ハッピーシンドローム 古今東西、流行り廃りというものはどこにでもある。特に学生のうちは学内が全てに近しい。一種の村社会と言っても過言ではないだろう。カーストが自然とでき、噂話はあっという間に広がる。だから、今回も一過性のブームが起きていることをなんとなく察した。
「なあ、それってなんかご利益でもあんの?」
ナルトは怪訝そうな顔で「それ」を指さした。視線の先にあるのは、小指に輝く淡いピンクの指輪だ。飾りもない、シンプルなつくりをしている。だが、確実に存在感はあった。つけている本人……春野サクラの髪と同じ色の輪っか。ナルトは机に頬杖をついた。なにもこの小さなリングをつけているのはサクラに限った話ではない。ぐるりと周りを見渡す。うん、やはりだ。姦しく話に花を咲かせる女生徒たち。彼女たちのほとんどが小指に輝く輪をつけている。つまり今の「流行り」なのだ。唐突に投げかけられた疑問にサクラはきょとんと大きく瞬きをした。指差されたリングに目を落とす。そして少し考えるように、視線をうろつかせる。どうにも煮え切らない態度だ。ナルトはじっと彼女の小指を睨んだ。すると頬を軽く紅潮させ、ぼそぼそと小声で呟く。
「ご利益はこれからあるかもしれないし……ないかもしんない」
「え、ないかもしんねーの?」
「うっさいわね!」
反応した単語が悪かったらしい。揚げ足をとれば、眦を吊りあげたサクラに勢いよく怒鳴られる。理不尽だ。つまりは願掛けみたいなものだろうか。女子間での流行りは時間差で男子に広がる。特にナルトはその手のことに疎いものだから、すっかり熱が収束したあとに知ることになることもざらだ。しかしながら今回ばかりは早く気づいた。それもそうだ。クラスの女子がこぞって小指にリングをつけている。なにかまた始まったのだろうと勘繰らないほうが難しい。
「じゃあなんでサクラちゃんはそれつけてるんだってばよ」
「……別にいいでしょ。なんだって」
ツンと唇を尖らせてそっぽを向かれる。機嫌を損ねてしまったようだ。こんなことはよくある。余計な口を出して、クラスの女子に冷めた眼差しを向けられることも慣れたものだった。サクラ曰く「女の気持ちがわかってない」そうだ。だが、こうもあからさまに隠されると気になる。ナルトは改めて輝く小指を睨めつけた。そしてじっーとそれこそ穴が空きそうなくらいサクラの横顔を凝視する。胡乱げに指輪と横顔を交互に見比べる。無言のなんとも言えない空気が二人の間に漂う。するとサクラが「ああ、もう!」と鬱陶しげに視線を振り払う仕草をして、こちらに向き直る。どうやら根負けしたらしい。
「願掛けよ! 今、女子の間で流行ってんの! 利き手の小指にピンキーリングをつけたら好きな人と結ばれるって!」
「……ピンキーリング?」
「アンタがさっきから気にしてるこの指輪のことよ」
ずいっと差し出された手は白くて細い。爪は淡いピンク色に染まっている。だが、なにより一等目立つのは一番外側の小さな指だ。そこに輝く指輪のことをどうやらピンキーリングというらしい。いや、それよりも聞き逃せない単語があった。今やそっちのほうがナルトにとっては重大だ。
「好きな人と結ばれる?」
「そうよ」
サクラはすっかりぶすくれている。言うつもりはなかったらしい。ぶっきらぼうに返事をされたが、これもまたよくあることだ。ナルトは視線を一瞬机に落とす。そしてすぐにまた顔を上げた。
「あのさ、サクラちゃんの好きな人ってサスケだよな?」
「そうね」
「じゃあ無理じゃん。サスケとオレ、付き合ってるし」
ゴンッと音が鳴る。次いで後頭部に強い衝撃が走った。どうやらおもいっきり後頭部を拳で殴られたらしい。それも拳だ。ナルトは顔面を机に沈めたまま呻いた。カエルが潰れたような声が喉奥から漏れ出る。鼻が折れていないかちょっと心配になるくらいに顔も頭も痛い。
「いっでええええ!」
「デリカシーってもんを持ちなさいよ」
フンと鼻を鳴らしてサクラは椅子を引き、前の席に戻ってしまう。同時に予鈴が鳴り、ところどころに散っていた生徒たちが着席する。ナルトは涙を浮かべたまま、いまだ痛む後頭部をさすった。
そう、サスケことうちはサスケとうずまきナルトは付き合っている。これは実は学内で公然の事実である。特に周囲に隠してもいない。いや、はじめの頃はナルトは隠したほうがいいかなあとも思っていたのだ。
