! 面白いけどダメです!」
以蔵を背後に隠してアホ毛をぴんと立てる立香の耳は赤い。立香を見下ろし、メフメトは快活に笑った。
「その反応、マスターとサムライは恋仲なのか」
「こっ……はいそうなんですけども!」
狼狽する立香に、以蔵も『はれむ』の意味を察する。
つまり、以蔵に粉をかけたのだ。
「なんちゅうこと言うがじゃ! わしに陰間の真似ごとせい言うがか」
「その気の強さも悪くない――だが、サーヴァントとして召喚された私がマスターのものを盗るのはルールに反しているな。ともに別の聖杯戦争へ喚ばれる時まで待ってやろう」
「誰がおまんなんぞに! 他ぁ当たりや」
以蔵の叫びにも、動じる気配はない。生前から、人を人とも思っていなかったのだろう。
ますます気に食わない。
しかし、引き受けてしまった仕事だ。
以蔵は二重廻しの裾を翻して立香とメフメトに背を向けた。
「ほれ、しゃんしゃん行くぜよ。わしん護衛代は高いき」
「頼もしいな」
鷹揚に笑うメフメトに、以蔵は歯ぎしりを鳴らした。
食堂のキッチンカウンターの向こうで、エミヤは眉に皺を寄せた。
「ハラールか……」
「お前はどんな料理でも作れると聞いた。私の希望も叶えることができるか?」
「はらーるちなんじゃ」
疑問符を浮かべる以蔵へ、エミヤは苦笑を見せた。
「イスラム教徒の重んじる掟だ。アッラーを信じる者は食物に関していくつか決まりごとがある。例えば豚肉は食べられない」
「アッラーから禁じられているからな」
「なんじゃそりゃ。好き嫌いするらぁておまんは子供か」
「マスターの皿にネギやニラを移す男には言われたくないな」
涼しい顔のエミヤからやり込められて、以蔵は頬を膨らませる。メフメトは気にした素振りもなくエミヤへ聞いた。
「それで、お前はできるのかできないのか」
「豚肉だけでなく、豚を使った調味料も教義に反するのだろう……不可能ではないが、ピークタイムは避けてもらえるとありがたい」
「帝王の命令でもか」
「このカルデアでは、皇帝も神霊も規則に従ってもらっている。それがマスターの希望なのでな」
表情を曇らせるメフメトに、エミヤは続ける。
「本来サーヴァントは食事を摂らなくても問題なく行動できる。無理をして戒律に触れるくらいなら、食べないという選択肢もあるが」
「ふむ……」
「わしは食える時に食うた方がえい思うぞ。マスターの魔力はたっすいし、いざっちゅう時んために余力はあった方がえい」
メフメトは意外そうに以蔵を見た。
「お前、割と考えるのだな」
「またわしをわやにしゆう」
眉じりをつり上げる以蔵に向けられるのは、人を従わせるのに慣れた者の笑顔だ。
「では厨房の守護者よ、私のためにハラール食を作るがいい。断食の時のためにデーツがあればより望ましいな」
「デーツ……ナツメヤシの実か」
エミヤは眉間に人差し指を立てて考え込む。
「さすがに地下菜園にもナツメヤシはない。レイシフトの際に買うか狩るかしなければ」
「地下菜園?」
メフメトは予想外のワードに反応した。
「そんなものもあるのか。マスターからは聞かなかったが」
「他に説明すべきことがあると思ったのだろう」
「サムライ! 案内しろ」
明らかに機嫌をよくしたスルタンに命じられ、以蔵は腹を立てる。
しかし、この男をカルデアに慣れさせろ、というのが立香の命令だ。以蔵はこの男とは何の主従関係もないが、その前に立香のサーヴァントである。
「――へぃへぃ、連れて行きゃぁえいがじゃろう」
「弓兵よ、食事の支度はいつ整う」
「そうだな……二日待ってもらえるか。及ばずながら、なるべく希望に沿った食事を提供しよう」
「楽しみにしているぞ」
えらそうな態度のメフメトが癪に障る。立香というマスターに絆されただけで、本来以蔵は人を仰ぐことを好まない。
「するたん、来んなら置いて行っちゃるぞ」
食堂の出口へ向かう以蔵に、メフメトは慌てる様子もなく言った。
「主に命じる従者があるか」
「やき! わしは! おまんの! 家来や! ない!」
「元気がいいな」
こいたぁとは話いとうない。
以蔵は嘆息した。
カルデアの地下、図書館とは離れた立地にある地下菜園へは、以蔵も初めて足を踏み入れる。
カルデアでは土を採取できないから、水耕栽培を採り入れている。何竿もあるラックの棚板に固定された草の根が、水の張られた浅い水槽へ伸びている。科学者が調合した、栄養たっぷりの水だ。
天井では魔術師が開発したミニチュアの太陽が輝いている。本物には及ばないが、東から昇って西へ沈む季節ごとの動きも再現されている、と聞いた。ラックの各段の上部にも、太陽を模した光源が取りつけられている。
「ふむ、思っていたのとは様相が違うが……ここで食材を育てているのか」
「わしはよう知らん。厨の連中に聞きや」
メフメトは目を輝かせてラックの中の野菜を覗き込んでいる。
何がそんなにこの王様をかき立てるのか。以蔵にはさっぱりわからない。
「これはミニトマトに、パプリカか……生前の私は知らなかったものだな」
