一人薄暗い部屋の中、何度も繰り返し手のひらの液晶画面を見る。スリープ状態になる度に点灯させ、通知の無いのを確認する。数分毎に吐き出されるため息も、数えるのがもはや馬鹿馬鹿しい程だ。
『会いたい』
たった4文字が、言葉でも文字でも伝えられない。面倒くさい奴だとか重たいとか思われたくない。男同士だからまぁ、気持ちは分かる。恋人にべったりと依存されるのは精神的にも良い事ではない。
でも仕方ないだろ。会いたくて仕方ないんだから。また一つ、肺の奥から空気が吐き出される。
「今日は一人にゃのかい?兄さん」
寝不足の身には、眩し過ぎる陽光を浴びながら歩く道すがら、猫又に声をかけられた。唐草模様の風呂敷包みを手に、ふわふわと浮かんでこちらを見下ろしている。
「いつもKKと一緒にいるわけじゃないよ」
というか、最近は一緒に居ない事の方が多い。KKの方は、やれ調査だ、何だと忙しそうだし、僕の方も一般的な大学生としての生活があって、あまり会えていないのが実状だ。なんとなく並んで歩きながら、近くの公園の木陰に移動する。猫又も暇なのだろう。喋りながらついてくる。
「たまには兄さんも買い物に来て欲しいにゃ」
「僕が買うようなものは扱ってないだろ?」
幽霊退治みたいなオカルト案件には、KKは僕をあまり連れて行きたがらない。一応、今でも弓は使えるので戦えるが、積極的に僕をそっち方面に関わらせるのは嫌らしい。
「兄さんはいいお客だったからにゃあ」
ぼったくりみたいな値段で調査資料という名の紙切れを買うんだから、そりゃあ、いいお客だろう。
「護身用に札でもどうにゃ?相変わらず、見えてはいるんだにゃ?」
確かに今でも辻に立つ霊を見ることはある。でも、絶対に関わるな、見える素振りもするなとKKにきつく言われている。そもそも今の僕では彼らに何かしてあげることも出来ないのだ。半端に関わるのは良くない。お互いの為にも。
「いざという時の逃走用に、これとかどうにゃ?」
猫又がぷにぷにした腹皮の隙間から札を取り出した。四次元に通じるポケットでもあるのだろうか。マシュマロみたいな猫手から渡された麻痺札を手に、かねてから疑問に思っていたことを何気無く猫又に聞いてみた。
「ねぇ、これって人間にも効くの?」
猫又はにやあ、っと有名な不思議な国の猫のように、三日月形の口で笑って言った。
「お客さん、そっち方面に興味がお有りかにゃあ?」
「え、?いや、そういう意味じゃなくて…!」
慌てて否定する。犯罪にでも使おうとしてると思われたら一大事だ。冤罪です。
「あのいつもの連れのおっさんに使うのかにゃ」
「KKに?」
なんで?
「たまにはそういうのもアリだと思うにゃ」
猫又は一匹で納得して頷いている。
「でも、残念ながらあのおっさんには、この札は効かないにゃ」
「あ、やっぱりそうなんだ」
そうだよなと、札を猫又に返す。
猫又は受け取った札を腹にしまうと、
「だから、兄さんはこれを使うといいにゃ」
手に持つ風呂敷包みを開いてこちらに見せる。
「…どうしてこんな物持ってるの?」
「それは、業務上の秘密にゃ」
猫又の瞳がすーっと針のように細くなる。
「お代はいいから持っていくにゃ」
「そういう訳には…」
妖怪からタダで物を貰うなど、後でどんな災いに巻き込まれるか。
「…あいつの、こちらを見る目が気に入らないにゃあ」
不愉快そうに眉をひそめる猫又。確かに、動物嫌いのKKはいつも猫又の事を胡散臭そうに見ている。
「ちょっとくらい困らせても、罰は当たらないにゃあ」
嬉しそうにブツを押し付けてくる。
「だからって、これはちょっと…」
さすがに受け取るわけにはいかない。
「気にすることないにゃあ」
猫又は風呂敷包みを強引に押し付けると、ぱっと姿を消した。
「また、御贔屓に!」
最後に一声を残して。
「久しぶり、KK。ちゃんとご飯食べてる?寝てる?」
「なんとかやってるよ。おまえこそ大丈夫か?」
少し時間が出来たので、せめて顔だけでも見たいと言えば、急な連絡にも関わらず、暁人は歓迎してくれた。
「夕飯は?簡単なものなら出せるけど」