だが、サスケときたら配慮もクソもない。告白してきた女子に対して、これまでは「悪い」「無理だ」など拒否の一点張りだった。それがナルトとお付き合いを始めた日から断り文句が「ナルトと付き合っている」に変わったのだ。あの顔よし・家よし・頭よしでどんな美女から告白されようが全て断っている男がナルトと付き合っている。
それが知れた日は今でも鮮明に思い出せるほど地獄絵図だった。サスケ狙いの女子たちに放課後呼び出され、廊下の端で「どういうことか説明して」と詰られた。お化けも怖いが、あのときの女子たちはそれ以上だ。その上でとんでもない形で暴露した当人はシレッとしている。それどころか女子に囲まれたナルトを一瞥しただけで、なんの助け舟もなかった。恐怖と怒りが同居することがあるとあの日ナルトは学んだ。どうにか恐怖の詰問から抜け出して「おい、サスケ!」と今度はナルトがサスケに詰め寄った。どういうつもりか問いただせば「事実だろ」と眉ひとつ動かさずに平然と答えが返ってくる。確かに事実だ。ナルトはサスケのことが好きである。友愛じゃなく、恋愛としての好き。つまりライクではなくラブだ。そしてサスケもそうだと言う。
正直、気持ちを告げた際には驚いた。お互いにそういう意味で情を交歓できる日がくると思わなかったからだ。同じ「好き」なら、じゃあ付き合うかとなったのもごく自然なことだった。そしてお付き合いが始まり今に至るわけだが……実のところカップルらしいことはなにひとつしていない。もう半年は経つというのに、せいぜい誰もいない帰り道にこっそり手を繋いだくらいだ。抱き合ったり、キスも……その先などとんでもない。健全を超えて小学生レベルだ。だから、サクラの指に輝く指輪を見て思ってしまった。羨ましいと。
「思い返せばお前、誕生日にもなんもくれてねえじゃん!」
「それはお前もだろ」
「一楽の割引券やっただろ!」
今の一大ブームであるピンキーリングのことを話せば、サスケは顔を顰めた。ああ言えばこう言う。ナルトにとっては一楽の割引券は誕生日プレゼントのつもりだった。しかしながらサスケにはそう受け取ってもらえていなかったらしい。地味にショックだ。学校の帰り道、土手に並んで座って話す。付き合い始めの頃はドキドキしたものだったが、もうこれもすっかり習慣化してしまった。ナルトは近くにあった小石を拾い上げる。土手の先に広がる川に向かって投げれば、ボチャンと音がして沈んでいく。学校からの帰路にあるからという理由でここで二人で話すのが日課になっている。邪魔も入らず二人きりで話せる場所があまりないからだ。夕陽が沈むまで会話を交わす。言葉にすればなんだかロマンチックな響きだが、実際はなにもない土手で陽が沈むまでただ駄弁っているだけである。それもサスケが相槌をうつほうが多く、ナルトがほぼ主体で話をしてばかりだ。以前この口数の少ない相方に「今日はお前の話を聞く!」と意気込んでみせたが、ほぼ無言のまま日暮れを迎えた。以降、会話の主導権はナルトが握っている。
思えばデートというのもしたことがない。いや、もしかしてこれがデートなのか? 一瞬悩んだが、すぐにやはり違うと結論づける。デートというのはもっと小洒落た場所でいちゃいちゃするのが定石のはずだ。少なくともサクラから借りた雑誌にはこんななにもない土手で肩を並べて話すのがデートだとは書いてなかった。とびきりオシャレをして、まずは待ち合わせから始まる。そしてカラオケやカフェなどに行って、娯楽を二人で堪能する。最後は二人で観覧車に乗り、てっぺんでキス……そんなデートコースが指南されていた。
「ウスラトンカチ。このへんにカラオケもカフェもなければ、観覧車もねぇよ」
どうやら全て口から出てしまっていたようだ。隣に座るサスケから冷静につっこまれ、ぐうの音も出ない。たしかに辺り一帯にそんな洒落たものは存在していない。そもそも帰り道にあれば、学生たちの溜まり場になるのは必定だろう。しかし残念なことにあるのはまだまだ未開発の土地ばかりで、建物よりも田んぼのほうが多い。雑誌に影響された理想のデートコースを考えておいてなんだが、サスケとカラオケ……縁遠そうだ。イメージもつかない。脳内にマイクを持ったまま、棒立ちするサスケの図が浮かんでナルトは漏れそうになる笑いを噛み殺した。だが、緩む口元は隠せていなかったらしい。隣から痛いほど視線を感じる。