「礼は歯茎のおっさんに言い」
「レタスに水菜に春菊、バジルにルッコラ。葉物が多いな」
「リョクオーショクヤサイをまかなっちょるんじゃと。臭いがきついもんもあるき、わしは嫌いじゃ」
以蔵の愚痴も、メフメトには聞こえていないようだ。
「ここは誰が管理しているんだ?」
「知らん。こんまい青髪の魔女さんが出入りしちょったのは見たけんど……わしよりもダ・ヴィンチに聞いた方が早い」
「後で聞いてみよう。案内しろ」
「おまん、そりゃ人にものぉ頼む態度やないろう」
「私は帝王だからな……この棚に空きがあるのかが知りたい」
メフメトは六角眼鏡の奥の瞳をきらめかせた。
「薔薇を植えられればいいが、水耕栽培が可能かどうかは図書館の書物を調べよう」
「薔薇のう……苗はどっから持って来るがじゃ」
「レイシフト先で気になる品種を手折るなり、種を拾うなり……生前は小姓にやらせていたが、私にもできる」
「ふぅん」
「薔薇だけではない。四季折々の花を育て、カルデアに飾るのだ。育てること自体も好きだが、下々の民に美しさを還元させ、心を慰めさせるのも帝王の務めだからな」
この、自然と己を高みに置く姿勢に慣れなければならないのか。
不機嫌さが顔に出ていたのだろう、メフメトはなだめるように笑う。
「お前のためにもなるんだぞ。あのオレンジ色の髪には、白い花が合うだろう。マーガレットやコスモスがうまく咲いたら、お前に賜ってやろう」
その言葉に、以蔵は想像する。
白い花を束ねて立香へ差し出す。頬を紅潮させながら、立香は受け取ってくれる。花束から一本抜き取って、シュシュの結び目に差し入れてやれば、その可憐さが際立つだろう。逸る以蔵が花束ごと抱きしめると、甘い芳香が二人を包む――
「だらしない顔をしているな。それだけマスターの覚えがめでたいんだな」
メフメトのからかう声で、以蔵は我に返った。
「や、やかましい!」
油断できない男へ弱みを見せてしまい、以蔵は首を振る。
「可愛らしい男だ……これは次の聖杯戦争が楽しみだな」
「絶対おまんのもんなんぞになるか! ここがカルデアでなけりゃ叩っ斬っちゅうとこじゃ!」
「そうやって吠え立てるだけ私の興味をそそるのがわからないのか?」
「……っ!」
以蔵は両手を口でふさいだ。愉しそうなメフメトが憎らしい。
シミュレーションルーム、レクリエーションルームを順に案内し、管制室へ戻る道すがら。
「……げっ」
真紅の戦装束に身を包んだ皇帝が、廊下の向こうでらしくない声を上げた。
なんじゃ、と以蔵が口にするより先に、メフメトはターバンの端布を揺らして恐ろしい勢いで廊下を駆ける。
「おい、おまん、危ないろう」
以蔵が後を追うと、メフメトはコンスタンティノス十一世の袖を掴んでまくし立てていた。
「おお、お前もここに召喚されていると聞いたんだ。初めて会うが、すぐにお前だと気づいた」
「奇遇だな、私もすぐにお前だとわかったよ。いいから離してくれないかな」
明らかに嫌がっているコンスタンティノスをまったく気にせず、メフメトは抱きしめんばかりの情熱をぶつけている。
「やはり私が弔ったあの男はお前ではなかったんだな。若返っていても違いはわかる」
「偽物を晒して弔うなんて、間抜けもいいところだ」
「同じカルデアのサーヴァント同士、一献傾けようじゃないか。昨日の敵は今日の友と言うだろう」
「断る。第一、お前の宗教は飲酒を許してくれるのか」
「私は敬虔な方ではなかったからな。宴会などは好まなかったが、よく小姓をそばに侍らせて晩酌していたものだ」
「豚肉食わすぞ」
「口調が雑!」
以蔵にはわからないことを交えて話す二人には、おそらく生前からの因縁があるのだろう。以蔵と龍馬、あるいは壬生狼のように。
とはいえ、メフメトを管制室へ送らなければ以蔵の仕事が終わらない。以蔵は豪奢な上衣をつまんで気づかせようとする。
「するたん、こっち来い」
「嫌だ、せっかく捕まえたんだ。私が焦がれたあの都、コンスタンティノープルの象徴を、こんなところで逃してなるものか」
「オカダ殿、私のことは気にせずこの男を連れて行ってくれ。私はこの男には何の用事もない」
「そうしたいがはやまやまじゃけんど」
メフメトが以蔵に気を取られていた隙に、コンスタンティノスはその手を振り払って逃げ出した。
「あっ待て! まだちゃんと話してないのに!」
「俺には用事なんてないって言ってるだろ!」
普段立香たちへ向ける、慈愛に満ちた皇帝としての振る舞いからは想像できない捨て台詞に、以蔵は驚く。
「おまん、あいたぁに何したがじゃ」
「あの男が治めていた都と国を陥とした」
「たまるか……」
その関係から仲よくなれると思う方がおかしい。
しょげるメフメトにかける言葉など、以蔵は持っていない。正直どうでもいい。
ともかく自分の仕事をやり遂げなければならない。立香はきっと以蔵を褒めてくれるだろう。
メフメトはコンスタンティノスの背中に後ろ髪を引かれている。それを無視して、以蔵はその上衣を引っ張った。