「いや、飯は食ってきたから。ありがとな」
若いのによく気が付く奴だなと思う。久方ぶりにまともに顔を合わせた恋人はやっぱり可愛い。俺みたいなおっさんの何処がいいのかは不明だが、嬉しそうに、何くれと無く世話を焼いてくれるのは有難いことだ。願わくばもっと一緒にいられる時間があるといいのだが。最後にこいつに触れたのはいつだったか、もはや忘却の彼方だ。なにやら無心にこちらを見つめる姿に、思わず手を伸ばして抱きしめる。遠慮がちに俺の背中に回される腕に心が躍る。くしゃりと黒髪を撫でながら、首筋に顔を埋めて匂いを嗅ぐと本能的に甘いと感じる。暫しの癒しを堪能してから、
「残念だが、これから夜中にしか出ない奴に会いに行かなきゃならないからなぁ」
欠伸を噛み殺しながら言うと暁人は一瞬、表情を曇らせたが、すぐに笑顔をつくって健気に言う。
「コーヒーでも淹れようか?」
まさか、相棒に一服盛られるとは。予想外だった。
俺は知らないうちに、何かあいつを怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。だが、目覚めた時には暁人の膝枕という厚待遇だった事を考えると、そんなには怒ってはいないのか?だが、床に転がされて手足は縛られてるし、ご丁寧に能力封じの札まで貼られてる。本気度は高そうだ。
目覚めた事に気付いたのか、上から顔を覗き込まれる。下から見上げる角度はなかなか新鮮で、これはこれで悪くない。何処から見てもこいつの顔は綺麗で惚れ惚れするな。
「大丈夫?痛くない?」
自分で縛っておきながら心配そうに、そっと俺の腕に触れてくる。
「痛ぇ、つったらほどいてくれんのか?」
「それは…出来ないけど」
可愛いらしい困り顔で言う。その顔に免じて、暫くはこのまま大人しくしていてやろうと決めた。
「で、暁人くんは、俺を拘束して何がしたいんだ?」
多少の無理難題は聞いてやろうと覚悟して、まずは犯人の要求を訊ねることにする。交渉はそこからだ。
「えっと、…たまには一晩ずっと一緒にいて欲しいなって…」
おい、待て。それが理由か?
「…んなもん、口で言やぁいいだろうが」
「なんか、恥ずかしくて…」
赤くなって俯く姿は最高に可愛いが、俺は手足を縛られている。動機から導き出される結果がおかしい。行動が振り切れてる。こんな無茶苦茶な奴だったか?……だったな、こいつは。変な所で思いっきりがいい。
想定外な動機だが、俺とっては大変満足のいくものだったので、
「分かった、おまえの好きなようにしていいぞ、暁人」
「本当に?今夜はずっと一緒にいてくれる?…朝まで?」
「あぁ、もちろん」
霊の野郎は明日の晩でいい。どうせ連中は場に縛られて動くことは出来ない。一日位いいだろ。
「やった…!」
俺に覆い被さって抱きついてくる。
「満足したなら、そろそろこいつをほどいてくれねぇか」
「えー…」
なんだ、その不満そうな声は。
暁人は顔を上げると、手近なクッションを手に取り
「折角だからこのままでもいいんじゃない?」
俺の頭を持ち上げて、自分の膝の代わりにクッションを差し込む。自由になると、俺の腹の上に跨がって耳元に口を寄せて囁く。
「たまには、僕が可愛いがってあげようか?」
「──生意気、言うじゃねぇか。やってみろよ」
へらっと笑うと、耳朶を甘噛みしてくる。指が頬を辿って首筋を這い、鎖骨をなぞりながら胸へと下ってくる。柔らかい舌が耳の輪郭に沿って這わされ、時折、ふっと耳の中に熱い息を吹きかけられると、背筋にぞくりとこみ上げる。俺の反応に気を良くしたらしく、得意気に
「どう?」
と聞いてくるので、
「まぁまぁだな、もっと上手くなるように仕込んでやるよ」
言いながら、暁人の腰を掴んで上下を引っくり返す。
「え、なんで」
俺の自由になった手足と、床に押しつけられている自分自身の手を順番に見て、呟く。
「あんな毛玉の言うことを真に受けるなよ」
引きちぎられた縄と札を目の前にかざす。
「あー…」
「俺が手本を見せてやるから、ちゃんと覚えろよ」
最後まで意識がもてばいいなぁ、暁人くん。