「それで? どうしてほしいんだ」
サスケは溜息混じりに肩を落とした。露骨に面倒臭いという雰囲気を出している。だが、そんな態度に一喜一憂してはいけない。サスケが面倒さを隠さないほうが少ないのだ。そうであれば直球勝負あるのみ。ナルトはぐっと拳を握りしめ、立ち上がって高らかに宣言した。
「恋人っぽいことしてえ!」
「…………は?」
長い沈黙は呆れていたらしい。あまりにも漠然としすぎた自覚はある。だが、恋人というのは互いにとって「特別」な存在だろう。親友では結べない絆と情がそこにあるのだ。だと言うのに、正直今のナルトは片想いの女の子たちが羨ましかった。叶うと決まったわけじゃない。願掛けにまで縋っている片想いと成就している想い。彼女たちからは「贅沢言ってんじゃない」と張り倒されるかもしれない。でもナルトからしてみれば、恋人という存在なのに友人関係だった頃とほとんど進歩がないのだ。不安にもなる。だから「特別」な証が欲しかった。それなのに、この仏頂面の恋人にはいまいち響いてないらしい。実に腹立たしかった。
「……もういいってばよ」
唇を噛み締め、ナルトはその場に膝を抱えて座りこむ。両想いなのに、なんでこんなちっぽけな願いも伝わらないんだ。悔しい。虚しい。一人相撲をしている気分になる。鈍いとさんざ言われるが、隣の男はさらに上をいく鈍さだ。それでもコイツが好きであるから余計に悔しかった。
「……ちょっと待ってろ」
「なんだよ」
「いいから、ここで待ってろ」
サスケはそう言葉を残して、土手を降りてゆく。恋人ポイントマイナス一億点だ。多分、普通の恋人ならこんなしょげかえる相手を置いていかない。フォローをいれるのが一般的だろう。だがサスケは振り返りもせず、雑草が茂る土手下へ歩を進める。しゃがみこみ、なにかを探しているようだった。手で草を撫でつけては目当てのものが見つからないのか、少しずつ移動する。奇怪な行動だ。それを幾度か繰り返し、もう夕日も沈むというところで立ち上がった。ようやくこちらへと踵を返し、ナルトの腕を取る。
「おい、ちょっと来い」
ほんのり明かりを灯した街灯の下へと連れられる。もうどうにでもなれだ。そも、サスケのマイペースさは今に始まったことじゃない。はいはいと大人しく手を引かれて街灯の下に立つ。
「そんで、サスケちゃんはなにがしたいんだってばよ」
さっきとは打って変わって今度はナルトが質問する立場だ。あからさまに小馬鹿にした態度だが、サスケはさして気にもとめない。
「手、出せよ」
ナルトはむすりと唇を引き結んだまま右手を空中に差し出した。サスケはその手を支えるよう、そっと下から掬い上げる。そして右の小指になにかをそうっとくぐらせる。
「え?」
小指にあったのは四葉のクローバーでできた指輪だ。子どもの頃、女の子が器用につくっているのを見たことがある。どうやら先ほどまでの奇妙な行動はこれを探していたようだ。ナルトは小指に巻きついたクローバーの指輪をまじまじと見て、次にサスケへ視線を移す。
「なんだよ」
文句あるかとでも言いたげな態度だ。街灯に照られた頬がほんのりと朱色に染まっていて、恥ずかしがっているのがわかる。その姿がいじらしくてぐっときてしまった。惚れた弱みというやつだ。普段はリアリストな癖に、そういえば妙にロマンチストな面がある奴だった。
「これ、くれんの?」
「……ああ。今はこんぐらいしかしてやれねえからな」
にんまりと頬が緩む。さっきまで燻っていた感情はどこへやら。ナルトの心はもう有頂天だ。どの輝くリングよりもこの葉っぱでできた指輪がいい。恋の前では誰しも盲目になると言うのは事実のようだ。今、その気持ちがよくわかる。ナルトは目の前にいる男に思い切り抱きついた。
「サスケ! サンキューな!」
突然のことにサスケはたたらを踏む。珍しく瞠目していた。だが、今度ばかりは伝わったらしい。緩く眦を下げて「おう」と背に手を回す。なんだ簡単なことだった。ぎゅうぎゅうと愛おしい恋人に抱きつきながら、肩口に顔を寄せる。互いの温度が伝わってきて、心地よい。安心する。照らされた街灯の下、まるで世界に二人きりになった気持ちだ。ナルトは今一度右手の小指を眺める。四葉のクローバーが光に照らされて、宝石のようだった。